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待ち人

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 ある日の終業後。いつものように定時に会社を出た私は、大通りに出たところで呼び止められた。

「月葉」
「……真吾⁈」

 心なしか以前より暗い顔をしている。何かあったんだろうか。

「どうしたの……こんなところで」
「月葉に連絡取れなくなってるからさ……直接会いに来た」

(それは……ブロックも着拒もしてるから)

「だからって会社の前で待たれても困るんだけど……」
「ごめん……ちょっと、店で話さないか」

 断れそうな雰囲気ではなかったので、とにかく聞くだけと思って近くの喫茶店に入ることにした。

「実は……美音が流産したんだ」

(えっ……流産?)

「それで今ひどく落ち込んでいて……ずっと実家で休んでる」
「それは……何と言ったらいいのか……」

 あの時の彼女の強い目を覚えている。若くて可愛いだけじゃない、母になった強さを感じていた。

「それで……俺、どうしたらいいのかわからなくて」
「どうしたらって、そんなの決まってるじゃない。今彼女はとても傷ついているはずよ。私には何の経験もないけど、体も辛いだろうし心も……喪失感がすごいと思う。だからこそ、真吾の支えが必要なんでしょう? 私に会いに来る時間があるなら、彼女の側にいてあげなくちゃ」

 甘えたことを言ってる真吾に少し腹が立って、きつめの口調で言った。私が真吾にこんな口のきき方をしたことはほとんどない。今回と、あとは別れ話の時くらいだ。

「もちろんそのつもりだったさ。だけど、美音に泣きながら告白されたんだ。あの妊娠は、美音が仕組んだものだったって」
「仕組んだ?」

 真吾は下を向いたまま頷いた。

「でき婚に持ち込めばいいという会社の先輩のアドバイスで、ピルを飲んでると嘘をついていたんだ。そうやって作った子供だからバチが当たったんだって本人は言ってる」
「子供ができたから責任を取らなくちゃと思ったのに、俺は嵌められて月葉と別れることになった。そう思うと許せなくて」
「結婚するなら月葉と、ってずっと考えてた。もう子供がいないのなら、俺は美音と別れてもう一度月葉とやり直したい」

(何を今さら……私と結婚なんて、全然する気なかったくせに)

「嵌められたなんて言うけど、子供ができるようなことをしてたのは事実でしょう? 彼女がピルを飲んでいたって、あなたも避妊をちゃんとすればよかったのよ。そうしなかったのだからあなたにも責任はあるわ」

 真吾は唇を噛んで悔しそうだ。私に反論されるとは思っていなかったのかもしれない。

(もしかして、結婚をちらつかせれば私が喜んでよりを戻すと思っていたの? そして、今度は私に付き添ってもらって彼女に別れ話をしに行くつもりだったんじゃないの?)

 真吾がこんな人だったなんて。私は若い彼女が可哀想に思えてきた。

「だけど月葉。お前ももう28歳だろ? これから結婚相手を探すのだって大変じゃないか。だって、俺と付き合うまで誰とも付き合ってなかっただろ」

(私が25歳で処女だったのを知ってるから……馬鹿にしてるのね)

 その時、タイミング良く私のスマホに通知が来た。悠李が、仕事が終わったからご飯を食べに行こうと誘っている。私は微笑んで返信をした。

「真吾、私、今お付き合いしている人がいるの」
「嘘だろ? まだ俺と別れてそんなに経ってないのに」
「時間の長さなんて関係ないわ。すごく誠実で信頼できる人なの」

 私はコーヒー代を置いて立ち上がる。

「ちょっと待てよ、月葉」

 真吾も慌てて伝票を持って追いかけてきた。喫茶店を出たところで後ろから腕を掴まれる。

「待てってば」
「ちょっ……離してよ」
「彼氏なんて嘘だろ。そう言えば俺が引き下がると思って」

「嘘じゃないから引き下がってもらおうか」

 聞きなれた高めの声が聞こえた。

「悠李!」

 悠李はすぐに真吾の腕を引き剝がし、私の肩を抱いた。

「俺の大事な月葉に触らないでくれるかな。穢れるから」

 そう言って、真吾が掴んでいた部分を手でパッパッとはたいた。

「な、なんだよお前」
「月葉の彼氏だけど何か。ああ、一応名乗っておこうか。こういう者です」

 悠李が差し出した名刺を見て真吾の顔色が変わる。エブリ監査法人は誰でも知っている大企業だから。

「今後いっさい月葉に近寄らないでくれ。もしまたこんなことをしたら許さない」

 真吾は助けを求めるような視線を私に送ってきていた。悠李は真吾より背が高く身体も逞しい。手を出されたらひとたまりもないと真吾が感じているのが手に取るようにわかった。
 私はふうとため息をつく。

「真吾、二度と会いに来ないで。それと、美音さんのこと、ちゃんと誠実に対応してあげてね」

 その間も終始怖い笑顔で真吾から視線を外さない悠李。綺麗な人の、目だけ笑ってない笑顔がこんなに怖いものだとは知らなかった。

「くそっ……わかったよ」

 そのまま真吾は足早に駅へ向かって立ち去っていった。

「ありがとう、悠李」

 すると悠李は怖い顔をすぐにふにゃっと緩めて、私を抱きしめてきた。

「良かった、月葉。間に合って……」

 実は正式にお付き合いをすると決まった時、お互いの位置情報がわかるよう、スマホの設定をしておいた。
 言い出したのは悠李なんだけど、ものすごくおずおずと、『月葉が嫌ならやめておくけど……』って。私は気にしてないのですぐに了承した。待ち合わせにも便利だと思ったし。

 さっき悠李から連絡が来た時、私は『元カレと喫茶店にいるので迎えに来て』と返信したのだ。悠李が、私の会社の近くまで来ているのが位置情報でわかったから。

「設定しておいてよかったわ、ホントに」
「俺、気が気じゃなかったよ。それにしても月葉の腕に触るなんて、あいつ、許せねえ」
「じゃあ悠李の腕で消毒しよっかな」

 そう言ってぎゅっと腕を組むと、悠李は顔を真っ赤にしてしまった。

「月葉……なんか当たってる……」

(ふふっ、悠李……可愛いな)

「だって、当ててるんだもん」

 顔を見合わせてくすっと笑った私たちはすぐに真吾のことを頭から消し、どこでご飯を食べようかと話し合いを始めた。
 
 
 

 

 
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