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4章 死する英傑

#8-3.人形の心

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「……貴方、本当にアリス? あれだけおじさんから溺愛されてたのに」
「――私は、旦那様の可愛い人形。そうで在れば良いと思っていました。でも――」
そっと、顔を上げ、エリーシャの目を見つめるアリスの瞳は、わずかだが、濡れていた。
「エリーシャさん、私は願ってしまったのです。私のままで居たいと。ずっと旦那様のお側に居たいと。アリスは、我侭な娘になってしまったのです」
「どういう事? 貴方はおじさんの大切な人形でしょう? 今も昔も」
「旦那様は、元々は私の事を蔑んでいましたわ。『ただの人形になど何の意味も無い』と。『あいつの代わりにはなれない』と」
「おじさんが……? 信じられない」
アリスの告白は、エリーシャには想像だにできないことだった。
あんなに人形好きだったのに。あんなに人形について熱く語っていた人だったのに、と。
「そんな時期もあったのです。私が初めて旦那様と出会った時など。私を生み出してくれたお父様の首を締め上げ『何という事をしてくれたんだ』と、憎悪で顔を歪ませていましたわ」
苦しげに胸元に手をあて、撫で下ろす。そうしないと痛みが治まらないかのように。
「私達の身体の中には、旦那様の大切にしていた方の魂が使われているらしくて。だから、旦那様も手放すに手放せず、私の顔を見るたびに苦しげな顔をしてらっしゃいました」
アリス達のキーパーツとして使われたヴァルキリーの心。
それが、アリスと魔王とを繋ぐ一つの枷だった。そういう時期もあったのだ。
「旦那様はきっと、今でもその方の事を忘れられないのです。私も、そんな旦那様の顔を見ているのは辛くて。なんとか癒して差し上げたかったけれど、私では無理なようですから」
「……あんたが無理なんじゃ、誰でも無理なんじゃないの?」
「そうかもしれません。長らくの時を共にし、今では、私は旦那様から愛されていると感じられるほどには、親しみも感じられるようになりました。お互い、信頼も築けていると思います。でも。それでも、私には勝てる気がしません――」
声がかすれてしまう。また、俯いてしまう。
少女人形は涙を流していた。愛する主が自分より愛している女性に、強く羨望を抱いていた。
「私は悪い娘になってしまいました。旦那様は私にはそんな我侭求めていないはずなのに。私はただ純粋に笑っていれば良いはずなのに。笑えないのです」
「……心があるものね」
アリスには心があった。ただの人形では表に出せないほど豊かに表情が出せてしまっていた。
その感情を表現できるだけの個性が彼女には出来上がってしまっていた。故に、苦しんでいた。
「エリーシャさん、心とはそんなに不都合なものなのですか? ただ愛しい主の側に居たいと、そう願うだけではいられないものなのですか?」
「すごく不都合なものよ。すごく矛盾してて、すごく苛立つし、すごく面倒くさいの。だけど、ただ一つでも幸せがあるなら、それは絶対に、なくてはならないものなの」
多分、百害あって一利しかないのだ。その一利が、百害を無視できるほど大切で、そして重いのだ。
「そんなに大好きな主なら、そう伝えれば良いわ。昔はともかく、今のおじさんは貴方のことを大切に思ってくれるんでしょう? 少なくとも、貴方がおじさんにとって重要だからこそ、こうやって私に手紙を運ぶ役目を任せた訳だし」
エリーシャは、大きな溜息をついていた。
自分のことであわただしくなったのがやっと落ち着いたら、今度は魔王の侍女のお悩み相談である。
全く以てバカらしいと、深刻に考えた自分がバカだったとばかりに、力を抜いた。
「ですが――それは、我侭になるのでは……?」
はっとし、顔を上げたアリスを、エリーシャは鼻で笑って見せた。
「知らないわよそんなの。心がある以上、少しくらいの我侭は仕方ないわよ。そういうものでしょ?」
「でも――」
「アリス。貴方の主は、そんなに些細な事で貴方を要らない子だと思うような心の狭い奴なの?」
「そんな事ありません。いつでも笑って許してくださいます。ミスをしても、怪我をしても、お手間を取らせてしまっても、笑って許してくださいますわ」
「だったら、そういう事でしょ。貴方は知らないと思うけど、人形ってね、ひどい扱いされる子が多いのよ?」
人差し指を立て、アリスに顔を寄せる。
「パーツ取りの為に使われたり、ちょっと傷が付いたら捨てられる事だってある。ひどいと、『新作じゃないから』という理由だけで酷く扱われる事だってあるわ。私は、そういう子達が可哀想で仕方なかった」
人間は毎日のように死んでいくのにね、と、エリーシャは苦笑する。
「私は、そんな人達が許せなかったわ。だけど貴方の主は違うじゃない。昔はともかく、今は違うんでしょ? 愛してくれるんでしょ?」
「……はい」
「良い主だと思うわ。うん。悔しいけどそこだけは認めるわよ。あのおじさんは、貴方の思いを踏みにじったりはしない。きっと、貴方の我侭くらい笑って許してくれる」
「……あっ――」
それが大きな呼び水となってしまったらしく。またアリスの頬を涙が伝っていった。

 あの魔王は、ひとかどの人形好きとして見る分には、この上ない主であるとエリーシャは思っていた。
自分だって大切にはしている。だけど、彼の人形に対しての熱の入れようは、ただ好きというだけではできないほどである。
そこにどのような経緯があったのかはエリーシャには知る由も無いが、アリスと出会ったばかりの頃の彼がアリスの言うとおりならば、恐らく、今の彼はアリスとの日々によって形成されていったのではないかと思えた。
ならば、やはりアリスは魔王にとって必要なのだ。

「ありがとうございましたエリーシャさん。その、突然押しかけてしまって」
ひとしきり泣いた後、アリスはにっこりと微笑みながら立ち上がった。
「別に良いけど。ああそうだ、トルテにも会っていく? あの子もエルゼやアリスに会いたがってたし――」
「いえ。会うと別れが惜しくなってしまいますし。それに、早く帰って旦那様の顔を見たくなりましたから」
やはりアリスは魔王一筋であった。ほっこりと笑っているのがエリーシャ的になんとなく胸焼け気味だった。
「ただ、エリーシャさん、気をつけてくださいませ。旦那様が何を考えてらっしゃるか、アリスにはわかりません。ですが、エリーシャさんの身の回りに何かが起きるかもしれませんから」
そっと側に寄ると、アリスはエリーシャの耳元にそっとささやく。
「何かって?」
「解りません。私はただ、エリーシャさんが心配でしたから。勇者でなくなったのは、嬉しい限りです」
アリス的に、エリーシャが結婚して勇者を引退したのは嬉しい事らしかった。
「まあ、気をつけることにするわ。この手紙の事もある。色々考えないといけないしね」
「はい。それでは、私はこれで失礼します」
用件も済んだのか、アリスはペコリと頭を下げ、庭園から一人、去っていった。

「……人形も色々あるのねぇ」
一人庭園に残ったエリーシャは、アリスの出て行った扉を眺めながら、そう一人ごちた。


「旦那様、ただいま戻りましたわ」
アリスが魔王城に戻ったのは、その日の夕方のことであった。
一刻も早く愛する主の顔を見たいと、するべき事を急いでこなし、戻ってきたのがこの時間である。
もうすぐにでも顔を見たい。顔を見てどうするのか。
大胆に抱きついてしまっても良いのでは、とまで考えていたアリスである。
「……あら?」
しかし、魔王の私室には、彼女の主の姿は見られなかった。彼女の情熱は見事に空ぶっていた。
「今日は、一日中こちらにいらっしゃるはずなのに――」
朝のうちに聞いた主の予定とは食い違い、今この部屋にはアリスと人形達、そして駆動鎧がいるだけであった。
『アリス様、おかえりなさいまし』
小さな人形達が何体か、アリスの周りを取り囲む。
「貴方達……旦那様はどちらに?」
『旦那様でしたら、ノアール様と二人で出かけられましたわ』
「ノアールと……? そんなこと、私は聞いていませんわ」
「それは仕方の無い事ですわ。アリス様には内緒でしたもの」
いつの間にそこにいたのか。飴色の髪のエリーセルが、等身大になってそこに立っていた。
「――エリーセル。これは。それに、旦那様は一体――」
「アリス様。残念ですわ。貴方は私達のリーダーでしたのに。何故、貴方だけ、旦那様の意に反した心を持ってしまったのか」
「質問に答えなさい!! 旦那様は一体どこに居るのです!? 貴方達は――」
ただただ怪しく微笑むばかりのエリーセルに、業を煮やしたアリスが激する。しかし、エリーセルは動じない。
「旦那様は、私達に命じたのです。貴方を拘束せよと。旦那様にとって、貴方を放置するのは危険だと、そう判断されたようですわね」
「……旦那様が? そんな、バカな」
淡々と語るその言葉に、アリスは信じられない事であるように目を見開き、口に手を当てる。
「そんなことがある訳ないわ。旦那様が、私を……私は、旦那様の命があれば何だって――」
「でも、殺せないのでしょう? 勇者エリーシャを。殺せと命じられて、躊躇ってしまうのでしょう?」
アリスの忠誠など、エリーセルにはわかりきっていた。その上で、瑕を突いた。
「それは――エリーセル!! 何故なの? 何故旦那様はエリーシャさんを――」
痛いところを突かれ、言葉に詰まってしまったアリスは、すぐさま別の論点にずらそうとした。
「貴方が知る必要など有りません。というより、私達は元々、『何故そうするのか』など考える必要もないはずですわ。旦那様の求めるように、私達が動いて見せればいいのです。その為の私達でしょう?」
「私は、旦那様の求めていない事をしていたというの?」
「そうなりそうだから、お側にいられないのでしょうね。安心してくださいまし。今だけですから。少し時が立てば、また元のように旦那様のお側に居られますわ」
張り付いたような微笑は崩れる事無く。エリーセルは、アリスの左腕を掴む。
「――放しなさい」
キッと鋭く睨みつけるアリスに、エリーセルは初めて動揺したらしく、小さく震えた。
「アリス様。抵抗なさらないで。私一人では貴方には勝てないでしょうが、他の子達全員を相手に、勝てるものでもないでしょう? 仮に勝てても、それは旦那様の望むことなのかしら……?」
アリスの周りを囲んでいた人形。その全てから発せられる重圧。
アリスは悟ってしまった。『抵抗しても無駄だ』と。『自分達が争い傷つくのは、主は求めていないのだ』と。
(……旦那様。どうして)
そして何より、心が折れてしまっていた。
力なくうなだれ、やがてバランスを崩し膝をつく。
「アリス様っ」
心配そうに顔を見るエリーセルに、アリスは力なく笑う。
「……拘束を受け入れます。この身体は旦那様の物。どうか、手荒には扱わないで頂戴」
「アリス様……ごめんなさい。では、しばらくの間拘束させてもらいますね」
エリーセルが手を引く。アリスは立ち上がり、そして引かれるままに歩かされ――ベッドに押し倒された。
そのまま両腕を押さえ込まれ、エリーセルにのしかかられる。
「エリーセル……?」
「この姿勢なら、力も入らないでしょう? さあ貴方達、アリス様を拘束なさい」
『かしこまりました』
命じられ、人形達がアリスの腕を、足を、そして首元を押さえる。
「くっ――首はっ!! やっ、耳はやめっ、やめてっ!!」
弱い部分を小さな手で押さえられるのがたまらないのか、アリスはシリアスな雰囲気なのにも関わらず笑ってしまっていた。
「やっ、太もも触らないでっ!! こそばゆいっ!! やぁっ――」
「……なんというか。顔のつくりは私の方が妖しく作られているはずなのに、今のアリス様はものすごく――色っぽいですわ」
拘束が完了し、アリスの上から退いたエリーセルであったが、その頬はやや赤くなっていた。
アリスの反応のよさに困った顔の人形達であったが、エリーセルの言葉には全肯定の方向で一致していた。
「はぁっ、はぁっ――なんなのよもう……拘束というなら、それらしく鎖でがんじがらめにするとか、それらしいものがあるでしょうに」
当初、アリスは、拘束すると言われ、小説に出てくる敵に捕まった探偵のように、何も無い地下牢にでも放り込まれるのかと思ったのだ。
それが、こんなファンシーな方法で束縛されるなど、想定外という他無かった。
「あら、縛られたかったのですか? 『アリス様ならもしや』と思って縄も用意してありますが」
「なんで縄があるの!? いやっ、ちょっ、やめ――」

 こうして、アリスは自分の口が災いし、人形達に身体を押さえつけられた上に、縄で縛り上げられるというマニアックこの上ない状態で拘束されることとなった。
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