四人の令嬢と公爵と

オゾン層

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婚約(正式)

四男の動揺、五男の余裕

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 何処までも冷たく、赤い眼光。

 それがほんの少しだけ揺らいだのを、ディトは見逃さなかった。


「今日さ、エレノアがあまりに心配してたから僕がバル兄さんに聞いてみるって約束したんだよ。だから今度は兄さんが答えてよ。兄さん自体はエレノアのことどう思ってんの?」

「…………」


 まどろっこしいのはなしに、ディトは直入で聞く。
 バルフレはしばらく黙ったままであったが、その重たそうな口をゆっくりと開いた。


「……よく話す女だと、思っている」

「それだけ?他には」

「……明るい奴だと」

「他は」

「…………面白い奴だ」


 ほとんどディトに促されて出た言葉は、バルフレにとってのエレノアの印象であった。
 しかし、それだけでは彼女の不安分子がなくならないのを、ディトは知っていた。だからこそ、もっと深掘りするのだ。


「じゃあさ、エレノアのことは好き?」



 ぱりん



 ディトがそう問うた瞬間、部屋の窓に飾られていた花瓶が割れた。突然粉々に砕けた花瓶の破片に、ディトが驚く様子はない。

 対して、バルフレはディトのことを静かに睨んでいた。静寂に包まれた眼光が、五男を射ぬかんとしている。
 しかし、その静寂も束の間、バルフレは目を伏せてしまった。この仕草をディトはよく知っていた。


「なんだ!好きなんじゃん!」

「…………」


 破顔するディトとは真逆に、バルフレは顔がどんどん険しくなる。怒っているようにも見えるが、ディトからはそう見えないらしい。


「何照れちゃってんの?そんなに恥ずかしかった?」

「黙れ」


 長年共にいた兄弟のことはよく知っている。今のバルフレはディトから見るとらしい。
 バルフレからの短い命令にディトが従うことはなく、彼はニコニコしたまま話を進める。


「これなら話は早いね!さっさとくっついちゃいなよ」

「馬鹿なことを言うな」

「えっ!だって今くっついとかないと絶対後々面倒になるよ!?」



「それができたらするに決まっている」



 バルフレの言葉は、虚しく部屋に木霊した。

 この言葉の意味を理解できるのは、恐らく兄弟だけである。だからこそ、ディトはバルフレの真意が理解できていた。


「あー……まぁ、したら怖いって気持ちはわかるけどさ、告るくらいならそう大したことはないと思うんだけど」


 『暴発』という不穏な言葉が流れたが、バルフレはそれよりも気になる点を挙げた。


「告るとは何をだ」

「いや、



 『一目惚れでした』って」





 ばきっ





 刹那、部屋が歪んだ。

 天井、壁、床に巨大な亀裂が幾多も走り、家具や装飾品から何にかけてまでヒビが入る。そこかしこからも何かが割れる音、軋む音が響き渡り、寒気が縦横無尽に駆け巡った。

 今にも崩れかねない部屋の中、唯一無傷である椅子に腰掛けるバルフレは、この世のものとは思えない鬼の形相をしており、顔のヒビは規模を広めている。真っ赤な相貌はより一層深みを増して燃えていた。


「今、何と言った」


 バルフレは言葉を放っただけだが、低く鋭さを増した声は部屋全体を震わすほどの凶器へと変貌している。
 しかし、その凶器を向けられてもなお、ディトは平然を保っていた。むしろ、先ほどよりも呆れ返った顔で、バルフレを見ていた。


「だから、『一目惚れしました』って、言えば良いのに。兄さんがエレノアを無条件で選んだのも、結局それが理由なんでしょ?兄さんのことだからそんな気がしたよ」


 弟であるディトからすれば、上の兄弟の言動はわかりやすいのだろう。

 バルフレは感情を表に出さず多言無用だ。しかし、ディトはあの日……初めて兄弟の婚約者を迎えた朝食で、見切っていた。



 バルフレはエレノアに無償で惚れていると。



 ディトの勘が鋭いことは兄弟共々承知であったが、バルフレの性格をしっかり見抜けているのは兄弟をよく見ているディトか生まれつき心が視えるラトーニァぐらいだ。



 バルフレとは、不器用で奥手な男なのだ。



 故に初めが不機嫌であったのも、エレノアが兄弟といえど他の男と話していることに『嫉妬していたから』であって、そして今この状況も、ましてや恐ろしい容貌になったバルフレも、ディトから見ればただの『照れ隠し』のようなものであった。


「兄さん……気持ちはわかるよ。一世一代の告白ってのは本当に緊張するからね。僕も30年前プロポーズした時は心臓バクバクだったしそれに」



         「ディト」



 ディトの惚気話を、バルフレは遮る。
 辺りの温度は既に人間が耐えられないほどの氷点下であった。


「お前は、今この状況を忘れたのか」


 『この状況』とは、凄惨と化したこの部屋のことだろうか。それとも凍てつくこの温度だろうか。兄から溢れるドス黒い気迫か。

 答えは全部だった。


「もし、私が今みたくすれば、あの女は耐えられると思うか」

「うーん……エレノアなら大丈夫だと思うよ」


 殺気を漂わせるバルフレに、ディトは軽いノリで答えていた。
 『暴発』やら『暴露』やら、不穏な言葉は止めどなく溢れるが、ディトはそれを危険視しているようではなかった。


「彼女、兄さんのこと『優しい』って言ってた。これって、ちゃんと兄さんのこと考えてるから思ったことないんじゃないかな?そんな人がバル兄さんのこと、拒絶するとは思えないけど。むしろ、兄さんの気持ちがわかったら彼女、喜ぶと思うよ!」

「…………」


 ディトの毒気無い笑みを、バルフレはしばらくじっと見つめていたが、次第に険しかった表情は和らぎ、普段の真顔に戻っていった。
 すると、荒れていた部屋もいつの間にか、その前の時間まで巻き戻ったかのように綺麗になっていた。


「……私の」


 バルフレが口を開く。ディトは、それに口を挟むことなく静かに見守っていた。


「私の想いを晒しても、エレノアは逃げない。そうお前は確信しているんだな」


 何処か不安げなバルフレからの問いに、ディトは笑って答えた。


「うん。エレノアは、素直なバル兄さんの方が好きになってくれると思うよ?」


 そうディトが言うと、バルフレは目を伏せて息を吐き出した。まるで緊張が解けたかのように、椅子に腰掛けていた体が少しだけ弛んだ気がした。

 バルフレは、ディトに再度顔を向ける。





「なら、もう隠さなくても良いのだろうか」



 数十年ぶりに兄が見せた表情に、ディトは笑顔を返した。
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