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学校へ行こう! ~先生の笑顔が素敵過ぎて授業になりません!~

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 最近は珍しい客が訪れることが多くなった。

 客自体が珍しい、というつっこみはもうお腹一杯である。


 多少の周知はされてきているのかもしれないけれど、たまに、今回のような話を持ってくる人がいるから、良し悪しだとユウは考えてしまう。


 今、ユウの目の前で上品に、優雅にコーヒーを口にしているのは、帝都有力貴族の一角、アール家当主、ノール=アール。


「いやぁ、本当に美味しいですねぇ。アイナもつれてくればよかったかな」


 その言葉にリンが反応する。

 あの事件以来、会ってもいなければ手紙のやり取りなんかもしていない、短い間友人だった少女の名前に、リンはややうつむき加減になっていた。


 そんなリンに気づくこともなくノールは言葉を続ける。


「今日は、この近くの村まで視察に来ていましてね。そういえば、と思いまして足を運ばせてもらったのですよ」


 笑顔で語るノールは、そこには嫌味とか威圧的な何かはなくて、本当に来たくて来たのだとうかがわせる笑みだったから、自然とユウも顔を綻ばせている。


「ありがたい話です。わざわざいらっしゃっていただけるなんて」

「なに、美味しいもののにおいをかぎつけるのは、私の特技でしてね」


 はっはっは、と歯を見せながらも上品に笑うノール。


 そのノールの後ろ、玄関の所にはスカウトらしき男がいる。トッチと同じように周辺を警戒しているのだろうか。その外、ノールの乗ってきたと思しき馬車の周りでは、いかにも精鋭といった風の騎士達が思い思いに過ごしていた。

 その騎士達の中にはユウのことを見知っているのか、それとも得体の知れない店を警戒しているのか、ちらちらと店内を気にしている者もいるようだ。


「リン、ちょっと?」


 うつむき加減のリンを慮ってか、ユウはリンを手元まで呼ぶ。ちら、とノールの様子を気にしながらも、リンはととっとユウに駆け寄ってきた。


「ん?」

「外の騎士さん達に配ってきてくれないかな? 失礼のないようにね」

「……ん、わかった」


 ユウが人数分のコーヒーとお菓子の乗った大きなトレイを出てきたリンに渡す。

「リン殿も、日に日に大きくなりますな、以前見たときと、少しばかり雰囲気が違うように感じます」

 店を出て、騎士達にコーヒーを振舞うリンの姿をガラス越しに見ながら、ノールが呟く。

「そうですね……」

 そのノールの言葉にどう応えてよいものか、ユウもまたリンの姿を見ながら頷いた。

「さて……ところで、勇者殿?」

「はい?」


 向き直ったノールが、リンを見送ったのとはまた違う笑みを浮かべていたので、コーヒーのおかわりかな? と思ったが、ノールのカップにはまだ半分ほどコーヒーが残っていたのでなんだろうと首をかしげるユウ。


「以前からこういう機会がありましたら是非お頼みしたいと思っていた事がありまして……」

「え……?」


そのノールの話にユウは目を丸くする。


「えぇと……それはちょっと……」

 また、前回のように護衛や、あるいは貴族がらみの厄介ごとか、もしくは――

 とにかく、何か頼みごとを持って来たらしいノールに対して、ユウは少しばかり言葉をよどませた。

「どうにかお願いできませんか? 勿論、お店の保証もいたしますし、聞くだけ聞いてもらうわけにはいきませんか?」

「はぁ……」


 もしくは、ユウは、てっきりまたアイナ絡みの話なのではと思っていた。

 後から思えば、一応アイナも絡んではいたのだが――


 リンとアイナの関係は、正直ユウからはどうこうできるようなものではない。

 当事者同士が決めなければいけない事だと、ユウは思っていたから、リンにしてもアイナにしてもその準備が出来るまでは会わせるのは避けるべきなのでは、と思っていた。

 それ故に、ノールがこの店にやってきた時点で多少慎重になっていたのは否めなかった。


 リンはあれから魔法や自分の力について少しずつ学んでいるし、制御するための鍛錬もしている。

 キャニという妹分が出来てからは、余計にだ。

 妹分と認識して、アイナを守ろうとした時のような気持ちが強くなっているのかもしれない。


 けれどアイナの方はどうだろうか?

 目の前の貴族は、特にアイナについて言及していない。

 以前の事があるから、こちらからも聞き難いのではあるが、例えリンにその準備があったとしても、アイナにその準備がなければ、またお互いに傷ついてしまうのではないか、とユウはその事を懸念し、恐れていた。


 だが、その貴族から出た言葉はユウの予想の上を行くものであった。


 「実は……勇者殿に、教鞭をとってほしいのです。」

 「は?」


 ノールのその予想の上のさらに斜め上を行く言葉に、ユウは思わずポカンとして固まってしまうのであった。





「みなさん、こんにちは! 今日から一ヶ月に一回特別授業をする事になりました、ユウといいます!」


 ざわつく教室の中で、一番前の教壇に立ったユウが声も大きくそう言うと、ニコリと微笑んだ。

 その瞬間、時は止まる。

 そこにいて、ざわざわとしていた教室はそのユウの笑顔に皆一瞬固まって――そして一様に皆頬を染めた。


(うん、やっぱり最初の挨拶は大事だよね!)


 しっかりとした挨拶が生徒達の心を掴んだ、と思い込んだユウはうんうんと頷きながら教室を見渡した。勿論笑顔のままで。


 が、視線を向けられた生徒達は今度は一様に下を向いてしまう。

 ただその顔は真っ赤に染まっているのだが、ユウからはそれを見て取る事ができない。


(あれ……怖がられてる?)


 ちょっと不安になってしまうユウ。


「はい! 皆さん、そんなわけでこの時間は勇者でもありますユウ様が先生となります! きちんと授業を受けるように!」


 そこへ、ユウと一緒についてきた、校長でもある老齢の女教師がパンパンと手を叩き、生徒達を一望しながら叫んだ。


「それでは、ユウ先生、お願いします 」

「あ、あはは……はい……」


 勇者であるということがもしかしたら生徒達に恐怖のようなものをあたえているのかもしれない。


 例えば、逆らう子は皆殺しじゃー、みたいな。


 一様に下を向いたままの生徒達を見て、ユウの脳裏をそんな妄想がよぎっていく。


(えーと……だ、大丈夫かな?)


 そんなユウの心配をよそに、無常にも予鈴が響き渡るのであった。





 今日のユウはいつものようなワンピースでもなく、かといって勇者としての格好でもない。

 真っ白なブラウスに、長めのタイトスカート、伊達眼鏡なんかをかけて知的さを演出しつつも、癖っ毛のある髪は整っていない。


 けれど、ユウは鏡に映る自分の姿ににんまりとする。

 ユウの想像上の教師像はそんな感じなのだろう。


 唯一教師と呼べそうな、ユウの出身の村にいた僧侶は時々こういう格好をして子供達に魔法や字を教えていた。

 とはいえ、その僧侶はブラウスにネクタイはしていたし、眼鏡も伊達ではない。髪も整えて化粧もして……きちんとした格好でいたのだから、ユウの想像とは大分異なる。


 準備も整い、ばっちり決めた、と自己満足のユウは服の上から厚手のローブを着る。

 勿論、空を飛ぶ時のスカート対策だ。

 タイトスカートゆえに、ワンピースの時のようにめくれる心配もないが、どこにどんな目があるのかわからない。


「空飛ぶパ――」


 いいかけたリンにジト目を送って言葉を引っ込めさせるユウ。


「じゃ、今日一日お願いね!」


 二人に笑顔を見せると、再び空へと舞い上がっていった。


「おし、お店がんばるぞ!」


どんどん小さくなっていくユウの背中を見送りながら、子犬姿のままのキャニはその小さな拳を握り締める。


「いや、今日は大丈夫だと思う」

「えー?」


 そのキャニを半目で見下ろすリン。


「でも、客が来たら、リンだけじゃ大変だろ? この姿じゃロクに手伝えないし、喋るのもユウに禁止されてるし……」

「大丈夫」


 見下ろしたままでリンはニヤリと笑う。


「今日も客は来ない!」





 帝都には貴族の子息向けの学校が設けられていて、読み書き計算から他国の言葉、貴族のマナー、護身術まで、貴族としての一般教養と言われている教育を受けられる。そしてその教育内容は高度なものとして認知されている。

多くの貴族が出資し、諸国の間でも名門とさえ呼ばれているその学校には、出資している貴族の子供は勿論の事、平民出であっても、将軍などの要職についているものの子供や、成績が優秀であるものについても広くその門戸は開かれている。

当然のようにノールも出資していたし、その娘であるアイナもそこの生徒の一人だった。


 先日、そこで講師を引き受けていた元“人間代表勇者”の一人が老齢を理由に講師を引退したため、講義に穴が開いてしまっていた。学校側も代わりを探していたのだが、これといった人物がみつからない。

 募集を掛けても、出資の貴族に依頼しても、“人間代表勇者”の後を勤められそうな人物は中々見つからなかった。

 その中で、ノールが連れてきた勇者ユウ。

 元は単なる村娘であったが、勇者となる事で貴族との交流も増えたため、自然と身についた貴族のマナーは完璧。知識に優れ、何より知名度も抜群である。

 ユウと面接した、校長であるキュリアー婦人は一も二もなく気に入ってしまい、すぐにでも常勤講師になって欲しいと依頼する。が、それは受け入れられず、しぶしぶながら一月に一回という契約を交わす事になった。


 そうして今日はユウの初出勤日。


「ユウ先生。一応ここは貴族のご子息達が多く集う場所。もう少し御髪の方も纏めてきてくださいませんと……」


 学校へとやってきたユウを見たキュリアー婦人の第一声がそれであった。

 どこからともなく櫛を取り出した婦人は手早くユウの髪を梳いて、こざっぱりとした感じに纏め上げる。


 手鏡でその髪を見たユウが、


「これが……わたし……?」


 と呟かないまでも、癖のあるショートの黒髪は少しふんわりとなっていて、前髪は真ん中からきっちりとわけられているものの、こちらもやはり少し“ゆるふわ”な感じになっていた。


「水系の魔法はこういう使い方もできます。よろしければ後ほど教えましょう」


 片手で自分の眼鏡の位置を直しながら、キリリとキュリアー婦人がユウを見据えた。


 なるほど、どうやら水系の魔法でユウの髪型を整えたらしい。

 そういう事には思い至らなかったユウが感心して、一種尊敬の眼差しで目の前の初老の女教師を見つめていた。


「今日はこちらの教室で座学の予定です。テーマは……あら? なんだったかしら?」


 教室の前までやってきて、婦人が手に持った冊子をぺらぺらとめくる。


「ああ、そうです。今日は魔物と動物について、です」

「え……それはまた難解な……」

「そうですね。実際、動物と魔物の境界線はないに等しいものですから」


 難しい問題を目の前の婦人はさらりと言ってのける。

 多くの研究者達が動物と魔物の境界を探しては挫折し、あるいは時に魔物によって命を落とし、それでもなおこの境界は曖昧なままである。明確な線引きの手がかりすらつかめていないのがこの分野であった。


「勿論、明確な答えを望んでいるわけではありませんよ? このテーマを通してきちんと考えさせる、あるいは自由な発想を引き出す、というのが目的です」


 そこまで言って、少しキツそうな印象すら受ける初老の婦人は、けれどニコリと笑った。


「教師は、生徒の可能性を引き出すのが一番の仕事です。あまり気負わずにね」


 その笑顔は、とても魅力的でユウもまた笑顔にさせられるような素敵なものだった。

 初仕事という事で、少し緊張して、さらに難しいテーマを突きつけられて不安になっていたところに、不意をつくようなその笑顔は、その瞬間にユウの緊張を一気にほぐしてくれたのだった。


「がんばります」


 ユウも目の前の素敵な女性に、心からの笑顔を返す。

 その笑顔に、婦人は一瞬動きを止めて呆けてしまった。


 頬が少し熱くなっているのがわかって、冷静さを取り戻そうとその笑顔から目を逸らしてユウの首元を注視し始める。

 一体いつ以来だろうか、ただの笑顔に、しかも同性の笑顔にここまで引き込まれてしまったのは。


「そっ、それでは参りましょう!」

「はい!」


 冷静さを装いながら、改めて目の前にいる勇者の、噂の笑顔の力というものを実感する婦人であった。


 教室に入ると、生徒達はガヤガヤと騒いでいて、年相応の幼さや無邪気さを見せている。

 その中で、何人かの生徒が入ってきた校長と、見慣れぬ若い女性に気付いて訝しげな顔で二人を見ている。

 その視線と喧騒の中で、婦人が何かを言いかけるが、それを制してユウが壇上へと歩いていった。


「みなさん、こんにちは! 今日から一ヶ月に一回特別授業をする事になりました、ユウといいます!」


 壇上から声も高らかに挨拶し、笑顔を生徒達に向ける。

 その瞬間、静寂が教室を支配した。


 この時キュリアー婦人は、この人物を先生として読んだのは失敗だったのではないかと思ったという。

 なぜなら、生徒達はユウの声に一斉に壇上を見上げ、そしてユウの笑顔に皆一様に頬を染めてしまっていたからだ。

 悪い意味ではなく、この人物を先生として教壇に立たせた事を一瞬後悔する婦人。

 自分ですら、耐え切れるかわからない極上の笑顔。それが何の準備もない生徒達に向けられているのだ。

 生徒達がそれに耐えられるか――そんなものは自明の理のはずなのに。


 ユウは一瞬で静かになった教室の様子に、うんうんと仕切りにうなずいている。

 一体何をそんなに頷く事があるというのか。

 ユウに視線を投げかけられてしまった生徒達は、その笑顔の視線に耐え切れずに下を向いて顔を真っ赤に染めているのが婦人からは見て取れた。


 一方で、視線を投げかけるたびに下を向かれてしまうユウは段々不安にその笑顔を曇らせる。


(だめよ、先生が笑顔を曇らせちゃ。それにその笑顔は曇らせるにはとてももったいない!)


「はい! 皆さん、そんなわけでこの時間は勇者でもありますユウ様が先生となります! きちんと授業を受けるように!」


 自然と体が動き、手をぱんぱんとならし叫んでいた。


「それではユウ先生、お願いします」

「あはは……はい……」


 自信無さ気に答えるユウだった。


 普段なら彼女はこんな風に動く事はない。

 どんな先生であれ、給金を払い、生徒達を任せるのだから一端の人間として扱うから、たとえ生徒達が喚き叫んでも、授業にならなくても、決して助け舟などを出さないし、出すつもりも無い。

 それなのに、今は体が勝手に動いてしまった。


 それはおそらく生徒達を我に返らせるためが半分、そしてユウの笑顔を曇らせたくないのが半分だったのだろう。

 そう結論付けてキュリアー婦人は、始まったユウの講義を見るために教室の後ろへと下がっていった。


 ユウの講義そのものは可もなく不可もないものだった。

 特別目立った特長は見受けられず、テーマそのものは難しいのだが、そつなくこなしている印象だ。


 重要な部分を強調し、生徒に意見を促し、それに対して議論させる。


 授業風景としてはよくある手順だが、そもそも本職は教師ではないのだから、よくやってる方だろう。



 ――だが、キュリアー婦人の目からみて、そして校長として、一教師として、ユウの授業は舌を巻くものだった。


 授業としての流れはまるっきりよくある風景にも関わらず、キュリアー婦人を驚かせたもの、それは――



「魔物と動物は、とても曖昧な線引きで成り立っています。そうですね。あ、そこの……カイトくん? どうしたのかな?」


「はい、とってもいい意見でした。私も同じことを思ってたんだけど、先に言われちゃいました」


「それはとても難しい質問ですね……あら? えぇと……シャルロットちゃん。 何か気になるの?」


「おお……凄い。私はそこまで思いつかなかったな……皆はどう思いますか? ……ん? ミザリアちゃん?」



 目と記憶力が尋常ではないのだ。

 生徒達のかすかな所作を見逃さず、意見を引き出してくる。その過程で顔と名前を覚え、次からは間違う事がなかった。

 そして生徒達の意見を決して否定する事がない。
 
 それがたとえ間違っていたとしても、ユウはけっして否定せず、それを子供達に議論させる。

 よいと思った事は素直に良いと言い、驚いて見せたり、褒めたり。


 そうこうしているうちに、子供達はユウに聞いて貰いたくて、あるいは褒められたくて積極的に意見を述べるようになっている。そのうち議論そのものが楽しくなった生徒もいて、教室の中は活気に満ちていた。

 中には引っ込み思案な生徒もいるのだが、それをもユウは掬い上げて来る。


 自分ですら真似出来ない、まさに子供の可能性を引き出すかのような風景にすっかり見入ってしまっていた婦人。

 そしてユウはその婦人ですら巻き込んで授業を進めていく。


 しいて難点を一つだけ挙げるとすれば、ユウの笑顔か。

 生徒達に意見を述べさせ、それを真剣な面持ちで聞いているユウが、生徒の話が終わると共に嬉しそうに笑顔を浮かべるのだが、その度に生徒達はその笑顔に見入って放心してしまう。


 その度に、「あれ?」と首をかしげるユウなのだが、その仕草に我に返った生徒たちは、再び意見を述べるために手を挙げる。


 たびたび授業が一瞬でも止まってしまうのは、難点といってしまえばそうなのだろう。


 授業の終盤にはもはやユウの笑顔をみるために意見を述べているのではないかと思える生徒までいた。


 そして終業を知らせるベルが響き渡る。


 ユウの笑顔にうっとりとしては、我に返り、意見を述べ、またユウの笑顔にうっとりとする。

 そんな事を繰り返して、すっかり夢うつつのような状態になっている生徒達は、ぼんやりとした顔で終礼を行う。


「何か質問があれば、休み時間の間受け付けるからね!」


 そうして、再び生徒達を夢の世界に引き込む笑顔を見せるユウであった。





 人にものをおしえるというのは、存外難しい。

 相手がものを知る人物であれば、例え自分が間違っていても相互補完でどうにかなるが、今ユウの目の前にいるのは知識も見聞も経験も少ない、いわば巣で親鳥の帰りを待つ雛のようなものたちだ。

 雛は親鳥の運んでくる餌を、何の疑いもなく飲み込む。

 同じように、今、ユウの目の前にいる子供たちはユウや他の教師の教えを何の疑いもなく飲み込む事だろう。

 それ故に間違った事を教えるわけには行かない。


 一見、穏やかに見えるユウの内面では、一言一句に対する緊張が支配している。

 まるで綱渡りをするように、自分の言葉を良く考えながら話さなければいけない、それもその瞬間毎に判断しながら。


 同時に生徒達に対して、真剣に向き合おうとするユウは、どんな生徒の意見をも吸い上げねば、という気持ちでいた。


 まるで強敵と対峙したときのように感覚を研ぎ澄まし、生徒達の一挙一動を感じ取りながら、そこにいる何人もの生徒達の動きを把握し、意見を言いたくても言い出せない生徒にまで話を振っていく。


 そして忘れてはいけないのが笑顔。

 笑顔には力がある。


 例え、十人並みの容姿の自分であっても、美人でなかったとしても、笑顔というものは他人の心をほぐしたり、会話をスムーズにしてくれる潤滑油のような役割をしてくれる。

 天花菜取のような力のある笑顔は自分には出来ないが、それでも、笑顔で居る事で難を乗り切ったことが何度もあるから、心からの笑顔でいれば、きっと人は心を開いてくれるし、言い過ぎかもしれないが、全てうまくいく。


 ユウはそう心がけていて、今もまた生徒達に笑顔を向ける。


 なんてことは無い、彼女は自分の笑顔に関して、無自覚であるのだ。


 だから、笑顔を向けて生徒達が一瞬固まってしまうたびに思わず首を傾げてしまう。

 けれど、活性化していく教室は、そんな暇を与えないかのように、次々と新しい意見が生徒達から飛び出してくる。

 そんな生徒達の様子に、ユウも手応えを感じていた。


 相変わらず自分の話す言葉に神経を使いながらも、生徒達が皆、キラキラと輝きを放ちながら意見を述べる様子に、思わず嬉しくなってしまうユウ。


「何か質問があれば、休み時間の間受け付けるからね!」


 講義の終わりを告げるベルと共に、その嬉しさを表現するかのように最大級の笑顔を零して告げるユウ。

 その笑顔はしばらく生徒達を放心させて…


「さぁ、質問がある方はユウ先生のところへ。」


 パンパンと授業の最初にしたように、後ろで授業の様子を見ていた校長が手を叩いて、その音で生徒達は我に返る。

 それからユウのところへどっと詰め掛けるのであった。


「先生、どちらからいらっしゃったのですか?」

「先生、勇者様ってほんとうですか?」

「先生、かれしとかおりますの?」

「先生、さきほどの授業で……」

「あ、あはは……」


 矢継ぎ早に飛び交う質問にユウが苦笑いを浮かべる。

 予想外に生徒達が集まって次々と質問を浴びせてくる子供達のパワーを前にして、思わずたじろいでしまう。


「あっちの山の方からきたんですよ」

「うん、勇者をやってました!」

「かれし……いないんですよぅ」

「授業でどこかわからないところあった?」


 目をキラキラさせて、頬を紅潮させて元気良く聞いてくる生徒達にユウもまた笑顔になって、一つ一つ質問に答えていく。


 わいわいがやがや、とユウの周りには子供達の山が出来ていて、まもなく次の授業の予鈴がなろうとしているにも関わらず収まる気配がない。

 その生徒達の中で、一人の男の子が質問をするでもなく、子供達の輪の少し外側からじっとユウを見つめていた。

 その視線に気付いたユウが微笑みかける。

 けれど、それにも動じず、ただただユウの顔をじっとみつめている。
 

「何か――」

「はい! もうじき次の授業がはじまりますよ!」


 ユウがその男の子に話しかけようとした時、流石にそろそろこの場を収めなければ次の授業に支障が出るから、と校長であるキュリアー婦人が事態の収集のために子供達の波に割って入ってきた。


 キュリアー婦人の声と、彼女の持つ威厳のある雰囲気に、不満気ながらも蜘蛛の子を散らすように子供達の波は引いていく。

 ユウのことをじっと見ていた男の子も周りを一瞥して鼻で笑うようにすると、くるりと踵を返して自分の席へと戻っていってしまった。


(今のは確か……)


 婦人に連れられて教室を出て行くユウの頭の中で、今日出会った生徒達の顔と名前を照合していく。

 その中に、一人だけ印象が薄い、というか顔が空白の人物がいた。


「んん? あれ?」

「どうかなさいましたか?」


 今日授業を行ったのは約三十人ほどの一クラスだったのだが、手元の名簿を見ても、ただ一人だけ顔が浮かんでこない。

 それこそまさに、先ほどユウをじっと見ていた男の子であろう。

 そこに思い至ってようやくクラス全員の顔と名前が入ったユウの頭の中の名簿が完成した。


「いえ、その……この子のことなんですが……」

「ああ、その子ですか」


 ユウによって示された名前に、キュリアー婦人は僅かに思案してから頷く。


「ちょっと特別な子なのです」

「特別?」


 キュリアー婦人が眉をひそめ周りを見回す。


「ええ……対外的には公表されておりませんが……彼の後ろには皇室があります。」

「え――」


 周りに誰もいない事を確認したキュリアー婦人がユウの耳元で小声でそう告げた。


 ユウも勇者としてかつて前皇帝に謁見しているし、それから報告や勇者お披露目などで少なからず皇室との関わりがある。

 が、皇室の関係者だと思われるその男の子の顔はユウの記憶にないものだった。

 キュリアー婦人の話によれば、学校関係者にも詳しい話はされておらず、ある日突然皇室から件の人物の入学と、学生寮への入寮を打診されたという。

 学校関係者の間では、前皇帝の隠し子ではないかという噂がまことしやかに囁かれたらしい。


 なるほど、とユウは納得する。

 周りの大人の雰囲気というのは、そのまま子供に伝播してしまう。

 大人が色眼鏡でとある人物を見れば、子供もまたそのように見てしまうのだ。

 ましてや学校という一種閉鎖的な空間においてはそれは顕著に現れてくる。


 ユウをじっと見すえていた彼は、生徒達の輪から少し外れたところで斜に構えるようにしていた。

 そしてわいわいと騒ぐほかの生徒を鼻で笑うかのようにして踵を返す。

 他の生徒達とはどこか一線を画す雰囲気をもっていたのだ。


 その根っこにはそういう状況があったのだろう。

 彼の背後に一体どんな事情があるのか、ユウにはそれを知る由もないけれど、このままにしておくのは何だか心に引っかかりを覚える。


 キュリアー婦人の、今日の授業の総評を聞きながら、ユウの心に彼の眼差しが蘇る。

 寂しそうな、うらやむような、何とも言えない複雑な視線だった。


 キュリアー婦人の総評を聞いた後、これから先一月に一度のスケジュールを確認してユウの先生としての初日が終わりを告げる。


 心にもやもやとしたものを残しながら、ユウは『小道』へと家路を行くのだった。
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