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44 リーシャ

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 ジンファンが話を続ける。

「私のところにはまずケイカから下女を一人送るという話がきてのう。突然のことで不思議に思うておった。普通は、妃が交代する際にまとめて送られてくるからの。すると当日になって王から書簡が届いたのだ」

 その書簡には、妃が一人、今からそちらへ行く、自分のよくない行いのために彼女は修道院行きを望んでいるので、どうか彼女に心の平穏が訪れるようにお願いしたいと書いてあった。

「よくない行いというのは過去に人を殺めたことだと。急いで書いたようで手蹟が乱れておったわ。そして、やってきたのがこのスイランじゃ」




☆☆☆☆☆




 初めて修道院の門をくぐったあの日、スイランは感嘆して中を見回していた。日当たりの良い南側に広い畑があり、野菜がたくさん植えられている。囲いの中で鶏も飼っているようだ。もっといかめしい場所を想像していたが、実にのんびりとした雰囲気である。その奥に見える建物が祈りを捧げる場所だろう。まずはそこへ行ってみよう、と歩き始めた。

「すみません」
「はあい」

 中を覗き込み声を掛けると、拭き掃除をしていた女性が振り向いた。

「あの、今日からこちらでお世話になるリン……スイランと申しますが」
「ああ、はい、お聞きしてますよ。こちらへどうぞ」

 他にもたくさんの女性が掃除をしており、皆こちらを向いて会釈をしてくれていた。そして女性はスイランを連れて次々と建物内を案内してくれた。

「ここが祈りの聖堂で、この隣が集会室、まあ、私たちの趣味やおしゃべりの場所ね。その向こうが食堂でそのまた向こうが厨。食事作りは当番制よ。寝る場所は二階なんだけど、あなたはジンファン様の庵で暮らすことになっているから今からそちらへ連れて行くわね」
「ジンファン様、というのはどなたなのですか?」
「ここの運営をなさる院長よ。先の王ウンラン様の伯母でいらっしゃる凄い方なの。あの方がこの修道院の待遇を随分と良くしてくださったので、私たちは不自由なく暮らしていられるのよ」

(まあ! ということはタイランの大伯母様なのね)

 女性によるとここには後宮の元下女たちが二十人ほど暮らしているらしい。米や魚、調味料など必要なものは宮城から支給されるので食べ物に困ることもなく、皆仲良く穏やかに過ごしているとか。

「ジンファン様はあの庵で過ごしているのよ」

 主屋とは別に小さな小屋が生垣に囲まれて建っていた。

「ジンファン様。宮城から来られた方をお連れしました」

 扉を開けて女性が声を掛けると、奥から美しい老婦人が現れた。

「ご苦労だった、メイユウ。下がってよいぞ」
「はい、失礼します」

 メイユウと呼ばれた女性は建物のほうへと戻って行った。スイランは拝礼して名を名乗る。

「私はスイランと申します。本日からこちらにお世話になります」

 ジンファンはスイランを頭から爪先までじっくりと見定めてから言った。

「中にお入り」

 案内された部屋には肘掛け付きの一人掛け椅子が二脚と長椅子が一脚あった。一人掛け椅子には見たこともないほど美しい女性が腰掛けている。

「リーシャ、タイランの妃じゃ。名はスイランだそうだ」

 リーシャは優雅に頷く。慌ててスイランも拝礼する。

「スイラン、そなたも座れ。長椅子のほうにの」

 ジンファンがそう言う間にリーシャが立ち上がり茶道具を食卓に並べ始めた。茶壷ちゃふうに香りの良い茶葉をさらさらと入れ、沸騰したお湯を注ぎ茶葉がふわっと開いていくのを待つ。お茶の味を均一にするため一旦茶海ちゃかいに入れた後、茶杯に注いでいった。

「リーシャは茶を入れるのが上手なのじゃ。今では私の毎日の楽しみになっておる」

 リーシャはその言葉を聞いて花が綻ぶような美しい笑みを浮かべた。
 お茶をいただいてみる。茶杯から立ちのぼる豊かな香り、澄んだ色。口に含むとさらに香り高く味はさっぱりとしている。

「とても美味しいです。私はこんなふうに上手く淹れられません」
「淹れ方を教えてもらうとよい。のう、リーシャ」

 リーシャは微笑んで頷いた。この美しい方はいったいどなたなのだろう。高貴な身分の方に見えるのだが修道院にいるとは。
 スイランの疑問が伝わったのだろうか、ジンファンが語り始めた。

「リーシャはの、現王タイランの母じゃ。皇太后と言えばわかりやすかろう」
「え……?」

 スイランは戸惑った。皇太后は流刑地へ送られたと聞かされている。

「そなたはタイランの妃であったのにここへ送られてきた。何か事情があったのだろう。まずは話してくれるか」

 はい、とスイランは居住まいを正した。

「タイランからの書簡には人を殺めたと書いてあった。これはどういうことか」

 そう問われ、一瞬戸惑ったが正直に話すべきだと判断し、森で起こったことをすべて話した。そしてその後自分の身に起こったこと、タイランとの出会い、後宮での幸せな暮らし。その後記憶を取り戻してお互い苦しむことになり、ついには修道院行きを命じられたことを。
 そこまで一気に話し、スイランは一度黙った。皇太后様はどう思っているだろう。彼女は目を伏せ、表情は読み取れない。

「……おかしいのう。タイランはそなたから修道院行きを望んだと言っておるが」
「いえ、私はそうは思っていませんでした。王への二つの思いが自分を苦しめ、側にいるのが辛かったのは事実です。ですが修道院へ行こうと自ら思ってはいませんでした。ただ、ケイカ様から修道院行きを命じる手紙をいただきましたので、それが王の望みなのだと思い、受け入れたのです」

「……ケイカですね」

 リーシャが口を開いた。

「そうじゃのう。あの男の独断であろう。タイランにはスイランが修道院行きを望んだと言い、スイランには逆のことを言ったのであろう」


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