追う者

篠原

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第十章 阿佐ヶ谷中央警察署で・・・   ~再交錯する宿命~

第十章 ⑧

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月曜日、生安課に入ると、珍しく、もう
水口係長が席に着いていました。
同じく席に着いている先輩刑事たちと、
「また、例の薬のガキ共が……」と、
話しているのが聞こえてきます。

すぐに、私の方をチラッと見て、係長が、
私に声をかけてきました。
「不動産ッ!ちょっと、こっち来いや!」

私は、挨拶して、係長のデスクに向かい
ました。
背筋に、冷や汗が流れます。
でも、覚悟を決めます。
このまま、隠していくしかないのだから
……。




意を決した表情で、係長のそばに立つと、
係長は細い目をさらに細めて、私のことを
ジッと見つめ……、いえ、睨みます。
部下を追求しようとする時に見せる、
いつもの目です。


ぶっきらぼうに、尋ねられました。
「おい、土曜日の夜の、アノ女、
どうなったんや?届出しんか?」


私は、半分だけ正直に答えます。
「告訴も届もなしです。
話を聞く限り、まだ、つきまとい行為に
なるかならないかの微妙なラインでした
ので、また何かあったら署に来るように
と伝えました」。


「そうか、分かった。
じゃ、お前は、例の事案を今日も追って
くれや」
係長は満足気な表情で、指示をして、
机の上の書類に目を向けます。
報告は、これで、終了です。
つまり、私の回答は、係長、いえ、
『警察組織』で言う、まさに、模範回答
だったと言うことです。
仮に、正直に報告してたら、私は、
その場で、大目玉を喰らっていたはず
です!




自席についた私は、別件の書類作成を
しながらも、不安でした。
ヤギヌマさんからの連絡は、日曜日には
なかった。
今日も、かかってきそうにありません。
私の、『警察官としての予感』が、
そう言っています。

「……何も連絡がないと言うことは、
大丈夫なんだよね」と考えるべきですが、
「もしかして、連絡できないような
何かが……?」と悪い方向にも、考えて
しまいます。
なぜなら、平戸のような男が、急に、
つきまとい、悪質な行為を止めるなんて、
ありえないことなのですから。

連絡しないのではなく、連絡できない状況
に……。
「まさか……」と、フッと最悪のケースを
一瞬ですが、想像してしまいました。
一年前に起こった変質野郎による女子高生
誘拐・殺人事件。

「そんなことあり得ない!絶対に!!」と、
大きく首を振って、私は、自分に、
言い聞かせます。




でも、後悔しましたね。
「あぁ!携帯電話の番号、訊いとけば
良かったなぁ」。
彼女に配慮して、彼女の電話番号を
訊かなかったのですが、こっちから
安全確認の電話ができないのです。






お昼になって、私は行動に出ました。
ヤギヌマさんに連絡できなくても、
平戸に揺さぶりをかけることはできます。
私は、平戸の勤務する例の建設会社の
東京支社に電話をかけてみました。
署の屋上に上がり、誰もいないことを
確認してから……。


電話には、事務員のような女性が出ました。
私は、ハッキリと、
「こちら、警視庁阿佐ヶ谷中央警察署、
生活安全課の不動と申します」と明言して、
平戸がいるかどうかを確認しました。
それで、「平戸……?そのような者は、
当支社にはおりませんが……」とか、
「平戸でしたら、つい先日、退職しました
が……」と返って来たら振り出しですが、
返って来た返事は、
「平戸ですか……?
申し訳ございません。
ただいま、外回り中のようです」と言う
ものでした。

私は、ホッとしました。
でも、向こうの女性は、逆に、困惑して
いる感じで、「あの……、うちの平戸に、
何かありましたか?」と訊いてきます。
私は、「いえ、ある事件のことで、
伺いたいことがあったので……。
また、こちらから掛け直します」と答え、
電話を切りました。
大丈夫。おそらく、警察から電話があった
と言う事実は、すぐに平戸や上司の耳に、
入るでしょうから。


私の計画では、もし、平戸が会社にいたら、
電話に出してもらい、
「ヤギヌマさんの件ですが、あなたが
やっている行為は犯罪行為です。
正式な捜査を始めますよ」とくぎを刺す
……。
正式な警告ではありませんし、禁止命令
でもありませんが、警察を名乗る電話が
来て、相手に、ズバッと言われれば、
平戸も怖気づくのではと、考えられます。
それで、つきまとい行為をやめてくれ
れば、解決です。
でも、実際には、平戸とは直接話せません
でした。

「ま、もちろん、正式な捜査なんて嘘だし、
本人が出なくて良かったかな……」と思い
ながら、私は屋上から降りました。

あの事務員から、平戸に、
「警察から電話がありましたけど……」と
伝わるでしょう。
それだけでも、良いのです、牽制になる
のですから。
結局、その月曜日もヤギヌマさんから電話は
ありませんでした。
「大丈夫だよ。大丈夫!
何にもないから電話かけてこないんだよ、
ヤギヌマさんは」と、自分に、
言い聞かせながら、署から自宅に
帰りました。





火曜日。
私は、主に、署の外で捜査活動を
行いました。
正午過ぎに、かねてより情報提供があり、
内偵を進めていた、違法滞在者潜伏疑惑
のある物件への踏み込みも行いました。
売春行為もされているとの情報があった
ので、我々警察も動いたのですが、
ビンゴでした!
入管職員と私たちの目に入って来たのは、
目を覆いたくなるような実態でしたが、
捜査の観点から言えば、良い結果、
『成功』です。
一挙に検挙、取締りができたのですから。

ひと段落して、現場を入管側に任せて、
生安課長や水口係長、他の捜査員と署に
戻りました。
みんな、興奮しています。
私も興奮していました。
でも……、ヤギヌマさんからの連絡が
全くないことが、気になります。
考えたくないことを考えてしまうので、
自席に着き、書類作成に専念しました。
そして、もう一度、平戸の会社に電話して
みようかなぁと思っていた頃です。
電話が、ありました。
時刻は、18時30位過ぎです。
知らない番号。
貸与されている携帯に、知らない番号から
かかってくるのは日常茶飯事ですが、
私個人の携帯に、登録されていない番号
から、かかってくるのは珍しいことです。
瞬時に、「ヤギヌマさんからだ!」と、
直感しました。

急いで電話に出ました。
「もしもし……。不動刑事ですか?」と、
か細い声ですが、土曜日に話した、あの
ヤギヌマさんの声。
「やっぱり、ヤギヌマさんだ。
良かったぁ、無事だったんだ」と安堵。
ホッとしましたね。

不安そうではありましたが、その声は、
思ったよりは、冷静でした。
相変わらず、平戸からのメールは、
届いているとのことでしたが、
自宅に押しかけて来たり、自宅周辺を
ウロウロされたりはしていない
ようです。
私は、引き続き、届いたメールは保護して
おくように、そして、何かあったら
いつでも、遠慮せず電話をするようにと、
伝えました。
ヤギヌマさんは、
「分かりました。何かあったらすぐに、
不動刑事に電話します」と、嬉しそうに
答えてくれました。

私は、思い切って言いました。
「ヤギヌマさん、この表示されてる番号が、
ヤギヌマさんの携帯電話番号ですね?
登録していいですか?
あと、時々、安全確認のために、
こっちから電話しても良いですか?」と。
ヤギヌマさんは快諾してくれました。
心の中で、ガッツポーズをしました。
彼女が、私に心を開いてくれているのが
分かりましたから。



ヤギヌマさんとの電話を終えた後で、
私は考えました。
前日の会社への電話は全く効いていない
ようです。
相変わらず、平戸はヤギヌマさんに、
卑猥な内容のメールを送っているのです
から……。
「もっと圧力かけないと分かんないアホ男
なんだな」と、私は思いました。
電話機に手を伸ばし、平戸の会社に、
電話をかけてみました。
19時頃でした。
でも、みんな帰宅してしまったのか、
誰も出ませんでした。






水曜日。
この日は、ヤギヌマさんからの連絡は、
ありませんでした。

私は、平戸の会社に電話をかけようと
思っていたのですが、刑事課が追っていた
ある件の踏み込みに、助っ人として加わる
ように、朝一で係長から命じられました。
拒めない、命令です。
「嫌です」とは、言えません。
それで、思った以上に時間がかかりました。
踏み込む前にもアクシデントがあり、
踏み込んだ後も、確保の際、マル被が暴れ、
さらに、逃げ出される……。
すぐに、公妨、つまり、公務執行妨害で
現行犯逮捕しましたが、大変でした……。







(著作権は、篠原元にあります)
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