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年上のひと

休日

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「ありがとうございました」
 アルバイトを始めて二回目の日曜日。休日は本の入荷がないこともあって店内に出ることになっている。もちろん、レジに立っての接客がメイン。
 平日も繁忙時にはレジに出ることはあるけれど、未だに慣れない。知らない人と接することがこんなにもたいへんだとは思いもしなかった。
 売り場は本とゲーム、CD、コスメのコーナーに分かれていて、本とゲームの間にはフィギュアなどホビー関連のグッズが並べられていた。さらに本、ゲーム、CDは中古も取り扱っているので、レジでの処理を覚えるのもひと苦労であった。中古があるということは買取も行うということだけれど、それに関してはタッチしなくていいとのことで、正直ありがたかった。
 休憩に入っていたアイカワさんがバックルームから戻って来るのが見えた。
 休日は朝からのシフトなので、休憩時間は大体、昼過ぎ辺りになる。
 交代の時間かとひと息つくと、レジにお客さんがやって来た。
 若い女性だけれど、ずいぶん大きな人で僕よりも十、いや二十センチくらい高い。
 白くて太めのヘアバンドが清楚な感じがして、その立派な体躯を緩和するのにひと役買っているようだった。
 いらっしゃいませ、と差し出された雑誌を裏返し、スキャンする。
「690円です」
 はい、と頷いた女性がすぐにあっ、と声を上げる。
 何かミスでもしたかなと焦ったけれど、どうやら僕の顔を見ての反応のようだった。
 知っている人かなと、失礼にならない程度にチラッと確認して即座に理解した。
「……シーナ、さん?」
 名前を呼ばれた彼女はハッと目を見開くと、うつむいて顔を赤らめてしまった。
「一君、休憩」
 思わぬ邂逅に固まっていると、レジカウンターに入って来たアイカワさんが肩を叩いた。市内の大学に通っているアイカワさんは高校時代からここで働いてる、僕からすればベテランさんだ。すぼめた下唇をちょっと持ち上げるようにするくせがある人で言動にとても愛嬌がある。
 今日は三つ編みをカチューシャ風に施したパッと見、手間のかかってそうな髪型でたいへんじゃないですかと訊いたら、馴れるとそうでもないよと笑っていた。
「……あの、これ」
 シーナさんがカルトンにお金を置いた。こういうトレイのことをカルトンだと教えてくれたのはアイカワさんだった。
「それでは1090円お預かりします」
 休憩時間の僕を気づかいレジ打ちを始めたアイカワさんの横で雑誌を紙袋に入れた。
 おつりを受け取り、僕が雑誌を手渡すとき、シーナさんは何かをいいたげにこちらを見つめていたけれど、すぐに視線を落とし、小さくアタマを下げるとどこかさみしそうに去って行った。
「じゃあ、休憩入ります」
 アイカワさんに見送られて、バックルームで着替えると、外に出た。
 働いている大型複合店がある広大な敷地内にはスポーツ用品店やジーンズショップなどのアパレル関係の店やファーストフードやファミレス、中華料理チェーンなどの飲食店が中央の駐車場を囲むように連なっている。
 平日は帰ってから食べることにしているけれど、休日出勤は身近な店に入ったり国道を隔てた斜向いのコンビニで買って食べたりしている。
 どうしようかと思案していると、視線を感じた。
 その先にいたシーナさんは店内とエントランスの間にある風除室のベンチに座っていた。風除室には自販機が何台も並んでいて、そこで買ったらしいジュースを手にしている。
 会釈を交わすと飲み終わったのか、空き缶をダストボックスに押し込んで静々と表に出てきた。
「……こ、こんにちは」
 買ったばかりの雑誌を大事そうに抱きかかえたシーナさんは夏らしいレース使いの白い半袖シャツとサイドにリングを施したフロントジッパーが大胆な黒のミニスカートを合わせていた。足元はグラディエーター型の編み上げサンダルで固めている。ヒールはけっこうありそうでただでさえ背丈のあるシーナさんは大きく見えるけれど、ミニスカートの裾を引っ張りながら話す仕草はどこか幼さを感じさせた。
「……こ、こちらでアルバイトされていたんですね」
「ええ、上四元さんに紹介されたんです」
 頷きながらそう答えると、四郎丸の伯父さん経由ですねとシーナさんは納得していた。
「シーナさんはよく知っているんですか、上四元さんの伯父さんのこと」
 例の貸しビルを筆頭にたくさんの不動産を持っているという彼女の伯父さんならシーナさんが知っていてもおかしくはない。
「……は、はい。クシナとは小さい頃から仲よくしてもらっていて、彼女のジムも使わせてもらっていますから」
 そこまでいって、シーナさんはしまったという風に口をつぐんだ。後悔の念を赤い顔や身体に滲ませているのが手に取るように分かる。きっとジムに出入りしていることを知られたくなかったというより、中でしていること・・・・・・が羞恥の原因なのだろう。
「シーナさんボクシングするんですね」
 気にすることはないというつもりでいったのだけれど、シーナさんの反応は違っていた。
「……ジ、ジムのことをご存知なんですか? それに私って、ひょっとしてクシナのことですか?」
 しまった。てっきり友人のシーナさんは上四元クシナに僕があのビルに連行されたことを知っているものと思っていたけれど、とんだ藪蛇である。
「……か、彼女、強いみたい・・・ですね。伯父さんにジムまで与えられて、何か普通の女子高生とは違っているというか」
 伝聞調にしてごまかしたけれど、シーナさんは気にすることもなく、クシナは本当に強いんですと真顔でいった。
「よく知り合いの男子とあのジムで戦ってますけど、ほとんどの相手は1ラウンドも持たないんです。大抵一発KOなので」
 リングで街中で、そして我が家で彼女から受けた数々のパンチがたった今顔面や鳩尾に打ち込まれたかのように鮮明に甦って軽いめまいを覚えた。
 というか知り合いの男子って、ボクシングジムがあのビルの店子だった子供の頃に練習生と一戦を交えていたとは聞いていたけれど、普段からそういうことをやっているとは。なるほど、あれだけ強くもなるのも当たり前だと感心を通り越して呆れる。
「ティナも強いですけど、クシナと違って相手が戦意を喪失しても止めることなく続行するんですよ。ひどいときはノックアウト状態でもむりやり立たせて殴り続けるんです」
 シーナさんはちょっと引き気味にそう語った。内容もさることながら、彼女たちが揃ってボクシングをしていることに驚きつつも彼女自身は男子とはするのか聞いてみると、一瞬、びっくりしたように固まってしまった。
「あ、僕、そういうの気にしませんよ。女子がボクシングしてたり、強くても」
 何しろ、小さい頃から身近に洒落にならないパンチを浴びせてくる存在がいる。
 シーナさんは注意深くこちらをうかがっていた。その仕草は敵か味方か判別しかねている初対面の猫のようにも思える。
「シーナさんはスタイルがいいから、ボクシングも様になっているんでしょうね」
 フォローのつもりでそんな軽口を叩いてしまったのが失敗だった。
 シーナさんは泣きそうな、苦笑いにすらほど遠い微妙な表情で首を傾げて困惑していた。
 ひょっとしたら積極的なティナさんたちのつき合いでジムに行っているだけなのかもしれない。
「あ、あの、お食事は済ませました? 僕は今から休憩なんですけど、よかったらどこかでご一緒しませんか」
 デリカシーの欠如した発言に萎縮してしまったシーナさんをフォローするつもりでそんなことをいったしまったけれど、効果はあった。
「……ご、ご迷惑じゃありませんか?」
 そんなことはないですよ、といいながらどこに入ろうかとフードエリアへ目を向ける。
 値段が手ごろなファミレスやファーストフード、餃子がおいしいらしい中華チェーン店、膳ものが充実している和食系、たくさん食べたい人向けな大衆食堂系、パスタのお店もある。
 普段外食しないからこういうとき上手く立ち回れない。
「食べたいものとかありますか」
「……い、いえ、特には。一さんの行きたいところでいいです」
 とはいっても。
 休憩時間に限界もあるし、そんなに親しくもない女子を振り回すわけにもいかないので無難にファミレスにした。
 シーナさんはこういうところは通い慣れているのだろう、夏野菜を乗せた季節限定のミックスピザとドリンクバーを迷うことなく選んでいた。
 僕はそれに合わせたというわけでもないけれど、夏野菜と大葉おろしの和風ハンバーグにライスと日替わりスープをセットした。
 互いの料理が来てみると、ズッキーニやトマト、パプリカなどの共通点があるので、真似したように思われているんじゃないかと勘ぐってしまったりするけれど、シーナさんはおいしそうですねと口にしただけで特に気にする風でもなかった。
「ちょっと、失礼します」
 そういうとシーナさんは端末を取り出して、ピザの写真を撮った。喫茶店でストロベリーパフェも撮っていたけれど、こういうところは女の子だなと微笑ましく感じる。
 シーナさんはこの辺りに住んでいるそうで、アルバイト先の店にもよく来ているといっていた。
「今日はティナさんたちと一緒じゃないんですね」
「ティナはたぶんデートです。クシナは別のお友達と遊んでいるのかな。彼女、お友達がすごく多いんですよ」
 掴みづらい性格なようで上四元クシナの広域な交友関係は妙に腑に落ちる。伯父さんに可愛がって貰っていることも大きいのだろう。
 言動が開放的なティナさんがデートというのは納得できるけれど、やっぱり恋人がいるんだなとなぜか寂寥を覚える。
「……デ、デートといっても男友達のひとりとかそういう感じですよ。クシナみたいに交友関係が広いからよく誘われるんです」
 なぜフォローされたのか考えたけれど、ティナさんがデートだと知って気持ち落ち込んだことを悟られたのかなと自己嫌悪。
「がっかりしているように見えました?」
「……ち、違うんですか?」
 シーナさんの中では僕がティナさんに気があることになっているようだった。
「ティナって女の私から見ても魅力的だし、男子にはすごく人気があるんです。中学校のときは毎日のように告白されたりデートを申し込まれたりしていました」
 確かにあの目鼻のはっきりしたエキゾチックな顔立ち、そして豊満な胸は年頃の男子には抗えない魅力にあふれていた。
 以前、喫茶店で遭遇した際に間近で見た官能的な厚いくちびるや右腕に押しつけられた胸の感触が鮮明に思い出される。
「でも、本気の付き合いというか本命の男子はいないみたいです。女友達と遊んでる方が楽しいって」
 そういって夏野菜がたっぷり乗ったピザを口にするシーナさんはどこか三苫さんと髣髴とさせた。体型こそ真逆なのに、仕草や話し方がとても似ている。
 ピザを持つ手が止まった。シーナさんは気まずそうにこちらを見ている。
「……な、なにかおかしいですか?」
 知っている子と同じような食べ方なんですよ、とはもちろんいえるはずもなく、
「おいしそうに食べるなあ、って」
 などと、はぐらかす始末。ファーストフード店で三苫さんを凝視したことから何も学んでいない。
「ちょっと見惚れてました」
「………!」
 シーナさんは瞳孔を大きくすると息を呑んで黙ってしまった。
 余計なひと言だったかなと思ったときにはもう手遅れだったのか、うつむきがちに残りのピザをもくもくと無言で消化するのだった。
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