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5.自然と一緒に帰るようになった頃
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放課後。雨。どしゃ降りである。
にわか雨。ひっくり返したような雨。雨。雨。とにかく雨だ。
「あー……やっちまったなあ」
フラグはいくつかあった。
いつも見る朝のニュースサイト。
天気予報を見てからその日の占いを見るのが日課だったのに、その日ばかりは目覚めが悪く、占いしか見る事が出来なかったのだ。
占い自体は「待ち続けているといい事があるでしょう」とか「気になる異性とドキドキ急接近♪」とかさほどあてにもならない事が書かれていたのだが、重要なのは天気予報の方だったのだ。
傘、なし。たったこれだけの事実で、俺はその日それからをどう過ごすかに絶望してしまった。
買いたい漫画本の発売日だったりしたのだが。
この雨脚の強さ。どんよりと曇った空。そしてむわっとした空気。無風。
止まない雨の典型みたいな空気が俺の頭上にだけ蔓延してるような、そんな錯覚すら感じる。
ああこれ、ダメな奴だ、と。
他の奴らは皆自分で傘を持ってきたり、友達の傘に入れてもらったり、レインコートを着たり、転移装置で瞬間移動したりしていたが、俺はもう、濡れるしかないコースだ。
そうかと思えば先駆者が一人。武田だ。武田が一人カバンを頭上に掲げ猛然とダッシュしていた。
他の奴らを押しのけるようにして猛進する武田は、しかしぬめつく校庭に足を取られヘッドスライディング。
びちゃびちゃと派手な音を立てる一頭のペンギン。それが今の武田だった。ちょうどそんな顔をしていた。
「ああはなるまい」
尊い犠牲だった。
奴がああならなかったら、きっと俺がああなっていたのだ。
そう思えばペンギンのように腹ばいで倒れたまま小刻みに震えている武田は、勇気ある男のように思える。
奴は勇者だった。間違いなく勇者だ。
レベル1のまま戦場に放り出され現実の厳しさに打ち震える勇者そのものだった。
「あれ? お待たせしちゃった?」
さてどうしたものか。
そんな風に考えていた矢先、後ろから声が聞こえ、振り向くと椎名だった。
不思議そうに首を傾げている。
先に帰ったはずの俺が下駄箱にいたのが不思議で仕方ないらしい。
「それにしても待ってたと思うのは自意識過剰だと思うが」
「過剰かなあ? 実はイシイ君は深層心理上では椎名さんの事を待ちたいなあ、椎名さんと一緒に帰りたいなあっていう気持ちがですねー」
「ないない」
「ないかー」
あったら面白いのに、とはにかみながら靴を取り出そうとして、中に入っていた封筒を自然な仕草でバッグに仕舞い込んで靴を手に取る。
「ラブレターか。モテるじゃん」
「違うよ? 督促状だよ?」
「とくそくじょう?」
「うん。『いい加減椎名さん寄越せ』っていう性質の悪い請求なのです。でも私はいつまでも『娘ばかりはご勘弁をーよよよ』ってやるので渡されないで済むの」
よかったよかった、と靴を履きながらほくほく顔で俺の横に並ぶ。
そうして俺を見上げながらまたいつもの笑顔になった。
「渡されるとどうなるんだ?」
「すごく大変なことになるよ」
「具体的には?」
「椎名さんが他の男子のモノになる」
「それは大変だな」
「めっちゃ大変でしょ? イシイ君は困らないと思うけど」
「そう……そうか?」
うっかりいつものように聞き流しそうになって「うん?」ってなった。
聞き流しそうになって聞き流しちゃいけない一言だったと気づいた。気づけた。気づけて良かった。
「ん。困る?」
「普通に困るな」
「そ、そう?」
「ああ。お前が他の奴のものになるとお前の持ってる傘を借りられないじゃないか」
「あ、傘目当てでしたか」
「傘以外は特には」
「んー……身体目当てよりは健全かなー」
冗談半分実情半分で割と切実だったりするのだが、椎名はどちらか測りかねてか指を口元にやったりしながら「どっちだろう」と迷ったりする。
だが、ぶっちゃけどっちでもいいのだ。
できればさっさと傘を貸してくれるなり見捨てて一人で帰るなりしてほしい。
俺に今必要なのは決断だ。諦めとも言う。
濡れて帰るのか、それとも椎名に傘を貸してもらえるのか、どちらかがはっきりすればそれでよかった。
ぶっちゃけ、椎名が通りかからなければ武田ルート以外選択の余地なんてなかったのだから。
「でもイシイ君。椎名さんの傘はすごく高いよ? 大丈夫?」
「いくらだよ」
「家が建つくらい高い」
「めっちゃ高いな」
「でもカツ丼よりは安いよ?」
「マジかよカツ丼そんな高いのかよ。いや家が安いのか?」
「んー……どっちだろうね? 相対評価なんだけど」
まず何を基準にした相対なのかが解らないのではっきりしないが、椎名の中では家=傘で、でもそれらはカツ丼より安いのだという。
意味が解らない。まあ、こいつの言ってる事は話半分くらいに聞き流すべきものだ。
聞き流すと怒るが。
「……なので、お買い得商品があるのです」
「通販番組のノリ、結構好きだよなお前」
「うん。最近気に入ってる」
定期的に気に入るものが変わる椎名は、その時その時で気に入ったネタをよく使ったりする。
今は通販番組らしい。
代わりに最近は怪しげな商人ネタはやらなくなった。
「それで、一体どんなお買い得商品を入荷したんだいシイナー?」
「はーいジョニー、本日入荷したのはこの商品――じゃじゃーん、『椎名さんと一緒に帰る権利』です!」
「何故ジョニー」
「ジョニー=イシイさん。日系人なの」
「純血の日系人とか新しいな」
「知られざる真実って奴だよ」
「本人どころか親もびっくりな新設定だな」
できればそのままお蔵入りして欲しい設定だった。
斬新過ぎて家庭が崩壊しかねない。
「でも大変なんだよジョニー。椎名さんと一緒に帰る為にはすごくハードルが高いの。まずクレープを奢ってあげないといけない」
「そこからしてハードル高いな」
「そうでしょ? 更に椎名さんの傘を持ってあげないといけないんだよ。そして傘の中で二人とも濡れないように歩かないといけないの。超重労働だよ?」
「命がけ過ぎるな。椎名って確か肩に雨とか掛かると死ぬんだろ?」
「死ぬ死ぬ。即死しちゃうよ。だからイシイ君は例え自分が濡れようと私を全力で保護しなくちゃいけないの」
「この時点で傘を使わせてもらうメリット激減な気がするが」
「その代わり椎名さんと一緒に帰れるっていう補って余りあるメリットが手に入るよ? おしゃべりし放題。笑顔見放題」
「俺は濡れても死なないのか」
「男の子は雨に濡れても転んで泥だらけになっても死なないって勇者様が実証してくれてる」
そう言いながらちら、と校庭へと視線を向ける。
その先に居るのは泥沼ペンギン……もとい勇者武田だった。
不屈の闘志に立ち上がった勇者殿は、再度駆けだそうとして片足が泥に埋もれそのまま顔面から倒れ込む。
見事なダイビングヘッド。サッカーならばヘディングで世界を狙えたかもしれない鋭角の突撃だった。
だが突っ込んだ先がいけない。前を歩いていた女子のスカートの真下だ。
これはいけない。ああもう見てられない。悲鳴上げられてるじゃねえか。
「……イシイ君は覗いたらダメだよ?」
「覗かなくてもお前たまに丸見えだからな」
「えっ、嘘!?」
例によって適当に返しただけなのだが、意外なことに椎名は真顔になってスカートの後ろなんかを手でさすって「大丈夫だよね?」とかぶつぶつ言ってる。
いや、確かにスカートの中が見えるのは恥ずかしいのだろうが、流石に丸見えはそうそうないと思うが。
だがこいつの場合うっかりでやらかす事もありそうで困る。
今のところはないが、いつかはそんな場面に出くわしそうだ。
そうかと思えば、抗議めいた顔になって俺を見上げてくる。
これはこれで中々アリ普通だな。普通。
「……もー、イシイ君はそういう事ばかり言うんだから」
「そうか?」
「そうだよー、それで、どうするの? 一緒に帰る? それとも図書室でもいく?」
「図書室で何するんだ?」
「本読む以外にする事があるなら教えて欲しい」
「司書の先生の年齢を当てるゲームとか」
「出入り禁止になるよね多分」
「それでこの間武田が出禁になった」
「男子はたまにすごく酷な遊びを思いつくよね……」
「暇を持て余すとロクなこと考えないからな」
「ロクでもない過ぎるよ……」
別に発案したのは俺ではないのだが、なんとなく呆れられてるように見える。
こういうところが女子から見ると子供っぽいと思われるのかもしれない。
少し大人ぶった方が良いのだろうか。
「後は図書室に来た女子の胸のカップとかあてる遊びもやってたなあいつら」
「イシイ君は混ざらなかったの?」
「流石に下世話すぎる」
「ああうん、そだねー」
意外そうな反応をされたが、そんな事を気にするほど俺は幼稚ではないのだ。
胸のサイズなど大きかろうが小さかろうがどうでもいい。
そもそも選択肢などなかろうに、語る必要などどこにあるだろうか。ないのだ。
「……イシイ君はそういうの気にしないの? 気になったり、する?」
「ならんな。どうでもいい」
「ど、どうでもいいの?」
「ああ、どうでもいいな」
「そっか……ふーん」
胸じゃないんだ、とか納得したように呟きながら、傘を手に、背を向ける。
どんな顔をしてるのかは解らないが、どうやら図書室に向かう気はなくなったらしいのは伝わった。
「――それじゃ、クレープコースで」
「ツケにしてくれ」
「ツケにしたら大変だよ? 督促状きちゃうよ?」
「どんな?」
「『今すぐイシイ君がクレープを買ってこないとイシイ君のカツ丼を食べちゃうぞ』って」
「俺からカツ丼取ったら何が残るんだよ」
「割と本気でそれを言ってそうだからイシイ君って怖いよね」
「いや本気だが」
カツ丼に勝る食い物など存在しない。
10年先、20年先も同じことを考えているかは解らないが、少なくとも今の俺はそんな感じだ。
毎日昼飯はカツ丼と決めている。
三度の飯よりカツ丼が好きな俺は、休日であっても自宅でカツ丼を自作するくらいのカツ丼フリークだ。
これはもう愛なのではないだろうか。
カツ丼に意思があったなら俺はカツ丼と恋人同士になってるのではないだろうか?
「カツ丼について考えてる時のイシイ君だけは要らないなあ」
「マジかよ。カツ丼について考えてる時の俺も込みで必要としてくれよ」
「だってカツ丼でいっぱいいっぱいになってるし」
「当たり前だカツ丼に勝る食い物なんてない」
「食べ物以外ならカツ丼に勝る?」
「ないな。食欲に勝る何かは今のところない」
「やっぱりカツ丼が家より高い人だー。傘やクレープや私なんかよりカツ丼があればいいんでしょ?」
「いや今は傘が必要だしお前が居ないと困るが」
「ほんと?」
「ほんとほんと」
「んー……どうなんだか」
ちょっと拗ねた感じになってるのは内心では「まあいっか」となってる証拠だ。
逆に変ににこやかあな顔をしてる時の方が何を考えてるのか解らないので怖い。
なので、拗ねてるように見える今は俺としては扱いやすかった。
こういう時には押せば大体椎名は負かせられる。
「椎名がいい」
「ん、もっと」
「椎名さん超欲しいっすわ」
「もっともっと」
「椎名なしじゃ生きていけないかもしれない」
「そ、そ、そう……?」
「マジマジ」
「そ、そこまで言われるとは思わなかったなあ……うん、まあ、ありがと」
ちら、と俺の後ろを見て、それからまた俺を見て満面の笑みになる。
こういう時は普通に喜んでたり感激してたりしてるので、割と機嫌がいいはずだった。
しかし、俺の後ろに何が居たのか。
気になって振り向いたりしたが、遠ざかっていく足音は聞こえたものの姿は見えず。
ただ、「ちくしょー」という魂の叫びは廊下に響いていた。
どうやら妖怪『一緒に帰りたくて誘おうと思ってたのに』は報われなかったらしい。哀れである。
「クレープ屋は遠回りになるだろ」
「たまには遠回りしたい日もあるの」
「雨なのにか?」
「雨だからかなあ?」
「めっちゃ降ってるじゃん」
「めっちゃ降ってるね」
「こんな日はきっとクレープ屋も閉まってるぜ?」
「閉まってたらそれはそれでいいもん」
「クレープ食えねぇじゃん」
「食べられないならそれはそれで仕方ない」
ならば何故クレープ屋に行きたがるのか。
どうにも俺にはこういう時の女子の考える事……もとい、椎名の考える事は想像しがたい。
何を考えてるのか考えてみてもそれらしい答えが浮かばないというか……どうにも理屈じゃない気がする。
でも理屈じゃないものを椎名じゃない俺が考えても、やはり解らないのだ。
ただ、とりあえずすべき事はぽん、と浮かび上がってくれる。
「とりあえず俺が傘を持てばオーケー?」
「うん。濡れないように持ってくれたらオーケーだよ。はい、どうぞ」
「何回までなら濡れてもオーケー?」
「私、濡れたら即死だよ?」
「でも残機制だろ?」
「なんとイシイ君の為に最高難易度のゲームを用意しました」
「用意しちゃったかー」
「えへへ、チャレンジ、してみる?」
「やらいでか」
是非もない。やれと言われずともやらなくてはならないのだろう。
なるほど、ようやくにして朝の占いが当たってる事に気づく。
天気予報を見ない日も、たまにはあってもいいのかもしれない。
そんな事を思いながら、俺はいつもよりより近い距離で、最高難易度のゲームに挑むことにした。
にわか雨。ひっくり返したような雨。雨。雨。とにかく雨だ。
「あー……やっちまったなあ」
フラグはいくつかあった。
いつも見る朝のニュースサイト。
天気予報を見てからその日の占いを見るのが日課だったのに、その日ばかりは目覚めが悪く、占いしか見る事が出来なかったのだ。
占い自体は「待ち続けているといい事があるでしょう」とか「気になる異性とドキドキ急接近♪」とかさほどあてにもならない事が書かれていたのだが、重要なのは天気予報の方だったのだ。
傘、なし。たったこれだけの事実で、俺はその日それからをどう過ごすかに絶望してしまった。
買いたい漫画本の発売日だったりしたのだが。
この雨脚の強さ。どんよりと曇った空。そしてむわっとした空気。無風。
止まない雨の典型みたいな空気が俺の頭上にだけ蔓延してるような、そんな錯覚すら感じる。
ああこれ、ダメな奴だ、と。
他の奴らは皆自分で傘を持ってきたり、友達の傘に入れてもらったり、レインコートを着たり、転移装置で瞬間移動したりしていたが、俺はもう、濡れるしかないコースだ。
そうかと思えば先駆者が一人。武田だ。武田が一人カバンを頭上に掲げ猛然とダッシュしていた。
他の奴らを押しのけるようにして猛進する武田は、しかしぬめつく校庭に足を取られヘッドスライディング。
びちゃびちゃと派手な音を立てる一頭のペンギン。それが今の武田だった。ちょうどそんな顔をしていた。
「ああはなるまい」
尊い犠牲だった。
奴がああならなかったら、きっと俺がああなっていたのだ。
そう思えばペンギンのように腹ばいで倒れたまま小刻みに震えている武田は、勇気ある男のように思える。
奴は勇者だった。間違いなく勇者だ。
レベル1のまま戦場に放り出され現実の厳しさに打ち震える勇者そのものだった。
「あれ? お待たせしちゃった?」
さてどうしたものか。
そんな風に考えていた矢先、後ろから声が聞こえ、振り向くと椎名だった。
不思議そうに首を傾げている。
先に帰ったはずの俺が下駄箱にいたのが不思議で仕方ないらしい。
「それにしても待ってたと思うのは自意識過剰だと思うが」
「過剰かなあ? 実はイシイ君は深層心理上では椎名さんの事を待ちたいなあ、椎名さんと一緒に帰りたいなあっていう気持ちがですねー」
「ないない」
「ないかー」
あったら面白いのに、とはにかみながら靴を取り出そうとして、中に入っていた封筒を自然な仕草でバッグに仕舞い込んで靴を手に取る。
「ラブレターか。モテるじゃん」
「違うよ? 督促状だよ?」
「とくそくじょう?」
「うん。『いい加減椎名さん寄越せ』っていう性質の悪い請求なのです。でも私はいつまでも『娘ばかりはご勘弁をーよよよ』ってやるので渡されないで済むの」
よかったよかった、と靴を履きながらほくほく顔で俺の横に並ぶ。
そうして俺を見上げながらまたいつもの笑顔になった。
「渡されるとどうなるんだ?」
「すごく大変なことになるよ」
「具体的には?」
「椎名さんが他の男子のモノになる」
「それは大変だな」
「めっちゃ大変でしょ? イシイ君は困らないと思うけど」
「そう……そうか?」
うっかりいつものように聞き流しそうになって「うん?」ってなった。
聞き流しそうになって聞き流しちゃいけない一言だったと気づいた。気づけた。気づけて良かった。
「ん。困る?」
「普通に困るな」
「そ、そう?」
「ああ。お前が他の奴のものになるとお前の持ってる傘を借りられないじゃないか」
「あ、傘目当てでしたか」
「傘以外は特には」
「んー……身体目当てよりは健全かなー」
冗談半分実情半分で割と切実だったりするのだが、椎名はどちらか測りかねてか指を口元にやったりしながら「どっちだろう」と迷ったりする。
だが、ぶっちゃけどっちでもいいのだ。
できればさっさと傘を貸してくれるなり見捨てて一人で帰るなりしてほしい。
俺に今必要なのは決断だ。諦めとも言う。
濡れて帰るのか、それとも椎名に傘を貸してもらえるのか、どちらかがはっきりすればそれでよかった。
ぶっちゃけ、椎名が通りかからなければ武田ルート以外選択の余地なんてなかったのだから。
「でもイシイ君。椎名さんの傘はすごく高いよ? 大丈夫?」
「いくらだよ」
「家が建つくらい高い」
「めっちゃ高いな」
「でもカツ丼よりは安いよ?」
「マジかよカツ丼そんな高いのかよ。いや家が安いのか?」
「んー……どっちだろうね? 相対評価なんだけど」
まず何を基準にした相対なのかが解らないのではっきりしないが、椎名の中では家=傘で、でもそれらはカツ丼より安いのだという。
意味が解らない。まあ、こいつの言ってる事は話半分くらいに聞き流すべきものだ。
聞き流すと怒るが。
「……なので、お買い得商品があるのです」
「通販番組のノリ、結構好きだよなお前」
「うん。最近気に入ってる」
定期的に気に入るものが変わる椎名は、その時その時で気に入ったネタをよく使ったりする。
今は通販番組らしい。
代わりに最近は怪しげな商人ネタはやらなくなった。
「それで、一体どんなお買い得商品を入荷したんだいシイナー?」
「はーいジョニー、本日入荷したのはこの商品――じゃじゃーん、『椎名さんと一緒に帰る権利』です!」
「何故ジョニー」
「ジョニー=イシイさん。日系人なの」
「純血の日系人とか新しいな」
「知られざる真実って奴だよ」
「本人どころか親もびっくりな新設定だな」
できればそのままお蔵入りして欲しい設定だった。
斬新過ぎて家庭が崩壊しかねない。
「でも大変なんだよジョニー。椎名さんと一緒に帰る為にはすごくハードルが高いの。まずクレープを奢ってあげないといけない」
「そこからしてハードル高いな」
「そうでしょ? 更に椎名さんの傘を持ってあげないといけないんだよ。そして傘の中で二人とも濡れないように歩かないといけないの。超重労働だよ?」
「命がけ過ぎるな。椎名って確か肩に雨とか掛かると死ぬんだろ?」
「死ぬ死ぬ。即死しちゃうよ。だからイシイ君は例え自分が濡れようと私を全力で保護しなくちゃいけないの」
「この時点で傘を使わせてもらうメリット激減な気がするが」
「その代わり椎名さんと一緒に帰れるっていう補って余りあるメリットが手に入るよ? おしゃべりし放題。笑顔見放題」
「俺は濡れても死なないのか」
「男の子は雨に濡れても転んで泥だらけになっても死なないって勇者様が実証してくれてる」
そう言いながらちら、と校庭へと視線を向ける。
その先に居るのは泥沼ペンギン……もとい勇者武田だった。
不屈の闘志に立ち上がった勇者殿は、再度駆けだそうとして片足が泥に埋もれそのまま顔面から倒れ込む。
見事なダイビングヘッド。サッカーならばヘディングで世界を狙えたかもしれない鋭角の突撃だった。
だが突っ込んだ先がいけない。前を歩いていた女子のスカートの真下だ。
これはいけない。ああもう見てられない。悲鳴上げられてるじゃねえか。
「……イシイ君は覗いたらダメだよ?」
「覗かなくてもお前たまに丸見えだからな」
「えっ、嘘!?」
例によって適当に返しただけなのだが、意外なことに椎名は真顔になってスカートの後ろなんかを手でさすって「大丈夫だよね?」とかぶつぶつ言ってる。
いや、確かにスカートの中が見えるのは恥ずかしいのだろうが、流石に丸見えはそうそうないと思うが。
だがこいつの場合うっかりでやらかす事もありそうで困る。
今のところはないが、いつかはそんな場面に出くわしそうだ。
そうかと思えば、抗議めいた顔になって俺を見上げてくる。
これはこれで中々アリ普通だな。普通。
「……もー、イシイ君はそういう事ばかり言うんだから」
「そうか?」
「そうだよー、それで、どうするの? 一緒に帰る? それとも図書室でもいく?」
「図書室で何するんだ?」
「本読む以外にする事があるなら教えて欲しい」
「司書の先生の年齢を当てるゲームとか」
「出入り禁止になるよね多分」
「それでこの間武田が出禁になった」
「男子はたまにすごく酷な遊びを思いつくよね……」
「暇を持て余すとロクなこと考えないからな」
「ロクでもない過ぎるよ……」
別に発案したのは俺ではないのだが、なんとなく呆れられてるように見える。
こういうところが女子から見ると子供っぽいと思われるのかもしれない。
少し大人ぶった方が良いのだろうか。
「後は図書室に来た女子の胸のカップとかあてる遊びもやってたなあいつら」
「イシイ君は混ざらなかったの?」
「流石に下世話すぎる」
「ああうん、そだねー」
意外そうな反応をされたが、そんな事を気にするほど俺は幼稚ではないのだ。
胸のサイズなど大きかろうが小さかろうがどうでもいい。
そもそも選択肢などなかろうに、語る必要などどこにあるだろうか。ないのだ。
「……イシイ君はそういうの気にしないの? 気になったり、する?」
「ならんな。どうでもいい」
「ど、どうでもいいの?」
「ああ、どうでもいいな」
「そっか……ふーん」
胸じゃないんだ、とか納得したように呟きながら、傘を手に、背を向ける。
どんな顔をしてるのかは解らないが、どうやら図書室に向かう気はなくなったらしいのは伝わった。
「――それじゃ、クレープコースで」
「ツケにしてくれ」
「ツケにしたら大変だよ? 督促状きちゃうよ?」
「どんな?」
「『今すぐイシイ君がクレープを買ってこないとイシイ君のカツ丼を食べちゃうぞ』って」
「俺からカツ丼取ったら何が残るんだよ」
「割と本気でそれを言ってそうだからイシイ君って怖いよね」
「いや本気だが」
カツ丼に勝る食い物など存在しない。
10年先、20年先も同じことを考えているかは解らないが、少なくとも今の俺はそんな感じだ。
毎日昼飯はカツ丼と決めている。
三度の飯よりカツ丼が好きな俺は、休日であっても自宅でカツ丼を自作するくらいのカツ丼フリークだ。
これはもう愛なのではないだろうか。
カツ丼に意思があったなら俺はカツ丼と恋人同士になってるのではないだろうか?
「カツ丼について考えてる時のイシイ君だけは要らないなあ」
「マジかよ。カツ丼について考えてる時の俺も込みで必要としてくれよ」
「だってカツ丼でいっぱいいっぱいになってるし」
「当たり前だカツ丼に勝る食い物なんてない」
「食べ物以外ならカツ丼に勝る?」
「ないな。食欲に勝る何かは今のところない」
「やっぱりカツ丼が家より高い人だー。傘やクレープや私なんかよりカツ丼があればいいんでしょ?」
「いや今は傘が必要だしお前が居ないと困るが」
「ほんと?」
「ほんとほんと」
「んー……どうなんだか」
ちょっと拗ねた感じになってるのは内心では「まあいっか」となってる証拠だ。
逆に変ににこやかあな顔をしてる時の方が何を考えてるのか解らないので怖い。
なので、拗ねてるように見える今は俺としては扱いやすかった。
こういう時には押せば大体椎名は負かせられる。
「椎名がいい」
「ん、もっと」
「椎名さん超欲しいっすわ」
「もっともっと」
「椎名なしじゃ生きていけないかもしれない」
「そ、そ、そう……?」
「マジマジ」
「そ、そこまで言われるとは思わなかったなあ……うん、まあ、ありがと」
ちら、と俺の後ろを見て、それからまた俺を見て満面の笑みになる。
こういう時は普通に喜んでたり感激してたりしてるので、割と機嫌がいいはずだった。
しかし、俺の後ろに何が居たのか。
気になって振り向いたりしたが、遠ざかっていく足音は聞こえたものの姿は見えず。
ただ、「ちくしょー」という魂の叫びは廊下に響いていた。
どうやら妖怪『一緒に帰りたくて誘おうと思ってたのに』は報われなかったらしい。哀れである。
「クレープ屋は遠回りになるだろ」
「たまには遠回りしたい日もあるの」
「雨なのにか?」
「雨だからかなあ?」
「めっちゃ降ってるじゃん」
「めっちゃ降ってるね」
「こんな日はきっとクレープ屋も閉まってるぜ?」
「閉まってたらそれはそれでいいもん」
「クレープ食えねぇじゃん」
「食べられないならそれはそれで仕方ない」
ならば何故クレープ屋に行きたがるのか。
どうにも俺にはこういう時の女子の考える事……もとい、椎名の考える事は想像しがたい。
何を考えてるのか考えてみてもそれらしい答えが浮かばないというか……どうにも理屈じゃない気がする。
でも理屈じゃないものを椎名じゃない俺が考えても、やはり解らないのだ。
ただ、とりあえずすべき事はぽん、と浮かび上がってくれる。
「とりあえず俺が傘を持てばオーケー?」
「うん。濡れないように持ってくれたらオーケーだよ。はい、どうぞ」
「何回までなら濡れてもオーケー?」
「私、濡れたら即死だよ?」
「でも残機制だろ?」
「なんとイシイ君の為に最高難易度のゲームを用意しました」
「用意しちゃったかー」
「えへへ、チャレンジ、してみる?」
「やらいでか」
是非もない。やれと言われずともやらなくてはならないのだろう。
なるほど、ようやくにして朝の占いが当たってる事に気づく。
天気予報を見ない日も、たまにはあってもいいのかもしれない。
そんな事を思いながら、俺はいつもよりより近い距離で、最高難易度のゲームに挑むことにした。
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