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5章 『勇者に勝ってしまった魔王』のその後
#3-3.全てはタルト皇女の為に
しおりを挟む世界は、終わらない戦いが繰り返されていた。
たった一人の金色の竜の我侭によって。
たった一人のエゴの為に、この戦争は世界によって終わらないように『操作』されていたのだ。
エルリルフィルスは、人間『エルフィリース』としてこの世界で暮らしていた頃から、その戦争を終わらせようとしていた。
こんな世界に戦争などいらないと本気で願って。
願い続け裏切られ、死に掛けて拾われ魔族となり、そうして、魔王となっていた。
魔王となってからもその願いは彼女の行動原理の一つとなり、魔王として人間の殺戮を行いながらも、何故こんな戦争が続いているのかを研究し続けた。
竜という最強種族の存在。ひ弱なはずの人間が何故絶滅しないかの疑問。
そもそも魔族とは、人間とは何であるかという根本的な問題。
それら全てが解明されるまでに途方もない時間がかかり、そして、それが理解できたとき、エルリルフィルスは絶望した。
物事が全て、自分の思考など遠く及ばない場所で始まり、そして決まっていたのだと、知ってしまったのだ。
理解した彼女は何を思ったのか。まず、戦争の仕組みを変えてやろうと思っていたのだ。
人間と魔族の戦いだから不毛なまま終わらなくなるのだと。
ならば、勝手に増え続ける人間の相手は、同じ人間にさせればいいのではないかと、そう考えたのだ。
これによって時間を稼ぎ、その間に『終わらない戦争を始めた元凶』を探し出してやろうと思ったのだ。
ただ、その為にはまず、いくつもの課題が積もっていた。
まず、その元凶は、通常の方法ではどう足掻いていも見つけ出すことは出来ないという事。
元凶たる金色の竜は、今やこの世界を支配する『魔王』となっていて、彼の望みをこの世界が叶え続ける限り、その姿を見つけ出すことは不可能に等しい。
過去には若かりし頃の黒竜翁のような遭遇例もあるにはあるが、それはあくまで向こうが迎撃に出たパターンであり、レアケース中のレアケースとも言えた。
更に言うなら、敵対した際の被害も洒落にならない。
何せ当時の魔王軍最強クラスの面子三人が向かって、一人死亡、一人逃亡、一人失禁という有様なのだ。
戦いにすらならないレベルの実力差が存在していた。
流石に古代魔法の遣い手を自負するエルリルフィルスも、そんな桁外れな化け物相手で勝てる算段などなく、仮に出会えても、討伐するという方向性では無理だと考えていた。
その為、エルリルフィルスはかなり思い切った行動に出た。
『魔王城を子供で埋め尽くす作戦』の実行である。自分で『魔王』を超える生き物を作ってしまおうと考えたのだ。
これにより数百年かけて年に一人から数人の出産ペースで生み続け、数多くの混血児が生まれた。
彼女は知らない事であるが、エルリルフィルスの、人間時代からの血統は実に古いものであり、そして偉大な力を持っていた。
人類最古にして最上の血筋と、生まれ持って強力な力を持つ魔族の間に生まれた子供達は、いずれもその種族としては突然変異とも取れるほどに強力な力や優れた才能を持ち、その多くが成長と共に一族最強の存在になっていった。
エルリルフィルスにとって最も嬉しい誤算だったのが、最初に生まれた双子の片割れ。黒竜の白変種。つまりカルバーンである。
言ってみれば『魔王』そのものと全く同じ種族なのだ。
黒竜翁ですらその赤子を見て驚き取り乱し、暴言を吐き散らすほどにそのままという。
エルリルフィルス自身も、言われた当初は腹を立てたが、よくよく考えればこれほどお得な事はないと考え直した。
『この娘を強く育てれば金色の竜も引きずりおろせるに違いない』
まさに、彼女の考えた作戦は成功したかに思えた。
カルバーンが、彼女の予想を超えて強く、そして乱暴に育ってしまうまでは。
次にエルリルフィルスが必要を感じた課題は、魔族世界の意識改革である。
今のままでは、戦争は魔族優位に進みすぎてしまい、魔族達はこの戦いの無意味さを悟る事が出来ない。
側近のラミアは戦争推進派の急先鋒であり、つまりその時点でエルリルフィルスはラミアを頼れなくなっていた。
彼女の過ちはここが原点であり、本当はラミアは自身の主張以上に魔王という存在に対しては忠実に生きようとする忠義者だったので、構わず相談していればよかったのだが、そんな事は彼女は知る由もなく。
魔王マジック・マスターは、人心などまるで理解できず、自身の『世界を平和にしたい』という欲望によって勝手気ままに動いているだけだった。
この際にエルリルフィルスが注目したのは、自身に魔族になる為の力をくれた師匠とも言える『伯爵』の存在。
伯爵は見識広く、人形片手に歩き回る変人ではあるものの、断固として戦争への不参加を貫き通す芯のある魔族だった。
少なくともエルリルフィルスはそう思っていた。
なので、自ら亡き後には彼に対し様々な利得が向くように色々と操作していた。
例えば、一番反対してきそうな黒竜族に対して切り札ともなりうるドラゴンスレイヤーの譲渡。
例えば、各領主間の派閥争いに巻き込まれないように、エルヒライゼンという、争いとは無縁の領地をあてがった事。
例えば、まだ幼い自分の娘達と関わらせる事で、将来的に彼に対して娘達が好感を感じやすくさせたりなど。
そうして、最終的に伯爵が魔王の座に収まればいい、と考えていたらしい。
元々、自らの亡き後にはしばしの混乱が発生し、これはラミアでも抑える事の出来ない事案であると聡明な彼女は見抜いていた。
そしてそれを治めるのは好戦的な魔族ではなく、伯爵のような穏健派の魔族であるのが好ましいとも考えたのだ。
三つ目の課題は、人間世界の問題である。
魔族がどれだけ意識改革されようと、人間が同じままでは、やはり戦争は止まらない。
なので、少しずつ人間世界に間者を放ち、人間達の情報を収集するようにしていった。
同時に人間を最も団結させ、魔族との戦争に追いやる『宗教組織』を破滅に追い込むため、教会関係の組織は自ら出向いてでも破滅させていった。
こちらに関しては根絶やしにしてやるくらいのつもりで割と本気になって。
これも彼女の欲望の一つ『宗教に対しての復讐心』が前面に押し出された結果である。
人間時代の自身がどのような目にあったのか忘れていた彼女であるが、本能的にそれを嫌うようになっていたのだ。
こうして三つの課題は全て同時進行で進められていったのだが、ここで彼女は大きな過ちに気付いてしまう。
それは、末娘、エリザベーチェを産んだ事によって起きた。
エルリルフィルスは、自分の娘に名前を付けると同時に、その呼び名も同時に考えるようにしていた。
アンナスリーズはアンナ。カルバーンは変わってたのでそのまま。アルツアルムドはアルル。
そして、エリザベーチェは……エルゼであった。
エルリルフィルスは、思い出してしまったのだ。
エルゼとは、自分の親友の名前だったのではないか、と。
そして気付いてしまったのだ。
自分が今までやってきた事が、自分が今まで暮らしていた世界が、全て、『自分の知る過去の世界のことだった』のだと。
「……どういう事ですか?」
ここまで説明して、黒竜姫はふっと立ち上がった。
魔王の前の椅子に腰掛け、真剣に魔王を見つめる。
「つまり、彼女は……その、君が見た、『タルト皇女』その人である可能性が、非常に高い」
これは、魔王ですら信じがたいと思ったほどの話であった。
少なくとも魔王の知るタルト皇女は、性質面においてエルリルフィルスと似通っている部分はあまり見受けられない。
「あの娘が、仮に私の母だとして……では、あの魔力のなさはどう説明がつくのですか? 私に対して、何故他人のような――」
「……解らない。それに関しては、彼女自身も知らないだろう。ただ『この世界の私が生まれる前にいなくなっておかないと、何かがおかしくなるかもしれない』と言っていたらしい」
確かに、タルト皇女にはエルリルフィルスに感じられた規格外な魔力の高さは微塵も感じられなかった。
これに関してはアリスも証明してくれているので、少なくとも魔王の思い込みではなく、今アプリコットの城にいる皇女タルトと、魔王らが知る先代魔王とでは、様々な部分で何かが違うのだろうとも推測できた。
二人、考え込んでしまう。行く先は霧の向こう側であった。
「もしかして……」
ふと、何か思いついたのか、黒竜姫が顔を上げる。
「どうかしたのかね?」
「いえ……以前、魔王城の地下図書館で、時の魔法に関する書物を読んだことがあったのですが」
「奇遇だね、そういえば私も以前、そんな本を読んだ気がした。あれは確か――」
「『時間旅行』では?」
「おお、そうだ。よく覚えているね。流石、若い娘さんは記憶力がいい!」
しばしシリアスな話だったので、肩の力を抜く為に多少フランクな話し方にしていた。
黒竜姫はそんな魔王の褒め言葉に、多少照れくさそうに微笑む。こちらの力も抜けてくれたらしかった。
「確か、時間旅行をすることによって過去を変えられると、その後に続くはずの未来も本来の道筋の世界とは全く違う風になってしまうとか……変えられた分だけ世界が分離してしまうとか、そんな話だったね」
「そうです。ですから、母は……その『未来が変わる前の世界』から来たタルト皇女だったのでは……なんて、思ったのですが」
「なるほど、その発想はなかった。というより、時間魔法に関連付けて考える事すら、私にはできなかったよ」
面白い発想、という以上に、魔王には新たな視野が拓けてきたように感じた。
つまり、この世界は多重的に似たような世界が存在しているのだ。
そして、それぞれの世界に似たような魔王やら黒竜姫やらが居て、そして、その中にタルト皇女も居たのだ。
その『異世界の』タルト皇女が何らかの事情でこの世界の過去に飛ばされ、そしてエルフィリースとして暮らしていたのではないか。
黒竜姫は知る由もないが、魔王にはそれとなく、彼女が何故平和を求め続けたのか、執拗なまでに教会組織を攻撃し続けたのかを察する事が出来た。
彼女は『教会』によって誘拐され、地獄を見たのだ。
彼女は『エルゼ』という親友との交流によって平和への願いを抱いたのだ。
どういう経緯でか記憶を失っていた彼女は、しかし本質的にはその願いと心の闇だけは捨てきれず、魔族となってからもその本心を保ち続けたのだろう。
だが、それにしても皮肉な話である。
自分の親友のはずのエルゼを生んだのが、他ならぬ自分であると気付いてしまったのだ。
狂気とも言えるほどの平和への願いは、この一件によって完全に崩れ去り、後には強烈な後悔のみが残った。
自分がしてきた事、それは、自分が姉と慕っていたエリーシャをどこまでも苦しめ続ける、その最初の切欠となってしまうことに他ならない。
遠からず勇者ゼガは自分の知る『歴史』と同じ道を歩み、そして幼いエリーシャを残して死ぬのだ。
その死に方も皮肉を極めていて、彼の戦死した場所は自分が目をかけてわざわざ領地を与えたあの伯爵の領土エルヒライゼンである。
そこから始まる綻びに気付いてしまった。
彼女は、自分の立てた計画が、いかに未来に生まれるであろうこの世界の自分の首を絞めていたのかを、今更のように知ったのだ。
あまりにも高度すぎる自殺未遂であった。
魔王は、大きく深い溜息を吐く。
全身が脱力していく気分だった。
「告白しよう。エルゼと彼女を引き合わせたのは、他でもない、私なのだ」
終末の彼女が、果たして正常だったのかも定かではないが。
ただただ、彼女が哀れでならなかった。
「……エルゼが、タルト皇女と……?」
「ああ、すぐに意気投合してたよ。気が付くと親友みたいになってた。まあ、当然だったのかもしれんね。エルゼから見れば、世界は違えど母親とも言える相手なのだからね」
様々な連鎖が重なり続け、今やどちらが先に起こったことなのかは誰にも解らないのではないか。魔王は途方に暮れていた。
誰が可哀想かと言われれば、今も尚、何も知らずにこの世界を生き続けるタルト皇女に他ならない。
分離した世界があるという事は、もしかしたらこの世界のタルト皇女は、エルリルフィルスとなった彼女とは全く違う人生を歩める可能性もないとは言い切れない。
だが、それはあくまで『彼女が違う人生を歩める世界だったら』の話である。
残酷な話ながら、タルト皇女の周囲は何一つ違わず、全く関係のない場所が違うだけの世界の可能性もあるのだ。そうであるなら悲惨この上ない。
エルリルフィルスの悲劇は、またも繰り返される可能性があるという事なのだから。
「苦渋の道を歩むハメになった彼女だが、ただ、これだけは言える。彼女は、君達をずっと憂いていた。自分が亡き後の君達の行く末を、母として、ずっと心配していたんだ」
「……陛下は、何故あのタイミングで、アプリコットに攻め込んだのですか?」
わずかの沈黙の後、再び黒竜姫が問いかける。
自分が侵入した少し後に、魔王が皇帝シブーストの殺害を見事やってのけたのは、既に知っていたのだ。
黒竜姫の問いに、魔王はわずかに考える素振りを見せ、そして……静かに答えた。
「歴史を、ぶち壊してやる為、かな。それが彼女の願いであるが故に。順番を、狂わせてやりたかった」
「そう、ですか……それが、あの人の――」
黒竜姫は、わずかばかり納得したように、笑って見せた。
「ずっと、何を考えてるのかよく解らなかったけど。ずっと、何がしたいのか知らないままだったけど……ようやく、あの人のしたいことが見えてきました」
その表情は、既に黒竜姫の頃のような勝気さも、先ほどまでのような薄暗さもなく。
「陛下、私も協力させてください。タルト皇女を、母と同じ目に合わせてはいけないわ」
アンナスリーズの、慈愛に満ちた笑顔となっていた。
「ああ、君が手伝ってくれると助かる……よろしく頼むよ。アンナスリーズ」
魔王は、そんな彼女の笑顔を、とても魅力的に感じていた。
かつて夢に見た、娘の事を愛したエルリルフィルスそのままの笑顔だったのだ。
だからか、どこか懐かしさを感じてしまい、魔王も笑っていた。
こうして、黒竜姫アンナスリーズは、この日より行動を改めるようになった。
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