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38 母の思い出
しおりを挟む「母さん……」
まだ起き上がれないチュンレイはそれでもなんとか母に向けて手を伸ばした。死んでいるなんて思えない、ただ眠っているだけのように美しい母。
「嘘だ、母さん……」
「サルマ様は俺にお前たちを託して亡くなった」
ライードはサルマの遺体を寝床の上にそっと置いた。
「……サルマ? 母さんの名前はサーマだ」
「本当の名前はサルマなんだ。今はもう無くなったが西の国アンダールの王室に繋がる貴族の姫だった。私はそこのお抱え医師だった」
チュンレイの目が大きく見開かれる。初めて聞いた話だ。
「だがアンダールは別の西国、ドーレーンに滅ぼされ、サルマ様は平民となった。とはいえ、元アンダールの民もドーレーンの民も、サルマ様や元王族方を大切に扱っていたよ。私も平民医師となってサルマ様の近くで暮らしていた」
ライードは遠い目をしながらポツポツと語り続ける。
「このまま平民として平穏に生きていけたらいい、サルマ様もそう仰っていたが……東から攻めてきたこの国にドーレーンは滅ぼされ、混乱の中でサルマ様は連れ去られてしまった。私はそれから流れ者の医師として各地を回り、サルマ様を探していたのだ。ようやく会うことができたのに……」
ライードの目には涙が光っていた。
「すまんな、チュンレイ。母を亡くしたお前のほうが辛いのに」
「ううん、ライード。母さんを連れて来てくれてありがとう。まだ生きてるみたいな母さんに会えて良かった……」
チュンレイも涙声だった。
「ライード、もっと母さんの話を聞かせて」
「そうだな、今晩はずっとサルマ様の側にいよう。チュンレイも、今までの暮らしの話を聞かせて欲しい」
その夜はチュンレイとサルマの寝床の側にライードとジーマが毛布にくるまって座り、夜通し語り合った。
「父さんと母さんはとても仲が良かったんだよ。父さんは母さんに一目惚れをして連れて帰って来たんだって言ってた」
「……母さんも幸せそうだったか?」
「うん、とても。父さんが死んだ時はものすごく……悲しくて辛そうだった。でも僕ら兄妹を育てなきゃって、頑張っていろんな仕事をしてくれたんだ」
(女手一人で子供を育てることがどんなに大変か……サルマ様、あなたは結婚相手を愛し、愛の結晶である子供たちのために精一杯生きたんですね)
「ライード、母さんはどんな女の子だった?」
「そうだな、お転婆で気が強くて……でも泣き虫で笑い上戸で。とにかく喜怒哀楽の激しい、それでいて魅力的な女の子だったよ。このままじゃ嫁の貰い手がないぞ、と周りに言われてたんだがな、『いいのよ、いき遅れたらライードに貰ってもらうから』なんて言ってたな」
「父さん、サルマ様のこと好きだったのね」
ジーマがからかうように肘でつつく。
「そうなの? ライード」
チュンレイも食い付いてきた。
「違うって。ずっと成長を見守ってきた親戚の女の子のようなもんだって」
焚き火のせいで顔色はわからないけど、顔が赤くなってるんじゃないかとチュンレイは思った。
「ずっと、サルマ様は辛い生活をしているんじゃないかと思っていた。何としても探し出して救い出してあげたいと思っていたけど、いらぬ世話だったな。いい人に巡り会えていい母親になって、幸せだったに違いない。チュンレイを見るとよくわかる」
チュンレイの目に再び涙が光る。ジーマがそっと手巾で拭いてくれた。
「そうだ、チュンレイ。サルマ様がこれを子供たちにと言っていた」
小さな袋を取り出したライードは、中身をそっと出してチュンレイに見せた。それは、不思議な紋様のついた指輪と髪飾りだった。
「何だろう。初めて見る」
「これはな、チュンレイ。アンダールの王族の証だ。もう何の価値も無いと思うかもしれないが、これはお前たちとアンダールの繋がりがわかる唯一のものなんだ。大事に持っておけ。指輪は男、髪飾りは女がつける。お前たち兄妹のために取っておいたんだろう」
「ライード、僕はこれをスイランにも渡さなきゃいけない。早くスイランを見つけなきゃ」
「そうだな。明日からジーマと二人で探してみよう」
「僕も行く」
「お前はまだダメだ。その身体じゃ動けやしない。俺はどうせひと月ここに滞在して、貧しい地区の診療に回る予定だったんだ。スイランらしき子が紛れていないか聞いて回ってくる」
「任しといてよ、チュンレイ。緑の目の子なんてそうそういないんだし、きっとすぐに見つかるわ」
だがスイランは一向に見つからず、ライードたちは次の町に向かう日が来てしまった。チュンレイは一人でここに残ると言ったが、斬られた後遺症で左腕はまだ動かないのだから、仕事もできず一人で暮らしてはいけない。ライードに説得され、チュンレイは彼らと共に旅をすることになった。
「毎年この時期にはこの辺りに来ることになってる。都の東西南北を順番にしらみつぶしに探していこう。大丈夫、きっと見つかるさ」
「そうだね、ライード……スイランはきっとどこかで生きている、そんな気がするんだ」
出発の日、三人は丘のふもとに埋めたサルマの墓に花を植えていた。
「また来年、だな」
「次はもっとたくさんの花を植えるからね、サルマ様」
「母さん、僕はライードたちと行くよ……スイランは見つからなかったけど、僕は毎年ここに戻ってくる。いつまでも探し続けるから。そして、いつか必ずスイランと一緒に母さんに会いにくるからね」
荷台に荷物を積み込んだライードとジーマが待っている。チュンレイは墓石代わりの小さな石にそっと手を振って、まだ痛む身体をかばいながら二人のもとへゆっくりと歩いて行った。
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