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11章.重なる世界
#5-1.リヴィエラ
しおりを挟む愛らしい小鳥の鳴き声。水の流れる音。
木々が風に揺れ、葉や枝がこすれる音。
温かな優しい風。柔らかな空気。どこか安堵できる、安息の世界。
気がつくと少女達は、そこにいた。
緑に溢れ、どこか抱擁的な慈愛に満ちた風景が、そこにあった。
「……あれっ?」
「ここは……」
アーティとミーシャ。
どうやら意識を失っていたらしいと、二人揃って首を傾げ、見つめあっていた。
目の前に広がるのは、それまで居た図書館とは明らかに違う、外の風景。
陽の光が暖かく、風が涼しく、そして水の音が癒される、そんな世界だった。
「ようやく気が付いたのですね。いつごろ目を醒まされるかと」
心地よく流れる川をぼんやりとしたまま眺めていた二人の背に、全く知らない三人目の声が届く。
「――っ!?」
「誰ですかっ」
全く人の気配などしなかったというのに。
アーティもミーシャも、互いに驚きすぐさま立ち上がって、振り向き様にそこにいた相手を睨み付ける。
「……あら、そんな怖い顔をしなくてもよろしいのに」
そこに立っていたのは、ミーシャとそう大差なさそうな年頃の、人間の女性であった。
淡いココア色の髪を腰ほどまでに伸ばし、緑のドレスと紺色のケープのコントラスト、髪を押さえている赤いカチューシャが映える、気品に溢れる美しい姫君か貴族令嬢。
そんな印象を受ける、どこか儚げな娘であった。
「えっ……人間?」
「何故人間の方がここに――」
二人はまた、不思議そうに首をかしげながら顔を見合う。
自分達が今まで居た場所を考えるや、その先に人間が居た、というのはいささか予想外であった。
あるいは人に近い外見の魔族かもしれないが、果たして何者なのだろうか、という疑問は尽きない。
「とりあえず、立ち話もなんでしょうから、こちらにどうぞ」
頭に大量のクエスチョンが浮かんでいた二人に愛らしく微笑みかけながら、娘は背を向け歩き出してしまう。
(どうするの? アーティさん)
(どうするも何も……ここが何処なのか解らない以上、無視はできないですし。従いましょう)
ついていかなくては、目の前の疑問にすら答えが出ない。
そんな気がしたアーティは、素直に従う事を提案した。
(まあ、それでいいのなら――どうせ私一人じゃどうすれば良いのかもわかんないし)
相方がそれでいいと言うのだ。ミーシャには逆らう理由がなかった。
そうして二人が娘の後を追う様に歩くと、ほんの少し離れた場所に、ティーテーブルが用意されていた。
ご丁寧に、ほわほわと香りの良い湯気を立てるティーポットと、小洒落た三人分の白いカップ。
更にお茶菓子としてか、皿に山盛りのミルククッキーが盛られていた。
「どうぞ、おかけになって」
先に席についた娘は、手を椅子に向け、二人に座るように促す。
二人も言われた通りに腰掛け、娘の反応を待った。
「まず、自己紹介からいたしましょうか。私の名前はリリア。リリア=フィルリース=アルムと申しますわ」
お見知りおきを、と、静かに微笑んだ後、パチリと指を鳴らした。
「ふわ――」
「あ……」
その音に鳴動するかのように、ティーポットが宙を舞い、丁寧な仕草でカップにお茶を注いでゆく。
そうかと思えば、どこからか温かな湯気を溢れさせながら、マフィンが二つ、真白の皿に乗ったまま現れ、二人の前に静かに降り立つ。
「さ、久方ぶりのティーパーティー。愉しみましょう?」
「……」
「……」
二人、しばし無言の中。マフィンと紅茶のすばらしい香りのシンフォニーに「キュウ」と、可愛らしく胃が鳴るのが聞こえてしまい、頬を赤くしていた。
「あ、あの、私はミーシャと言います」
「私は、アーティ、です……」
リリアが紅茶の香りを愉しむようにカップに鼻を向けて、初めて二人は自分の名前を名乗ることが出来ていた。
緊張からではない、どうしたらいいのか、唖然としてしまってタイミングがつかめなかったのだ。
「ミーシャさんとアーティさん。そう、良いお名前だわ。アイゼンベルヘルトさん?」
「――っ!?」
眼を閉じ、噛み締めるように二人の名を呟きながらも、アーティの真の名を敢えて口ずさみ、片目を開く。
「何故、私の名前を……?」
初対面なら決して知る事のない名前であった。
アーティという呼び名からは到底想像もできないような、そんな名前のはずなのに。
このリリアという女性は、事も無げにそれを読み取っていたのだ。
「それほど驚くことでもありませんわ。どちらかといえば、私はその名前が女性につけられた名前だというのに驚かされたほうですし」
随分と変わった感性ですわ、と、リリアは意地悪く微笑む。
「うぐ……ほ、放っておいてください。名前には、触れないで欲しいです」
アーティとしても、親以外にはあまり呼んで欲しくない名前であった。
全然、全く女性らしくない自分の名前には、いくらかのコンプレックスがあるのだ。
「……まあ、そういう事でしたら、このお話はここまでに」
ふふ、と、楽しげに頬を緩めながら、カップを唇につける。
とても慣れた様子の、上品な仕草。
それは、姫君であるミーシャから見ても、とても洗練された優雅なものであった。
幼い頃に見た、誰かを連想させるおまけつきで。
「――なんとなくだけど、貴方はタルト皇女に似てる気がするわ。『アルム』って名乗ってる以上、貴方も各国の王族と関わりがあるのかしら?」
アルム家とは、現在の大帝国を筆頭とした、世界各地の王族に連なる血族の名である。
最も血の濃い大帝国皇族、そして系譜としてはその分家筋に当たるショコラやガトー、ケッパーベリーやアクアパッツァ等の古くから残る国家群に連綿と受け継がれる、世界最古の血筋であった。
その名を語る以上、無関係ではないはず、と、ミーシャは睨んでいたのだが。
「私は王族ではありませんわ――」
リリアは小さく首を振り、カップをテーブルに置いた。
「そうですね、歴史のお勉強はお好きですか? かつて、アップルランドと呼ばれた国のあった辺りには、ピースリムルという小さな貴族の領土がありました。紅茶の産地として世界的な需要を誇っていたその一帯を治める貴族の名は『アルフレッド=ザカード=アルム』。私の愛しい兄様ですわ」
「ピースリムル領主家……? ちょっと待って、それってまさか、バルトハイムとかその辺の国が残ってた時代の話!?」
謡うようなリリアの言葉に真っ先に反応したのはミーシャであった。
驚きのあまり席を立ち、テーブルに手を付いて身を乗り出そうとしていたところだったが。
「違いますよミーシャ。アルフレッドは、『貴方がた人間にとっては』紀元前の英雄です。そして、私達魔族にとっては――つまり、このリリアさんは」
アーティの、震えながらの声に、ミーシャはぴたりと動きが止まる。
同時に、リリアも眼を細め、パチリと指を鳴らす。
やがてアーティの前に、コトン、と小さな音を立て、甘い香りのする、茶色い液体の入ったカップが置かれた。
「……これは?」
「貴方の好きなチョコレートドリンクですわ。そう、貴方の仰る通り、私は貴方がたの歴史の中で紀元の祖と呼ばれる、アルフレッドの妹ですわ。貴方がたの時代から軽く見ても、10億年ほど過去の人になるのでしょうか?」
時間の流れは速すぎますわ、と、リリアは悪戯げに微笑む。
その容姿を見るに、二人にはとてもそうは思えないのだが。
だが、先ほどからの奇妙な魔法のような現象、空を飛ぶポットやらカップやらなどは、現代では存在すらしていない魔法なのを、アーティは知っていた。
『そんな便利な魔法』、この世界にあるはずがないのだ。
魔法は、そんなに便利なはずがないのだから。
「もし貴方が本当にあのリリアなのだとして、何故このような場所に? というより、ここはどこなのですか?」
アーティと顔を見合わせながらも席に着くミーシャ。
今度はアーティが、リリアに問いを投げかけていた。
「んん……そうですわね。何から説明したものやら――」
わずかばかり逡巡しながら、リリアはカップを手に取り、中身をゆらゆら揺らす。
やがて、一口だけ含んで喉を潤わすと、再びカップを置き、また微笑を湛《たた》えながら二人を見やっての説明が始まった。
「まず、ここがどこなのかという問いですが、ここは『リヴィエラ』という、この世界における魂の集積地点ですわ。他世界で言う所の『ターミナル』だとか『運河』だとかと同じ意味合いですが。世界の外と内とを繋げる中間地点、緩衝地帯とも言えます」
細く綺麗な指を立てながら、リリアはテーブルにつつ、と、一本の線を引き、その端に四角を描いてゆく。
その隅に『リヴィエラ』という文字が記され、やがて描かれた図形が色をなし、ラインに沿って水色が流れ出した。
「……このラインが、今流れてる川ですか?」
「ええ、その通りですわ」
再度リリアがぱちりと指を鳴らし、ミーシャの前にショートケーキが入った皿が舞い降りた。
「優秀な生徒にはご褒美を差し上げる方針ですの。どうぞお召し上がりになって」
お気になさらず、と、微笑むリリアに、ミーシャは眼を輝かせ備え置かれたフォークを手に取った。
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