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ふたりの少女
請待
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シギが体調を崩して休んだというので、お見舞いに行こうとロクを誘ったが、ニヤけながら辞退するといってきた。
友達甲斐のないやつだというと、せっかくのチャンスを邪魔する気はないと腹が立つくらいいい笑顔で返された。
辞退もさることながら、寝込んでいるシギに対してニヤけるとかどこまで人をバカにしたやつだと思ったけれど、ロクはどんな名医でも治せない病だ、けれど深刻なモノじゃないから問題ないとしたり顔を見せた。
「シギヤは瓊紅保駅前のデパート内のスイーツに目がないぞ」
辞退の詫びのつもりか、そんなことを仰る。
まさか今まで縁のなかった瓊紅保市に二日連続で来ることになろうとは。
昨日、於牟寺駅前で五百旗頭くんたちと別れ、そのまま姉と帰宅した。
十鳥オガミはああいう発言もあったし、そのまま帰ると思ったけれど、僕が負傷したことを気遣ってか、家までついてきた。
姉は十鳥オガミにずいぶん興味を持ったようで、色々質問攻めにしていたけれど、当の十鳥オガミは暖簾にナントカでさまざまな質問を見事なディフェンス技術でもって弾き返していた。
家に着くと傷の手当てするからと姉に促されて一足先に入った。
姉は十鳥オガミを招き入れようとして、あっさり振られたようだった。
リビングで救急箱を持って待機していても上がってくる様子がないので、ダイニングの壁越し聞き耳を立てていると、十鳥オガミが姉に何やら質問をしていた。
あの子は私のものだもの、とか自分の所有物をどうしようと勝手だと思わない? だのいいたいことをいっている。
姉はどこか挑発的でじつに楽しげだった。
突っ込みたいのを我慢しつつ、じっとしていると、気をつけてねという声と共にドアが閉まる音が聞こえた。
姉は嬉しそうな笑みを浮かべると、お姉ちゃんああいう子好きだなあと何度も繰り返した。
本当に十鳥オガミが気に入ったようだ。
一方の十鳥オガミは何が気に入らないのか、どう考えても姉に対して敵意を抱いているとしか思えない態度だった。
昨日の騒動を思い返しながら、ロクに教えられたスイーツのお店を探していると、行き交う人の流れの中にひとつの視線を感じた。
彼女は立ち止まって僕を見ていた。
昨日、微妙なやり取りのまま別れただけに実に気まずかったかれど、知らん顔なんてできるわけもなく、僕はなるべく笑顔を作るよう顔の筋肉を柔軟にするイメージでもって彼女に相対した。
「こ、こんにちは、十鳥さん」
激しい思いをぶつけられたあとでもわざわざ家まで見送ってくれたのだし、まさか無視はないだろうと自分を鼓舞する。
十鳥オガミはお辞儀でもって返してくれた。あの特徴的な笑みは見られないけれど、わだかまっていない証左と見ていいのだろうか。
昨日は、といいかけると彼女はそれを遮るように一歩前に歩み出て、少しいいかしらと笑みを見せた。
それはあの日見せてくれた、局地的で破顔と呼ぶには程遠いけれど、控えめで品のある、やさしい自然な笑みだった。
*
十鳥さんについて向かった先は昨日の公園通りとは反対方向にある、最近瓊紅保市でぽつぽつ見かけるという新興の住宅街とは違う地域であった。
ちらほら新築の家もあるけれど、築何十年という年季の入った家屋の方がこの辺は目立つ。正直、駅前や新興住宅地などよりも気分が落ち着くのはこういうところだ。
あの笑みに触れたあと、彼女に時間はあるかと聞かれ、一瞬、シギの顔が浮かんだけれど、結局こちらを優先してしまった。スイーツも買っていない。これじゃあロクのこといえやしないな。
ひとりごちていると、十鳥さんが一軒の家の前で止まっていた。
新築の、ずいぶんと大きな家だった。
表札には
【十前イワ】
【十鳥オガミ】
とある。
……あれ?
「十鳥さん、瓊紅保に住んでるの?」
昨日家までついて来たけれど、わざわざそれだけのために再び電車で於牟寺に舞い戻ったということなのだろうか。
「私がそうしたかっただけだもの。それにお姉さんにお話もあった」
彼女は当たり前のことのようにいった。昨日の姉との会話は興味深いけれど、聞くのも憚られるような気がしたので深追いはやめた。
それにしても表札が引っかかる。
こちらも気にはなったけれど、すごくデリケートな問題かもしれない。
視線を感じ、隣りを見ると十鳥さんがこちらをじっと見ていた。何か見透かされたような気になって目を逸らしてしまう。
「祖母になんて紹介すればいいのかしら」
イワさんは彼女のお婆様らしい。
そんなことを真剣な口調でいう十鳥さんがなんとなくおかしくて、つい吹き出してしまう。
「そんなにおかしいことかしら?」
手厳しい反応を覚悟したけれど、彼女はやはり不思議そうにいう。
「友達でいいと思うよ」
そういうと彼女は自分を納得させるかのようにそうね、と頷いた。
どうやら彼女の用事とは家への招待らしい。
門扉を開けて玄関へと続く長く緩やかなアプローチを抜けると十鳥さんは重厚なドアに手をかけた。
目に飛び込んで来た光景に息を呑む。
吹き抜けの玄関ホールは外観に負けない広さだった。右手には蹴上げが低く踏み面の奥行きがたっぷり取られた、広い邸宅だからこそできる段数の多いバリアフリーが効いた階段が配置されている。おまけに正面にはエレベーターまであった。
「ただ今帰りました」
十鳥さんが声をかけると、奥からパタパタさせながら一人のご婦人が現れた。
中性色のカットソーとチュニックの重ね着にレギンスを合わせたイワさんは失礼ながら名前からは想像できない、見るからに品にある、母親といっても差し支えのないくらいの美貌を持った方であった。
「お帰りなさ」
僕を認めると、イワさんの動きが一瞬、止まった。そして再始動と同時に僕に向かってうれしそうに頷いてみせた。
「オガミ、こちらの方は?」
「友人の一ナナギさん」
イワさんはその言葉に甚く感激したようで、そうあなたもお友達を連れてくるようになったのねえとしみじみと呟いた。
「今、何か持って行くから上がってなさい」
笑顔のイワさんはそういうと、何か思い出したように、ちょっと出てくるから待っててねと突っ掛けを履いて慌しく外に出た。
上がり框をなくした玄関は大理石で作られた三和土とホールのフロアがフラットになっており、ここにもバリアフリーが効いていた。
「どうぞ」
十鳥さんに促されて揃えて出されたスリッパに足を入れる。
彼女の部屋は階段を上がってすぐだった。
ドアには『オガミちゃんの部屋』と書かれたプレートがある。よく見るとクマさんとウサギさんと思しきシルエットが両側に配置された可愛らしいプレートだった。
「祖母が作ってくれたのよ」
よっぽど食い入るように眺めてしまっていたのだろう、彼女はそう説明してくれた。
促されて中に入ると、そこはベッドと机と本棚、テーブルだけの、極めてシンプルな部屋だった。
年頃の女子が好きそうなファンシー的なグッズは当然というか、見当たらない。
女性の部屋は姉とシギ以外、知らないので、すごく新鮮な感じがする。
シンプルさだけなら姉の部屋が圧倒的であろうけれど。
「ずいぶん若いお婆様だね」
「ユニークな人でしょう」
十鳥さんが出してくれたクッションは座り心地がすごくよかった。
ホッと落ち着いていると、十鳥さんが表情を硬くしてこちらを見ていた。
「昨日は、本当にごめんなさい」
正座のまま叩頭と共にそう詫びた。
「私、ずいぶん身勝手なことをあなたにぶつけてしまっていた。あなたがどんな思いだったのか考えもしないで、自分のことばかり無理に押し通そうとした。本当にごめんなさい」
つられて僕も土下座みたいに頭を床にぶつけていた。
「そんなことをいうなら、僕だって、僕の方こそ、十鳥さんの気持ちを無下にしていたんだから、責められて当然なんだ。十鳥さんが謝るのはおかしいよ」
「だから、一さんは」
そこまでいうと十鳥さんはおかしいわねと自嘲した。
「昨日は互いに自分の考えを押し通して、今日は互いにそれを引っ込めて、挙句に謝り合うとかおかしいわ、本当」
互いに現状の滑稽さを笑い合っているうちに、いつしか彼女とは数年来の友人にでもなったような気がしてきた。
「あの日」
コンビニ事変の翌日に十鳥さんがどんな用があって話しかけてきたのか訊こうとしたけれど、彼女はそれを察して答えてくれた。
「二日遅れになったけれど、実現したわね」
「家の招待?」
「ええ、そう」
あれだけことで感謝されるのは大げさな気もする。うれしいことではあるけれど。
「私、あんな風に誰かに支持されたことがなかったから、すごく妙な気分だったの。一晩考えているうちになぜだか満たされるような不可解な気持ちになって、そういうときはきっとお礼をするべきなんだろうなと思って」
家への招待、と。しかしそれだけのことでお礼などしていたら、痴漢から救ってくれた相手などには結婚を申し込むんじゃないだろうか。一言芳恩を地で行くような話ではある。
そこまでいうと、突然、十鳥さんが立ち上がってドアノブをそっと押さえた。
静かにノブを回し、がちゃりという音もさせずに一気にドアを開けると、イワさんが正座して聞き耳を立てているところだった。
「……おやおや、まあまあ。うふふふ、お茶菓子をお持ち致しました」
涼しい顔で何事もなかったかのようにいうと、正座のまま部屋に滑り入り、テーブルにお菓子と飲み物を並べて今度は先ほどの仕草を巻き戻すみたいにすばやく廊下に滑り出た。
「ああ、そうそう」
ドアを半分閉めかけたところでイワさんが思い出したように、これから用足しに出るからあとはお願いねといった。
分かりましたと十鳥さんが答えると、たぶん、二時間くらいはかかるわねえ。いや、もっとかもしれない、あまり遅くなりそうなら泊まってくるかもしれないわと妙にうれしそうに語り、ドアを閉める間際、僕の方を見ながら、ごゆっくりと不気味に微笑んだ。
あっけに取られていると、十鳥さんがどうぞ、とお茶菓子を薦めてくれた。
菓子入れに盛られているのは子供頃に祖父母宅でよく見かけたクッキー群だった。
ホワイトロリータ、ルマンド、チョコリエール、エリーゼ、バームロール、ルーベラ……。
ロクがいうところのばあちゃん菓子。
「これ、懐かしいなあ。おばあちゃんの家でよく出された」
ホワイトロリータを摘んでしげしげと眺めていると、十鳥さんはそういうものかしらとルマンドを上品に齧っていた。
彼女の手にかかるとルマンドも有名スイーツ店のひと箱数千円もする高級品に思えてくる。
色々な種類のお菓子を消化していくうちに菓子入れの底に見慣れない、なんだか平べったくてかわいいモノが見えてきた。シギも大好きなクマのキャラクターがプリントしてある。持ち上げるとそれらは連なっており、すごく薄かった。半透明の片側からは輪っかが透けている。
「これもクッキーかな、ずいぶんと洒落たパッケージだけど……」
といいかけて、動きが止まる。
これはお菓子ではない。
「……避妊具ね」
発したのは十鳥さん。相変わらずの冷静さで僕から、それを受け取ると、実物は初めて見るわねと感心したように呟いた。
まさか常備しているとは思えない。いや、言い切るは失礼だけれど、ともかく、さっき玄関先でイワさんが慌てて出て行ったのはこれを買うためだったのか。
―――ごゆっくり。
味のある、策略に満ち満ちた不敵な笑みがよみがえる。
「お茶目な人でしょう?」
避妊具を手に十鳥さんが微笑む。そしてそれをじっと見つめながら、落ち着き払った様子で、静かに、しかしはっきりと聞き間違いでなければ彼女はこういった。
「これ、使ってみる?」
感情がみだらにかき乱される。心臓がいたずらに刺激される。ちょっと過激な妄想に浸ったときに襲われる軽いめまいにも似た感覚。
思わず視線をベッドに走らせてしまい、慌てて逸らす。
真意を確かめるように彼女を見る。
当然のように十鳥さんは顔を赤めては、いない。
避妊具を手にそんなことを口にしても、まるで浅ましさを感じない。
「……ん、なにをいうの、十鳥さん」
熟考ののち、俯きながら、結局、そんなリアクションしか返せな自分がちょっとイヤになる。
顔が熱い。とても熱い。
十鳥さんはごめんなさいと羽毛のような軽さで微笑むと、机の抽斗に避妊具を仕舞った。
………取って置くんだ。
「一さんにも選ぶ権利があるものね」
十鳥さんはもう一度ごめんなさいといい、忘れてちょうだいと付け加えた。
部屋に充満しかかった官能的な空気を振り払うようにあちこちに視軸を散らす。
机の脇に備え付けられた本棚には父の本棚にもあった文学全集と同じものらしき函入りの本が何冊か認められた。画集も何冊かある。姉の仕事柄、書斎に並んでいることもあってその名前にも馴染みがある。中でもウォーターハウスは見ているとなぜだか不安に襲われそうな錯覚に陥るので苦手だ。なぜ十鳥さんはこれが好きなのか訊きたい気もする。
さらにその下、いちばん下段にアルバムらしきものを見つけた。
ふと、表札を思い出す。
他に名前を確認できない以上、祖母のイワさんとこの大きな家で二人暮しなのだろう。
五百旗頭君は春にこっちに引っ越してきたといっていた。
「表札のこと?」
声に振り返る。視線の先に気づいたらしい。
「……えっ、あっ、はい」
飛び跳ねるように、思わず姿勢を正す。
十鳥さんは大して面白い話ではないわよと何本目か分からないルーベラに歯を立てていた。
開けるときにわざわざハサミを使っているのを不思議そうに見つめていると、ルーベラはデリケートなのでちょっとした衝撃で欠けるから、子供の頃からこうして開けるやっかいなクセがついたのと笑っていた。きれいな状態のまま食べたいのなら、面倒でもこれが確実だと微笑む十鳥さんはとても楽しげだった。
ちなみにルーベラはまっすぐ銜えたときに空気がスースー出入りするのが楽しかったりする。
「両親は健在よ」
さくっとラングドシャが砕ける。
「私、見放されたの」
何物も寄せ付けない、毅然とした口調には招き入れられてからの十数分間で築き上げられた、彼女との関係が一気に崩れてゆくような不穏で不吉な響きがあった。
友達甲斐のないやつだというと、せっかくのチャンスを邪魔する気はないと腹が立つくらいいい笑顔で返された。
辞退もさることながら、寝込んでいるシギに対してニヤけるとかどこまで人をバカにしたやつだと思ったけれど、ロクはどんな名医でも治せない病だ、けれど深刻なモノじゃないから問題ないとしたり顔を見せた。
「シギヤは瓊紅保駅前のデパート内のスイーツに目がないぞ」
辞退の詫びのつもりか、そんなことを仰る。
まさか今まで縁のなかった瓊紅保市に二日連続で来ることになろうとは。
昨日、於牟寺駅前で五百旗頭くんたちと別れ、そのまま姉と帰宅した。
十鳥オガミはああいう発言もあったし、そのまま帰ると思ったけれど、僕が負傷したことを気遣ってか、家までついてきた。
姉は十鳥オガミにずいぶん興味を持ったようで、色々質問攻めにしていたけれど、当の十鳥オガミは暖簾にナントカでさまざまな質問を見事なディフェンス技術でもって弾き返していた。
家に着くと傷の手当てするからと姉に促されて一足先に入った。
姉は十鳥オガミを招き入れようとして、あっさり振られたようだった。
リビングで救急箱を持って待機していても上がってくる様子がないので、ダイニングの壁越し聞き耳を立てていると、十鳥オガミが姉に何やら質問をしていた。
あの子は私のものだもの、とか自分の所有物をどうしようと勝手だと思わない? だのいいたいことをいっている。
姉はどこか挑発的でじつに楽しげだった。
突っ込みたいのを我慢しつつ、じっとしていると、気をつけてねという声と共にドアが閉まる音が聞こえた。
姉は嬉しそうな笑みを浮かべると、お姉ちゃんああいう子好きだなあと何度も繰り返した。
本当に十鳥オガミが気に入ったようだ。
一方の十鳥オガミは何が気に入らないのか、どう考えても姉に対して敵意を抱いているとしか思えない態度だった。
昨日の騒動を思い返しながら、ロクに教えられたスイーツのお店を探していると、行き交う人の流れの中にひとつの視線を感じた。
彼女は立ち止まって僕を見ていた。
昨日、微妙なやり取りのまま別れただけに実に気まずかったかれど、知らん顔なんてできるわけもなく、僕はなるべく笑顔を作るよう顔の筋肉を柔軟にするイメージでもって彼女に相対した。
「こ、こんにちは、十鳥さん」
激しい思いをぶつけられたあとでもわざわざ家まで見送ってくれたのだし、まさか無視はないだろうと自分を鼓舞する。
十鳥オガミはお辞儀でもって返してくれた。あの特徴的な笑みは見られないけれど、わだかまっていない証左と見ていいのだろうか。
昨日は、といいかけると彼女はそれを遮るように一歩前に歩み出て、少しいいかしらと笑みを見せた。
それはあの日見せてくれた、局地的で破顔と呼ぶには程遠いけれど、控えめで品のある、やさしい自然な笑みだった。
*
十鳥さんについて向かった先は昨日の公園通りとは反対方向にある、最近瓊紅保市でぽつぽつ見かけるという新興の住宅街とは違う地域であった。
ちらほら新築の家もあるけれど、築何十年という年季の入った家屋の方がこの辺は目立つ。正直、駅前や新興住宅地などよりも気分が落ち着くのはこういうところだ。
あの笑みに触れたあと、彼女に時間はあるかと聞かれ、一瞬、シギの顔が浮かんだけれど、結局こちらを優先してしまった。スイーツも買っていない。これじゃあロクのこといえやしないな。
ひとりごちていると、十鳥さんが一軒の家の前で止まっていた。
新築の、ずいぶんと大きな家だった。
表札には
【十前イワ】
【十鳥オガミ】
とある。
……あれ?
「十鳥さん、瓊紅保に住んでるの?」
昨日家までついて来たけれど、わざわざそれだけのために再び電車で於牟寺に舞い戻ったということなのだろうか。
「私がそうしたかっただけだもの。それにお姉さんにお話もあった」
彼女は当たり前のことのようにいった。昨日の姉との会話は興味深いけれど、聞くのも憚られるような気がしたので深追いはやめた。
それにしても表札が引っかかる。
こちらも気にはなったけれど、すごくデリケートな問題かもしれない。
視線を感じ、隣りを見ると十鳥さんがこちらをじっと見ていた。何か見透かされたような気になって目を逸らしてしまう。
「祖母になんて紹介すればいいのかしら」
イワさんは彼女のお婆様らしい。
そんなことを真剣な口調でいう十鳥さんがなんとなくおかしくて、つい吹き出してしまう。
「そんなにおかしいことかしら?」
手厳しい反応を覚悟したけれど、彼女はやはり不思議そうにいう。
「友達でいいと思うよ」
そういうと彼女は自分を納得させるかのようにそうね、と頷いた。
どうやら彼女の用事とは家への招待らしい。
門扉を開けて玄関へと続く長く緩やかなアプローチを抜けると十鳥さんは重厚なドアに手をかけた。
目に飛び込んで来た光景に息を呑む。
吹き抜けの玄関ホールは外観に負けない広さだった。右手には蹴上げが低く踏み面の奥行きがたっぷり取られた、広い邸宅だからこそできる段数の多いバリアフリーが効いた階段が配置されている。おまけに正面にはエレベーターまであった。
「ただ今帰りました」
十鳥さんが声をかけると、奥からパタパタさせながら一人のご婦人が現れた。
中性色のカットソーとチュニックの重ね着にレギンスを合わせたイワさんは失礼ながら名前からは想像できない、見るからに品にある、母親といっても差し支えのないくらいの美貌を持った方であった。
「お帰りなさ」
僕を認めると、イワさんの動きが一瞬、止まった。そして再始動と同時に僕に向かってうれしそうに頷いてみせた。
「オガミ、こちらの方は?」
「友人の一ナナギさん」
イワさんはその言葉に甚く感激したようで、そうあなたもお友達を連れてくるようになったのねえとしみじみと呟いた。
「今、何か持って行くから上がってなさい」
笑顔のイワさんはそういうと、何か思い出したように、ちょっと出てくるから待っててねと突っ掛けを履いて慌しく外に出た。
上がり框をなくした玄関は大理石で作られた三和土とホールのフロアがフラットになっており、ここにもバリアフリーが効いていた。
「どうぞ」
十鳥さんに促されて揃えて出されたスリッパに足を入れる。
彼女の部屋は階段を上がってすぐだった。
ドアには『オガミちゃんの部屋』と書かれたプレートがある。よく見るとクマさんとウサギさんと思しきシルエットが両側に配置された可愛らしいプレートだった。
「祖母が作ってくれたのよ」
よっぽど食い入るように眺めてしまっていたのだろう、彼女はそう説明してくれた。
促されて中に入ると、そこはベッドと机と本棚、テーブルだけの、極めてシンプルな部屋だった。
年頃の女子が好きそうなファンシー的なグッズは当然というか、見当たらない。
女性の部屋は姉とシギ以外、知らないので、すごく新鮮な感じがする。
シンプルさだけなら姉の部屋が圧倒的であろうけれど。
「ずいぶん若いお婆様だね」
「ユニークな人でしょう」
十鳥さんが出してくれたクッションは座り心地がすごくよかった。
ホッと落ち着いていると、十鳥さんが表情を硬くしてこちらを見ていた。
「昨日は、本当にごめんなさい」
正座のまま叩頭と共にそう詫びた。
「私、ずいぶん身勝手なことをあなたにぶつけてしまっていた。あなたがどんな思いだったのか考えもしないで、自分のことばかり無理に押し通そうとした。本当にごめんなさい」
つられて僕も土下座みたいに頭を床にぶつけていた。
「そんなことをいうなら、僕だって、僕の方こそ、十鳥さんの気持ちを無下にしていたんだから、責められて当然なんだ。十鳥さんが謝るのはおかしいよ」
「だから、一さんは」
そこまでいうと十鳥さんはおかしいわねと自嘲した。
「昨日は互いに自分の考えを押し通して、今日は互いにそれを引っ込めて、挙句に謝り合うとかおかしいわ、本当」
互いに現状の滑稽さを笑い合っているうちに、いつしか彼女とは数年来の友人にでもなったような気がしてきた。
「あの日」
コンビニ事変の翌日に十鳥さんがどんな用があって話しかけてきたのか訊こうとしたけれど、彼女はそれを察して答えてくれた。
「二日遅れになったけれど、実現したわね」
「家の招待?」
「ええ、そう」
あれだけことで感謝されるのは大げさな気もする。うれしいことではあるけれど。
「私、あんな風に誰かに支持されたことがなかったから、すごく妙な気分だったの。一晩考えているうちになぜだか満たされるような不可解な気持ちになって、そういうときはきっとお礼をするべきなんだろうなと思って」
家への招待、と。しかしそれだけのことでお礼などしていたら、痴漢から救ってくれた相手などには結婚を申し込むんじゃないだろうか。一言芳恩を地で行くような話ではある。
そこまでいうと、突然、十鳥さんが立ち上がってドアノブをそっと押さえた。
静かにノブを回し、がちゃりという音もさせずに一気にドアを開けると、イワさんが正座して聞き耳を立てているところだった。
「……おやおや、まあまあ。うふふふ、お茶菓子をお持ち致しました」
涼しい顔で何事もなかったかのようにいうと、正座のまま部屋に滑り入り、テーブルにお菓子と飲み物を並べて今度は先ほどの仕草を巻き戻すみたいにすばやく廊下に滑り出た。
「ああ、そうそう」
ドアを半分閉めかけたところでイワさんが思い出したように、これから用足しに出るからあとはお願いねといった。
分かりましたと十鳥さんが答えると、たぶん、二時間くらいはかかるわねえ。いや、もっとかもしれない、あまり遅くなりそうなら泊まってくるかもしれないわと妙にうれしそうに語り、ドアを閉める間際、僕の方を見ながら、ごゆっくりと不気味に微笑んだ。
あっけに取られていると、十鳥さんがどうぞ、とお茶菓子を薦めてくれた。
菓子入れに盛られているのは子供頃に祖父母宅でよく見かけたクッキー群だった。
ホワイトロリータ、ルマンド、チョコリエール、エリーゼ、バームロール、ルーベラ……。
ロクがいうところのばあちゃん菓子。
「これ、懐かしいなあ。おばあちゃんの家でよく出された」
ホワイトロリータを摘んでしげしげと眺めていると、十鳥さんはそういうものかしらとルマンドを上品に齧っていた。
彼女の手にかかるとルマンドも有名スイーツ店のひと箱数千円もする高級品に思えてくる。
色々な種類のお菓子を消化していくうちに菓子入れの底に見慣れない、なんだか平べったくてかわいいモノが見えてきた。シギも大好きなクマのキャラクターがプリントしてある。持ち上げるとそれらは連なっており、すごく薄かった。半透明の片側からは輪っかが透けている。
「これもクッキーかな、ずいぶんと洒落たパッケージだけど……」
といいかけて、動きが止まる。
これはお菓子ではない。
「……避妊具ね」
発したのは十鳥さん。相変わらずの冷静さで僕から、それを受け取ると、実物は初めて見るわねと感心したように呟いた。
まさか常備しているとは思えない。いや、言い切るは失礼だけれど、ともかく、さっき玄関先でイワさんが慌てて出て行ったのはこれを買うためだったのか。
―――ごゆっくり。
味のある、策略に満ち満ちた不敵な笑みがよみがえる。
「お茶目な人でしょう?」
避妊具を手に十鳥さんが微笑む。そしてそれをじっと見つめながら、落ち着き払った様子で、静かに、しかしはっきりと聞き間違いでなければ彼女はこういった。
「これ、使ってみる?」
感情がみだらにかき乱される。心臓がいたずらに刺激される。ちょっと過激な妄想に浸ったときに襲われる軽いめまいにも似た感覚。
思わず視線をベッドに走らせてしまい、慌てて逸らす。
真意を確かめるように彼女を見る。
当然のように十鳥さんは顔を赤めては、いない。
避妊具を手にそんなことを口にしても、まるで浅ましさを感じない。
「……ん、なにをいうの、十鳥さん」
熟考ののち、俯きながら、結局、そんなリアクションしか返せな自分がちょっとイヤになる。
顔が熱い。とても熱い。
十鳥さんはごめんなさいと羽毛のような軽さで微笑むと、机の抽斗に避妊具を仕舞った。
………取って置くんだ。
「一さんにも選ぶ権利があるものね」
十鳥さんはもう一度ごめんなさいといい、忘れてちょうだいと付け加えた。
部屋に充満しかかった官能的な空気を振り払うようにあちこちに視軸を散らす。
机の脇に備え付けられた本棚には父の本棚にもあった文学全集と同じものらしき函入りの本が何冊か認められた。画集も何冊かある。姉の仕事柄、書斎に並んでいることもあってその名前にも馴染みがある。中でもウォーターハウスは見ているとなぜだか不安に襲われそうな錯覚に陥るので苦手だ。なぜ十鳥さんはこれが好きなのか訊きたい気もする。
さらにその下、いちばん下段にアルバムらしきものを見つけた。
ふと、表札を思い出す。
他に名前を確認できない以上、祖母のイワさんとこの大きな家で二人暮しなのだろう。
五百旗頭君は春にこっちに引っ越してきたといっていた。
「表札のこと?」
声に振り返る。視線の先に気づいたらしい。
「……えっ、あっ、はい」
飛び跳ねるように、思わず姿勢を正す。
十鳥さんは大して面白い話ではないわよと何本目か分からないルーベラに歯を立てていた。
開けるときにわざわざハサミを使っているのを不思議そうに見つめていると、ルーベラはデリケートなのでちょっとした衝撃で欠けるから、子供の頃からこうして開けるやっかいなクセがついたのと笑っていた。きれいな状態のまま食べたいのなら、面倒でもこれが確実だと微笑む十鳥さんはとても楽しげだった。
ちなみにルーベラはまっすぐ銜えたときに空気がスースー出入りするのが楽しかったりする。
「両親は健在よ」
さくっとラングドシャが砕ける。
「私、見放されたの」
何物も寄せ付けない、毅然とした口調には招き入れられてからの十数分間で築き上げられた、彼女との関係が一気に崩れてゆくような不穏で不吉な響きがあった。
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