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ついに16歳

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 戦闘民族よろしく、ばびーんと飛ぶこと1時間くらいかな。殿下のおっしゃった湖が見えて参りました。
 想像していたより大きいですね。私的には公園のため池くらいかなと思っていたのですが、ダム湖くらいありますよ。明らかに深いのに底の岩や倒木が見えますから、ものすごく透明度が高いのだと思います。

 先導していた殿下が降りたのは、湖畔の小さな桟橋の上です。私もその隣へゆっくり降り立ちました。

「カムは泳げる?」
「はあ。溺れない程度には泳げますが・・・どうしてですか?」
「小舟に乗ろうと思って。いいかな?」

 そう言って殿下が指したのは、桟橋の先に括ってあった小さなボートです。どちらかというと乗ってみたい方なので、乗る事に問題はありません。しかし大きさ的に2人乗りですよね。

「構いません。しかしクラウドはお留守番ですね」
「そうだねぇ」

 嬉しそうに目を細めて口角を上げた殿下は、いつものニヤニヤ顔とはちょっと違うような感じがしますが、嫌な予感がひしひしとします。
 クラウドが止めてくれることを期待してそちらを振り向くと、胸に手を当てて一礼したクラウドが厳おごそかに告げました。

「周囲に人の気配も、魔物の気配もございません。離れても危険はないとは思いますが、あまり遠くまで行かれるのはお勧めいたしません」

 いいのか。いいのんか。
 不満が溢れ出ているだろう視線を見慣れた茜色の瞳へ向けると、すっと逸らされてしまいました。

 ほほぉう。なるほどね。さすがのクラウドさんも王族に逆らうのは恐いと見えます。
 まあ、確かに彼が不敬を犯せば、彼だけでなく私や、雇い主である父も咎められてしまいますからね。そもそも長い物にまかれる性質を持っているのは私なのですし。
 いやあ。どうしてもですね、前世の社会人経験の賜物か、使われることに慣れてしまっているというか、それが楽なように感じてしまうのですよ。幸い労働環境は良好な職場であったせいか、社畜のように「はい。喜んで!」とまではいきませんがね。

「どうぞ。カーラ嬢」

 懐かしい呼び方をしてくれた殿下が、ボートへ片足をかけて私に手を差し出しています。ここまでされて断る勇気もありませんから、従順に手を重ねてボートへ乗り込みました。
 私の向かいに腰かけた殿下は、クラウドからボートを桟橋に括っていた縄を受け取り、それを足元へ置くとオールを両手に漕ぎ始めます。ちょっと心細げな顔のクラウドの姿が、あっという間に小さくなっていきました。

 その中性的な容姿から華奢に感じてしまう殿下ですが、たぶん「脱いだらすごいんです」系の体をお持ちなのだと思います。先日の武闘大会で「鯖折り」をかけられた時の感触と、さほど力んでいる様には見えないのにすいすい進むボートの推進力からの推察ですが。
 そう考えると、殿下は私の理想に掠ってはいるのですよね。「中性的」な容姿と、「一見華奢なのに実は筋肉が付いている」体という点で。それを加味しても余りある悪魔的な言動と、さらに越えられない壁である精神年齢の為に、どう頑張ってもそういう目線で見ることはできませんけれども。鑑賞対象としては格別なのですがねぇ。

 ちなみに実は、アレクシス様のあの鋭い目も好みだったりします。
 こう、油断したときとか、気を許したりしたときに見せる柔らかな目元に、ギャップ萌えしていたりして。しかしまあ、ここにも越えられない壁が存在しますので、愛でる対象としてはありでも、そういう対象として考えたことはありません。

「見られることに慣れている私でも、好意を寄せている相手に長く凝視されては、さすがに緊張してしまうよ」
「は・・・ぐっ」

 考え事をしながら、殿下のお顔を凝視してしまっていたようです。
 飛んでいた意識を戻すと、殿下にしては珍しく恥じらうように碧眼を伏せ、目元をほんのりと赤く染めていて、その様子に心臓を鷲掴みされてしまいました。目を逸らした先、金茶の髪の向こうで陽光が湖面に煌めく様は、まるで天使の輪が光り輝いているかのようで、思わず息を飲みます。

 油断した! 気を抜いていたところへの悪魔のキラキラフラッシュ攻撃により、私の萌えが大幅に膨張し、今にも破裂してしまいそうです。キュンキュンしすぎて・・・し、心臓が痛い。

 はくはくと可笑しな呼吸をし始めた私へ視線を戻し、目元を赤く染めたままの殿下がにっこりと笑みを浮かべました。

「ふふ。やはりこの容姿だけは、君の好みのようだね」
「!!!」

 ばれた! と、いうかばれていた?!
 慌てふためき、さらに呼吸がおかしくなった私の目の前で、笑みを深めて目元の赤もさらに濃くした殿下がオールをボート内へ収めます。そして膝の上でぎゅっと握っていた私の両手をそっと、包み込むように握りました。

「カム。ねぇ、カム。どうしたら君を手に入れられる?」

 聞いたことの無い、殿下の切ない声。
 それに胸が高鳴りつつも、頭の一角が急速に冷えていきます。キュンキュンと反応する心臓と、脳の大部分を占める萌え。しかし意味をなさないそれらに代わって、頭の片隅にある冷めた私が殿下へ反応を返しました。

「質問の意図がわかりません」
「だって君には私が持っている地位も、力も、財産も通用しないだろう?・・・ねぇ、カム。教えて欲しい。何が足りない? どうしたら私を見てくれる?」

 この場合の「見る」が恋愛的な意味だという事は、さすがの私でもわかりました。そして、それを理解するとともに萌えがしぼみ、冷静な私が頭のほとんどを占めていきます。
 徐々に表情を無くしていく私と呼応するかのように、殿下のお顔が強張っていきました。

「私は・・・」

 懇願するように、恐れるように、私の手を握る殿下の手に力が入ります。私はそちらへ視線を落とし、ひとつため息をついてから毅然とした態度で殿下を見返しました。

「私は、誰のものにもなりません」

 目を見張った殿下が、きゅっと口を引き結びます。こくりと唾を飲み込み、ゆっくりと口を開いた殿下の声は、らしくない程に震えていました。

「どうして・・・? 君を慕うものは、君が思っているより多いよ? だから私だけのものでなくて構わないと、そう言ったよね? 私はたくさんの中の1人でも、何番目でも構わない。それでも?」

 そんな、そこまで自分を卑下してまで、地位も容姿も申し分ない殿下が私を欲しがる意味が解りません。
 私にそんな価値なんて・・・いえ、ありますね。そういえば王家は私に婚約させ、その婚約者に私を監視させたがっていました。彼らにとって私は核兵器のような存在なのですから、当たり前です。
 きっと今まで私を監視していたレオンが次期ペンタクロム伯爵として認められたとか何かで、代わりが必要となったのでしょう。

 完全に頭が冷え切った私はまっすぐに殿下を見据え、彼に求婚をされた時からずっと用意していたセリフを口にしました。

「殿下。私は「夜の女神」の再来だと言われています。その私が伴侶を得るなんて、大勢を一瞬で殲滅できる怖ろしい呪文を構築するようなものです。ですから私は誰とも結婚する気はございません」

 そうはっきりと言い切れば、殿下がまるで痛ましいものを見るかのような表情になりました。私にとっては攻略対象たちとの接触を避けるために丁度いい方便なのですが、聞く側にとっては確かに同情を誘うような内容なのですよね。
 じっと潤みかけている碧眼を見つめたままでいたら、戦慄わななく唇をきつく噛んだ殿下が睨むように私を見返してきました。

「それは・・・私が駄目なのではなく、誰であっても駄目ということなのか?」
「はい」

 答えた瞬間、殿下が立ち上がりました。声を上げる間もなく冷たい水が体を包みます。
 湖に落ちたのだと認識したのは湖面へ顔を出し、反射的に止めていた息を吐いてからでした。ほっとする間もなく、目の前に浮いていた殿下が両手で顎を持ち上げるかのようにして私の頭を掴んできました。

「私を侮るんじゃない。「夜の女神」の再来だと言われていることも理由のひとつだろうが、それだけではないだろう? 私に君を諦めさせたければ、本音を言え」

 決して憤怒も露わに顔を歪めているわけではなく、逆に恐ろしいほど美しく嗤っている殿下に恐怖を感じ、バシャバシャと水をかいて逃げようと試みます。足がつくどころか、高い透明度であっても底が見えないくらいの水深なため、お互いに浮き沈みを繰り返しました。けれども私の顎から離れた殿下の手は、肩や腕に場所を変えて何度でも向かい合わせてきて、全く逃れることができません。
 手を貸そうかというオニキスの意思に手出し無用の返事をし、クラウドにも同様の返事を返した私は、仕方なく腹をくくりました。

 どんなに誤魔化そうとも、きっと敏い殿下には気付かれてしまうでしょう。それならば誰にも話したこともない、自分でも認めたくはない事ではありますが、ちゃんと答えることで諦めてもらった方がお互いの為だと思うのです。
 抵抗を止めて大人しくなった私を、同じように水面へ首から上だけ出した状態の殿下が見つめてきます。言葉にしようと、口にしようとするたびに襲ってくる胸の痛みに、顔をしかめます。

 何度も口を開いては閉じる。
 それを繰り返す私を、殿下は静かに待ってくれました。


 
 痛い。苦しい。
 時を経て、転生までしても消えない後悔。
 オニキスに癒され、優しい家族に解され、心地よい人の輪に加わっていても、忘れられない焦燥。

 その片鱗を、結果を、口にする恐怖。

 

「殿下。私はきっと、壊れているんです」

 ぽつり。ようやくこぼした内容に、殿下が首を傾げます。

「・・・どういう意味だい?」

 その親指が私の目元を擦ったことで、自分が涙を流していることに気が付きました。
 泣いているせいでしょうか。急に息苦しくなって、口で荒く呼吸をします。見かねたらしいオニキスが、勝手に私と殿下を陸地へと転移させました。桟橋で待つクラウドから離れた位置だったのは、私への気遣いでしょう。
 走り寄ってくるクラウドを視界に端に認めて、私は聞かれてしまう前にと躊躇し続けていた恐怖を口にしました。

「私は・・・私を置いていくかもしれない人を愛する事が出来ないのです」

 意味を読み取ろうとしているのでしょう。殿下が何度も碧眼を瞬かせます。
 つい先ほどまで金茶の髪の上で夕日に煌めいていた水滴がなくなっている事に気付き、オニキスが服も体も乾かしてくれたことに気が付きました。言いたくないことを言い切って余裕ができた私は、心の中でオニキスに礼を言います。
 このいつも冷静で客観的に自分を見ている私が片鱗であることに、気が付かないふりをして。

「君は愛が永遠ではないと怖れて・・・?」

 自分を取り戻しつつある私の目の前で、殿下が考え込むように目を伏せます。
 「永遠の愛が欲しい」と、そう勘違いするように告げたのは私です。普通に生き、死を身近に感じたことの無い人間ならば、そう勘違いしてくれます。しかし殿下はしっくりこなかったようで、しきりに首を傾げました。

「いや、違うな。それもあるのだろうけれど・・・」

 顔を上げた殿下が真実を探るように、私と視線を合わせました。私の本音を探ろうとするその碧眼から逃れかけ、しかし、それをしたら逆に読まれてしまうだろうことに気が付いて踏みとどまります。
 読まれないようにと余所行きの笑顔を張り付けた私に、殿下が目を見開きました。



「・・・そうか。君が恐れているのは―――死、だね」



 この人は! どうしてこうも簡単に正解へたどり着いてしまうのでしょうか。

 核心を突かれて硬直しかけた私に、それまでの緊迫感もどこへやら。何故か殿下がいつものニヤニヤとした笑みを浮かべました。

「それならいい解決方法があるよ」
「は?」

 場にそぐわない明るい声をかけられて、つい素で返してしまいました。
 いつも通りな雰囲気になった殿下は、私の身体にのし掛かっていた陰鬱な気配を綺麗さっぱり吹き飛ばし、いつも通りの嫌な予感を感じさせ始めます。
 まさかとは思いますが、オニキスに不老不死でも願うつもりでしょうか。確かに彼になら出来そうですけれども。

 警戒しつつも、今逃げたら余計に厄介なことになる気がして、その場に踏みとどまります。とりあえず勘に従い殿下の好きにさせようと、彼が私の右手をとるのも、それを彼の両掌で握りこむのも拒否しませんでした。

「子供を作ろう。」

 たぶんポカーンと口を開けた間抜けな顔をしているだろう私へ、殿下が蕩けるような笑顔を向けて早口で話始めました。

「私としては君より先に死ぬ気はないけれども、確約できることではないからね。そうだ! 念のために5人は産んで欲しいな。それなら、もしもの事があったとしても、誰か1人くらい君より長生きするだろうし。あぁ! 心配しないで。私は君を独り占めする気はないよ。だからお相手は何人いても大丈夫。同性だろうが、平民だろうが、人じゃなかろうが、私がすべて守ってみせるよ。それにそれっぽい子が1人でもいれば、誰の子でも私は愛せ―――」

 全身に鳥肌が立った私は声が震えるのを避けるため、叫ぶように告げました。

「殿下! 時間切れです!」

 私の意思をくんだオニキスが、まだ言いかけていた殿下を別館の玄関内へと転移してくれました。
 崩れ落ちるようにその場へ両手両膝をついた、私。

「あ、悪魔・・・恐るべし」

 はぁぁぁああああぁぁぁぁぁっ! なんかもう、頭の中がぐちゃぐちゃです。
 お前に私の苦悩がわかって堪たまるか! から始まり、でもそういえば殿下のお母様である正妃様もお亡くなりになっていたな、とか、でも母親と好きな人は違うでしょ! とか、でも幼い子供にとって母親が亡くなるってかなりつらい事なんじゃ・・・とか、でもでも! だからってあの解決方法はないでしょ?! とか、でもお父様である国王陛下を見てきた経験談なのかな、とか、いやいや殿下はたかだか17年生きてきただけでしょ! トータル40云年の私の苦悩が理解できるはずがない!! とか。
 もう、ね。もう・・・考えるのを放棄してもいいかな・・・。

 ガックリ項垂れた私の傍らへ、オニキスが現れます。彼は何も言わず、ただただ静かに寄り添い、慰めるように湖へ夜の帳が降りるまでそのままでいてくれました。

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