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3章 約束

#8-1.再戦 -ティティ湖での戦い-

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 残暑も厳しい夏の終わりごろの事であった。
春の終わり頃に激突が起きて以来、互いに境界点としてにらみ合いが続いていたティティ湖周辺であったが、ここにきて、とうとう魔王軍が動き出したとの報が前線から届いた。
連合軍の総司令官として、改めて皇帝シブーストより任命されたエリーシャは、アプリコットより精鋭一万を率いてティティ湖に布陣する連合軍三万と合流、これを指揮下に置くことになる。
既に各地域で両軍の作戦は始まっており、散発的にではあるが交戦の報告も上がってくる等、予断の置けない状態となっていた。

 後方の本陣では、本隊の指揮を執る各軍の将軍や参謀らが集まり、軍議を続けていた。
「エリーシャ殿。現状、敵はティティ湖を挟んだ対岸側に主力がいるようですが、今の所動く気配はありません」
「主力は……しばらくは動かないでしょうね。先の戦いまでで、魔王軍も甚大な被害を受け続けてるもの。実際、敵の主力の数は、前回と比べてはるかに少ないわ」
先の主力同士のぶつかりあいでは、敵軍も一万を超える大軍勢を誇っていたが、今回、敵の主力の総数は高々三千程で、そのほかに別働隊や補給部隊、様々な特殊作戦にあたる個別の小隊などがいるとしても、その動員数は明らかに少なかった。
「確かに、恐らく全軍を見たとしても、主力があの数では総数一万も居ない可能性があります。これは、我が方の総数四万から見て、かなり少ないと言える規模でしょう」
以前ならば、人間側の四分の一程度の軍勢であったとしても個々の力の差で覆される事すらあったが、今の時代、魔族と人間との差は大幅に縮まってあり、歩兵単位でのキルレートは1:1に限りなく近づきつつあった。
それでも戦術次第では覆される可能性はあるが、少なくとも正面での大部隊同士のぶつかりあいならば、数に利する連合軍が圧倒するだろう、という見方がなされていた。
やや楽観的な見方ではあるが、エリーシャの見立ては実際問題正しく、敵軍は先の戦いで大いに疲弊し、主力の大半を失ったままであった。

 では、何故動いたのか、というのが目下の議題である。
そもそもにらみ合いが続いていたのは、敵だけでなく、人間側としてもあまり疲弊したくないからに他ならない。
先の戦いに続き、南部諸国の連合軍が魔王軍を退けた事によって、確かに人類圏はやや盛り返し始めたといえる。
ドラゴンやヴァンパイアなど、未だ脅威足りうる上級魔族がいるとはいえ、ここ数年の人間側の戦況は、被害を上回る戦果を挙げ続けていると言っても過言ではない。

 だが、繰り返し起こる大部隊同士のぶつかり合いは、兵員の欠落を引き起こし、そのツケを連合諸国に払わせ続ける。
失った兵員は補充しなければならないが、人間は畑から取れる訳ではないのだ。
当然、国民の生活基盤が弱かったり、規模が小さい国は、補充できるだけの兵力を供出できなくなっていく。
大帝国はそうでもないが、一部小国では既に反戦論が民衆を席巻し、国に対してのクーデターを企てる組織まで現れるような事態に陥っているのだという。
できれば、小規模な小競り合いで国民の魔族に対する危機感を煽りながらも、人的消費の激しい大規模戦闘は避けたい、というのが多くの参加国の本音であった。

 そういった両者の思惑から、もうしばらくの間この不毛なにらみ合いは続くとエリーシャは思っていたのだが、その想定は外れ、敵の中央軍は動き出してしまった。
本格的にではないものの、各砦や街の攻略を視野に入れた侵攻の再開である。
南部の魔王軍は大きく退き、南東部に居座っている。
北部の魔王軍もアルファ連峰跡にて大規模な防衛ラインを構築している。いずれも動く様子はなかった。
当初、どちらかの戦力が中央に集結したのではないかという論も出たが、実際には目の前の敵の規模は変わらず、また、どこかに大規模な別働隊がいるという様子もない。
今のままの敵軍の規模で悪戯に動く事は、敵にとって何のメリットもないことのはずであり、だからこそ、エリーシャを始め、多くの将軍達は、そこに強い違和感を感じてしまっていた。

「何か、起こそうとしているのかもしれんなあ」
ぽつり、呟いたのは、奥側に座っていた老将軍であった。
「ギド将軍……貴方の意見を聞かせて欲しいわ」
ギドと呼ばれた老将は、人がよさそうに笑いながら、「これはあくまで何の根拠もない話だが」と、断りを入れる。
「敵がバカではないという前提で考えるなら、ここでの利を捨ててでも、どこかに利を見出している可能性があるのではないだろうか」
「つまり、彼らが動いたのは、ここの戦局とは関係ない、別の所で始まる何かの為、という事?」
陽動作戦。老将の言葉は、なるほど、確かにそれを前提に考えるなら、理解もできるものであった。
「しかし、だとしても、その『利』とは一体……実際、別働隊の姿も見られず、他の方面軍が動く様子もない……」
エリーシャの傍らの将軍が、顎に手をやり、考え込む。
他の者も同じ様子で、『何を狙いにしているのか』の見当は付かない、というのが大体の意見であった。
「例えば、特定の人物……ここの面子をこの場に釘付けにしておきたい、という場合、これは実に有効な作戦ではなかろうか」
老将の言葉は、的確に今の状況を指摘していく。
その場の全員が見逃している何かを、少しずつではあるが解いていくかのように。
「……まさか、敵の狙いは、本国……?」
エリーシャは、背筋がじとっとするのを感じた。
嫌な予感。完全に見落としていたとも言える。

 今まで、突然自分の前に現れていた魔王は、どうやってアプリコットに来ていたのか。
解りきっていた事だが、そんなはずはないとどこかで楽観してはいなかったか。
ある日突然、魔王の軍勢が、アプリコットや他の街に奇襲を仕掛ける可能性を、何故考えられなかったのか。
平和ボケしていたのかもしれない、と思うと同時に、そうであって欲しくないと、ろくに知りもしない魔王に勝手に願っていた。

「あるいは、政治的に何がしか、混乱を狙っている可能性すらある。何せ、此度の魔王軍は、やたら色々な戦略を選択してくるでな」

 ここにいる将軍達は、いずれも各国にその人ありと言われるほどの名将・智将ばかりである。
各国の国防の要であるとも言える者達であり、これが抜けている間、その国の国防能力は大幅に弱体化していると言える。
同時に、ギド将軍の言うように、戦争に対して内政面で危うい位置に立っている小国などでは、反戦ムードの高まりから、民衆のクーデターという最悪の事態も考えられ、これを抑えられる有用な人員が長らく戦場にかかりきりになるのは、これらの国家にとって痛い状況のはずであった。
「まあ、何かが起こるかも知れぬと警戒するのはよしとしても、がんじがらめになっては動く事が出来なくなる。警戒しつつ、我らは我らの役目を果たすしかないのが現状とも言えるのう」
「そうね……急事の為に備えはしておくけれど……今は出来る事をするしかないわ」
敵の動きは不可解なれど、想定できる限りの備えをする他ないのだ。
だから、それ以上のことは流れに任せる他ない。
ただ、時間の流れの中で事態が変わる事はあるかもしれないので、そこだけは注意が必要とか、そんな感じで。

 結局、エリーシャらは当面の方策として広域の索敵警戒と近場の要塞や街への増援の派遣、補給線の警戒増強をするに留まり、自軍主力も敵軍主力が動くまでの間は本陣にて待機、という方針に定められた。
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