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十鳥オガミと上四元クシナ

過去

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 メールが届いた。
 あの限定Tシャツの子からの律儀なありがとうメール。
 感謝よりもまたよろしくという意味合いの方が強いんだろうな。
 ベッドに仰向けになり、液晶画面に指を走らせる。
 いったいどれくらいの人がこの端末に収まっているんだろ。放っておいても勝手に増えていく友達の友達は果たして友達なのだろうか。
 量のわりに質が伴っていない、希薄な人間関係の縮図。
 別に増やすことに執念を燃やしたことなんてないのに。

「……あなた、他に友達いないの?」
「ええ、私、他に友人がいないの」

 ナナミさんのお見合いがあった日だったか、彼女と初めて会った日のことが脳裏をよぎる。
 彼女のプライベートなど知る由もないけど、こっちに来てからは一ナナギとお姉ちゃん以外に友人はいないみたいなことをいっていた。あの口ぶりから本当にふたりは大事な友人なのだろう。
 数時間前に彼女の家で見たアルバムのたくさんの余白。そして彼女が他人事のように打ち明けたむかし話。
 彼女はアルバムから感じた異変の理由をお伽話かなにかのように淡々と語った。

               ◇

 小さい頃、よく祖父母のいるこの町に来ていたの。長期休暇があれば必ずといっていいくらい来ていた。両親が一緒のこともあったけれど、ひとりで来たことの方が多かったわね。
 私が生まれる以前は古い家屋が圧倒的に多くて、商店とかもたくさんあったらしいけれど、私がここに来るようになってからはもう区画整理があちこちに入っていて、家の前の道路も広かったし、新築の家の方が目立っていた。
 祖父が健在だった頃は三人で、亡くなったあとは祖母とふたりで列車に乗って出かけるのが楽しみだったの。
 あれは小学校四年だった。ええ、そう。あなたがおかしいといっていた四年生。
 名勝と謳われる渓谷に行った帰りの列車の中だった。知らないかしら、戦国武将にも褒め称えられたところ。空飛ぶ団子が有名だと思うのだけれど。カゴにお金を入れて備え付けの木槌で板を叩くとカゴが上がって行ってそれと引き替えにお店の人がお団子を送ってくれるのよ。あんとゴマとみたらしの三種類がセットになって……、そんな話はいい? あれは本当に美味しかったのよ、特にゴマが……、分かったわ。話を進めればいいのね。そんなにテーブルを叩かなくてもけっこうよ。それとも空飛ぶ団子の実演でもしているつもりなのかしら? あれは木槌を使うのよ。もしかすると遠回しなお団子の要求? 今はないから買って来るしかないのだけれど……そう、お団子から離れればいいのね。ずいぶんとせっかちね、あなた。
 帰りの列車での出来事、だったわね。どういうことをしていたのかは覚えてはいないのだけれど、祖母がある人を注意をしたの。当人――若い男だった――からすれば些細な、他人にどうこう指図されるいわれのないようなことだったのでしょう。だから怒っていた。それ以外の反応などないかのように。
 それまで祖母、祖父もなのだけれど、やさしいイメージしかなかったから、毅然と相手を叱る姿に驚きながらも、すごく感銘を受けたの。
 相手は子供心に素直にいうことを聞かない人間には見えてはいたけれど、静かになるどころか祖母を罵り始めた。祖母くらいの年齢の人たちに浴びせるありがちな罵声といえば大体の想像はつくでしょう。
 次第に大きくなる相手の声に祖母も引くこともなかった。周りも騒然となる中、激昂した相手は祖母を張ったの。
 本当に驚いた。初めて暴力というものを間の当たりにした瞬間でもあった。でももっと驚いたのは、祖母が張り返したこと。……いえ、私よりも祖母の平手打ちの方がはるかにするどかったし、威力があるように見えたわね。
 祖母は張り倒した相手に近づくと、いったの。殴り返されると思わなかったか? 人に手を上げるときは同じことをやり返されると思え、それができないのなら、気安くに暴力に訴えるのはやめておけ、って。
 車内は明らかに凍りついていた。祖母が張られたあとに周りからも擁護したり、怒る人も何人かいたみたいだったけれど、その人たちも蒼ざめていた。当然よね。
 列車はいつの間にか目的地に着いていた。
 反撃は想定していなかったのでしょう、呆気に取られていた相手は思い出したように奇声を上げながら祖母に迫ったの。物騒なことをいっていたわ。だけど叫ぶ相手の狼藉よりも睨めつけていた祖母の双眸の方が力があった。
 目力だけで相手を圧倒した祖母は列車を降りる際にいっていたわ。誰でも怒鳴り散らせば相手が黙ると思ったら大間違いだぞって。
 あのときの祖母は本当に怖くて、そして頼もしかった。
 単純といわれれば否定できないわね。私はその日見た祖母のしたこと、自分が間違っていることをしていると思った相手にはっきりと進言するようになったの。
 正義感とは違うと思う。自分で納得のできないことが許せないだけ。
 祖母はそういうことをするようにいったことは一度もなかったし、今でもそう。
 クラスではそういうところがどう思われていたのか分からないけれど、はっきりものをいうところは担任の先生からは褒められていたし、舞い上がっていたといえばそうなのかもしれない。
 変化は早く現われた。
 朝、登校すると黒板や机に、糾弾するメッセージが書かれていた。偽善者とかユダとかそういう類のもの。ユダの意味? そういう同級生たちへの見過ごせない行いに対する言及が裏切りととられていたのかもしれない。
 私は特に気にはしていなかったのだけれど、担任の先生は許せなかったらしくて、徹底的に犯人を炙り出そうとしていた。その追及の中で私の行いがクラスメイトの口から出始めて、いつしか議題はすり替わったの。最近の十鳥オガミはやりすぎだって。
 これに萎縮して大人しくなれば解決していたのかもしれない。だけど、偽善者だろうとも裏切り者と呼ばれようとも、止める気などなかった。
 何人かの女子からは間違ったことはしていないのだからと先生とともに擁護する声も上がったりしたのだけれど、多くはやめて欲しいという意見が圧倒していた。
 まるで反省の色がないように見えたのかしら、そのうちひとりの男子がいい加減にしろって食ってかかって来たの。直感でメッセージの発信者だと思った。だからとても洒落たメッセージをありがとう、でもユダと書くときはどっちか・・・・分からないからその辺りも明記しておいた方がいいわねといったの。彼はすぐに顔を赤くして怒り出した。殴るぞとかそういう分かりやすい言葉を吐きながらね。私は殴ってもいいけれど、やられたらやり返す、それでもいいならお好きにどうぞと返した。そして祖母が口にしたように大きな声を出せば誰でも黙るわけじゃないって忠告したの。
 自分ではそのときどういう顔をしていたのかは知りようもないけれど、その男子はさっきまでも勢いはもうなくして、怯えたような目で私を見ていた。周りのクラスメイトもおそろしいものでも見るような視線をこちらに送っていたわね。
 その男子の母親が学校に苦情をいってきたのは翌日だったわ。うちの子がいじめられているようだけれど、どういうことなのかって。私はいじめっ子になっていたみたい。いじめていたのは男子の方だろうって? それは違うわね。私はメッセージを含めてそう受け取っていなかったもの。
 さらに他の保護者たちからも普段から他の生徒が嫌がることを平然とする女子児童がいる、注意をしてもまったくも反省しないらしいがどういうことなんだと気がついたら学校全体で問題になっていた。
 すぐに両親が呼ばれて、説明を求められた。私には悪いことをしたという認識がまったくなかったし、先生も全面的に支持してくれてはいた。だけど保護者の中には先生が生徒ひとりに肩入れしていいのかと騒ぎ立てる人たちもいて、すぐに立場が悪くなっていった。若いということもあったのかもしれないけれど、熱心すぎるきらいはあった。
 そういう先生を見るのが辛いから、私を擁護するのはやめて下さいといった。でも先生は何をいっているの、あなたは間違ってはいないでしょうと逆に叱られた。自分をかばってくれたからではなくて、本当にいい先生だった。
 でも両親は保護者たちの意見を気にしすぎて、今後私を学校へやらないと言い出したの。俗ないい方をすれば典型的な事勿れ主義。平穏な日常を追い求めるためには必要な生き方なのかもしれない。学校側の意見? 特に何かをいってはいなかったと思うわ。面と向かって他の生徒の迷惑になるから来るなとは間違ってもいえないでしょう。
 そういう両親に対して別に含むところはなかった。だから両親の考えに従ってもいいとさえ思っていたの。だけど先生はそれはダメだと反対した。あなたはやってもいないいじめの張本人にされているのよって。
 だけど、先生がどんどん孤立しているという話は聞こえてきていた。学校全体で問題になっている不良児童を擁護しているんだもの、遅かれ早かれそういう風になるのは目に見えてはいたと思う。先生はそんなことはいい、あなたが学校を休む必要はないんだからといい続けてくれていたのだけれど、やはり私にはそんなことで学校で居場所をなくしていく先生を見てはいられなかった。私を庇い立てることで学校側と保護者たちから面責される先生をただ見ているしかできない自分の無力さに腹が立った。
 私への対応と学校・保護者からの圧力の間で板ばさみになった先生が最後に取った方法が保健室登校だった。いわゆる不登校児童を受け入れるための取り組みの一環、どうしても教室へ入れない生徒の受け皿みたいなものね。
 本来の目的から鑑みると私の事情とはずれている気がするのだけれど、先生からすれば苦肉の策だったのでしょうね。学校側からも出席扱いにすると約束を取りつけたりして根回しもしてくれていたそうよ。
 先生は事あるごとに保健室に顔を出してくれたし、養護の先生もいい人でむしろ私には心地いい空間だった。あなたも体験してみるといいんじゃないかしら。後学のために。あら、ずいぶんと嫌そうな顔をするのね。
 ただ行事は欠席だった。一連の騒ぎに過剰に反応し過ぎた両親に学校側も乗ったカタチになったのね。参加するなといわない代わりに参加しろともいわない、つまり放任。
 あなたがアルバムに抱いた違和感はつまり、そういうこと。集合写真を写すようなときには私はいなかったのよ。だから写っていないのだけれど、学校がこういうアルバムにひとりだけ生徒がいないのは後々問題なると懸念したらしくて、私だけ合成したの。いくら技術が向上したといっても馴染ませるのはそうそう簡単にはいかないものなのね。これならひと昔のような丸枠写真で上の方に置いてもらった方がまだよかったと思う。
 家庭用のアルバムも同じ。両親は次第に私と距離を取り始めた結果がそれ。まだ小さい妹の方を可愛がっていたともいえるけれど、私に関心をなくしていたのは事実。
 中学時代? 先生が一新されたたけで、顔ぶれはほとんど変わらないから似たような三年間だったわね。愉快でもなかったけれど、不快というほどでもない。
 私が祖母と暮らすようになったのは妹がきっかけなの。いつも私がひとりでいて可愛そうだって泣きながら祖母に電話をしたんですって。小学校に入ったとき学校で私の話を聞いたのでしょう。そして家での私の境遇。妹なりに心配してくれていたみたい。
 両親と話し合いにやって来た祖母はずっと怒っていた。逆に娘、つまり母親は母さんには私たちの苦労は分からないと抗議していたし、泣いてもいた。けっきょく祖母がオガミは自分が預かる、娘として育てると啖呵を切ったのよ。
 押しつけるような結果になってしまった両親は人目が気になるからなのか養育費は出すし、家も建て替えさせて欲しいといい出してこの家が出来たの。祖母は嫌がったのよ。祖父と暮らしてきた思い出深い家だし、そんな気遣いはいらないって。
 だけど父親は祖母を説き伏せて、むりやり建て直してしまったの。家全体をバリアフリーにして、エレベーターを導入して、意味もなく大きな家にして、一見、住みやすい家に生まれ変わらせたようでいて、その実、祖母の思い出を見事に破壊してしまったのよ。
 建て直しが決まったときも、改築の最中も、完成したあとも、よほど腹に据えかねたのか祖母はずっと表情が険しかった。だから私はいったの。せっかく新しくなった家に住むのだから、気持ちも新たにこれから楽しく生活しましょうって。そうしたら、ようやく祖母は笑ってくれた。それからはずっと祖母も私も笑顔で暮らしているわ。毎日が本当に楽しいもの。全然笑顔を見たことがない? この家にいるとき、祖母の前では笑ってるわよ。あなたの前で笑う必要はないもの。
 だからここに越してきて私はよかったと思ってる。一君やアツミさんにも出会えたもの。気掛かりがあるとすれば妹のことかしら。ええ、そう。一緒に写っているこの子。今、小学四年生なのだけれど、私と同じ学校だし、あのことが原因で厄介ごとに巻き込まれていないか不安になることがあるの。定期的にメールは送られてくるし、私の方からも電話は入れてるから近況は分かるのだけれど、あの子は我慢強いところがあるから、何かあってもおそらく本当のことを口にはしないと思う。
 ……妹のことは蛇足だったわね。

               *

 つまらない話だったでしょう、と十鳥オガミは自嘲気味に笑ってみせると、何本目かのルマンドを齧った。鉛筆削りではなく、普通に。
 時間的にそんなに経ってはいなかった、と思う。だけど、聞き終えたあとに軽い疲労感を覚えた。自分から訊き出したこととはいえ、踏み込んではいけない領域に立ち入ったような気まずさを感じた。もちろん、それを表に出すわけにはいかない。今自分の相貌に滲んでいるかもしれない悔恨を知られたくないからというより、そういう態度は取るべきじゃないと思えたのだ。
「ごちそうさま」
 誤魔化すように立ち上がると、十鳥オガミは見送らないわよと突き放すようにいった。
「あなたは招かれざるお客だもの」
 らしい言葉を聞いて不思議な安堵感にちょっと戸惑いを感じながら、招かれざる客たる私は丁重な辞儀をしてみせた。
「お邪魔しました」

               ◇

 液晶画面に連綿と続く多くの名前。知り合いが知り合いを呼び、勝手に蓄積された無数の個人情報。登録してるから会ってるはずなのに知らない人たち。
 アルバムにまつわる過去を傍観者みたいに語る十鳥オガミを思い出しながら、ずっと知らない人たちのデータをいじくりまわしているうちに、だんだんと馬鹿げたことをしているような気がしてきて、端末を枕元へ放り投げた。

「本当、クシナは頼りになるなあ」
「だよねえ」

 あのふたりの会話が耳の奥で繰り返される。

「中途半端な友達百人持つよりクシナひとりの方が絶対いいよね」
「うんうん」

 言葉に隠された真意はともかく嬉しそうな、幸せそうな顔をしていた。今度はどこの知らない子におねだりされるんだろう。

「……あなた、他に友達いないの?」
「ええ、私、他に友人がいないの」

 ふたたびはじめて出会ったあの日の十鳥オガミとの会話が耳の奥で鮮明にリピートされる。
 次の休みはシーナたちと遊びに行く約束をしていたっけとぼんやり反芻しているうちに、ふとある考えがアタマをよぎり、枕元に手を伸ばした。
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