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53 旅立ち
しおりを挟む七月、留里さんは産休に入った。それまでの間に仕事のマニュアルをわかりやすくまとめ、知那美ちゃんをビシビシ鍛えてくれて本当に助かった。やはり、留里さんはいなくてはならない存在だ。
空いたままの隣のデスクがふと寂しくなるけれど、パワーアップして帰ってくる留里さんを楽しみに待っていよう。
私と蒼の間にも変化が訪れている。
まずは、婚約の挨拶のため私の実家に来てくれた。私と好みが似ている母は蒼を見て舞い上がり、家にある全てのお菓子をテーブルに並べたりしてはしゃいでいる。
一方、物静かな父は私のすることをいつも見守って応援してくれていた。
「お前が選んだ人なんだから俺たちがどうこう言うことはないよ。幸せにおなり」
そう言って、結婚を許してくれたのだ。
「はい、必ず二人で幸せになります」
幸せにします、って言わないところが蒼の好きなとこだ。幸せってお互いで積み上げていくものだと思うから。
その後、蒼のご両親にはリモートでご挨拶。キャロルがいてくれたから話も通じていたし、とても明るくて素敵なマイクとパワフルなお母さまとの会話は弾んで楽しいものだった。
「おめでとう! いい人が見つかって良かったわね、蒼! あ、籍はどっちでもいいわよ! 苗字を残すとかそんなこと考えてないから!」
まとまった休みが取れたらそっちへ行くね、と蒼が約束して挨拶を終えた。
「とても楽しいご家族ね。まあ、キャロルを見てたらわかるけど」
「うん、俺も気に入ってる。咲桜のご両親とも仲良くやっていきたいな。そうだ、一度アメリカにご両親も連れて行こう」
「ええっ、ホント? パスポート取るところから始めなきゃだわ」
二人とも海外には行ったことがないのだ。
「楽しみが目白押しだな。なあ咲桜、もう籍を入れに行かないか」
「えっこんなに急に? 何の日でもないわよ、今日」
「いいじゃん。今最高に幸せなんだからさ」
そうは言っても日本人ならやっぱり気になる六曜カレンダー。見てみると今日は仏滅。
「蒼、今日はやめとこうよ。せっかくなら良い日がいいもん」
「そうだな。咲桜がそう言うならそうしよう。まあ、他にも決めることいろいろあるもんな。ごめん、俺、焦っちゃって」
「ううん、嬉しい。早く入籍したいって思ってくれてることが」
それから二人で話し合い、姓は藤森にすることにした。『藤森咲桜』ってすごく綺麗なんじゃないかって、中学生の頃一人で妄想していたのだ。(今思えば痛い子だけど、まあ中学生だから……)
私の両親は、一人娘という時点でもう覚悟を決めていたそうだ。
「父さんは次男だから守る墓も無い。だから母さんと二人で入る永代供養の墓を実は購入済みだ。遠慮しないで好きなようにしなさい」
「ありがとう、お父さん。姓が変わっても私はずっと二人の子供だからね」
電話の向こうで父が微笑んだ気がした。
七月十二日、大安に私たちは二人で入籍届を提出した。この日は蒼の誕生日。何でもない日に出すくらいなら、せっかく大安なんだし! とこの日に決めてもらった。
「これで毎年結婚記念日も忘れないね。蒼のお誕生日と合わせて盛大にお祝いしなきゃ」
「だったら咲桜の誕生日にすればよかったなぁ」
「だって、私の誕生日だけでも蒼は盛大に祝ってくれるじゃない?」
「それもそうか。咲桜の誕生日は、咲桜がこの世に生まれてきてくれたお祝いの日だもんな、毎年楽しみにしてて」
「ふふっ、ありがとう」
こんなにも妻を大事にしてくれる男性っているのかな? いまだに夢じゃないかと思うことがある。目が覚めて隣に亮太がいたりしたら……
(怖い怖い。考えるのやめよ)
絶対に夢じゃないんだから。ここにある幸せをちゃんと見つめて生きていこう。
そして秋。蒼は支社長としての任期が終わり、アメリカに帰ることになった。
私はというと、ついて行かずに日本に残ることになった。
「まだやり残したことがあるの。留里さんが戻ってくる体制も整えておきたいし」
「そうだな。咲桜ならきっとそう言うと思ってた。大丈夫、アメリカなんて近いさ。会いに帰ってくるから、何度でも。クリスマスにはご両親と一緒に咲桜が来てくれるし」
ずいぶん遠い遠距離恋愛だけど、私たちなら大丈夫。そう思って決めたのだ。
一緒に住んでいたマンションの部屋は蒼が買い上げ、私たちのものになった。私はここで、蒼を待つことになる。
出発の日、空港には見送りに行かなかった。蒼が、心配だから来ないでと言うのだ。
「咲桜が大泣きして空港に立ち尽くしているのを想像するだけで悲しくなる」
って。そんな、子供みたいに思われてるのだろうか。
でも本当を言うと私もそのほうがいい。絶対に泣くし、寂しすぎて電車でもずっと泣くだろうし、ここまで戻って来れる自信がない。
玄関で、じゃあまた……って見送ったほうがいいんじゃないかと思ったのだけれど……ドアが閉まった途端に私は泣き崩れた。昨夜遅くまで愛され、蒼の大きなTシャツを着ただけの姿で廊下にへたり込んだ。
(やっぱり空港に行けばよかった……)
すると鍵の開く音。びっくりしてドアを見ると蒼が入ってきた。
「蒼⁉︎」
蒼は私をひょいと抱き上げて立たせると、ギュッと抱きしめた。
「咲桜が泣いてる気がしたんだ。だから、慰めに戻ってきた」
「もう……蒼……ったら……」
そして熱いキス。ゆうべもお互いを貪り合ったのに、まだ足りないのだ。舌を絡め、身体が一つになっていくような恍惚感に身を委ねる。
蒼が唇を離した時、二人の間を銀の糸が繋いでいた。
「咲桜。必ず戻ってくるから。待っていてくれ」
「ええ、蒼。待ってるわ……」
そして今度こそ、蒼は旅立って行った。
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