追う者

篠原

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第十章 阿佐ヶ谷中央警察署で・・・   ~再交錯する宿命~

第十章 ⑦

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~ここからは、再び不動刑事~

土曜日に、ヤギヌマさんが、
相談に来ました。
その夜、かなり遅くなってから帰宅した
私を、夫はキスで迎え入れてくれました。
一気に、疲れが吹っ飛びました。
同じ警察官なので、仕事のことは、
理解しあえるのです。
それだけでなく、お互いが、いまだに、
恋している感じ……、です。
なんか、惚気みたいですけど……。
「この人と、一緒になって、
良かったなぁ」と、その時、思いました。


でも、棚が目に入ります。
アソコに隠している、『クスリ』。
あれは捨てられないなぁ……、と思う私。





次の日は、日曜日。
運良く、夫も私も休みでした。
夫は、朝早くから、同じ刑事課の同僚と、
奥多摩の方に釣りに出かけました。
私は、思いました。
「今日、ずっと家にいてくれたらなぁ。
しゃべれたのに……」と。
でも、それは、言い訳です。
私は、弱く、逃げやすい、卑怯な女です
から。
たとえ、夫がずっと、家の中に
いてくれたとしても、話せないのに、
変わりありません、絶対!
『クスリ』のことなんか……、話せない
でしょう、私は、100%!!
心底、嫌~な気持ちに、なります。


「ヨイショっ!」と、私は気分を
入れ替えるため、立ち上がりました。
今は、私自身のことを追い詰める時では
なく、れっきとしたワルモノ、つまり、
ヤギヌマさんを追い詰める男を、
逆に追い詰めてやる手段を考えるべき
時なのです。




「明日からは、生安課の捜査、本業に
戻らないといけないから……。
その合間に、ヤギヌマさんのことも
やるか……」と考えます。
やっぱり、時間が、足りません。
署内にいる勤務時間だけでは……。




結局、その日曜日は、午前中を
ヤギヌマさんのために使いました。
「ここだと、専念できる!
あっ……。
私やっぱり、刑事が合ってるんだなぁ。
休日も市民のために仕事してるん
だから」と思いました。


私は、パソコンの画面を開きました。
ヤギヌマさんから預かっていた
平戸の名刺を手に取りました。
パソコンで色々と調べることが
出来ました。
また、各法律についても、もう一度勉強
してみました。
署から持ち帰った全書も開きながら……。
結論は、今の法律、それと、通常の
手続きでは、やっぱり無理だな……と。


いろいろな考えが、私の胸を行ったり
来たりします。
冷静な自分は、こう言います。
「やっぱり職務規定もある。
冷静になりな……。
ヤギヌマさんに、何かしら言って、
届出してもらうことにしな。
あなたが、やろうとしていることは
明らかな規定違反よ。
そう、処分モノでしょ?」と。

でも、一方の自分が、反論します。
「ここで口を閉ざして、
目をつぶっちゃって、本当に良いの?」。
やっぱり、そうです。
そして、私は、また奮い立ちます。
「そうだ、規定にひっかかってでも、
私はヤギヌマさんを助けたい!
それで、処分されるなら、
処分されようじゃない!」と。

でも、そう思っても、数分後には、
また心が揺らぎますね。
「でも……」と考えてしまうのです。
「もしかしたら、私のこの決断は、
間違っているのでは?
下手したら、私もヤギヌマさんも、
両方ともダメになるのでは?」と。
いろいろなケースが想像できてしまい
ました。
私が乗り出して、平戸が、おとなしく
引き下がってくれれば良いのですが、
逆上されたり、それがキッカケで、
さらに悪質な行為をエスカレートさせ、
本当に最悪の事件に発展して
しまったら……。
そうなったら……、明らかに、
上司からの許可なく勝手に管轄外で動き、
平戸に接触した私の責任になります。
監察入り……、減給、降格。
いいえ、もしかしたら、懲戒免職に
なるかも……。


「やはり、昨日、通常通り処理すべき
だったのでは?
今からでも遅くないから、届出して
もらおうか?
そうなると、まずは、つきまとい等に
対する警告になるのか……」と本気で、
考え出してしまいます。
でも、やっぱり、禁止命令までは、
かなりの時間がかかります。
「無理だ……。
そんなに長くかかるなんて、
仕事も奪われて、追い詰められてるのに、
ヤギヌマさんは」と気づきます。

妙に、ヤギヌマさんに、こだわりを持って
しまっている、自分。
何故か分かりませんが、家族のように、
感じてしまうのです。




思い切って、祖母に、電話をかけることに
しました。
祖母の果約―かや―は、和歌山県の
白浜町で一人暮らしをしています。
時々、私たち夫婦に、近くの市場から
新鮮な魚介類を送ってくれます。
この祖母は、初孫である私を本当に、
かわいがってくれています。



小学校高学年の頃、夏休みに、妹たちと
弟、それに従妹達と、祖母の家で、
過ごしました。
今でも、思い出します。
みんなで、ハワイの海辺のような海岸に
遊びに行ったこと。
スイカ割、花火、また、『冒険ごっこ』
……。
みんな真っ黒になるまで遊んだものです。




話がそれましたが、私は、祖母が大好き
です。
祖母とは、頻繁に連絡を取り合って
います。
私にとって、数少ない、何でも話せる人
なのです。
その祖母の意見が、聞きたかったのです。
電話をかけながら思いまいした。
「ばあちゃんが、『やめときなさい』と
言ったら、やっぱり、ヤギヌマさんの
ことは通常通りにやることにしよ。
でも、ばあちゃんが『やんなさい』と
言ってくれたら、このまま進む!」。


電話に出た祖母に、話せる限りのことを
話し、今の立場、苦悩を説明しました。
祖母は、ずっと黙って、聞いて
くれました。
そして、私がしゃべり終えると、
こう話し出したのです。
「みどりや……。
つかまえられて殺されそうな人がいたら
全力で助けてあげ、死のうとしている
貧困者には手を差し伸べるべきなのよ。
これはね、みどりが、お巡りさんだから
言ってるんじゃなくてね、どんな人で
あっても、もし目の前に、困っている
人がいたなら、助けようって行動を
起こすべきだと思うの……。
見て見ぬふりをするのではなくてね。
まして、みどりは、そのヤギヌマさん
とか言う女性から頼りにされている
んでしょ……?」
ここまで話すと、祖母は、しばらく
黙りこんでしまいました。
その沈黙が、かなり長く続きました。
しばらくして、祖母が口を開きました。
意を決したような声。
さっきまでよりも大きく、そして、
強い口調……。

「みどり、私は、どんな時でも、
みどりの味方だよ!
信じる道を進みなさい!
後悔することが、ないようにねぇ。
……ばあちゃんはね、みどりに、
後悔は、絶対、してもらいたくない!
もし、あとで後悔するだろうなぁって
思うなら、そうならないように、
自分の信じる道を進むべきよ!
うん、約束するわ!
その道に進んで、それで、仮に、結果が
ダメだったとしても、このばあちゃんは、
みどりの味方であり続けるし、みどりを
誉めてあげるからね!
いざって時は……、白浜で、二人で、
生きて行こうかねぇ」。



嬉しかった!
励まされた!!
私の心は、決まりました。
パソコンの画面も全書も閉じました。






夕方、夫が帰って来ました。
いつも通り、釣果がいっぱい……!
母に、捌き方は、みっちり叩き込まれて
から結婚したので、腕の見せ所です!
美味しい焼き魚、お刺身の夕食。
食べ終えて、夫はいつも通りに、
お風呂に。私は、居間に。
ぼんやりとテレビを見ていると、
携帯の音が鳴りました。
見ると、祖母からのメールが届いて
いました。




こんな内容でした。
「みどり。
多分ね、あなたのお父さんやお母さんに
相談したら、二人とも必死になって
止めるでしょうね。
特に、私の息子、みどりのお父さんは、
典型的な事なかれ主義だからね。
それも、良いことではあるんだけどね。
でもね、ばあちゃんは、今はね、
みどりが、立ち上がる時だと、
やっぱり思うよ。
あの後も、ゆっくりと色々考えてみた
けれどね。
そうよ!みどりには、その女性を
助けることが、絶対出来る!!

みどりがね、生れた日を思い出すわ。
ずっと、お医者さんから、
『男の子ですよ』って言われていたの。
私達にとっても、息子達にとっても、
初孫・初めての子どもだったから
『初』と書いて、はじめと言う名前を
つけようって、みんなで、決めてたの。
でも、イザ生まれたら、女の子……。
もうビックリしたわ。
本当に、嬉しくて、嬉しくてねぇ。

それでね、みどりが生れたのは、
緑豊かな山を眺めれる病院だったの。
『新緑が美しいな。
新緑、みどりは、人の心を癒す。
そんなように、多くの人を癒す、
幸せにする子になってほしい』って、
今はいない、じいちゃんが言って、
『みどり』って言う名前に決まったの。

こういう事、思い出しながらね、
ばあちゃんは、さっき思ったんだ。
多分、みどりが、男の子として生まれ
ないで、女の子として生まれて、
そして、お巡りさんにもなったのは、
もしかすると、この時のためだった
のかもしれないって……。
だから、ばあちゃんは、警察官の
みどりを、最後まで応援するからね!
        ばあちゃんより。」



長い文面でした。
時間をかけて、ていねいに、打ち込んで
くれた祖母の愛と優しさが、
胸に響きました。
もう1度、読みます。
そして、一切の迷いは、消え去りました!



「こんな感じで、あのことも、
吹っ切りがつけばなぁ……」と、
一瞬、思いましたが、そっちの件は、
まだまだ吹っ切れそうには、
ありませんでした。
『クスリ』は処分できない……。
もうすでに、刑事なのに、私にとって、
なくてはならないものになってしまった
のだから……。








(著作権は、篠原元にあります)
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