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4章 死する英傑
#7-1.二人の行動指針
しおりを挟む世界は、言い知れぬ不安に包まれていた。
人間世界中央部にまで楔を打ち込んだ魔王軍。いつまでも終わらない人と魔族の戦い。
一時は無神論を通していた中央も、これにより一層北部宗教に染まる民が増え、中央と南部による宗教対立は日増しに高まっていた。
名の知れた勇者が大国の后になった事などは、そういった世の流れからすれば些細な事で、だが、人々の心には必要な『吉事』であった。
そんな、知り合いの勇者が結婚した事など知りもせず、魔王は玉座にて、黒竜姫と謁見していた。
「何故アプリコットを攻めろと命じて下さらないのですか!! 陛下の命あらば、私はすぐにでも――」
紺色のヴェールをまとい、髪を隠しての謁見であった。彼女なりの見栄らしい。
黒竜姫は目を見開き、興奮気味に魔王に説明を求めていた。
「承服できんね。今は戦力を整えるべきだ。アプリコットへの攻撃は、人間達に死力を尽くさせる可能性が高い。まだするべきではないと私は思うが」
魔王は、黒竜姫の言葉には否定的であった。
ただ、真面目であるらしいのは解っていたので、その必死な様を素直に受け止め、その上で諦めさせようとしていた。
隣に控えるラミアも、特に何を言うでもなく、魔王の対応に任せていた。
「人間の死力など……そんなものは、私の前に脅威ではございません」
「例の教団の事もある。迂闊な事をして痛手を被るよりは、出方を窺ってからでも良いだろう」
ウィッチの事もあり、冷静ではいられなくなっていた黒竜姫であるが、魔王は務めて冷静に諭していた。
「それに人間も一枚岩ではなくなってきている。放って置けば、敵の戦力も士気も勝手に磨り減っていくのだから、その方が賢いではないか」
「それは――ですがっ」
「……あのウィッチを失ったのは我が軍としては確かに大きな痛手だ。このラミアも、そして私も、それは惜しい事だと思ってはいる」
過ぎた事ながら、赤いとんがり帽子のウィッチの戦死報告は、多少なりとも関わりのあった魔王にも戦事のやるせなさを感じさせていた。
副官として重用していたラミアも、魔王の言葉に頬を強張らせる。
「でしたら、私の気持ちも解っていただけるのではないでしょうか!?」
黒竜姫は、激しく後悔していた。自分の中途半端な行動は、誰の役にも立たなかったのだと。
遊び半分で出撃し、誰一人殺す事無く撤退。その後ウィッチは戦死。ベルクハイデは奪還された。
対峙した女勇者を殺すなり、ウィッチの手助けをするなり、敵兵を虐殺するなり。
何かしらしていればベルクハイデは守りぬけたかもしれなかった。何もしなかったのだ。
「あの女勇者だけでも殺さなくては、気が済みませんわ」
自分への怒りを何かにぶつけなければ収まりがつかない。黒竜姫は、悔しげに歯を食いしばっていた。
そんな黒髪の姫君を前に、魔王はラミアと顔を見合わせ、小さく溜息を吐いた。
おもむろに立ち上がり、跪く黒竜姫の前に立つ。
「……陛下?」
何をしようとしているのか。もしや、願いどおりに聞いてもらえるのでは、と期待し、見上げた黒竜姫の顔を、魔王は見下ろす。
「……君はしばらく休んでいたまえ。前線に出る事は許さん」
魔王からの、期待を踏みにじる言葉に、黒竜姫はひどく狼狽する。
「そんな、陛下!?」
驚きの余り立ち上がってしまう。目線が魔王と合う。正面からじっと見つめる。物怖じしない。
「それではあの娘が――」
報われません、と言おうとした直後、魔王が手をあげる。
「――っ!!」
つい、反射的に顔を庇う。黒竜姫らしからぬ、少女じみた仕草であった。
「髪はどうしたんだ。あの長く美しかった髪は」
魔王の手は、黒竜姫のヴェールを剥ぎ取っていた。
美しい黒髪は、しかし肩ほどまでで整えられていた。
「そ、それは――」
眼を逸らす。物怖じしてしまっていた。まっすぐに見ていられないのだ。
「戦地で失ったものと聞いたぞ。もったいない。私は長い髪が好きなのだがな」
「えぇっ? そ、そうなのですか?」
驚いたようにそっと離れ、上目遣いになる。魔王はにかりと笑って見せた。
「そうだとも。全く。黒竜族が戦好きなのは解るが、若い娘が折角の髪を失うのは許せん。私は怒っているのだぞ。解っているのか?」
「は、はい……申し訳、ありませんでした……」
愛する殿方に自分の髪について怒ってもらえている。
純情な黒竜姫にはこの上ない衝撃であった。もう戦争の話をするどころではない。
「解ったら、その髪が伸びるまで大人しくしていなさい。退屈したなら登城しても良い。暇なら茶会にも付き合ってやろう」
「かしこまりました。その、それでは、失礼します――」
耳まで真っ赤になり、黒竜姫はそのまま逃げるように玉座の間から去っていった。
「……ああ、恥ずかしかった」
赤くなっていたのは魔王も同じであった。照れくさかったのだ。
顔を抑えながら玉座に座りなおす。
「よくもまああそこまでたらたらと垂らしこめるものだと感心いたしましたわ」
ずっと黙っていたラミアであったが、二人のやり取りに笑いを堪えていたらしい。
ぷくく、と魔王とは別の意味で赤くなりながら手の平を口にあてがっていた。
「何度も使える手ではないのは解っている。何よりその、乙女の心を弄ぶようで、少々悪趣味だからな……」
だが、とても有効な手段であった。黒竜姫はプライドも高いし、何より知恵が回る。
魔王が指摘した程度の事など、端から解っていた事なのだ。
解った上で我慢できず、そして力があるから自分ならできると思い込む。
それが、今の魔王的にとても厄介であった。だから、心を惑わせ逃げ帰らせたのだ。
「確かに黒竜姫ならアプリコットを攻め滅ぼすのは容易いかと思われますわ。以前ならともかく、今の中央は兵力も激減。帝都の防衛力も組織化された竜軍団相手では高が知れてるでしょうから」
単に滅ぼすだけならそう難しい状態ではなかった。
中央に限って言えば、戦況はかなり魔王軍優位に傾いていると言える。
「だが、それでは私達の目的は果たせなくなる。そうだろう、ラミア?」
「……えぇ。全く、難儀な事になったものですわ。その方が燃えますが」
縛りプレイ大好きなラミアにとって、今の状況はそう悪いものでもないらしかった。
こちらの部下もやはり変である。魔王は苦笑していた。
「予定通り、このまま中央の防衛ラインを構築し、大帝国に対しプレッシャーを与え続けますわ」
どこからか取り出した眼鏡をかけ、ラミアは今後の予定を説明し始める。
瞬時に情報魔法で周辺地図と細やかな情報が空間に映し出されていった。
「これ以上の攻撃は北部の教団を刺激する事になりかねませんから、侵略は極力せずに、迎撃に専念いたします」
地図の一画、ディオミスの地から中央平原までをそっとステッキでなぞっていく。
「同時に、北部から中央に続々と兵が移っているのは把握しておりますので、遠からず、北部は手薄になっていくものと思われます」
「結構な事だ。後は、教団の教主の動向だが――」
「それは調査中ですわ。ただ、中央諸国の各首脳との会談を頻繁に行っているようですから、中央のいずれかにいる可能性が高いですわね」
兵は中央に集まり、教主も北部から離れている可能性が高い。
魔王はにやりと笑った。
「結果的に北部は手薄か。中央の軍の動きは活性化させておきたまえ。彼らに警戒させなくてはな」
次の攻撃は中央のいずれかに来る。そのように思い込ませたかったのだ。
「もちろんですわ。問題は、その『諸悪の根源』とかいう存在がいかほどか、という点ですが――」
魔王とラミアの目的。それは、戦争がいつまでも終わらない、その元凶を叩き潰すことにある。
これはアリスの口から聞かされたエルリルフィルスの遺言であり、そして何より、この世界に生きるあらゆる生物に関係する問題でもあった。
結果、二人は何よりも対処しなくてはならないのは、人間ではなくその『諸悪の根源』であると判断。
それ以降、その存在の討伐は、魔王とラミアの行動指標となっていた。
「間違いなくカルバーンが障害になると思うのだ。だが、子供の頃ですら下手な上級魔族以上の力を持っていたあの娘が、成長し、どこまで強くなっている事か……」
「都合よく記憶でも失って人間の娘として暮らしていない限りは、まず間違いなく黒竜姫より強いでしょうしねぇ」
二人して溜息を吐く。目下の懸念はカルバーンの存在だった。
魔王軍最強よりも強い娘が件の教団の教祖などをやっている。
苦労の末手に入れた『先代の娘達の最後の一人』の情報は、魔王とラミアを凍りつかせた。
そして北部の聖竜とやらが魔王らが目下の敵と睨む金色の竜であるなら、やはりそれを倒すにはカルバーンをどうにかしなくてはならないのだ。
実力未知数な金色の竜であるが、ゴーレムに襲撃されていた大帝国を救出する為に自ら姿を現したという情報もある。
巨大なゴーレムの群れを一方的に薙ぎ払い、強烈なブレスは頑強なはずのゴーレムを瞬く間に消滅させていったのだという。
教団の本拠点からは滅多に動かず、信者以外の前に姿を見せなかった聖竜が、ここにきてようやくその姿を把握できるようになったのだ。
その一件以降は再び山に戻ったのか、めっきり人前に姿を見せなくなっているのだが。
いずれにしても、竜の名に相応しい『生きている災害』相応の実力を持っているらしい事はこの一件によって確認できていた。
カルバーンとタッグでこられれば、恐らく魔王軍のいずれでも相手にもならないであろうと予測されていた。
何せ魔王軍最強の黒竜姫はカルバーンより弱い可能性があるし、実力的に黒竜姫と対等であろう吸血王やエルゼは聖竜のブレスで即死する可能性があるのだ。
そもそもこの組み合わせには相性の問題があるのかもしれないが。
「聖竜とやらを見つけられても、それを撃破できなくては意味がありません。その為にカルバーンを引き剥がす策を講じておりますが、これもそう長くは効果を及ぼさないでしょうし――」
懸念するラミアであったが、魔王は玉座をすっと立ち上がる。
「……陛下?」
「言われたとおりにやってくれさえすれば、後は私がなんとかしよう。だが、その為に確認が必要だ。少し出かけてくる」
振り向きもせず、歩きながら答え、魔王はこつ、こつ、と玉座の間を後にした。
「……もう、出かけるのをお止めする事もできなくなりましたわ」
誰もいなくなった玉座を眺め、ラミアはぽそりと呟いた。
変わってしまった世界。変わりつつある自分。変わり者の魔王。その全てを思いながら。
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