上 下
25 / 36

母との訣別

しおりを挟む

 その翌日、仕事中の私に受付から内線が回ってきた。

「英さん、受付にお母様がいらしてます」

(……会社に来たの? てっきり帰りを待ち伏せすると思ってた)

 大丈夫、こういう場合も何度も脳内シミュレーションしてある。向こうがどう出るかわからないけどやってみよう。

「ごめんなさい、母とは会わないことにしているんです。会わない、と伝えてもらえますか?」
「……わかりました。そう伝えます」

 ふう、とため息をつくと隣の席の先輩社員が心配そうに尋ねてきた。

「英さん大丈夫? お母さんと会わないって聞こえたんだけど……」
「ええ……親同士はとっくに離婚してますし、私も縁を切ろうと思ってるんです。だから会いたくなくて」
「そう……わかるわ。私も親に悩まされているから」

 いつも優しくてきちんとしている先輩にもそんな悩みが? 意外だったけれど、優しいからこそつけ込まれてしまっているのかも、と感じた。

 再び内線が鳴る。

「ごめんなさい英さん。お母さん、会わせろって騒いでるんです。どうしましょう?」

(やっぱり、顔を出さなきゃだめね)

 深呼吸して立ち上がる。

「待って、英さん。私が代わりに行くわ」
「えっ」
「あなたは会ってはだめ。会えば取り込まれるから、私が行ってくる」
「そんな、そんなこと先輩にさせられません!」
「いいから。たまには先輩に頼りなさい」
「先輩……」
「だったら、上司にも頼ってほしいもんだな」
「課長!」

 いつの間にか経理課長が後ろに立っていた。課長は昔ラグビーをやっていただけあって背が高くがっちり。かなり圧の強い外見をしている。

「なんとなく事情は伝わってきた。どうせならゴツい男が出て行ったほうがいいんじゃないか」

 先輩は顔を輝かせて、そうよ、その手があったわと喜んでいる。

「英くん、もうお母さんは出禁ということでいいんだな」
「はい。お願いします」

 私は深く頭を下げた。課長は軽く手を上げて受付に向かう。その後ろ姿を見送って、先輩にも頭を下げる。

「……先輩、ありがとうございます」

 先輩は柔らかく微笑んだ。

「英さんはいつも一人で何でもやってしまおうとするから……まあ仕事ができるからしょうがないけど、困った時くらい、周りを使えばいいのよ?」
「はい……」

 人に迷惑をかけないことばかり気にして、浅い付き合いしかして来なかった。こんなに素敵な人たちに囲まれていることに気がついていなかったなんて、私は馬鹿だ。

 しばらくして課長は首を振りながら戻ってきた。

「課長、すみません……! どうでしたか……?」
「いやぁ、なかなか強烈なお母さんだったよ。君に会わせろ、これは誘拐だ権利侵害だと、思いつく限りの暴言を吐いていたね」
「……っ、申し訳ありません!」
「いや大丈夫。本人が会いたくないという意思を示している以上、社としては社員を守る義務がある。これ以上騒ぐなら警察を呼ぶと言ったら、ようやく帰ったよ」

 先輩が私の背中をゆっくりと撫でてくれた。落ち着いて、と囁きながら。

「本当にありがとうございます。私が言わなければならないことなのに」
「いやあ、あれはダメだね、話にならないよ。受付の子にも言っておいた。もう今後は内線を繋ぐ必要ないってね」
「……ありがとう……ございました……」


 
 たくさんの人に協力してもらって社内に入ることは阻止できた。あとは、帰り道だ。きっと来る。絶対に。

 定時に会社を出て辺りを見回す。とりあえず、見える範囲には母はいない。

(早くけりをつけないと、毎日これでは身が持たないわ)

 駅に向かって歩き始めると、どこにいたのか突然母が目の前にあらわれた。

「月葉。あんたいい加減にしてちょうだい」
「お母さん……」

 母は額に青筋を立てて怒りの表情をしている。私が一番怖かった顔だ。

「ずいぶん恥をかかせてくれたわね。親子なのに警察呼ぶとまで言われて。あんたと同じであんたの上司も常識が無いったら。相手させられて疲れ果てたわ。早くお金を出しなさい。もう帰って休みたいのよ」

 イライラした雰囲気を全身から漂わせているのもいつも通り。こうすれば私が怯えて言うことを聞くと思っているのだ。

「常識が無いのはお母さんのほうだと思うわ」
「な、何ですって?」
「娘の会社に押しかけて大騒ぎして。恥ずかしいのはこっちよ」
「あんた、いつからそんな口きけるようになったのよ!」
「もう、お母さんに対して我慢するのやめたの。今後一切会わないわ」

 すると母はますます顔を真っ赤にして怒り出す。

「何て親不孝なんだろう! 大学まで出してやったのに、恩知らず!」

 私ははーっと大袈裟なため息をついてみせた。

「学費を出してくれたのはお父さん。お母さんじゃない」
「あんたを大きくなるまで育ててやったわよ!」
「ご飯作ってくれてたのもお父さんだし、小学校高学年になってからは私が家事を担ってたよね。お母さんは何もしてなかった。産んでくれたことだけは感謝してるけど、それ以外はマイナスばかりだわ」
「つ、月葉!」

 母が右手を振り上げた。平手打ちしようとしているのだ。殴られる、と思った瞬間私は左手を出して母の手を掴んだ。

(……えっ?)

 母も、驚いた顔をしていた。こんなにあっさり私に防がれると思わなかったのだろう。

(急にお母さんが小さく見えてきた……今なら、言える。私の気持ち)

「お母さん。私は、ずっと陽菜に比べて可愛くないって言われて辛かった。愛してもらえなくて、離婚の時もあんたはいらないって言われて、自分に価値を見出せなくなってた。でももういい。お母さんの評価は必要ない。私の人生にもう金輪際関わってこないで」
「こっ、このっ……! 母親にこんな態度を取っていいと思ってるの! こっちこそ、あんたみたいな可愛げのない子はいらない! もう顔も見たくないわ!」
「どうぞご自由に」

 それだけ言って母の横をすり抜け、駅へと歩き出した。追いかけてくるかと思って背中に神経を集中していたけれど、それはなかった。

 足が震えている。涙も出そうだ。でも私は泣かない。

(言いたいことは言った。もう母のことは考えるのをやめよう。私は、私を大事にしてくれる人たちを大切にしていく)

 お父さん、おばあちゃん、会社の人たち、そして悠李。私にとって必要で、大好きな人たち。

 過去と離れ未来が明るくなった気がして、私は顔を上げて駅へと向かった。




「……月葉!」
「悠李⁈」

 駅の方角から悠李が走ってきていた。人の流れをうまく避けながら私の目の前に現れる。

「大丈夫だった?」
「うん、今ね、ちゃんと別れてきたよ……」

 私が笑うと、悠李がぎゅっと抱きしめてくれた。

「よく頑張った、月葉……」
「うん……ありがと……」

 悠李はタクシーを拾い、そのまま家へと向かった。車内で私は今日のことを全て話して聞かせる。

「そうか……会社の人に感謝しなきゃいけないな」
「ええ。おかげですごく勇気が出たの。その後母に会った時も、強く言うことができた」
「ちゃんと断ることができたのは本当に良かった。搾取できると思っていた相手から反撃されるのは、きっとダメージが大きかったと思うよ」
「ありがとう、悠李。あなたがあの時ハッキリ言ってくれたから私も一歩踏み出せた。本当に感謝してる」

 タクシーの中で手を重ね、私は悠李を見つめた。そして小声で囁く。(……愛してる……)
 悠李も耳元で呟いた。(俺も、愛してるよ……)

 街の灯りが流れていく。私たちは指を絡めお互いの熱を感じながら、早く家に帰ることだけを考えていた。
 
 

 
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

身分差婚~あなたの妻になれないはずだった~

椿蛍
恋愛
「息子と別れていただけないかしら?」 私を脅して、別れを決断させた彼の両親。 彼は高級住宅地『都久山』で王子様と呼ばれる存在。 私とは住む世界が違った…… 別れを命じられ、私の恋が終わった。 叶わない身分差の恋だったはずが―― ※R-15くらいなので※マークはありません。 ※視点切り替えあり。 ※2日間は1日3回更新、3日目から1日2回更新となります。

わたしは婚約者の不倫の隠れ蓑

岡暁舟
恋愛
第一王子スミスと婚約した公爵令嬢のマリア。ところが、スミスが魅力された女は他にいた。同じく公爵令嬢のエリーゼ。マリアはスミスとエリーゼの密会に気が付いて……。 もう終わりにするしかない。そう確信したマリアだった。 本編終了しました。

若社長な旦那様は欲望に正直~新妻が可愛すぎて仕事が手につかない~

雪宮凛
恋愛
「来週からしばらく、在宅ワークをすることになった」 夕食時、突如告げられた夫の言葉に驚く静香。だけど、大好きな旦那様のために、少しでも良い仕事環境を整えようと奮闘する。 そんな健気な妻の姿を目の当たりにした夫の至は、仕事中にも関わらずムラムラしてしまい――。 全3話 ※タグにご注意ください/ムーンライトノベルズより転載

幼馴染はファイターパイロット(アルファ版)

浅葱
恋愛
同じ日に同じ産院で生まれたお隣同士の、西條優香と柘植翔太。優香が幼い頃、翔太に言った「戦闘機パイロットになったらお嫁さんにして」の一言から始まった夢を叶えるため、医者を目指す彼女と戦闘機パイロットを目指す未来の航空自衛隊員の恋のお話です。 ※小説家になろう、で更新中の作品をアルファ版に一部改変を加えています。 宜しければ、なろう版の作品もお読み頂ければ幸いです。(なろう版の方が先行していますのでネタバレについてはご自身で管理の程、お願い致します。) 当面、1話づつ定時にアップしていく予定です。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

【R18】深層のご令嬢は、婚約破棄して愛しのお兄様に花弁を散らされる

奏音 美都
恋愛
バトワール財閥の令嬢であるクリスティーナは血の繋がらない兄、ウィンストンを密かに慕っていた。だが、貴族院議員であり、ノルウェールズ侯爵家の三男であるコンラッドとの婚姻話が持ち上がり、バトワール財閥、ひいては会社の経営に携わる兄のために、お見合いを受ける覚悟をする。 だが、今目の前では兄のウィンストンに迫られていた。 「ノルウェールズ侯爵の御曹司とのお見合いが決まったって聞いたんだが、本当なのか?」」  どう尋ねる兄の真意は……

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

処理中です...