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8章 新たな戦いの狼煙
#7-2.古の獣
しおりを挟むそのままミーシャと別れた魔王であったが、捕虜の扱いについて考え始めてしまい、なんとなく回廊の窓辺でじっとしてしまっていた。
さっさと自分の部屋に戻るなりすればいいのだろうが、動くと色々忘れてしまうような気がしてしまったのだ。
「そんなところでなに黄昏てるんです?」
だから、その接近に気付けなかった。
「おっ――な、なんだ、君か」
真横から掛けられた声に、びくりとしてしまう。実に小物臭い魔王であった。
見てみれば、侍女服姿の獣人の王が立っていた。
「セリエラ。いや、セリエアール女王。君一人かね?」
セシリアの姿は見えず。それどころか、気付けば『人の感覚』そのものが塔から消えうせているように感じられた。
いつの間にそうなっていたのか。あるいは今そうなったのか。今のこの塔には、違和感ばかりで満たされている。
「ええ。お一人様ですよ。陛下が私を探してらっしゃるようなので、わざわざこうしてお一人できてやりました」
嬉しいでしょう、と、妖しく笑う。どこか飄々としていて、抜け目なさそうな。
油断ならない『幻獣』がそこにいた。
「エルフの王妃から話を聞いたんだ。君が幻獣であると」
「そうでしょうね。なんとなくそんな気がしました。あ、それとセリエラのままで結構ですよ。元の名前ってあんまり好きじゃなくて」
そんな気がした、ただそれだけで、向こうは魔王に会いに来たのだ。
この、ジトジトとした気持ち悪い空間に、自分を押し込めてまで。
「陛下が知りたいのは、幻獣が何であるか、でしょうか?」
女王は何も無い空間に腰掛ける。宙空に浮いているように見えるが、確かに何かがあるらしく、スカート後ろがぼふ、と揺れた。
「教えてくれるかね?」
「教えてあげない事も無いですが。ただ教えるのは勿体無いというか。どうしましょうかねぇ」
にまにまと調子付いた様子で悩んでみせる。
そんなの最初から決まっているだろうに、敢えてそうして魔王を困らせようとしているように感じられた。
「ま、冗談ですが」
そうかと思えばその表情はすぐに消えうせ、何の色も感じさせない醒めた眼に戻っていた。
掴めない女。それが、魔王がこの『女王』に抱いた感想だった。
「私『達』幻獣は……まあ、世界を表面的に監視するシステムみたいなものですよ。意識があるだけで、その存在そのものは海とか山とかと同列なんです」
自然物なんですよー、と、女王は笑う。
「世界の使い魔みたいなものかね?」
想定よりも難しい話になりそうだと感じさせられた。
幻獣は、思ったよりも、高次元の存在だったのだ。
「まあ、そんなところでしょうかね」
「先ほどの口ぶりだと複数いるようだが、幻獣は何人も存在するものなのかね?」
「私が認識している限り、幻獣は私も含め二人しかいませんね」
意外と少ないでしょう? と、愉快そうに哂う。
「君みたいなのがもう一人、どこかにいるというのか」
「そうなりますね」
どこからともなくハンカチーフを取り出し、ふわふわと揺らし……突然、その下からティーカップを取り出して見せた。
「さて、貴方は幻獣が何者なのか。その一部を知った訳ですが――私達の特性を貴方はまだ知らない」
そのまま、お茶の入ったカップに唇をつけ、啜る。
「他者の肉体を乗っ取るというのはエルフの王妃から聞いたがね」
実に性質の悪い特性であると思ったが、確かに透明のままでは話しにくいことこの上ないので、仕方ないという気もする。
「乗っ取った相手は私の力分能力が上乗せされるから、それなりにお得なんですけどね。セシリアとか良く活用してますよ」
一応、セシリアとの関係は相互扶助の意味もかねてのものらしいのでそれは安心できたが、だからと幻獣の胡散臭さが消えたわけではない。
だからか、魔王は警戒の眼を向けていた。
「まあ、私は役目どおりに世界の監視の為だけに生きてるから大した事無いんですけど。もう一人の方はとても厄介な能力を持っているのです」
「もう一人の方はどんな奴なんだ? やはり見えないのか?」
彼女が幻獣の狐とかいう生物なのだからもう一人も同じなのだろうか、と考えたのだが、セリエラは難しい顔で首を横に振った。
「幻獣『ドッペルゲンガー』。それが彼の名前ですわ」
「ドッペルゲンガー……」
「己の姿形を持たない特異な性質。他者に成り代わる『複写』の力を持っている幻獣です」
これが実に怖いのです、と、セリエラは口元に指を立てる。
「ぱっと見は変身に近い能力なのですが、相手の能力・記憶・経験など、全てを完璧に再現できてしまうのです」
「……完璧にか。つまり、私に化ければ私の記憶や知識が全てそいつのモノに?」
「そうなりますね。ドッペルゲンガー自身は犬猫にも劣る程度の力しかないのですが、そうやって強い者を複写していくと、末は際限なく強くなってしまうのです」
「それはまた、恐ろしいな……」
割と洒落にならない特性である。
うっかりカルバーンでも複写されれば、誰にも手が付けられなくなってしまう。
「だが、私はそんな恐ろしい化け物の存在を今まで知らなかったぞ?」
「最近まで完璧に封印されてましたからね。存在を危険視していた魔女リリアによって」
『魔王』アルフレッドの妹であるリリア。
少なくとも、時代はそこまで遡るという事だろうか? と、魔王は唸る。
「また随分古い名前が出たなあ。アルム家か」
「ええ。アルム家ですわ」
ここまでくると最早因縁である。流石は最古の家柄というべきか。
「そもそもあの家系は二代目『魔王』ヴェーゼルに連なる血筋でして。彼女の妹から派生した一族なのですが、色々とおかしい事になって時代時代の歴史を狂わせていってますね」
困ったもんです、と、脱力する。世界の監視者殿はえらく他人事であった。
「一番顕著なのは最近いなくなったタルト皇女ですか。彼女一人で三つの時代の歴史が狂ってます」
指を三本立て、静かに目を瞑る。
「一つは勿論今のこの時代ですか。彼女一人居たか居ないかで現代の歴史は9割強違ってきますが」
「そんなに変わるのか?」
人間一人いなくなっただけで全てが変わると言っても差し支えないではないか。
魔王は唖然としていた。そこまで影響の大きな存在だったのか、と。
「世界って案外繊細なんですよ。何の事もない事から大きな流れに変わることもさほど珍しくないですし……まあ、タルト皇女はそういう星の下生まれたっていうだけですけどね」
「他の二つの時代は?」
「二つ目は、貴方も知っているでしょうが、タルト皇女が転移し、エルフィリースとして存在していた時代」
覚えがあるでしょう? と微笑んでみせる。魔王も頷く。
「エルフィリースは貴方との出会いによって救われ、時代の魔王ドール・マスターが戦争を終わらせようとしていたのもあって、見事人類と魔族は戦争を終わらせる事が出来ました、というお話ですね」
「……なんだそれは?」
この女は、何を口走っているのだ、と、本気で解らなくなった。
「もう一つの歴史ですわ。そうして救われたエルフィリースは、アルム家の男との間に儲けた一子を立派な剣聖として育て上げる。これが今の大帝国女王エリーシャに繋がる血筋ですね」
「待ってくれ。君はさっきから何を言っている? もう一つの歴史だと? 違うだろう、そんな歴史、私は――」
知らない。そんなのない。あるはずがない。
何だこの話は、と、バカにされているような気にまでなってしまう。自然、興奮気味になる。
だが、セリエラは哂う。魔王を見下すが如く。妖しく微笑んでいた。
「ふふ、狂ってますでしょう? この世界には今、二つの主流の歴史が存在するのです。一つは、貴方が知っているであろう『エルフィリースが助からなかった歴史』。もう一つは、『エルフィリースが助かった歴史』。私はそちらのことを言っているのです」
それはifの話である。もしもの話である。実際には叶わなかった、悲しい歴史である。
セリエラは、あたかもそれがあるかのように話す。魔王は混乱してしまった。
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