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4章 死する英傑
#8-2.魔王の手紙
しおりを挟む「それで、何の用事なのよ? 貴方一人と聞いたから、驚いたわ」
「あの、旦那様からお手紙を預かりまして。少々お待ちを――」
用件を聞かれ、アリスも思い出したようにバッグから便箋封筒を取り出す。
「これですわ。どうぞお受け取り下さいまし」
「ん、確かに受け取ったわ。読んでも?」
「はい、どうぞ」
差し出された手紙を右手で受け取り、左手がスカートの腿辺りをさする。
「……ああ、そうだったわ。ポケットなんてなかった」
とても庶民的な皇后であった。
「ペーパーナイフが必要でしたら、これを」
その仕草で気付いたのか、アリスはどこからかペーパーナイフを取り出し、エリーシャに差し出す。
「あら、ありがとう……うわ、切れ味良いわねぇ」
軽くなぞっただけで封筒の頭が切れていく。すさまじい切れ味だった。
「えーっと、どれどれ」
そのまま中に入った便箋を広げ、読み始める。
元気でやっているようで何より。君が今まで生きている事を喜ばしく思う。
私は最近、可愛い人形達をより可愛く見せる為にどういう化粧をしてあげればいいかの研究をしている。
とても充実した日々だ。毎日が楽しくて仕方ない。
さて、本題に入らせてもらおう。
これから一週間後、魔王軍がいよいよ大帝国各地に攻撃を開始する事となった。
恐らく同期的に南部のゴーレムも動き出すだろう。
彼らにとって、魔王軍は邪魔この上ない存在に違いない。
何故なら、彼らが欲しいのは中央の民だからだ。
教化し、自らが搾取できる信徒にする為の民が魔王軍に奪われては、中央部を攻める旨みがなくなってしまう。
だから、彼らは魔王軍の先を取ろうと、必死になって攻撃してくるだろう。本気で。全力で。
私は、できるだけ民間人に被害を出したくない。
だが、邪魔者は徹底して排除するつもりだ。何者であろうと容赦なく殺す。
私がこの手紙をわざわざ君に送ったのは、別に魔王軍を止めて欲しいからではない。
南部の暴走をどうこうして欲しいからではない。
私は君には何も求めない。ただ、こういった事実がある、とだけ伝えたい。
何故私がこの手紙を君に送ったのか。その理由を考えてもらいたい。
よく考え、そして答えを導き出して欲しい。その思考をこそ、私は期待している。
君が私と同じようにならない事を、心から祈っている。
「……攻撃が始まるのね」
手紙を読み終え、エリーシャは小さく溜息をつく。
「そうなのですか?」
よく解らない様子のアリスが、不思議そうに首を傾げていた。
「おじさんは、私にこれを教えてどうさせたいのかしらね。何か聞いてない?」
何かつかめないかと、アリスに問うてみる。しかし、アリスも困った顔で首を横に振った。
「ごめんなさい、私はただ手紙を届けるように言われただけで、手紙の内容に関しては何も知らないのです」
「そう。貴方が知らないのなら仕方ないわ」
アリスにすら知らせていない事なのか、それとも、アリスはそれほど詳しいところに首を突っ込めない立場なのか。
何にしても、ろくなことにならない。戦争は、これから激化する。
彼女の主の指摘どおり、魔王軍が動けば、恐らく南部の軍勢も動き出すに違いなかった。
「歯がゆいわね。こんな事知ったって、私にはどうにもできないのに」
ここに書かれた事は恐らく真実なのだろう。
わざわざ可愛いアリスを寄越してまで直接渡した手紙がフェイクであるとは考え難い。
だが、それが真実であったからと、エリーシャには何も出来ない。
この手紙に書かれていたことを主張し、皇帝に働きかければ不意打ちは避けられるかもしれないが、一歩間違えればスパイだと疑われかねないし、そうじゃなくても乱心したと思われるリスクが高い。
そもそも、そこに何の根拠も無いのだ。魔王がエリーシャに手紙を送るなど、誰が想像できるというのか。
そしてそれが真実であるなど、どこに証拠があるというのか。
エリーシャ一人、それを知ったところで何も出来ないのだ。だとしたら、こんな手紙に何の意味があるというのか。
『何故私がこの手紙を君に送ったのか。その理由を考えてもらいたい』
エリーシャは、この一文が、ただそのままの意味の内容ではないことを示しているのは理解していた。
「推理しろって事かしら?」
「名探偵エリーシャさんですか、かっこいいですね」
アリスのキラキラとした瞳は無視し、考え込む。解らない。
「ねえアリス。貴方は、『勇者として』の私にこれを渡す為にここにきたのよね?」
「ええ、元々はそのつもりでした。まさかお后様になってるとは思いもしませんでしたが」
「まあ、私も自分でそう思ってるけどね。そう、おじさんは、私を勇者のままだと思ってるのね……」
つまり、魔界、少なくとも魔王近辺においては、エリーシャの動向はそれほど察知されていないものと思われた。
エリーシャが結婚したのは夏の終わりごろ。
少なくとも、エリーシャや皇室に関して、魔王周辺の持つ情報は相当に遅れていると思われる。
「という事は、この手紙は、私が勇者であるという前提で書かれてるという事――」
勇者であった頃の自分が、前線に立つ身としてこの手紙を受け取ればどうしていたか。
恐らく何も出来なかったに違いない。知ってはいても、やはり誰かに教える事などできないはず、と彼女は考えた。
つまり、エリーシャがこの手紙を受け取る事によるメリットは一切無い。
だが、デメリットも存在しない。知っていた事を教えられないだけで、別段新たな不都合が生まれる訳ではない。
「逆に、私が勇者のままだったとして、この手紙を受け取らなかったらどうしていたか――」
恐らく、エリーシャは何も知らず迎撃に出ていただろう。
魔王軍と南部と。どちらに対してだとしても、迎撃に出てしまっていたのだ。
だが、それ自体は恐らく、手紙を受け取っていても受け取っていなくても変わらないはずだった。
知っていようといまいと、勇者であるエリーシャは、国を守らなくてはならないのだから。
「……そうか、この手紙の内容に意味なんてないんだわ」
「えっ?」
内容に意味の無い手紙。それが意味を成すにはどう考えれば良いか。
「この手紙は、つまり、私達に何のアクションも取らせたくないという事。『想定外の事はしてくれるな』という意味に違いないわ」
導き出したのは意外とシンプルな解だった。
意味のない事をあえて教えるのは、その動きを予定通りの物にしたいから。
人は、予想外の事が起きると誰もが考えられなかったような事を突然やりだしてしまう事がある。
魔王は、恐らくそれをこそ恐れたのではないか。エリーシャはそう考えた。
「でも、アリス。貴方の主は一体何をしようとしてるの? 私は、それ次第では、貴方達の思惑通りには動きたくないわ」
「それは……ごめんなさい。エリーシャさんであっても、それは言えませんわ。というより、私自身、旦那様からは詳しく教えられてなくて」
エリーシャの問いに、寂しそうに俯くアリス。その様子に、エリーシャは強い違和感を感じた。
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