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11章.重なる世界
#2-1.蛇女族多重変種『ヤタマノオロチ』
しおりを挟む魔王城・ラミアの私室にて。
その日の職務を終え、緊急に動く必要の無い情勢から、ラミアはこの自分の部屋へと戻ったのだが。
そこには、予想外の客が待っていた。
「おかえりなさい。ラミアさん」
にっこりとした笑顔で出迎えたのは、エルゼであった。
「……何故私の部屋に?」
城内でいくらでも話しかけるチャンスはあっただろうにわざわざこうして部屋に現れたのだ。
エルゼが何の為にいるのかなど想像に容易かったが、それでも、と、一応問うていた。
「色々気になる事があって。ラミアさん、師匠がお城に戻ってから、かなりの頻度で城内の人事、動かしてますよね?」
どうしてですか? と、首をかしげるような素振りでじ、と見つめてくるエルゼに、ラミアは「ああ、やっぱり」とため息をついた。
「これでは、肝心の偽者さんが戻ってきた時に色々困ることになるのでは?」
「……エルゼ。貴方は今の陛下に、何か感じることは無いの?」
「感じること……?」
そのやや曇った碧色の瞳を見つめながらに、ラミアは問う。
エルゼがまだ気づいていないのなら、きちんと教えなくてはならない。だが、もし知った上でやっていたら、と。
「沢山ありますよ。『今』玉座に座ってる師匠は、私の力を求めてくれています。何か言う度にいいこいいこって、すごく嬉しそうに頭を撫でてくれます。他の人に目移りなんてしないですし、私のお喋りにもいつまでも付き合ってくれています」
「でも、貴方には嘘をついているわ」
「そうだとしても、私には良い師匠です。私がずっと欲しかった、ずっとそばにいて欲しかった師匠です」
まさに理想なのです、と、エルゼは屈託無く笑う。
その瞳がただならぬ狂気を帯びていることに、その理由に、ラミアはうっすら気づいていた。
「私は、陛下の為に、そして、関係の無い娘達がお城にいて巻き添えを受けたりしないように、こうしているだけよ。折角平和になろうとしているこの世界で、これからの時代を牽引する人材を、こんな事で減らしたくないだけ」
「じゃあ、師匠の邪魔をしようとしてる訳じゃないんですね? 妨害しようと、何か企んでたりとか――」
「違うわ。私が動くのは陛下が為。ただそれだけよ」
恐らく嘘をついても見破られるだけだろうと考え、ラミアは本当のことだけを話した。
エルゼはしばし「ううん」と考えるように視線をあっちにいったりこっちにいったりさせていたが、やがて視点をラミアへと戻す。
「そうですか。ラミアさんのやってる事は、別に師匠の望みを妨害したり阻害するようなものではないのですね」
「ええ。確かに許可こそ取っていないけれど、元々軍や城の女官に関しては、アルル不在の間は私に全権が与えられているもの。それに、私に叛意がないことは、貴方なら知っていそうなものだけれど?」
しれっとした顔でエルゼの反応をうかがう。
「そうですね。ラミアさん、いつでも真面目で。このお部屋に来たのは初めてですけど、ラミアさんはきっとそうなんだろうなって思ってました」
どうやら上手く納得してもらえたらしい、と、胸をなでおろしながら、ラミアは微笑みかける。
「エルゼ、暇ならちょっと、お茶に付き合ってもらっていいかしら?」
銀色の瞳は、幼さを色濃く残す姫君の顔をじ、と見つめる。
「はい。勿論です。ラミアさんとお茶をする事ってあんまりないし、とっても素敵なことだと思いますっ」
エルゼもにっこりと微笑み、その提案を受ける。
この時にはもう、エルゼの顔からは狂気の気配は薄れ、少女然とした元来のエルゼが前面に押し出されていた。
「わあ、良い香り……」
「グランドティーチ産よ。辛うじて壊滅を免れた畑のものでね。特別に取り寄せたの」
部屋に広がる紅茶の香りに幸せそうな顔をするエルゼを見て、ラミアは静かに微笑み、カップに唇をつける。
エルゼは椅子に腰掛けていたが、ラミアはドーナツのように穴の空いたクッションを敷き、その上に腰掛けていた。
「ドーナツも美味しいわよ」
「わ、ナッツがついてます。いろんなのがあるんですねえ」
可愛らしい形に切りそろえられたナッツやチョコレートがちりばめられたドーナツに、エルゼは瞳をキラキラとさせていた。
この辺り歳相応というか、まだまだ小さな女の子らしい感性なのはラミアにとってありがたかった。
「美味しいですっ」
はむはむと頬張りながら満面の笑みになるエルゼに、ラミアもほっこりとした気分になる。
「このドーナツは人間世界で作られてるのを模倣して、私が作りました」
「ラミアさんの手作りなんですか!? すごい、私、お料理は簡単なのしかできなくって――」
意外にもラミアの高い料理スキルが輝いた瞬間であった。
エルゼの尊敬のまなざしが、ラミアには心地良く感じられた。
「ま、貴方もその内色んなものを作れるようになるわ。私だって、恋の一つも二つも乗り越えてそうなったのだから」
「……なれるでしょうか、私に」
「なれるわ。男はたくさんのモノを失って強くなるけれど、女は恋を知って強くなるのよ。そして、愛を覚えてより強くなり、子供を胸に抱いて、無敵になれる」
もう最強よ、と、からから笑う。
「最強なんだ……お母さんって」
「そうよ。貴方もいつかそうなる日が来るわ。初恋の人とそうなれれば幸せだけれど、まあ、時には辛い思いをする事もあるでしょうね。でも、それも含めて人生という物だわ。貴方はまだ、その一片しか歩いていないのよ」
まだまだ、先は長いのだ。もっと先を見て欲しいと。先があるのだから、頑張って欲しい、と、そう想いを込めて、ラミアは語っていた。
「ラミアさんは、結婚とかしないんですか? 子供、作らないんですか?」
純真な瞳はラミアの銀色を覗きこむ。
恐らく、ただの好奇心から出た言葉なのだろうと理解しながら。
だが、ラミアはしばらく、じ、と、エルゼと見つめあい、やがて眼を瞑った。
「そうねえ。私もアンナくらいの年頃には、そういう風に想った相手もいたし、いつか自分は結婚して子供を作って、当たり前のように育てるのだと考えていたわ」
カップをことん、と、丁寧に置き、両掌をお腹に当てながら。
「だけど、私が恋した相手は報われない相手だったし、私は卵を産めないのだと、大人になった頃に母から教えられたわ」
「産めない……?」
「ええ。知ってるかもしれないけど、蛇女というのはオロチ族の変種なの。言ってしまえば貴方と同じで、その種族としては本来、特異な存在のはずなのよ。そして私は――」
開かれた銀色の眼は寂しげに緩み、左手は口元を隠すように。
「私は、その蛇女でも、更に変種として生まれたらしいわ。見た目には違いないけれど、私の身体には本来、八つの魂が宿っていたの。長く生きているうちにいくつかは失われたけれど、これによって私は生涯で七回、死んでも生き返ることができるようになっているわ」
不思議なものでしょう、と、悲しげに微笑む。
「変種の、変種……?」
「そうよ。変種の変種。『多重変種』と呼ばれる、とても珍しい現象らしいわ。変種ってね、それだけで子孫を残すのが難しいのよ。なんたって本来の姿からかけ離れた異常種・奇形種だからね。多重変種は、もう絶対に産めないって位に絶望的らしいわ」
そこまで話し終えると、ほう、と、小さく息をつき、またエルゼを見つめた。
「……あ、あの、ごめんなさい。私、ラミアさんがその、子供を産めないって、知らなくて……」
酷い事を聞いてしまったのだと、ショックを受けながらもそう思い至ったエルゼは、泣きそうになりながら頭をぺこりと下げる。
「あらあら、別に怒ってないわ。私は子供を作れないけど、子供は好きだもの。色んな子供をこのお城で面倒を見て、あの日々はとっても愉しくて、充実していたもの」
あれはよかったわ、と、思い出すように眼を瞑り、また開いた時。ラミアは優しくエルゼを見つめていた。
「だからねエルゼ、頑張りなさい。子供はとっても可愛いわ。他人の子供ですらそれだもの。自分の子供なんていたら、それこそ本当に眼に入れても痛くないのかもしれないわね」
「……そうでしょうか? 私、そういうの、よくわかんないです」
不安げに瞳を揺らすエルゼ。ラミアはクッションから降り、するするとエルゼのそばまで近づく。
「その内解るようになるわよ。その時まで信じなさい、自分の未来を。きっと幸せになれるって、幸せにしてくれる人が、自分と一緒になってくれるって」
「……私は、師匠が良いです。一緒に居たいです。ずっと」
銀髪を優しく撫でてやりながら、ラミアはまるで母親のそれのように、少女の気持ちを引き出していく。
「でも、その相手は、決して貴方の理想どおりには行かないわ」
「なんでですか?」
「だって、彼は貴方自身ではないもの。他人って、どれだけ親しくてもね、思い通りにはならないの。絶対にどこかしらで、彼自身が思っている行動を取ろうとしてしまうから」
「それは、私が相手にされてないからそうなるのではないのですか? 私が、子供っぽいから……」
先ほどとは別の意味で瞳を濡らしてしまうエルゼに、ラミアは小さく首を横に振っていた。
エルゼの気持ちは、まだ子供のソレと何ら違いがない。
自分が求めるから、自分の思う通りに進んで欲しいと考えてしまう。
だが、恋愛にしろそれ以外の人付き合いにしろ、相手あってのものなのだ。
この娘は、そんな根本的な部分すら誰にも教えられる事無く戸惑っているのだ。自分の中の感情の変化に。
「関係ないわ。貴方の事をどれだけ大切に想っていても、愛しく感じていても。いいえ、愛しているからこそのすれ違いだってあるはずよ。貴方の愛読している本にも、その辺りは詳しいのではなくて?」
「漫画ですか……? 確かに、すれ違いみたいなのはある気がします。でも、漫画の中の登場人物は、皆大好きな人と結ばれてます」
「そうよ。すれ違いを乗り越えた二人の前には、今まで以上の幸せが舞い降りるの。きっと幸せになれるわ」
今が一番辛い時期なのよ、と、悩みを、苦しみを薄れさせようと笑いかける。
そんなラミアの笑顔に、エルゼは一瞬、ぽかん、と、していたが。
「そうなんですか……? 私、もっと師匠と分かり合えるようになれますか?」
「なるわ。ええ、きっとね」
我ながら無責任な言葉ね、と思いながらも、反面、少女の幸せを願っていることは本心なので、ラミアはそれを否定しない。
「だけど、好きな人が他の女の子連れてきたら怒りなさい。貴方は感情の表現が下手すぎる。遠慮しすぎてしまうのね。好きな人と他の女の子が一緒にいて苦しいと思うのは、『嫉妬』という大切な気持ちよ。好きすぎて、自分を見てもらえないのが辛くなってしまうの」
「……でも、怒ってしまったら、嫌われてしまうのでは」
「そんなことはないわ。少なくとも陛下はそんな器の狭い男ではない、と私は思うわ。だから、遠慮なくぶつけなさい」
コレくらいの面倒は背負わせても良いわよね、と、ラミアは笑ってけしかけることにした。
あの男には、コレくらいの修羅場は必要なのだ。
生ぬるい方法ではいつまでたっても子供の一人も作ろうとしないに違いない。
いっそ苦しめば良い。そうして幸せになれば良い、と。
エルゼの銀髪を撫でながら、善からぬ事を企んでいた。
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