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シナリオ
奔走・Ⅳ
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「屋上で見せた険悪さが出始めてるわね」
数時間前、羽二生から聞いたナギとナナミさんへの中傷が脳裏にぶり返し、ついそれが顔に出ていたようだった。
駅を出て向かった先は瓊紅保を象徴しているといってもいい、かなりの大きさを誇るデパート、アシュコ瓊紅保店だった。シギヤが三度の飯よりも大好きなスイーツショップがここの一階にテナントとして入っている。
忌まわしいナナミさんの見合いがあったホテル同様、このデパートもペドストリアンデッキとかいうご大層な歩道橋から直で入ることができる。
「それをいうのならペデストリアンデッキ」
十鳥オガミは未だに黒幕の正体を明かしていない。当然知っているはずの羽二生にも訊いていない。おそらく誠心誠意詫びを入れたあとで問い質しても教えてはくれないだろう。
「で、直接会いに行くのか。羽二生にデマ吹き込んだ相手に」
「会うつもりはないわね。会っても認めないでしょうし、認めたところで何の結果も生み出さないでしょう」
どういうことだよ。
「いったでしょう、近親者から証言、裏付けを取るのよ。面白くもなんともない退屈な作業をしに来てるの」
「……ずいぶんとまあ、物好きなんだな、十鳥」
と呼び捨てにしたことに気付き慌てて「さん」を付け足す。
「煩雑なことは人間として生きていく上でいろいろな教訓や見過ごしがちなものを明瞭に提示してくれたりする、人生の指南書みたいな側面を持っていたりするの」
居残り授業でよく理解できない箇所を懇切丁寧に教えてくれる女教師のような口調でそんなこという。
「それと」
今度は忘れ物がないか玄関先で訊く母親のような自然さで続けた。
「さんは要らないわね。いちいち取ってつけたようにさん付けされてもお互いに得なことはないように思えるし、あなたのさん付けは不快さしか生まない」
ずいぶんないわれようだ。
アシュコはいつ来ても賑やかだ。県内ではまず見ないファッションブランドや飲食店がたくさん入ってるし、シネコンもある。於牟寺や当の瓊紅保市内ではすでにない映画館があるのは大きいだろう。
「買い物に来た……わけじゃないよ、な」
目的地がはっきりしてるのだろう、スタスタ歩き続ける十鳥オガミに必死について行く。
階段を使って5階へ行くと、テナントで賑わうフロア中央部を横切り、壁際にある休憩スペースへ向かった。たくさんの自販機に目移りしそうになる。
……まさかわざわざ休憩しに来たのか。
十鳥オガミは腕時計で時間を確認していた。文字盤にメーカー名だけ記載された数字のないおそろしくシンプルなもので、黒いベルトといい、女子高生が付けるには似つかわしくない感じがした。
じっと見つめていた文字盤から十鳥オガミが目を離すのと同時であった。
「……あら?」
白い半袖のシャツにピンストライプのベストとスカート、チェックのネクタイを締めた、いわゆるデパガが入ってきた。やたらときれいな、どこか見覚えのある人懐っこい笑顔のその人は女性にしては背も高く、胸もなかなか魅力的なふくらみをしていた。こういう働くお姉さんの制服姿というものもいいものだと現状も考えずにやけそうになる。
「めずらしい顔合わせじゃない?」
何やら楽しげな声だった。というかずいぶんと親しげな話しぶりである。どちらかの知り合いだろうか。
「こんにちは、アツミさん」
十鳥オガミが率先して挨拶を交わすと美しい制服のお姉さんはにこやかに返した。
……アツミさん?
「誰だと思ったのかしら」
十鳥オガミの冷めた視線が痛い。
「いや、あの、すみません。ずいぶんきれいな人だなとは思ってはいたんですが、制服姿は初めてだったので」
言い訳ともお世辞ともいえない微妙な発言にアツミさんはありがとうと微笑んだ。アシュコで働いているのは知っていたが、働いているアツミさんは見たことがなかった。
しかし服装や化粧の仕方ひとつでこうも女は変わるものなのか。化ける、粧すとはよくいったものだ。
十鳥オガミは休憩中にすみませんと辞儀をしながらベンチに腰を下ろした。
「あなたたち、何か飲む?」
アツミさんはブランドロゴをエンボス加工で施したキルティングの長財布を手に自販機の前に立った。トカゲのモチーフで著名な俺には無縁なブランドだ。
「ええっと、じゃあ」
遠慮はかえって失礼と俺はコーヒー、羽二生は戸惑っていたが、アツミさんに水を向けられ紅茶にしていた。十鳥オガミの好みは知っているのだろう、互いに会話を交わすこともなくアツミさんは緑茶を押していた。
「今日はお訊きしたいことがあって伺いました」
アツミさんはいちごミルクのタブを開けながら、なんでも訊いてと笑った。
「アツミさんと一君のお姉さんの共通の友人知人の方で最近ご懐妊された方はいらっしゃいますか?」
十鳥オガミはストレートにそう訊いた。
アツミさんは驚くでもなく、ええ、学生時代の友人が現在妊娠中なのと頷いてみせる。
「でも最近、お腹が張りがひどいから診て貰ったら切迫早産だったみたいで予定日まで二ヶ月もあるのに入院してるの」
セッパクソウザンというものがどういう症状なのかいまいち分からないけど、アツミさんの口調は若干、翳っていた。
「一君とも顔馴染みの方ですか?」
「ええ。ナギ君もよく知ってるわよ」
……なるほど、そういうことか。
最初から真相が分かっていたらしい十鳥オガミは静かに緑茶を啜っていた。羽二生はまだ表情が硬かったが、ややホッとしているように見えたのは屋上でのやり取りの反省から来る、身勝手な妄想なのかもしれない。
「でも、どうして?」
アツミさんの疑問は当然だろう。
「えっと、ですね……」
口ごもる俺をよそに十鳥オガミはほんの一瞬、思案したのち、
「一君のお姉さんが最近、産婦人科に入っていくのを見た、という他愛もない噂話が周辺で立ちまして、一君のお姉さんにただならぬ劣情を日頃抱いているらしいこちらの六反園君がかなりの衝撃を受けてしまったようなのです。内容が内容ですのでご本人や弟である一君に直接訊くのも憚られますし、なにより事実だったときのことを考えた場合、親友であるアツミさんから訊く方がダメージも少なくてよいのではないだろうかということになり、本日お邪魔した次第です」
などと、粗悪な商品をさも魅力的な必需品であるかのように勝手に話を進めるセールスマンのような口調で仰る。
余計な情報を出さないための配慮とはいえ、俺を犠牲にすることはないだろう。
アツミさんはきょとんとした顔で俺を見ていたが、すぐに、そうなの……とすさまじいまでの同情的な目つきに変わり、大丈夫よと苦笑した。
「確かに六反園君くらいの年齢ぐらいだと憧れの人のそういう噂を耳すれば、いてもたってもいられなくなるわよね」
でも、大丈夫、そういうことだから安心して、と最後はすごくやさしい笑みで俺を慰めてくれた。きれいな人だとは思ってはいたけど、こんな風に笑いかけられたらよほどのひねくれ者でもないかぎり、恋心を抱いてしまうだろう。
「よかったわね、六反園君」
十鳥オガミは表情にも舌にもなんの感情も乗せることなく、取ってつけたようにこちらを振り返ってそういった。
*
「いくら何でもあれはないだろ」
何度目か分からない愚痴を十鳥オガミに浴びせる。
「なんだよ、日頃からからただならぬ劣情を抱いてるとかってのは」
「……事実じゃないのかしら?」
そりゃあ、ナナミさんの下着姿や水着姿、もちろん健全な男子の義務として裸体まで何度も妄想してお世話になったか知れないが……。
今俺が脳裏に浮かべているものを探っているのか、十鳥オガミは立ち止まってこちらを凝視していた。
皮肉的でもなければ軽蔑の類でもない、こちらに反論の余地を決して与えない鉄壁の無表情さがたまらなく怖い。
そしてこの手の、ナナミさんへの下卑た情を出すたびに噛みついてくる羽二生がまったく乗ってこないのも拍子抜けだ。
真相が分かったとはいえ、まだわだかまっているのだろうか。
「で、けっきょく黒幕は誰だったんだ」
ナナミさんの懐妊疑惑でショックを受けた俺のため、という不名誉な決着を見たアツミさん訪問だったが、肝心の羽二生に写真まで使ってデマを流した張本人が不明なままだ。
「屋上でチャイムが鳴ったあと、私がいったことを覚えていないのかしら」
歩を緩めることもなく、十鳥オガミはいった。
「場も弁えずに一時的な感情で……どうの、とか」
「その前」
つってもなあ。つい数時間前のことだけど、激昂した直後のことでまだ熱していたアタマには明確にメモリーされてはいない。
デパートに入る直前にもいったのよ、と十鳥オガミは立ち止まり、口を開いた。
「もう答えは出たようなものだし、ここで終わりにしてもよいのだけれど、どうせなら近親者から明確な証言、言質を取っておいて損はないでしょう」
唐突にもたらされたその発言で一気に記憶が解放される。たぶんだけど、声音も含めて一字一句きっちりトレースしたんだろう。
そうだ。勝手にちゃっちゃっと話を進める十鳥オガミに思考が追いつかなかったんだ。
近親者から明確な証言、言質を取っておいて損はないでしょう。
この発言のあと向かったのがアツミさんの勤務先、つまり。
「上四元クシナかよ……」
初めて会った、ナナミさん見合いの日のことを思い出す。あの性格なら然もありなんといったところだが、いくらなんでも度が過ぎている。
「ナギん家に集まった日のあと、あの女に会ったんだな」
俺の問いに羽二生は小さく頷いた。
「しかしなんだって羽二生にそんなこといったんだ」
誰でもよくて、たまたまナギの家で会ったこいつに、ってことなのか。
前を行く十鳥オガミの背中はまだ何かを隠しているように思えた。
「上四元クシナには会わないのか」
十鳥オガミは無意味だとかいっていたが、ひとこといってやらないと気が済まない。
「屋上で披露したあなたの気性ぶりから察するに、一発殴らないと気が済まないの間違いではないのかしら?」
「……いや、それはない。誓ってない」
たぶん。
「もっとも、彼女はあなたが手に負えるような相手ではないでしょうけれど」
「どういうことだよ」
まるで俺が勝てないといっているように聞こえる。あの挑発的な言動から口では敵わないかもしれないが、さすがに腕力で負けることはない。つうか負けちゃダメだろ。
十鳥オガミはそれ以上は何も話しては来なかった。やはり何ごとかを隠している気がするのだが、それがなんなのかまるで想像もつかない。
「アツミさんがあそこで休憩するって知っていたのか」
気になっていたことを訊く。時計とにらめっこまでして時間までどんぴしゃだった。
「月に何度か午後から出勤する日があるって以前聞いていたの。そういう日は今ぐらいの時間に休憩に入るからもしかしてと思ったら、たまたま会えたのよ」
そりゃ嘘だろ。たまたまであんなぴったりに現われるものか。アツミさんの意外な表情から落ち合ったわけではないだろうけど、偶然でもなかろう。
アツミさんとは瓊紅保に引っ越して初めてできた知り合いだとかで行きつけでもあるこのデパートに来ては話をすることが多いらしい。
十鳥オガミは一応駅までついて来て、羽二生にあとは自分で判断し、行動すればいいとだけいって去って行った。ずいぶんとあっさりしたものだ。
いや、仕事を完遂したという意味では文句のない働きなのか。羽二生がナギに取らせた言動の直接のきっかけ、元ネタが稚拙な捏造だったことを証明してみせたんだから。
ナギがこいつの心ない言葉と態度でショックを受けて引き篭ってしまったことを思えば、ナギん家まで引っ張って行って土下座でもさせないと気が済まないのだが、真相を知った今となってはさすがにそれはやりすぎに思える。こいつも被害者なのだ。十鳥オガミのいうように羽二生自身で決めればいいだけだ。
ナギの受けた傷は時間が解決するだろうし、なにより心配してくれる連中がたくさんいる。
そう、俺と違ってあいつは人格者だからな。
今回の事件のいちばんの収穫というか発見はナギの意外な人気者ぶりと俺の人徳のなさを身を持って思い知らされたということだった。
いいさ、別に。ナナミさんにさえ嫌われていなけりゃ、それでいいんだ。
……嫌われてないよな?
数時間前、羽二生から聞いたナギとナナミさんへの中傷が脳裏にぶり返し、ついそれが顔に出ていたようだった。
駅を出て向かった先は瓊紅保を象徴しているといってもいい、かなりの大きさを誇るデパート、アシュコ瓊紅保店だった。シギヤが三度の飯よりも大好きなスイーツショップがここの一階にテナントとして入っている。
忌まわしいナナミさんの見合いがあったホテル同様、このデパートもペドストリアンデッキとかいうご大層な歩道橋から直で入ることができる。
「それをいうのならペデストリアンデッキ」
十鳥オガミは未だに黒幕の正体を明かしていない。当然知っているはずの羽二生にも訊いていない。おそらく誠心誠意詫びを入れたあとで問い質しても教えてはくれないだろう。
「で、直接会いに行くのか。羽二生にデマ吹き込んだ相手に」
「会うつもりはないわね。会っても認めないでしょうし、認めたところで何の結果も生み出さないでしょう」
どういうことだよ。
「いったでしょう、近親者から証言、裏付けを取るのよ。面白くもなんともない退屈な作業をしに来てるの」
「……ずいぶんとまあ、物好きなんだな、十鳥」
と呼び捨てにしたことに気付き慌てて「さん」を付け足す。
「煩雑なことは人間として生きていく上でいろいろな教訓や見過ごしがちなものを明瞭に提示してくれたりする、人生の指南書みたいな側面を持っていたりするの」
居残り授業でよく理解できない箇所を懇切丁寧に教えてくれる女教師のような口調でそんなこという。
「それと」
今度は忘れ物がないか玄関先で訊く母親のような自然さで続けた。
「さんは要らないわね。いちいち取ってつけたようにさん付けされてもお互いに得なことはないように思えるし、あなたのさん付けは不快さしか生まない」
ずいぶんないわれようだ。
アシュコはいつ来ても賑やかだ。県内ではまず見ないファッションブランドや飲食店がたくさん入ってるし、シネコンもある。於牟寺や当の瓊紅保市内ではすでにない映画館があるのは大きいだろう。
「買い物に来た……わけじゃないよ、な」
目的地がはっきりしてるのだろう、スタスタ歩き続ける十鳥オガミに必死について行く。
階段を使って5階へ行くと、テナントで賑わうフロア中央部を横切り、壁際にある休憩スペースへ向かった。たくさんの自販機に目移りしそうになる。
……まさかわざわざ休憩しに来たのか。
十鳥オガミは腕時計で時間を確認していた。文字盤にメーカー名だけ記載された数字のないおそろしくシンプルなもので、黒いベルトといい、女子高生が付けるには似つかわしくない感じがした。
じっと見つめていた文字盤から十鳥オガミが目を離すのと同時であった。
「……あら?」
白い半袖のシャツにピンストライプのベストとスカート、チェックのネクタイを締めた、いわゆるデパガが入ってきた。やたらときれいな、どこか見覚えのある人懐っこい笑顔のその人は女性にしては背も高く、胸もなかなか魅力的なふくらみをしていた。こういう働くお姉さんの制服姿というものもいいものだと現状も考えずにやけそうになる。
「めずらしい顔合わせじゃない?」
何やら楽しげな声だった。というかずいぶんと親しげな話しぶりである。どちらかの知り合いだろうか。
「こんにちは、アツミさん」
十鳥オガミが率先して挨拶を交わすと美しい制服のお姉さんはにこやかに返した。
……アツミさん?
「誰だと思ったのかしら」
十鳥オガミの冷めた視線が痛い。
「いや、あの、すみません。ずいぶんきれいな人だなとは思ってはいたんですが、制服姿は初めてだったので」
言い訳ともお世辞ともいえない微妙な発言にアツミさんはありがとうと微笑んだ。アシュコで働いているのは知っていたが、働いているアツミさんは見たことがなかった。
しかし服装や化粧の仕方ひとつでこうも女は変わるものなのか。化ける、粧すとはよくいったものだ。
十鳥オガミは休憩中にすみませんと辞儀をしながらベンチに腰を下ろした。
「あなたたち、何か飲む?」
アツミさんはブランドロゴをエンボス加工で施したキルティングの長財布を手に自販機の前に立った。トカゲのモチーフで著名な俺には無縁なブランドだ。
「ええっと、じゃあ」
遠慮はかえって失礼と俺はコーヒー、羽二生は戸惑っていたが、アツミさんに水を向けられ紅茶にしていた。十鳥オガミの好みは知っているのだろう、互いに会話を交わすこともなくアツミさんは緑茶を押していた。
「今日はお訊きしたいことがあって伺いました」
アツミさんはいちごミルクのタブを開けながら、なんでも訊いてと笑った。
「アツミさんと一君のお姉さんの共通の友人知人の方で最近ご懐妊された方はいらっしゃいますか?」
十鳥オガミはストレートにそう訊いた。
アツミさんは驚くでもなく、ええ、学生時代の友人が現在妊娠中なのと頷いてみせる。
「でも最近、お腹が張りがひどいから診て貰ったら切迫早産だったみたいで予定日まで二ヶ月もあるのに入院してるの」
セッパクソウザンというものがどういう症状なのかいまいち分からないけど、アツミさんの口調は若干、翳っていた。
「一君とも顔馴染みの方ですか?」
「ええ。ナギ君もよく知ってるわよ」
……なるほど、そういうことか。
最初から真相が分かっていたらしい十鳥オガミは静かに緑茶を啜っていた。羽二生はまだ表情が硬かったが、ややホッとしているように見えたのは屋上でのやり取りの反省から来る、身勝手な妄想なのかもしれない。
「でも、どうして?」
アツミさんの疑問は当然だろう。
「えっと、ですね……」
口ごもる俺をよそに十鳥オガミはほんの一瞬、思案したのち、
「一君のお姉さんが最近、産婦人科に入っていくのを見た、という他愛もない噂話が周辺で立ちまして、一君のお姉さんにただならぬ劣情を日頃抱いているらしいこちらの六反園君がかなりの衝撃を受けてしまったようなのです。内容が内容ですのでご本人や弟である一君に直接訊くのも憚られますし、なにより事実だったときのことを考えた場合、親友であるアツミさんから訊く方がダメージも少なくてよいのではないだろうかということになり、本日お邪魔した次第です」
などと、粗悪な商品をさも魅力的な必需品であるかのように勝手に話を進めるセールスマンのような口調で仰る。
余計な情報を出さないための配慮とはいえ、俺を犠牲にすることはないだろう。
アツミさんはきょとんとした顔で俺を見ていたが、すぐに、そうなの……とすさまじいまでの同情的な目つきに変わり、大丈夫よと苦笑した。
「確かに六反園君くらいの年齢ぐらいだと憧れの人のそういう噂を耳すれば、いてもたってもいられなくなるわよね」
でも、大丈夫、そういうことだから安心して、と最後はすごくやさしい笑みで俺を慰めてくれた。きれいな人だとは思ってはいたけど、こんな風に笑いかけられたらよほどのひねくれ者でもないかぎり、恋心を抱いてしまうだろう。
「よかったわね、六反園君」
十鳥オガミは表情にも舌にもなんの感情も乗せることなく、取ってつけたようにこちらを振り返ってそういった。
*
「いくら何でもあれはないだろ」
何度目か分からない愚痴を十鳥オガミに浴びせる。
「なんだよ、日頃からからただならぬ劣情を抱いてるとかってのは」
「……事実じゃないのかしら?」
そりゃあ、ナナミさんの下着姿や水着姿、もちろん健全な男子の義務として裸体まで何度も妄想してお世話になったか知れないが……。
今俺が脳裏に浮かべているものを探っているのか、十鳥オガミは立ち止まってこちらを凝視していた。
皮肉的でもなければ軽蔑の類でもない、こちらに反論の余地を決して与えない鉄壁の無表情さがたまらなく怖い。
そしてこの手の、ナナミさんへの下卑た情を出すたびに噛みついてくる羽二生がまったく乗ってこないのも拍子抜けだ。
真相が分かったとはいえ、まだわだかまっているのだろうか。
「で、けっきょく黒幕は誰だったんだ」
ナナミさんの懐妊疑惑でショックを受けた俺のため、という不名誉な決着を見たアツミさん訪問だったが、肝心の羽二生に写真まで使ってデマを流した張本人が不明なままだ。
「屋上でチャイムが鳴ったあと、私がいったことを覚えていないのかしら」
歩を緩めることもなく、十鳥オガミはいった。
「場も弁えずに一時的な感情で……どうの、とか」
「その前」
つってもなあ。つい数時間前のことだけど、激昂した直後のことでまだ熱していたアタマには明確にメモリーされてはいない。
デパートに入る直前にもいったのよ、と十鳥オガミは立ち止まり、口を開いた。
「もう答えは出たようなものだし、ここで終わりにしてもよいのだけれど、どうせなら近親者から明確な証言、言質を取っておいて損はないでしょう」
唐突にもたらされたその発言で一気に記憶が解放される。たぶんだけど、声音も含めて一字一句きっちりトレースしたんだろう。
そうだ。勝手にちゃっちゃっと話を進める十鳥オガミに思考が追いつかなかったんだ。
近親者から明確な証言、言質を取っておいて損はないでしょう。
この発言のあと向かったのがアツミさんの勤務先、つまり。
「上四元クシナかよ……」
初めて会った、ナナミさん見合いの日のことを思い出す。あの性格なら然もありなんといったところだが、いくらなんでも度が過ぎている。
「ナギん家に集まった日のあと、あの女に会ったんだな」
俺の問いに羽二生は小さく頷いた。
「しかしなんだって羽二生にそんなこといったんだ」
誰でもよくて、たまたまナギの家で会ったこいつに、ってことなのか。
前を行く十鳥オガミの背中はまだ何かを隠しているように思えた。
「上四元クシナには会わないのか」
十鳥オガミは無意味だとかいっていたが、ひとこといってやらないと気が済まない。
「屋上で披露したあなたの気性ぶりから察するに、一発殴らないと気が済まないの間違いではないのかしら?」
「……いや、それはない。誓ってない」
たぶん。
「もっとも、彼女はあなたが手に負えるような相手ではないでしょうけれど」
「どういうことだよ」
まるで俺が勝てないといっているように聞こえる。あの挑発的な言動から口では敵わないかもしれないが、さすがに腕力で負けることはない。つうか負けちゃダメだろ。
十鳥オガミはそれ以上は何も話しては来なかった。やはり何ごとかを隠している気がするのだが、それがなんなのかまるで想像もつかない。
「アツミさんがあそこで休憩するって知っていたのか」
気になっていたことを訊く。時計とにらめっこまでして時間までどんぴしゃだった。
「月に何度か午後から出勤する日があるって以前聞いていたの。そういう日は今ぐらいの時間に休憩に入るからもしかしてと思ったら、たまたま会えたのよ」
そりゃ嘘だろ。たまたまであんなぴったりに現われるものか。アツミさんの意外な表情から落ち合ったわけではないだろうけど、偶然でもなかろう。
アツミさんとは瓊紅保に引っ越して初めてできた知り合いだとかで行きつけでもあるこのデパートに来ては話をすることが多いらしい。
十鳥オガミは一応駅までついて来て、羽二生にあとは自分で判断し、行動すればいいとだけいって去って行った。ずいぶんとあっさりしたものだ。
いや、仕事を完遂したという意味では文句のない働きなのか。羽二生がナギに取らせた言動の直接のきっかけ、元ネタが稚拙な捏造だったことを証明してみせたんだから。
ナギがこいつの心ない言葉と態度でショックを受けて引き篭ってしまったことを思えば、ナギん家まで引っ張って行って土下座でもさせないと気が済まないのだが、真相を知った今となってはさすがにそれはやりすぎに思える。こいつも被害者なのだ。十鳥オガミのいうように羽二生自身で決めればいいだけだ。
ナギの受けた傷は時間が解決するだろうし、なにより心配してくれる連中がたくさんいる。
そう、俺と違ってあいつは人格者だからな。
今回の事件のいちばんの収穫というか発見はナギの意外な人気者ぶりと俺の人徳のなさを身を持って思い知らされたということだった。
いいさ、別に。ナナミさんにさえ嫌われていなけりゃ、それでいいんだ。
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