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拳塔町に行くの巻

提案

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 正直、赤湖せきこからその計画を聞いたときは緑池ろくいけじゃないが、くだらんこといい出しやがってと思った。もちろん、それは黄沼こうぬまも同じだった。というか、こいつがいちばん文句をブーたれていた。もっともそれは、なぜか赤湖の計画を面白がった桃姐ももねえが赤湖を手伝ってやったらカレー大盛りを好きなだけ食べていいとかいい出すまでで、それ以降はいちばん張り切っていたが。
「おお、完成したかー。やっぱいいねえ、リングは。ムラムラしてくる」
 桃姐が入ってくるなり、歓声を上げる。ヘソ出しのTシャツに食い込みの激しい切りっぱなしショートデニムのシンプルだが、露出度が高い格好はスタイルのいい桃姐にはよく合っている。バレッタで押さえた後ろ髪から覗くうなじも、悪くない。
「だろ?」
 赤湖が自慢げに赤コーナーによりかかる。
 高校卒業後、夢を叶えるために都会へ行くことを身内から反対されつつも、なんとか専門学校を出ることを条件に果たし、そして敗れて帰ってきたときのこいつは死んだようだった。詳しい内容はあえて聞かなかった。ただ、あれだけ能天気で愚痴も泣きごとも口にすることは決してなかった赤湖の悲壮感たっぷりな背中を見ていると、よほどのことがあったんだなとは理解できた。
 本来の姿を取り戻すまでかかった時間は約三ヶ月。二年間、向こうで何があったのかは知らないが、傷ついた心を癒すのにかかった時間にしては安いものだろう。
 だから拳塔町を盛り上げるイベントを思いついたと目を輝かせながら話し出したときは、たとえくだらない内容であっても最後まで付き合うつもりでいたし、桃姐もそこは汲み取ってくれたんだと思う。
 そしてその内容は本当にくだらなかった。
 〈ノックアウト・イン・ケントウタウン〉
 1ラウンド中に赤湖をKOできたら商品が貰える、というものでボクシング経験のある赤湖はいっさい手は出さないというごくシンプルなものだった。
 ただ動機が「水着ギャルを間近で見たい、クリンチを駆使すればギャルを正々堂々と抱きしめられる」というのだから黄沼たちがふざけるなと怒り出すのも無理はないだろう。実際、俺も呆れ果てたが、そんなくだらないことを大真面目に話すこいつをみているうちにどうでもよくなってしまった。なにより、どんなことでも最後まで付き合うと決めたのだ。桃姐だけは終始大笑いしていたが。
「商品ってなに出すのか決めてんのか」
 二本目のスポーツドリンクに手を出した緑池が不機嫌そうな顔を赤湖に向けた。俺たちの中じゃいちばん洒落っ気があり、そっち方面にせっせと金を使っている。今着ているどこぞのブランドらしいTシャツも万近くしたらしい。
 三枚組で千円もしないTシャツを普段から愛用している黄沼は異端者でも見るように絶句していたのが印象的だった。
「んー、あれだ、ホテル宿泊券とか大型液晶テレビとかを予定している」
「予定……してる、だけだろ」
 いちばん動いていた黄沼が息も絶え絶えに罵る。精も根も尽き果てたのか、ふうふういいながら大の字で伸びている。肥満体にはさぞかしいい運動になっただろう。
「参加料はどうなってる」
女の子ギャルは無料だ、もちろん」
 俺の問いに胸を張って即答する。
「さすがフェミニスト、ぶれないな」
 桃姐は心底、感心しているようだ。
「男はどうするんだ?」
 聞くのもうんざりといった体で黄沼が声を張る。
ヤローは一律十万円頂きます」
「露骨すぎんだろ!」
「あっはははははは!」
 黄沼と緑池の怒鳴り声と桃姐のバカ笑いが室内を震わせる。
 桃姐は俺たちの先輩で学生の頃から親父さんのやっている海の家「おくしす・ひまんてす」で手伝いをしている。学生時代は本名である桃海おうみ先輩と呼んでいたが、卒業後はもう「先輩」じゃないからとそう呼ばれるのを嫌がり、俺たちは桃姐で統一していた。
 目に涙を浮かべながら桃姐は長机に並んだボクシンググローブを吟味し出した。
 赤いのを中心に、ピンク、ブルー、イエロー、グリーン、どこで売ってるのか、ゴールドやシルバーのグローブなんてのまである。桃姐が提供したグローブもいくつか混じってる。全部紐タイプなのは、赤湖のこだわりだ。
「面ファスナーは着脱こそ楽だが、如何せん安っぽくていけねえ。やっぱりボクシングのグローブは紐じゃなきゃな。締めたときの高揚感っつーのか、いかにもこれから一戦交える、いざ尋常に勝負って気がするだろ」
 いつだったかそんなことを熱く語っていたが、ボクシングのグローブに対してそこまで熱心に語れる人間はそうはいないだろう。
「へえ、けっこう揃ってるじゃない」
 赤湖は近々地元でジムを開くつもりのようで、組み終わったばかりのリングを含めて貯金をはたいて買え揃えたようだ。むかしから頼ることはなかった地主の親父さんに頭まで下げて残りの資金を借りたことを考えると、こいつなりに本気なんだろう。
 桃姐はいちばん自分の手に馴染んでるだろうピンクのグローブと赤×白のロングのリングシューズを選び、バンテージを一組つかんで巻き始める。
「赤湖、久しぶりに一発やろうぜ」
 リングを眺めているうちに我慢できなくなったんだろう、シューズを履き終えると、グローブをはめて手首を俺に差し出してきた。
青川せいかわ、お願い」
 学生時代から桃姐はグローブをはめるとき、必ず紐タイプを選び、そのたびに結んで欲しいとねだってきた。むかしとまるで変わらない。Tシャツの下からツンと出ているふたつの小さな突起が下着を付けていないことを物語っている。目を逸らして、紐の両側をつまむとご要望通り、固く巻きつける。
 赤湖の方は緑池が世話をしていた。
「赤湖、ヘッドギア付けろよー」
「……桃姐も付けるんだよな」
「あたしは付ける・・・のが嫌いなんだ、ボクシングでもセックスでも」
 こういうあけっぴろげなところは桃姐の魅力でもあり、欠点でもある。強面な見た目とは裏腹に純情な赤湖は若干、顔が赤くなっている。緑池曰く、童貞は間違いないらしい。そういう緑池も童貞だそうだが。
「じゃあ、俺も付けねえ。生が好きなんだ」
「真っ赤な顔してなにいってんだ、サクランボーイ」
 グローブの装着が済んだ桃姐は感触を楽しむかのようにバシバシと付き合わせた。久しぶりの一戦を前に気分が高揚してるんだろう、かなりうれしそうだ。
 カンカンと渇いた音を立てながら階段を上がり、ロープを割って颯爽とリングに臨場した桃姐はどこから見てもボクサーだった。青コーナーにゆったりと背中を預けたその横顔は海の家で忙しなく働いているときとはまた違った魅力にあふれていた。
「ヘッドギアなしはあんたの勝手だけど、容赦するつもりはないからな。覚悟しとけ」
「そりゃこっちのセリフだ。女だっつても手加減しないからな」
 桃姐相手に手加減することはイコール死を意味する。
 そもそも俺たちにボクシングを教えたのは桃姐だ。いったいどこで、誰から教わったのか不明だが、小さい頃から腕っぷしが強かった桃姐はその性格と趣味から同性と遊ぶよりも、いつの間にか俺たちの師匠的存在になっていて、気がついたらボクシングが身についていた。とどめは長いこと新入部員もなく廃部扱いだった学校にボクシング部を復活させ、初代女子部長になったことで、今や母校では語り草だ。学生アマチュア時代は一発で相手をKOしまくった挙句、あまりの強さに対戦相手がいなくなったのでやむなく選手生命に終止符を打ったとか、噂を聞きつけた他校の男子が非公式で試合を申し込んできて、全員を秒殺、血祭りに上げたとか、元プロボクサーを名乗る屈強な流れ者をたった二発で伸して「あたしのストレートを浴びて一発で倒れないのは驚いたね」とかふざけたセリフをしれっと吐いたとかどこまで本当なのかあやしい話は枚挙に暇がない。
「黄沼、いつまで寝てんだ。さっさと起きてゴング鳴らしな」
「……う、うーっす」
 桃姐の言葉は絶対だ。のろのろ起き上がった黄沼は小槌を手にした。
「いくぞー」
 耳を劈くような震えを伴った硬質で澄んだ金の音が徐々に小さくなる中、桃姐がシューズがきゅっと音を立ててキャンバスを蹴り上げ、あっという間に赤湖の正面に躍り出る。
 迎え撃つカタチになった赤湖の大振りな右フックをダッキングでやり過ごした桃姐はそのまま赤湖の懐に潜り込むと、がら空きのボディに左フックを放った。
 バランスを崩しながらも打ち込んだ赤湖のカウンター狙いの左はしかし、桃姐の狡猾なガードの前に不発に終わる。
 桃姐のグローブがぎゅっと鳴る。勝負はもう、ついたも同然だった。
 自分を狙ってきた左のカウンターを振り払うように、桃姐の凶悪な右ストレートが赤湖の顔面を捉えると、そのままめり込み、無残に破壊する。
 キャンバスに赤湖が倒れると、土台に敷かれた板が軋んで揺れた。
「だからいったろ、ヘッドギア付けろって。付ける・・・のは男の義務だぞ、覚えとけ」
 悠々と青コーナーに帰ってきた桃姐は俺を見つめて、くいっとあごでリングを示した。
 上がれ。そう目がいっていた。
「俺は……パス」
 桃姐の目には何も浮かんじゃいなかった。俺が苦手な目だ。
「おーい、緑池、黄沼。次はあんたら相手しろ」
「か、勘弁してよ、俺たち赤湖や青川と違って、素人同然なのに」
 緑池の嘆きにも桃姐は耳を傾けることなく、さっさとリングに上がれと冷たくいい放つだけだった。
 伸びている赤湖をリングから降ろすと、ヘッドギアとグローブを手にする。
「お前がパスしたから、こっちにお鉢が回ってきたじゃないか」
「とばっちりだ」
 恨みがましい緑池たちの視線を受けながら、ふたりにヘッドギアとグローブを装着する。
 緑池は俺がパスしたからとはいっていたが、仮に俺が受けたとしても、順序が早いか遅いかの違いだけで、どのみちふたりともリングに上がる運命なのだ。
「黄沼、お前先に行けよ」
「いや、俺はあとでいい。お前に譲るよ」
「遠慮すんなよ」
「そっちこそ」
「それじゃ、ジャンケンで決めるか」
「おう」
 グローブを着けたまま、コントみたいなやり取りをしているふたりに桃姐から声がかかる。
「あんたら一緒にかかってきな。それならいいだろ。黄沼、あたしに勝ったらカレーはカツカレーにしてやるぞ」
「マジで!?」
 食い意地の張った黄沼はそれでいいだろうが、特典のない緑池はたまったものじゃないだろう。もっともふたりがかりとはいえ、桃姐に勝つことなど不可能なのだから、その特典も絵にかいた餅なのだが。
「青川」
 ぐっと桃姐がこちらに右腕を突き出して、合図を送ってきた。
 ゴングを打ち鳴らすと、緑池と黄沼は悲愴な雄叫びを撒き散らしながら、桃姐に向かっていった。
 頑張れとはいわない。
 緑池、黄沼、骨は拾ってやる。心置きなく、リングで散れ――。
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