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1章 彼女たちとの出会い

#7-3.人間世界インフレーション

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「地方の領主達は何と言っている?」
「自分達は陛下の命に従っただけです、と」
数日後。傷ついたラミア達が元に戻るのを待ち、魔王は玉座の間にて、地方の領主らの弁明を聞くことにした。
彼らの言葉はラミアを通して魔王に伝えられていたのだが、やはりというか、どの領主も、全ての責任を魔王自身に押し付けていた。
「ふん、喰えない奴らだ」
魔王は忌々しげに鼻で笑う。
「彼らの処遇、どのようになさるおつもりですか?」
「厳しく言って聞かせておけ。物事には程度というものがある、とな」
こんな問題は、地方の魔族達が「そろそろ何かおかしくないか?」と気づき、ラミア達に報告すればそれで済んだ話なのだ。
それをそのままスルーして、さも何も起こっていないかのように何も報告していなかったのは、間違いなく彼らの職務怠慢である。
だが、魔王は原因の一端が自分にあるというのは自覚していたので、それ以上の処罰をするつもりはなかった。
「あれだけの死者を出しておいて、彼らに何の責任も取らせないというのは……」
「元はといえば私が適当な指示を出したのが発端だからな。これ以上彼らを罰するなら、私も首を吊らねばいかん」
結局のところ、馬鹿な魔王が勝手な事をしただけ、無責任に放置した所為で被害が甚大になっただけ、という結末なのだ。
それ以上でもそれ以下でもなく、全ては魔王自身に帰結する事となる。
そう言いきられてしまうとラミアもそれ以上は追及できなくなり、複雑そうに口元をすぼめる。


「戦争自体はどうなっているのだ。前線は維持できているのか」
「芳しくありません。ここ数日の混乱で前線は各々指揮官の独断で動いていますが、把握できているだけでもほとんどの戦線が後退したと言えます」
「まあ、そうだろうな」
こちらは更に苦々しく思っているらしく、ラミアも辛いのか声が小さくなっていく。
解りきってはいたが、全ての軍事の中枢たる参謀本部が襲撃を受ければ、軍全体が成り立たなくなる。
数多の精鋭を率いる魔王軍は、その瞬間にただの有象無象と化し、統率の取れた人間の軍勢相手に退かざるを得なくなったのだという。
「救いがあるとすれば、敵の戦力の多くがこちらに向いた為、そこまで致命的に押し込まれてはいないという事です」
「前線の指揮官が、被害が少ないうちに撤退させたのは救いだな。取り返せそうかね」
「いかようにでも」
キリッと眼光鋭くするラミアは心強さすら感じさせた。
だが、そうは思いながらも、魔王は上手くは行かないだろうなとも思った。
「気をつけたまえ。敵は未だ、熱が冷めてはいまい」
各地の警戒を強めた今、同じように人間が侵入してくる事はほぼなくなったとは言え、そのような状況に持ち込まれたという事実は、人間達を調子付かせるだけである。
物事には穴というのが必ず生まれるものであり、その穴をつかれれば、また何かしら痛手を被ることも考えられる。
それが解っている人間達は、失敗にこそ終わったものの、この度の件で得た情報を元に、魔族世界攻略の糸口を掴みかけているのかもしれなかった。
「それにこういう状況になるとな、インフレが起きる可能性がある。どちらかというと、私はそれが怖い」
そして魔王は、より厄介な、インフレという怪物を知っていた。
「インフレーションが、ですか……?」
「そうだ。こういう大きな出来事が起こるとな、人間はその波に乗ろうと色々とするのだ。そして、より厄介なものを生み出す」

 過去の歴史にもそういった事実はあった。
かつて魔界に君臨していた何人かの魔王が戦地で倒れたり、勇者に敗れたりした際には、調子付いた人間達がその熱気のままに強力な新兵器を生み出したり、画期的な集団戦術を生み出したりした。
それら新たな技術は、全く新しい価値観を生み、それにより起こった産業の革命により人間達の世界は目まぐるしく進歩していく。
数の利だけでどうにか魔族相手に奮戦していた人間達が、いつの間にか技術の恩恵を受けて魔族と対等に戦えるようになり、竜ですらその技術によって撃破する事ができる時代となった。
魔法もより便利に、誰でも使えるようになっていく。
魔力を扱えない、訓練を積んでいない人間でも扱えるマジックアイテムの数々。
元々は彼ら自身では作れなかったそれらが、何かの拍子に人間達にも作れるようになり、いつの間にか一般に広く普及しつつある。
魔界において魔法とはいくつかにジャンル分けされていて、得意分野以外の魔法はどれだけ優れた遣い手でも上手く扱えないが、人間世界においては一人の魔術師が様々なジャンルを均等に扱えるようになったりと、その技術は最早魔族に追いついていると言っても過言ではない。
そしてその進歩は、魔族にとって何よりも好ましくないものである。
ただでさえ面倒な相手が、より強くなるのだ。たまったものではない。

「人間達は、私達より遥かに短いスパンで生き死にするからな。それだけに、奴らの生み出す技術の進歩も、伸びる時にはとてつもなく速くなる」
人間は五十年程で寿命を迎えるが、その一生は決して魔族のように緩やかなものではなく、十年ごとに彼らの世界が変わると言っても過言ではない。
その、時の流れが速い世界の中生きている彼らは、当然のようにその速度に合わせて技術を開発させていく。
流行り廃りの感覚も短いが、流行ったときの伝播速度も速い。
最初の十年で大都市にのみわずかに広まっていたものが、次の十年にはもう、辺境の村にまで当たり前のように普及している。
魔族にはそれが、わずかな時の間に広まっているように感じるのだ。
「これ以上敵の技術が進歩しては、我らが勝つのは難しくなってしまいます」
技術インフレーションの恐ろしさは、長命なラミアもよく解っている。
その面倒くささが増していく人間を相手に、遥か昔から戦い続けてきたのだから、誰よりもその厄介さが解る訳である。
魔族とて研究・開発を怠っている訳ではないが、人間の、その生が短いが故に速い時間の流れには到底追いつけない。

 魔族は基本スローライフであり、普段は人間ほど機敏には動かない。
そしてその多くが個人単位であり、興味の向くままに極めて熱心に学と技術を深めていく。
しかし、その技術が魔界全体に伝播するかと言われればそんな事はほとんどなく、多くはそれを修めた当人か、その弟子の数名にいきわたる程度で、戦況を一変させるような画期的な新技術などほとんど広まらない。
魔族は伝統的に、過去に学びそれをその時代に合わせて昇華させるのが技術の発展方法なのだ。
その為長く生きる者ほど重宝され、古い儀式や技術をできるだけ永らえさせようとする。
リメイクの繰り返しで古い技術がそのまま活かされており、中には有史以前の古代からの遺品まで実用されている有様だ。
それ自体は悪い事ではないのだが、古い力で一時的に優勢に立てても、逆転されたら後がなくなるのは目に見えている。

 そうして今、逆転されかけているのだ。これは魔族的にとてもいただけない。
「今ならまだ間に合うかもしれん。場合によっては、戦線の維持よりも、インフレを止めるのを最優先に考えるべきだな」
だが、まだ逆転していない、と魔王は考える。
あくまで希望的な観測なのだが、人間は技術の伝播に際して、金の流れが重要視されているとどこかで聞いたことがあった。
それは利益の為なら他の有益性を無視してでも利益を優先するという、商人達の涙ぐましい意地汚さが足を引っ張っているというものであり、広めている彼ら自身がそれを阻害するという皮肉な状況を生んでいる。
「では、早速潜入させている悪魔族に命じて破壊工作を……」
「場当たり的だな。一時は混乱させられても、より介入しにくい方法で発展するかもしれん。そうなったらもう手が出せん」
「ですが、状況は一刻を争うはずですわ。策を講ずるほどの猶予は……」
ラミアの言う事も尤もで、敵は間違いなく強くなっていくのだから、早い内に手を打たなければいけない。
悠長な事をやっていれば手遅れになりかねず、その焦りは魔王にもよくわかる。
「そもそものところ、技術のインフレは、必要が生まれるからこそ起こるのだ」
「それは解ります。需要あっての進歩でしょうから。それは魔族も人間も違いないのでは?」
流石にその辺りはラミアも心得ていた。
だからこそ、魔王が次に何を言うのかが予測がつかないらしく、待つ。
「なら、まずは必要から失くすべきだな。具体的には、戦地の緊張を解く」
「は……? あの、陛下、何を仰っているのか……」
「簡単な話だ。前線の軍を後退させろ。そうだな……人間世界大陸中央からは完全に撤退し、初戦で私が奪った辺りを維持するようにさせれば良い」
したり顔でそんな事を言ってのける魔王に、ラミアは凍りついた。
この男は何を言ってるのか。
今まで多大な被害を受けながらも手に入れた中央の砦や都市を放棄して、どうするというのか。
これまでの戦争が何だったのか解らなくなる。
確かにインフレは恐ろしいが、だからと領地を手放してまで敵の緊張感を解くというのはどうなのか。
「陛下、それでは前線の士気はガタ落ちします。何より、それでは私達が負けていると――」
「負けているように見せるのだ。そうして、最低限のラインを維持しつつも、『魔族など取るに足らぬ』と思わせるのだよ」
「ですが、このようなことが起きる度に退いていては、勝てる戦いも勝てなくなってしまいます!!」
ラミアも引かない。魔王の提案は、今こそ時を稼げても、やがて確実に自軍に不利な状況を作り出してしまう。
時間を与えると厄介な敵に、戦力・技術・物資、全てを集めさせてしまう愚考以外の何物にも感じられなかった。

「安心しろ、このような事は、恐らく二度と起こらんようにする。面倒くさいからな」
「えっ……?」
しかし、魔王は自信に満ちた顔で、珍しく魔王らしく、いやらしく笑った。
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