だから椎名に恋をした

海蛇

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6.学校帰りに遊びにいくようになった頃

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『――だから言ったでしょう? 私の事は信じちゃダメだって』
『待ってくれミスリー! 俺は、俺はまだお前の事を諦めちゃいないんだ! まだっ!』
『諦めてくれたら、私も安心して貴方の前から居なくなることができたのにね……そんな事言われたら、帰れなくなっちゃう』
『ミスリー。俺と一緒に来てくれ。俺がお前を守る。命を掛けてでもお前を助けるからっ』
『私達、敵対国のスパイ同士なのよ? 逃げたってきっと捕まるわ。そして、きっと二度と会えなくなる――』
『逃げる先は、考えてる……俺達しかいない世界だ。空へ行こう』
『空へ……?』
『そうだ。俺達しかいない場所だ。誰にも邪魔されない、そんな場所だ』
『……それは素敵ね』
『ミスリー、さあ、俺の手を取ってくれ。そしたら俺は――』
『素敵だから、その相手は別の人を選んで頂戴。長く生きてね、ジョー』
『ミスリー!? 待てっ、行くなっ! 行かないでくれっ!! ミスリィィィィィィィィッ!!!』

……初めて二人で映画を見るのに、スパイ映画はちょっと選択を間違えた感がある。
というか、見る映画の選択を椎名に任せたのがそもそもの間違いだった気がする。
いや、明らかにいちゃいちゃしてるような恋愛モノと比べたら、こういうのの方が見てて照れくさくなったりはしないのだが。

「……う?」

 クライマックスシーンらしいものをじーっと見つめていた椎名だったが、俺が顔を見ているのに気づいて「どしたの?」と不思議そうに首を傾げる。
椎名的にも深く見入るようなものではなく、視線を感じれば逸らしてしまう程度の内容だったらしい。

「超感動のストーリーだな?」
「え? そ、そうかな……? 前評判の割には今一な気がするけど……」

 これが休日ならある程度の客数もあるのだろうが、平日の夕方なんかはがら空きもいいところ。
俺と椎名以外に人の気配は感じられないので、まあ、多分専用スクリーンみたくなってるんだと思う。
なので、話すのもさほどためらわない。
そうこうしてる内に、ヒロインの女スパイが爆弾を抱えて追跡者の群れに突入していった。
主人公が止めるのも聞かず、「私の事は忘れてね」なんて言いながら。

「あー……自爆しちゃった……」
『ミスリィィィィィィッ!!!』
「めっちゃ爆発してるな」
「めっちゃ爆発してるね」

 派手な自爆シーンだった。
それによって追跡していた機械兵は全滅、どころかその基地まで連鎖的に爆発していって、奇跡的に主人公だけ生き残ってしまうほどには。
ヒロインの自己犠牲によって主人公が救われました、みたいなパターンのエンディングなんだと思う。
それ自体はまあ、尊いというか。微妙に遣る瀬無い話でビターエンドっぽいので嫌いではない。
ただ……肝心の内容に問題がある気がする。

「ミスリーって、爆弾のプロだったよな確か」
「うん。『どんな爆弾も思いのまま』って言いながら自在に爆弾コントロールしてたよね」

 途中の戦闘シーンはめちゃくちゃ格好良かった。
本人は全く武器を構えたりせず、遠隔操作で爆弾を起爆させ、敵の集団を一気に追い詰めていくのだ。
主人公との対峙のシーンでもかなりいいところまで追い込んでたし、途中に出てくる敵幹部の爆弾魔との戦いでも追いつめられながらも最終的には逆転したし、間違いなく強キャラと言えよう。
そんな強キャラの最期が、自爆である。

「確かに爆弾のプロだから自爆でもいいかもしれないけど、自爆のさせ方がしょっぱいよね」
「爆弾抱えて自爆とかアナログってレベルじゃねーよな。それまでボタン一つで起爆させてたんだからそうすればよかったのにな」

 悲劇っぽさを演出したくてそんな事になったのかもしれないが、特に説明もなく自爆シーンになったので正直意味不明過ぎた。

『うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!!!』
「主人公も結構うるさい人だよね……」
「事あるごとに叫んでたなこの人」

 スパイというよりは格闘家か何かとでも名乗ってくれた方がよほどそれっぽいこの主人公。
スパイらしからぬその熱い性格は序盤から終盤に至るまでミスキャストを感じさせていたが、それらすら利用した『主人公の本当の過去』という壮大な伏線が物語に奥深さを印象付けていた。

 だが、やかましいのだ。
何かあれば叫ぶ。特に仲間とか親しい人とかが死ぬシーンだと大体叫んでる。
いや、そういうキャラなのだと言われればそれでもいいのだが。
多分漫画とかで見る分には熱いキャラとして受け取れたのだろうが、映画だと耳に直に来るのだ。
事あるごとに叫んでる所為で、絶叫してても全然追いつめられてる感がない。緊迫感、0。

「あ……終わったみたいだね」
「ああ。終わったな」

 ビターエンドなラストの後、スタッフロールが流れ始めると、次第に映画館が勝手に明るくなっていく。
最後まで流してくれない辺り不親切だが、まあ、スタッフロールのラストまで見るのはよほどの映画好きかその作品のファンか暇人かのどれかだろう。俺はそう思う。
なんとなく気が向いたからという実にどうでもいい理由で映画館に立ち寄った俺達にとっては、明るくなったらそれで終わり。
氷だけになった容器を手に立ち上がると、椎名もクレープバーのゴミをくしゃっと丸めて俺の後ろに続いた。



「んんーっ、よく見たなあっ」
「よく見ちゃったか」
「うんうん。久しぶりに映画館で見た。今あんな風になってるんだねー」

 ぐぐ、と背伸びしながら気持ちよさそうにぴん、と跳ねる。
椎名的には気まぐれで決めたであろう微妙な映画だったが、それでもそれなりに楽しめる余裕が椎名にはあったらしい。
俺もまあ、微妙ではあったが駄作というほどでもないので、椎名の反応が悪くないならそれでいいんじゃないかとは思うが。

「たまには寄り道してみるもんだねー、こんな時間に映画がやってるとはー」
「映画はいつでもやってるだろ。まあ、確かにこうやって映画館で見たのは久しぶりだけどな」

 券売のロボット以外に誰もいないロビー。
わざわざ巨大スクリーンに映された映像を目で見るなんて、こういう気が向いた時でもなければ誰もやらないはずだった。
何せ、目が疲れる。見てるだけで疲労感があるし、内容が微妙だと眠くなったりもする。
熱中してれば見てる間にそうなる事は少ないが、ずっと同じ姿勢だから身体が疲れやすくなるのもネックだろうか。
とかく今の時代において不合理なのが物理スクリーンによる映画上映である。
とはいえ、そのアナログさ全開な上映方式が人々にノスタルジックな感傷を抱かせるらしく、公共施設の一つとしてどこの街にでも建っているのだが。

「映画は微妙だったけど、イシイ君と映画を見られたのは大きかった」
「そうか?」
「うん。だって時々私の事見てたでしょ? 『退屈だから椎名でも見てやろうか』とか思ってた?」
「流石に退屈とは思ってなかったが」
「思ってなかったが?」
「……まあ、椎名の顔見てた方が面白そうだとは思った」
「あはは、変なの」

 私の方が面白いの? と、眉を下げながら普通に笑う。
首が熱くなるのももう慣れた。
最初は気づかなかったが、気づいて悩んで、気が付くともう、気にならなくなっていたのだ。
当たり前になっていたというか。こいつの隣にいる以上、避けては通れないものだと悟った。

「ねえねえイシイ君。古典なんかだと、よくヒロインと主人公が敵対勢力にいて、敵同士で、みたいな報われない恋物語は結構多いみたいだけどさ?」
「ああ、そうみたいだな。古典はそんな得意じゃないが」

 どちらかといえば、古典は椎名の得意ジャンル。
古くは数千年前の古代史から、二百年前までの世界の常識が激変した時代くらいまで、東西至る所の有名作や作家の名前を網羅してると聞いた事がある。
本当かどうかは解らないが、少なくとも俺よりはテストの点数がいいので幾分真実味がある。

 椎名程ではなくとも、授業で習った程度の範囲でも、世に悲恋をつづった物語は数多く。
その中の何割かは、敵対勢力に属しているが故報われない男女もしくは同性同士の話となっているのは俺でも知っている。
報われる話もない訳ではないが、そういうのは多く駄作扱いされていたり、逆に別の方向で王道扱いされていて全くの別ジャンル扱い。
そう、報われない悲劇性にこそ、このジャンルとしての旨味が凝縮されていると言えるだろう。

「もし……私とイシイ君が敵対してる国のお姫様と王子様だったらどうする?」
「椎名王子か……」
「えっ、私が王子様なの!? イシイ君お姫様になりたいの?」
「いや別に」
「だよね、はー、びっくりした……イシイ君たまに女の子になりたそうな顔してるからもしかしてって思っちゃった」
「どんな顔だよ」

 椎名流の軽いジョークなのか天然で言ってることなのか今一解らないながら、なんとなく状況を想定してみる。
勿論椎名がお姫様で、俺は王子という事になるが。

「あ、ちょっと待って。コネクトしよう」
「ああ、うん」

 この手の施設のロビーには大体コネクト用の設備も整ってるので、必要なら繋がる事も出来る。
そうして心と心で繋がれば、互いに何を考えてるのかもよく解るというもの。

『えへへ、ちゃんと王子様とお姫様だね』
「そりゃまあ、な」

 互いに見えているものも大体は理解できる。
黒系の、強くは目立たない、それでいて上品なドレスに身を包んだ椎名。
これは……かなりやば普通だった。
人間、追いつめられると語彙ごいが死にそうになるから困る。
というかただのイメージのワンパンで人を追いつめないで欲しい。しんどい。

『なんか難しそうな顔してる……』
「どこに難癖つけたらいいか考えてたんだ」
『難癖ポイント見つかった?』
「いんや全然」
『イシイ君的には非の打ちどころなし?』
「とても残念ながら」
『えへへ……それは光栄ですなあ。イシイ君がもっと素直になってくれればもっと素敵なのに』
「俺にもプライドってものがある」
『あ、それ知ってる。200年くらい前に「合理性完全無視でカッコいい!」って流行った奴だよね』
「よく知ってるなー……ああ、そういう映画あったか」
『うん。まあ、プライドは今はいいとして……』

 こほん、と、わざとらしく咳を一つ。
ちら、と片目を閉じながら俺を見て、そして柔らかく微笑むのだ。

『どうする?』

 何を考えているのかは伝わっている。
何をしてほしいのかもうっすら解る。
心で繋がる俺達の間に、誤解なんてものは存在しない。

「とりあえず……コネクトしてると、悲劇になりそうにないよな」
『う……? あっ、そうだね!』

 なにそれ、と一瞬困惑したような顔をしていたが。
すぐに俺の指摘に気づいたのか、はっとしたようにぱちん、と手を叩く。

 俺達の世界に、誤解なんてものはほぼほぼ存在しない。
心と心が繋がり、嘘が極力排除された世界。
相互理解が極限まで進み、誤解が発生しえなくなった世界。
それは、嘘や誤解に溢れた旧来の世界と比べとても柔らかく、優しく、そして人々の心に多くの余裕を生み出した。

 かつての人々は、それが出来なかったが為に常にイライラとしていて、何かに追い詰められ、やがて自滅してしまったらしい。
自分以外の何者も信じられず、疑心暗鬼に囚われ続け、人に恋する事も、人を愛する事も、人と信じあう事すらできなくなってしまった世界があったのだと、歴史で習ったことがある。
今とは何もかも違った概念に支配された、嘘と誤解で塗り固められた世界。
俺達の語っていた物語は、そんな世界にこそありふれた物語だったのだ。

 だが、嘘も誤解もない俺達の世界で、それは実現しようもなかった。
そも、争いがない。
好き嫌いはあるにしたって、それが元でいさかいになる事は稀で、まして殺し合い、人死にが出るような結末に進む事なんて既に俺達にとってはファンタジーなのだ。
そんな事が起きたら社会を揺るがすニュースになりかねないほど、世界は平和で、平穏で、当たり前のように人と人とが協調し、互いを尊重し合い、互いをいつくしみあえる。
対立する国同士も、しがらみという古い概念に支配され死ぬしかなくなってしまった王子と姫君も、今の世には生まれ得ないのだ。
この世界、平和すてき過ぎる。


「……悲劇を演じる自由も、私達にはなさそうだね」
「演じる気もないけどな。悲劇なんて」

 いつしか、コネクトは解除されていた。
目の前にはにこーっと笑った椎名。少し困ったように眉を下げてはいたが、どこか嬉しそうだった。

 ハッピーエンドしかない世界と言われれば、誰かは退屈に感じるだろうか。
だが、例えそれがありふれた味気ない物に感じたとしても、不幸よりはずっといいんじゃないかと思う。
悲劇に意味があるとするなら、それを見た人間が自分の事を幸せだと思えるところにあるのだろう。
俺と椎名は、そういう意味では幸せなのだと思う。
何せ、物語のように死ぬ事はない。椎名が自爆して非業の死を遂げる事なんてまずないだろう。
俺も当面のところ、喉が枯れるほど叫び散らす事はなさそうだった。

「お腹空いた?」
「まあ、それなりには?」

 ほ、と、小さくため息をついて、映画館から出る。
とてとてと、小さな足取りである。
俺もそれに続きながら、椎名の次に言わんとする事を考え、合わせるように口を開く。

「クレープ食べたい」
「カツ丼でいいよな」
「イシイ君はすぐそんな意地悪を言う……」

 涙目であった。「どうしてそんな事言うの」と悲しげだった。
本人的には不本意かもしれないが、これもかなりアリ普通な表情だ。

「夕食時だぞ?」
「夕食時だから、クレープを食べて家でご飯を食べるの」
「そしてまたカロリー計算を間違えるのだな」
「うぐっ……ちゃ、ちゃんと計画通りに体重調整できてるもん! 不必要に太ったりしてないもん!」

 技術の進歩はすさまじいんですー、と、訳の分からない事をのたまいながらむくれる。
だけどすぐに笑う。よく笑う奴だった。
とても悲劇には似合わない。そもそもそんな演技力はないだろう。
良くて木か石の役といった感じだ。それでも設定無視して平然としゃべりだしそうだから困るが。

「確かに身長が伸びた気がする」 
「う、うんっ、3ミリだけ伸びたよ! 後15センチ頑張ればイシイ君に届くっ」
「15センチ伸びても俺の肩にも届かんが」
「胸に届けばワンチャンスあるからとりあえずはそれでいいの。椎名さんは高望みしないの」
「ワンチャン?」
「そう、ワンチャン」

 何を狙うつもりなのかと考えそうになってすぐにやめ、代わりにため息が漏れた。
こいつにとってはそれでもワンチャン。
だが、それですら俺から見れば高望みだった。
街灯の所為で紅潮した顔は見られなかったのは残念だが、そのワンチャンを獲得する為には映画の主人公ばりの改造手術でも受けなくてはいけないのではなかろうか。
これからの椎名の報われない努力に注目である。

「とりあえずクレープだな」
「うん。とりあえずクレープでいいよ」
「その後カツ丼だ」
「それは重過ぎる……ご飯食べられなくなっちゃうよ……」
「沢山食べると大きくなるぞ?」
「私は食べ過ぎると横に大きくなっちゃう人だから……イシイ君みたいに無尽蔵に食べられて全然太らない宇宙人体質じゃないから……」
「こないだそういう宇宙人がいたってニュースあったな」
「うん。宇宙って広いよねえ。意外と平和的な人多いし」
「昔の人が想像で作った宇宙人と戦う映画も割とギャグみたいになってるよな」
「今だと笑えるよねえ。余所の宇宙の人なんかも見ながらお腹抱えて笑ったりしてたし」
「外見だけは割と真実に迫った見た目だったりしたよな」
「外見だけはねー。どうやって再現したんだろうね? 当時は会った事も話した事もない人達のはずなのに」

 割とすぐに話題は切り替わる。
すごく下らないことながら、こうやって歩きながら、くるくると話題を回し。
途中でクレープを買い食いしながら椎名の家の前で別れる。
そんな生活が、当たり前になっていた。



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