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弦月の祈り
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ハクがアレスに乗って飛んでいった後、アイナは一人で宿に戻った。宴会はほぼ終わっており、酔い潰れたトーヤ達は既にイビキをかいて眠っていた。
後片付けをしているエマを手伝ってから、アイナはひんやりしたベッドに潜り込んだ。
「もう本当にいないんだな……」
いつもなら背中に感じるハクの温もりが、今はもう無い。アイナはエマに聞こえないように泣きながら眠りについた。
翌朝、次の町に向けて出発しようとした時、ハクの不在にエマが気づいた。
「アイナ! ハクはどうしたの? またどこか行ってるの? 早く連れておいで」
「ああ、母さん……実は、ハクはもういないのよ」
「いない? いないってどういうこと?」
「えーとね、昨日可愛い雌犬に出会ってそれで、二匹でどこか行っちゃった」
随分と苦しい言い訳である。
「いきなりいなくなっちゃうなんて。それに、野良になっちゃったらご飯ちゃんと食べれるのかねえ」
エマにとってもハクは大切な家族だったから心配なのだ。
「そんなに心配しなくても平気だよ、母さん」
アイナの兄のセヴィが見かねて話に割り込んできた。
「アイツ、フラフラと出掛けていっては屋台や酒場の客に愛想振りまいてさ、ちゃっかり食い物貰ってたんだぜ。アイツならどこ行っても食いっぱぐれることないよ」
「そうそう! そうよ、母さん。心配しないで」
「そうかい? ……なら、いいけど。本当に出発していいのかい?」
「うん、大丈夫。ハクはもう、戻ってこないから」
「だってお前、あんなに可愛がっていたハクが居なくなったのに……随分あっさりしてるねえ……」
「お別れはしたからもういいの!さ、出発しようよ。きっとハクは幸せに生きていくよ」
アイナは努めて明るく言って、エマに出発を促した。
「わかったよ。アイナがそう言うんならね。じゃあみんな、出発するよ。次の町までは一週間の旅だからね」
そしてようやく一座の馬車は連なって出発した。
アイナ達が次に訪れたのは、アルトゥーラと国境を接したモラーノ共和国の、ペスカという町だった。
以前はアルトゥーラと盛んに行き来していたそうだが、クーデター以来、警備が厳しいので表立っては往来がない。だが住民達はこっそり国境を抜けて商売しているらしい。
「アルトゥーラは今は物資が無いからね。何を持って行っても売れるんだよ」
行商人の男が、宿の中庭でエマと話し込んでいた。今回の滞在中に必要な食料や衣装用の布などを売りに来たのである。アイナは気になって、手伝うふりをしながら聞き耳をたてていた。
「でな、先週のことさ、クーデターの時に行方不明になっていた王子様が、アルトゥーラに突然戻ってきたんだと」
「へえ、そうかい。五年前、王様が殺されたクーデターだね。あの時は私らもちょうどアルトゥーラにいて、逃げ出すのに苦労したんだよ」
「今、アルトゥーラはこの話でもちきりさね。銀色の髪をした美しい王子様が青い龍に乗って現れて、乾いた畑に雨を降らしなさったんと。それを見たアルトゥーラの民は、生き神様だと涙を流して喜んだんだってよ」
「それ、ホント?」
アイナは思わず大声を出して行商人の男に詰め寄った。
「どうしたんだいアイナ、急に大声で」
「あ、いや、行方不明の王子様が生きてたのかー、なんて思って……」
「そうなんだよ、お嬢ちゃん。軍は死んだと発表していたんだがね、亡骸はなかったという噂があってねえ。民衆はもしかして、と希望を捨てていなかったらしいよ」
「それで、それからどうなったの?」
「雨を降らせてもらった土地の領主様は、『やはりこの方が我らの王だ』と言って、王都から来ていた軍の奴らを追い出したんだと。地元の兵士達は皆、偉そうな軍の上層部を嫌ってたからなあ」
「じゃあ、すぐに政権を取り戻せるかな?」
「おやまあ、アイナ、そんなにアルトゥーラに関心があったっけねえ……?」
エマが不思議そうに首を捻っていた。
「いいじゃないか奥さん、関心を持つのはいい事さあ。それに、すごいイケメンだっちゅうから若い女の子にはたまらんだろ」
「ち、違います! そんなんじゃないから! 」
アイナは真っ赤になって反論した。男はワッハッハと大声で笑うと急に真面目な顔になって、
「いや、ここだけの話、アルトゥーラはまた政権がひっくり返るね。みんな言ってるさ。この五年、悪くなるばかりでいい事は何にもなかったって。みーんな王様に寝返って、すぐに王都に入城なさるだろうよ」
「そうかい。そうだねえ、またアルトゥーラにお芝居を見せに行きたいものねえ。元の平和で豊かな国に戻ってくれるとありがたいよ」
その夜、アイナは窓を開けアルトゥーラの方角を見つめながら考えていた。
(ハクはもう、自分のやるべき事を始めてる。私も寂しがってばかりじゃダメだな。次会う時に、成長した私でいなきゃ)
「お月様、どうかハクが無事に王都に入れますように……」
弦月に向かってアイナは祈りを捧げた。
後片付けをしているエマを手伝ってから、アイナはひんやりしたベッドに潜り込んだ。
「もう本当にいないんだな……」
いつもなら背中に感じるハクの温もりが、今はもう無い。アイナはエマに聞こえないように泣きながら眠りについた。
翌朝、次の町に向けて出発しようとした時、ハクの不在にエマが気づいた。
「アイナ! ハクはどうしたの? またどこか行ってるの? 早く連れておいで」
「ああ、母さん……実は、ハクはもういないのよ」
「いない? いないってどういうこと?」
「えーとね、昨日可愛い雌犬に出会ってそれで、二匹でどこか行っちゃった」
随分と苦しい言い訳である。
「いきなりいなくなっちゃうなんて。それに、野良になっちゃったらご飯ちゃんと食べれるのかねえ」
エマにとってもハクは大切な家族だったから心配なのだ。
「そんなに心配しなくても平気だよ、母さん」
アイナの兄のセヴィが見かねて話に割り込んできた。
「アイツ、フラフラと出掛けていっては屋台や酒場の客に愛想振りまいてさ、ちゃっかり食い物貰ってたんだぜ。アイツならどこ行っても食いっぱぐれることないよ」
「そうそう! そうよ、母さん。心配しないで」
「そうかい? ……なら、いいけど。本当に出発していいのかい?」
「うん、大丈夫。ハクはもう、戻ってこないから」
「だってお前、あんなに可愛がっていたハクが居なくなったのに……随分あっさりしてるねえ……」
「お別れはしたからもういいの!さ、出発しようよ。きっとハクは幸せに生きていくよ」
アイナは努めて明るく言って、エマに出発を促した。
「わかったよ。アイナがそう言うんならね。じゃあみんな、出発するよ。次の町までは一週間の旅だからね」
そしてようやく一座の馬車は連なって出発した。
アイナ達が次に訪れたのは、アルトゥーラと国境を接したモラーノ共和国の、ペスカという町だった。
以前はアルトゥーラと盛んに行き来していたそうだが、クーデター以来、警備が厳しいので表立っては往来がない。だが住民達はこっそり国境を抜けて商売しているらしい。
「アルトゥーラは今は物資が無いからね。何を持って行っても売れるんだよ」
行商人の男が、宿の中庭でエマと話し込んでいた。今回の滞在中に必要な食料や衣装用の布などを売りに来たのである。アイナは気になって、手伝うふりをしながら聞き耳をたてていた。
「でな、先週のことさ、クーデターの時に行方不明になっていた王子様が、アルトゥーラに突然戻ってきたんだと」
「へえ、そうかい。五年前、王様が殺されたクーデターだね。あの時は私らもちょうどアルトゥーラにいて、逃げ出すのに苦労したんだよ」
「今、アルトゥーラはこの話でもちきりさね。銀色の髪をした美しい王子様が青い龍に乗って現れて、乾いた畑に雨を降らしなさったんと。それを見たアルトゥーラの民は、生き神様だと涙を流して喜んだんだってよ」
「それ、ホント?」
アイナは思わず大声を出して行商人の男に詰め寄った。
「どうしたんだいアイナ、急に大声で」
「あ、いや、行方不明の王子様が生きてたのかー、なんて思って……」
「そうなんだよ、お嬢ちゃん。軍は死んだと発表していたんだがね、亡骸はなかったという噂があってねえ。民衆はもしかして、と希望を捨てていなかったらしいよ」
「それで、それからどうなったの?」
「雨を降らせてもらった土地の領主様は、『やはりこの方が我らの王だ』と言って、王都から来ていた軍の奴らを追い出したんだと。地元の兵士達は皆、偉そうな軍の上層部を嫌ってたからなあ」
「じゃあ、すぐに政権を取り戻せるかな?」
「おやまあ、アイナ、そんなにアルトゥーラに関心があったっけねえ……?」
エマが不思議そうに首を捻っていた。
「いいじゃないか奥さん、関心を持つのはいい事さあ。それに、すごいイケメンだっちゅうから若い女の子にはたまらんだろ」
「ち、違います! そんなんじゃないから! 」
アイナは真っ赤になって反論した。男はワッハッハと大声で笑うと急に真面目な顔になって、
「いや、ここだけの話、アルトゥーラはまた政権がひっくり返るね。みんな言ってるさ。この五年、悪くなるばかりでいい事は何にもなかったって。みーんな王様に寝返って、すぐに王都に入城なさるだろうよ」
「そうかい。そうだねえ、またアルトゥーラにお芝居を見せに行きたいものねえ。元の平和で豊かな国に戻ってくれるとありがたいよ」
その夜、アイナは窓を開けアルトゥーラの方角を見つめながら考えていた。
(ハクはもう、自分のやるべき事を始めてる。私も寂しがってばかりじゃダメだな。次会う時に、成長した私でいなきゃ)
「お月様、どうかハクが無事に王都に入れますように……」
弦月に向かってアイナは祈りを捧げた。
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