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6章 時に囚われた皇女

#1-1.セーラとエリーゼ

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 夏の暑さも一月も経つと大分和らぎ、強い陽射しも涼やかな風によって多少は薄らいで感じられるようになる。
中央部・帝都アプリコット。その中心の城内は、トルテとエリーシャの旅の前準備であわただしくなっていた。
表向きは西部諸国への外遊という名目であり、国民はそれほどの重事とは受け取っていなかったが、城内各部署ではそれぞれが担当する職務をどう果たすかの会議が連日のように続いた。

 城内衛兵隊長エリーゼを筆頭にしての警護兵選出会議では、エリーゼ選りすぐりの衛兵がこぞって志願し、そのままの勢いで選出の為に城内で御前試合が催されるほどの熱狂振りであった。
大臣を中心に、官僚たちによって二人の移動の為のルート選定や、ルート上の施設、及び到着後のラムでの各種施設の予約や確認も既に始まっており、こちらもまたせわしない。
また、それらとは無関係ながら、大変めでたい事に皇后ヘーゼルの懐妊が公表され、これによって宮廷医師や侍女らも新たな皇子か皇女かの出生に備え、あれやこれやと今の内からにぎやかであった。
結果として、エリーシャらの旅立ちはヘーゼルの懐妊によって一月ほど延期されたのだが、ヘーゼルに気を遣わせてはと、城内の者は誰一人それを嫌がらず、笑顔で受け入れていた。


「それでは、私はこれで失礼致します――」
そんな中、白い調理エプロンと三角巾という、大よそ城内に似つかわしくない若い娘が一人、ヘーゼルの私室から出てきた。
パン貴族のセーラである。
豪奢な赤絨毯の通路にはあまり似つかわしくないが、その歩き振りは堂に入っており、すれ違う侍従らにもニコニコと挨拶を返していた。
初めて来たときはおっかなびっくりの小市民根性丸出しでエリーシャの後ろについて歩いていたのに、慣れたものである。
「あら、あの人――」
そのセーラであるが、階段を降り、一階のエントランスに出たところで、見慣れた顔を見つけていた。

「では予定通り、この任務は貴方達に任せる事にする。必ず果たすように」
「お任せください。必ずや」
エントランスにて、試合に勝利した衛兵らに今後の指示を下していたのは、衛兵隊長エリーゼであった。
ほどなく、衛兵らはそのまま立ち去る。
彼女一人になると、ほう、と小さく息をついていた。
「あの、もしかして、エリーゼさんでは……?」
「えっ!?」
不意にかけられた声に、びくりと肩を震わせ振り向く。
そこにいたのは、やはり彼女にとっても見覚えのある顔であった。
「貴方は……もしや、セーラ……?」
「はいっ、そうです。お久しぶりですねぇ。まさかこんなところで会えるなんて」
ニコニコとした顔でかわいらしく笑いながら話しかけてくる。
それが、エリーゼには不思議で、そして不気味でならなかった。
「何故貴方がここに?」
疑問は沢山ある。が、一番大きいのはこれであった。
エリーゼの記憶通りならば、セーラは街の隅っこの方にあるパン屋の娘であったはず。
それが何故、今こうして自分の前に立っているのか。それが理解できなかったのだ。
「その、なんといいますか。作ったパンが売れてしまったというかなんというか……なんか、貴族になっちゃいまして」
セーラもセーラで説明がしにくい事なのか、どうにもはっきりとしない。ぶっちゃけ怪しかった。
「パンが売れたから貴族に……?」
「まあ、その、そういう事らしいです。たまにですけど、こうやってお城に招かれて、お城のシェフの方達と新作パンについて語り合ったり、お城の方からの依頼で創作パンを考案したりもしてます」
たまにスイーツとかも焼いちゃったりもします、なんて言いながら、セーラははにかむ。
「……意味が解からない」
「まあ、説明聞いても訳わかんないですよね。私自身、なんでこんな事になってるのかよくわかんないです」
唖然としたままのエリーゼ。
いまいち要領のつかめないエリーゼの様子に、たはは、と困ったように笑いながら、セーラは長い三つ編みを指でくるくると弄っていた。

「それで、エリーゼさんは何故こんなところに?」
適当な流れだった空気は早々に放り出し、セーラは自分の疑問によって空気を入れ替えた。
「……私は元々軍人だったから。今は父と同じで衛兵隊長の役に就いてるわ」
「なるほど。それでお城にいたんですね。私もここに来るのは本当にたまにだから、今までお互い気づかなかったんですねー」
「まあ、そうなるかしら」
エリーゼとしてはあまり続けたくない話題なのか、質問にはやや早口で短く答えていた。
「……今は教会で会う事もないですしね」
ぽそ、と小さく呟いた言葉に、エリーゼはびく、と肩を震わせる。
その様に、セーラは怒らせたと思い込み、両掌をわたわたと動かして慌て出す。
「あ、ごめんなさい、別に悪気があった訳じゃ……その、それじゃ、私、これで失礼しますね」
「えっ――」
ぺこりと頭を下げ、エリーゼの言葉を待たずに立ち去ってしまった。

「…………」
残されたエリーゼは、長く考え込んでいた。
(まさか、あの娘とこんなところで再会するなんて)
エリーゼとしては、セーラは普段からそこまで付き合いのある間柄でもなく、名前を覚えていたのも昔セーラがよく話しかけてきたから自然とそうなっただけであった。
自分からは話しかけた事なんてないし、別に親しいとも思っていない。
ただ、彼女はどうやら城内に出入りできる身分であるらしい。
それがどうにも、エリーゼには気になってしまっていた。
(……ちょっと考えた方がいいかしらね)
しばし無言のままうつむいていたエリーゼであったが、答えを導き出すや、即座に行動に移った。


「やあ、びっくりしちゃったなあ、まさかエリーゼさんと出会うなんて」
「あら、なんでエリーゼと会うと、貴方がそんなに驚くの?」
「うぇっ!?」
独り言のつもりで呟いていた言葉に、突如ついた返答。
上の空で城門から出たセーラの目の前には、皇太后たるエリーシャが立っていた。
何故か大きめの手持ちかばんを両手で持って、護衛の一人もつけずに、である。
「あっ、エリーシャさ……いえ、エリーシャ殿下っ!!」
「いや、エリーシャさんでいいけど……そんな今更かしこまられてもねぇ」
必死になって取り繕おうとするセーラに、エリーシャは苦笑してしまった。

「ていうか、貴方ってエリーゼと知り合いだったの? エリーゼってあれでしょ、衛兵隊長の」
「え、ええ。そのようですね。前に会った時は普通の娘さんだと思ってましたけど、いつの間にかそうなってました」
立ち話もなんだからと、城門前から脇に逸れ、庭園へと移動する。
適当なベンチを見つけ、エリーシャがそれに腰掛けると、セーラも隣に腰掛けた。
「ふぅ、それで、どういう知り合いなのよ、その、エリーゼとは」
妙に落ち着いてしまったエリーシャは、小さく息をついてしまう。
仕草から何からなんとも年季が入ってしまっていて、セーラはなんというか、残念な美人を見るような目でエリーシャを眺めていた。
いたのだが、質問の内容に、視線をちょっとだけ逸らす。
「えっと……ここだけの内緒の話にしてもらえますか?」
「? 別にいいけど」
周囲をちょろちょろと見渡し、やや真剣な目でそっと顔を近づけるセーラ。指を立ててジェスチャーしたりもする。
エリーシャはクエスチョンを頭に浮かべながらも、「どうせセーラの事だからたいした事じゃないだろう」と勝手に思い込み、軽い気持ちで受け止めようとしていた。


「あの、まだ街に普通に教会があった頃って、皆、週末とかはお祈りに行ってたじゃないですか」
「ああ、まあ、そうね。私はあんまり行かなかったけど」
当時教会からお墨付きをもらってたはずのエリーシャは、その実なんともものぐさな勇者であった。
「私の家が通ってた教会とエリーゼさんの家が通ってた教会って、おんなじところで。だから、私とエリーゼさんって、お祈りの度によく顔を合わせてたんです」
「なるほど、それで知り合いだったのね」
「そうなんです。エリーゼさんって、昔からすごく真剣にお祈りしてたから、熱心な信徒だったんだなあっていつも感心してました」
今となると色々と肩身狭いですけど、と、セーラは眉を下げ小さく呟く。
「まあ、どれだけ熱心でも、今の帝都は教会の教えには完全にアレルギー持ちになっちゃってるしね。そういう熱心な元信徒の人にとっては、今の帝都は暮らしにくいかもしれないわね」
セーラの話は、エリーゼの意外な一面というか、知られざる過去をエリーシャに垣間見させはしたが、それは言ってしまえば個人の感傷のようなもので、あまり関わるべきではないと考えてもいた。
「エリーゼさんは、いつもお父さんの帰りを待ってたんです。衛兵の偉い人だって聞きましたけど、そのお父さんが無事に帰ってこれるようにって、何時間も何時間も、ずっとお祈りを捧げてました」
「……そう」
なんともけなげで、そして、どこかで聞いたような話であった。
それは、自分もやった事あるなあ、なんて思いながら。
エリーシャは、適当に聞き流すフリをしていた。
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