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9章 変容する反乱
#5-4.皇女タルトの希った未来
しおりを挟む「そもそもだ、君は未来を知っているのだろうが、そんな簡単に私に話してしまって大丈夫なのかね? その、後の世界に影響を与えたりするのではないか?」
いいのかね? と首をかしげる伯爵であったが、タルトは小さく首を横に振る。
「構いません。貴方に力を返すと同時に、私は残りの魔力全てを使って『クラムバウト』を発動させますから。この世界全ての認識から、『魔王マジック・マスター』という存在と、それに関わる歴史全てをうやむやにするつもりですわ」
どうやら彼女の語ることは、伯爵的に知るだけ無駄なことであったらしい。
「認識を操作するのかね? つまり、私がここで知ったことも――」
「ええ。全て忘れるでしょうね」
はっきりと言ってのける。恐らくは最初からそのつもりだったに違いない、と、伯爵も額に手を当てる。
だが「それはきっと上手く行かないだろう」と、伯爵は唸る。
「……そこまでしても、恐らく私の記憶は完全には消せんよ? 私の正体を知ってなら解るだろうが、ソレが通じるのはあくまで創造物の範囲に収まっている存在のみだ。世界の機能を操作する魔法は、世界を操作する者達には効果が薄い」
焼け石に水だ、と。創造物の範疇から逸脱している彼は指摘するのだ。
だが、タルトはこれにもやはり、首を横に振った。
「どちらか言うと、貴方には思い出してもらわないと困るのです」
「思い出す?」
「ええ。私が世界の認識を弄るのは、これから生まれるはずの私の為。やがて育った時に、その時の私が魔王と同じ顔をしていた、なんて事になるのは避けたいので」
「ああ、なるほどね……」
タルトの説明に、伯爵も小さく頷く。
もうすぐ生まれるという未来のタルト皇女は、自分がやがて魔王になることなど知らない。
そして当然のことながら、周りの者もそんな事は解らないはずだ。
だが、少なくとも彼女が今の外見となっているはずの二十年後、人々の中からマジック・マスターについての記憶があやふやになっているかと言われれば、そんなことは有り得ない。
彼女は有名すぎた。頻繁に人間世界に攻撃を仕掛け、自ら戦地に立ち、人々を殺して回った。
戦い、生き残った勇者や兵達は彼女の顔を確実に見ている。知っている。目に、心に焼き付けているはずだ。
そのままにしておけば二十年後、同じ外見になったタルト皇女がどのような目にあうか。
伯爵にも、想像するのは難しくなかった。
「これから生まれる私の為にも、私は魔王であってはいけないのです」
「だが、君の後はどうするかね? ラミアにでも譲るのか?」
「ラミアは無理でしょう。彼女は、あくまで魔王の側近である自分しか築けない。自分が魔王になどと、夢にも思っていないでしょうから」
力は本物なんですけどね、と、苦笑しながら。
タルトは口元を小さく結ぶ。
「君の産んだ娘達は? 君の亡き後、君の存在があやふやになってしまったら、あの娘たちはどうするのだ?」
懸念があるとすれば、今も城内で遊びまわっているであろう彼女の娘達である。
娘達を置いて一人死ぬのは、無責任なのではないかと。
何か考えがあるのかと、彼は聞かずに入られなかったのだ。
「当然、私の記憶と、魔王の娘であるという事実は改変します。それぞれの父元の実家に預けさせ、そこで養育してもらうことになりますが――」
「カルバーンはどうする? あの娘は白変種だ。黒竜翁の元には預けられんぞ」
他はともかくとして、次女カルバーンは、あの娘だけは親元には預けられなかった。
それをしてしまえば何がしか父親から危害を加えられかねない。
殺すことは無理でも、だまし討ちして封印する位は可能なのだから。
「……貴方が預かってください。アンナも離れたがらないでしょうから、二人一緒に」
「私が? 何故私なのだ」
娘を預けるなら他にも適任がいるだろうに。彼女の忠臣の誰ぞかにそれを命ずればいい。
あるいは、クラムバウトで認識を操作すれば、自分の娘と錯覚してそのまま育てるだろうに。
タルトは、自分勝手な言葉を続けるのだ。
「あの娘達は王冠のようなもの。次の魔王となる者が、その手元に抱けばいいのです」
「私に、魔王をやらせるつもりかね?」
ようやくタルトの言いたい事が伝わったのか、伯爵は眉をひそめる。
「やめてくれ。私は表舞台に出るつもりは無い。何より、魔王なんてガラじゃないんだ」
そしてそれは、彼の平穏を、静かな日常を奪い去ることに他ならなかった。
なので伯爵は拒絶する。「そんな面倒ごとは御免だ」と。
「聞いてください伯爵、私はタルト皇女としての記憶を取り戻したと同時に、エルフィリースとしての記憶も取り戻したのです」
しかし、タルトは伯爵の拒絶などわかっていたらしく、取り乱す風も無く静かに言って聞かせようとする。
「それがどうしたというのだ」
「エルフィリースだった頃、初めて愛した殿方との間に娘を儲けました。その娘が……その子孫が、まだこの世界のどこかにいるかもしれないのです」
「……人間世界にも、君の子孫が?」
「まだ家名が続いているならレプレキアを名乗っているはずです。アンナデュオラ・レプレキカ……アンナやカルバーン達の姉ですわ」
もう、この世には生きていないでしょうが、と、寂しげに目を瞑りながら。
タルトは人間世界に残してしまったその娘の姿を思い出していた。
「伯爵、貴方なら、人間世界に攻め込みすぎず、適度なバランスを保ってくれると思っているのです。私の娘と……私の子孫たちが殺し合いをせずに済むかもしれない」
親心というものだろうか。伯爵にははっきりとは解らなかったが、それでも心に迫る何かを感じていた。
「人と魔族の戦いは、容易には止められんよ?」
「解っています。きっと、私ではこの世界の流れは止められない。変えられない。だけれど貴方なら。貴方なら、いずれこの世界を、今よりはマシな状態にしてくれるのではないかと、私はそう思うのです」
眼を開き、上目遣いで。請うように伯爵を見つめる。
「買いかぶりすぎだ。私はこの世界をどうこうしたいなんて思っていない。私はもう、このまま枯れ果ててしまっても良いと思っている。早く、安らかにあいつの元へ行きたいんだ」
タルトの願いは、確かに伯爵の心を揺り動かそうとしていた。
大切な願いを自分に託したいというほど信じてくれているのだろうと思えば、それほどに彼女の言葉が重いのだと感じられたからだ。
だが、それでも承服はできぬと、伯爵はタルトを突き放す。
「エルリルフィルス。いや、タルト皇女よ。何故君はそうまでして私を頼る。こんな私に。侍女一人の心すら捕まえていられなかった私に、何ができると思うのだ?」
「その苦しみを知っているなら、貴方はきっと、誰をも幸せにできるでしょう」
苦しみを思い出しながら、痛みを蒸し返しながら吐露する伯爵に、しかしタルトは眼を逸らしたりせず、じ、と見つめる。
「少なくとも私の知っていた貴方はそれができた。だからこそ『姉様の伯父上』として私の前に立っていたのでしょうから」
かつての、幸せだった頃を思い出しながら、噛み締めるように語る。
彼女は知っているのだ。彼によってもたらされる幸福を。
それによって、誰が癒されたのか。誰が救われるのかを。
「私にはそれができませんでした。姉様を救う事が出来なかった。傷つきやすいあの方を、今にも壊れてしまいそうなあの方を、置いていってしまった」
その後どうなったのかも解らない。ただ、それが残念でならなかった。
「他の誰でもありません。貴方にしか、姉様は救えない」
救って欲しいのです、と、請うように。
タルト皇女は、伯爵の言葉を待っていた。
「……何の保証もないことだ」
「いいえ。他の誰よりも確実だと私は思っています」
「私はいい加減だぞ。何より、面倒ごとは大嫌いだ」
「でも、私は救ってくださいました。それにあの日あの時、貴方は私と姉様を助けにきてくれた」
「私は、一度は世界を滅ぼしてしまった男だ、人類を皆殺しにしてしまった男だ」
「ですが、貴方はその手で他者を救える」
「なんで私なんかを信じられるんだっ」
「貴方が、誰よりも他者を大切に思っているから」
「私が?」
「そう、貴方が。触れてしまえば壊れてしまいそうで。大切なモノだから、壊したくないから、貴方は距離を置いていただけ。貴方は周りが大切なのです。自分以外の誰もが必要なのです」
「だが」
「信じてください。貴方を信じた私を。貴方はきっと、皆を幸せにできる」
「だが私はっ」
「伯爵」
伯爵の言葉は弱く、タルトの声にかき消されてしまう。
子供のように弱りきって焦燥している伯爵を、タルトは慈愛を込めて微笑みかける。
まるでかつて出会った、あの美しい女神のように。
それは、彼にとってかけがえのない癒しであり、拠り所のような温もりであった。
「貴方はきっと忘れてしまうでしょう。私の顔も、今話していることも。私達のかかわりも、その全てを」
タルトは語る。もう、伯爵には声を挙げる気概すら残っていない。
「ですがそれは忘れてしまうだけ。いつか必ず思い出す。どうか、どうか伯爵。私の娘達を、私の子孫を、大切な姉様を、そして、この世界を――助けてあげてください」
それは悲痛な願い。ただひたすらに希い続け、ついに何一つ成せなかった、一人の皇女の願いであった。
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