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25 涙
しおりを挟むお茶会の日の夕刻も、リンファに花が届けられた。美しいその花を眺めながらリンファはようやくタイランに話をする決意を固めた。
「リンファ!」
タイランはいつものように急ぎ足で、黒い瞳を輝かせ束ねた美しい銀髪を解きながら入ってくる。まるで子犬のようだわ、と思わず笑みがこぼれる。飼い主に駆け寄ってくる可愛い子犬のよう。
「会いたかった」
そう言って口づけを交わすと強く抱きしめられた。
「宮城ではずっと難しい顔をしているからな。ここに来たらようやく素の自分になれる」
無邪気な笑顔に、リンファの心は揺れる。
「――どうした? リンファ。何か悩み事でもあるのか?」
いつもと違う様子を感じ取り、タイランはリンファの顔を覗き込んだ。
「何がそなたにそんな顔をさせているのだ」
「私……どんな顔をしていますか?」
「泣くのをこらえている顔だ」
駄目だ。私が泣いてはいけない。なんでもないように、ちゃんと言わないと。
「タイラン、お願いがあります」
「何だ? リンファ。何でも言ってみろ」
「後宮のお妃様たちを、もう長いこと訪れていないのはお気づきでしょう」
タイランの顔から笑みが消えた。
「もしやリンファ、妃たちから虐められたのか」
「いえ、違います。断じてそのようなことはありません」
「ではなぜ」
「あなたが良き統治をなさっているのはとても喜ばしいことです。でも、小さな不満が大きな亀裂となることもある。今、あなたが力をつけていくには貴族たちの支えが必要です。ですから、お妃様方を大事にしてくださらなくては」
タイランはドサリと椅子に腰掛けた。
「わかっている……わかってはいるのだ。私にはちゃんとした後ろ盾がない。妃の実家を頼るべきなのだとわかっている。だが」
もう一度立ち上がってタイランはリンファを抱きしめた。
「私は、そなたしか見えていないのだ。そなた一人がいてくれればそれでいいと思っている。他の妃を愛のないままに抱きたくない……。リンファ、そなたは私が他の妃を抱いてもいいと思うのか?」
リンファはぐっと涙をこらえタイランを見つめる。
「あなたは王なのです。自分の感情を抑えて振る舞わなくてはならない時があります。そして私も……あなたの妃として、心を抑えましょう。そうしなければならないのです」
二人はしばし見つめあった。睨み合ったというほうが合っているかもしれない。それほどに強い目をして見つめ合っていた。
やがてタイランがふっと目を逸らす。
「……わかった」
「タイラン、わかってくれたのですか」
「しばらくここには来ない。それでいいのだな」
「はい」
タイランは怒っている。一日の疲れを癒すために来たのに、こんな話をして怒らせてしまった。リンファはそれが辛く悲しかった。
「今日はもう帰る」
タイランはクルリと踵を返し部屋を出て行った。ビンスイが慌てて鈴を鳴らしている。正門が開く音がしてタイランの足音が遠ざかって行く。
(もしかしたら……このままタイランの愛が遠ざかってしまうかもしれない。二度と来ていただけなかったら……もう二度とあの腕に抱かれることがないのだとしたら)
昨夜の、いや今までの夜を思い出してリンファは涙をこぼした。逞しい腕、柔らかな銀の髪、甘い囁き……それらをずっと私だけのものにしていたかったのに。
「うっ……う」
リンファは寝床に突っ伏して泣いた。声を出してはいけない。ビンスイを心配させてしまう。
「ど、どうなさったのですか、タイラン様!」
ビンスイの叫びと共に大きな足音が聞こえ、リンファは顔を上げた。そして部屋の扉が開かれ、タイランが飛び込んで来た。
「タイラン……!」
タイランは寝床に伏していたリンファを抱きしめると頬にこぼれた涙を親指でそっと拭った。
「泣いていたんだな」
「タイラン、どうして……」
少し拗ねたような表情でリンファを見つめるタイラン。
「強がりのそなたの涙が見たかった。本当は、他の妃を抱いて欲しくないのだろう?」
たまらず、リンファの涙は堰を切って溢れ出す。
「せっかく……、我慢していたのにっ……なんで、泣かせるのですかっ……」
タイランは自分の胸をポカポカと叩きながら泣くリンファを愛おしそうに眺め、そっと頬に口づけをした。
「そなたの気持ちはよくわかった。辛い気持ちを抑えて、私のために言ってくれたのだな。すまない。他の妃と夜を過ごすことがあっても、私の心はそなたのものだ。待っていてくれるか?」
「はい、タイラン……あなたを信じて待っています」
その夜、二人は長い時間愛し合った。お互いのすべてを忘れないように。
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