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篠原

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第六章  受難~母の死より15年前の記憶~

第六章 ③

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そんな私に、看護師の夢を諦めかけていた
私に……、今後どう生きたら良いのか
分からなくなっていた私に、
雪子伯母さんと伯父さんは、
言ってくれました。
確か、葬儀の後だったと思いますが。
「峯子ちゃん。ここで諦めきゃダメよ。
お父さんとお母さんも峯子ちゃんが、
看護師になって患者さんたちを
お世話する姿を見たかったはずよ!
だから、私たちが親代わりとなって、
これから応援するから、絶対に、
看護師になってね!」って。
そして、実際、毎月仕送りを
してくれましたね。
どんなに嬉しかったか!
「私には、家族がいるんだ。
伯父さん、伯母さんのためにも、
絶対に立派な看護師になってみせる!」と、
決心しました。


だから、亡くなった両親のためにも、
また親代わりとなってくれている
伯父さん、伯母さんに応えるためにも、
これからは、とにかく人一倍勉強し、
努力しようと、決めたんでした。
あと、伯母さんたちからの仕送りは、
絶対に無駄遣いしたくありませんでした。
遊びに誘われたり、
時に遊びたくなりましたけど、
断るようにしました。
「誰よりも早く、一流の看護師になるんだ!
お父さん、お母さんのために。
伯父さん、伯母さんのためにも」と言う、
一心です!


だからと言って、全然遊びが、
なかったわけでもありません。
誤解されたくないので書きますが、
遊ぶと決めた時、その日には、
思いっきり楽しみました。
学校の休み時間には、仲良しの子たちと、
話したり、本を貸し合ったりも
していました。
あと、皆で音楽のイベントに出かけたり、
泊りがけで出かけたこともあります。
でも、居酒屋なんてものは、論外でした。
お酒なんて、考えたくも
ありませんでした!!!
私の両親の命を一瞬にして奪ったのは、
あの男です!
酒に酔った極悪非道のクズ運転手め!!
私は、お酒なんて見たくも、
味わいたくも、考えたくも、
ありませんでした、ずっと。



しかし、あの日は、「みんなで、
今日は一杯やろうよ」と言う流れに
なった時、私は何故か、
「私はジュースにしよう。それなら、
行ってもいいでしょ。お酒は、
絶対に飲まないんだから……」と、
自分に言い聞かせて、なんと、皆の後に、
着いて行ってしまったのです!
普段なら、絶対に帰るはずなのに!
夏季休校中、しかも皆で集まって、
楽しく作業した後の満足感、また、
仲良しの子とまだ一緒に過ごしたいと
言う考え……、色々ありました。
それが、私の心に緩みを生じさせて、
私を居酒屋の中へと導いたのです。



居酒屋での時間はあっという間でした。
一言で言えば、楽しかった。
仲良しの子と一緒にいれて嬉しかったし、
それまでそんなに仲が良くなかった
子たちとも打ち解けたりして、
本当に楽しかったのです。
この後、とんでもないことが、
自分に襲い掛かるなんて、全然想像も
しませんでした。


皆は、まだまだ居酒屋に残るようでした。
次の日も、まだ学校は休みですし、
皆話に花が咲いて、帰りそうに
ありません。
でも、私は、時間が気になってきました。
そして、私は、皆より一足先に、
その居酒屋を出ました。


それでも、普段よりは、
かなり遅くなっていました。
いつも、早く帰宅していた私ですから。
私が、生田学園前駅の改札を出たのは、
夜10時15分過ぎでした。
普段ならもう寝ている時間です。
改札前にあって、いつもサラリーマンや
近くの大学の学生で賑わっている
【藤そば】と言うお店も、
もう閉じてました。
「いつも、帰って来る時、
まだお店やってるのに…。
かなり、遅くなっちゃったな」と、
私は実感して、急ぎ足で、
アパートに向かおうと、しました。

でも、生田学園前駅に入って行く人や、
私と同じように帰宅途中のような人も
いっぱいいて、「こんな時間でも、
こんなに人がいるんだ」と、驚いたのを
憶えています。


駅から歩いて10分のアパートに
向かって夜道を歩きました。
途中までは明るい通りでしたが、
踏切を渡り、暗い線路沿いを歩きます。
【太三玄】と言う古い麻雀のお店や
大学生に人気の【赤柳食堂】と言う
食堂を通り過ぎて、私は汗をぬぐいました。
周囲はヒッソリしています。
夏の夜、非常に蒸し暑かったのを
憶えています。
「早く部屋に戻って、シャワー浴びよう」
と思いました。

5分くらい歩きました。
生田学園前駅とアパートの中間です。
私は、強い尿意に、
我慢ができなくなりました。
駅の改札を出て、すぐに、
「トイレに行きたいな」とは
感じたのですが、
アパートの自分の部屋までは、
我慢できると思ったのです。
でも、耐えられないほどに、
なってしまったのです、帰宅途中で。
「普段行かない居酒屋なんかに行って、
冷たい飲み物をかなり飲んじゃったからだ!
飲みすぎたなぁ」と後悔したのを、
今でも憶えています。


しばらく歩きましたが、遂にお腹も
痛くなってきた私は、もうダメだと、
あるT字路で、左に曲がりました。
右に曲がって3分ちょっとで、
アパートだったのですが、もう3分も、
持たないと思ったのです!
左に曲がって数百メートル行くと、
小さな児童公園があり、公衆トイレが、
あったのです。
そこを、目指しました。


あの時が、あのT字路が、
本当に、運命の分かれ目でした!!
あの時、左に曲がらず、アパートの方に、
つまり右に曲がっていればと、
どんなに後悔して来たことでしょう!
雪子伯母さん。
事件は、刻一刻と私に、
迫っていました。
とにかく、私は、児童公園の
公衆トイレの中に駆けこみました。
どんなに、ホッとしたことでしょう。
次に迫る恐怖と恐ろしい事件の
ことなんか知る由もありませんから……。


用を足して、公衆トイレから出た私は、
ゾッとしました!!
私の前方に、木の側にヌッと立つ、
変な男がいたのです。
不気味な男が、私の方を、
じーっと見つめているのです。

雪子伯母さん。
私は、怖くなり、すぐに公園の出口へと、
早歩きで向かいました。
すると、どうでしょうか?
後ろから、追いかけてくるのが、
分かったのです!!
あの時の恐怖!!
一瞬、後ろを振り返りました。
電灯に照らされた、その男は銀髪で、
しかも目に眼帯をしていました。
私は、駆けだしました。
全力で、走りました。
捕まったら、どうなるのかなんて、
若い女性です。
分かり切ったことです…。
もう必死に必死に、これ以上ない位、
走りました。


私は、後ろを振り向く余裕も、
声を上げる余裕もありませんでした。
とにかく、安全な場所を求めて、
走ったのです。
その男は、迫ってきます。
しかも、声を出しながら。
雪子伯母さん。
あのクソ男は、何と言っていたと、
思います?
「おい!止まれ!!」とか
「逃げるんじゃねぇ!逃げれると思うな!」
とかでしょう、考えるのは。
違うのです!
まるで恋人たちが、ふざけて追いかけっこを
しているかのように聞こえるような
セリフを連呼しながら、ずっと追いかけて
来るのです。
「待ちなよ。もう逃げないでぇ」と。
また、「降参、降参~。もうやめよう!」
と、甘い声を出しながら。
第三者が見たら、真夜中に、
酔ったバカなカップルが追いかけっこを
しているように見えたでしょう。
私は、「誰か、助けて!」とか
「痴漢です!!」と、
叫んでませんでしたから。
叫べば、良かったのです!
叫べれば良かったのです!!
でも、走るのに必死で、叫ぶ余裕が、
ありませんでした。
また、声を出そうにも、大きな声が、
出ないのです。
叫ぼうともしました、もちろん。
でも、恐怖が極まると、人間は、声が出ない
のです!

電灯も無い小さな、暗い道を、
走り抜けました。
誰かいればと、どんなに思った
ことでしょう。
でも、その日に限って、誰とも、
すれ違いませんし、人影も一切
見えませんでした。
通り過ぎる民家もどれも、もう明かりが
消えています。


雪子伯母さん。
私は、後ろを振り向いて、
「やめて!追いかけてこないでよ!」と、
叫びました、必死に。
でも、それで追いかけるのを
やめてくれるわけありません!
私は、「110番するわよ!!」とも、
叫んでみましたが、走りながら、
カバンの中の携帯電話を取り出すなんて、
器用なことはできません、本当は!

この状況で、男に捕まえられてしまえば、
無事に済むことは、絶対に
ありえないと、分かっています……。
どんな酷い目に遭うか、私は、
分かっていました。
だから、絶対に、捕まるわけには、
いきません!

雪子伯母さん。
私は、正直に言いますと、
専門学校に入るまで、地元の香川県では、
同級生の男子何人かと付き合ったことが、
ありました。




(著作権は、篠原元にあります)
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