57 / 72
鳳凰堂女中お菊の訴え
六
しおりを挟む
縫が貞永家に嫁いでから、以前のように賑やかになったような気がする。今夜も新婚夫婦の部屋から正太郎の声が聞こえてくる。
耳は聞こえないが話ができる正太郎、耳は聞こえるが話せない縫。一方が喋り、一方は筆談で会話が成立している。正太郎の声しか届かないが、随分と二人の会話は弾んでいるようだった。ただ唯一、まるで周囲に誰かいるような妙な間が空くのが気になるだけだ。
義兄が良縁に結ばれ、手前には伊吹宗一郎という頼もしい指南役がついている。気落ちしていた義母八重も気の早いことに、孫の誕生を心待ちにし始めている。
まさか平一郎がまだ成仏していないなど努々知らない寿三郎は、義父があの世から見守っているお陰だと空に向かって手を合わせた。
再び正太郎が鳳凰堂に出向くと、お菊と仲の良かったという隣の店の女中と話ができた。確かにお菊は二年と七月程前に鳳凰堂から姿を消していたそうだ。
「でもね、お菊ちゃんに好い人なんかいなかったのよ。それなのに男と逃げたって鳳凰堂の旦那さんは決めつけたの」
奉公人たちが気づいた時には既にお菊の姿はなく、少ない荷物も消えていたそうだ。
「あれでいて勝手気ままな性分じゃないし、逃げ出すのは妙だとずっと思っていたの」
だからと言って、誰もお菊の行方を捜さなかったそうだ。
「お菊には両親、兄妹はおるのか?」
「下練馬の方に居るとは聞いたけれど、里の話は一切しなかったから」
女中と話し込んでいる様子を、物陰で一人の男がじっとうかがっている。何を隠そう鳳凰堂店主雪之丞、その人だった。
「どうして旦那はお菊を捜しているのですか?」
話が終わるや否や、雪之丞が姿を現した。
――不義理な女中の行く末なんぞ興味がないと言っていた割に、奴はやけに気にしていやがるな。
「そうですね。何か都合の悪いことでもあるのでしょうか」
雪之丞の態度が妙なので、ここは一つ賭けに出てみることにした。
「実はお菊が盗人の罪を着せられて困っていると訴えてきた。それが真かどうか調べているのだ」
お菊の弁によると、これは嘘ではない。
「はてさて、お菊は何を盗んだというのでしょうか?」
――奴め、喰いついてきたぞ。さぁ、さぁ、さぁ、正太郎、どうする?
実のところ何を盗んだのか、まだはっきりしていない。仕方がないので、正太郎は大見栄を切った。
「えぇっと、それは唐絵のついた飾り皿だ。色とりどりの花や鶯が描かれた皿らしい」
お菊の最後の覚えは唐絵の描かれた飾り皿だった。きっと、それが重要な役割を果たすに違いないと、正太郎は睨んでいる。
耳は聞こえないが話ができる正太郎、耳は聞こえるが話せない縫。一方が喋り、一方は筆談で会話が成立している。正太郎の声しか届かないが、随分と二人の会話は弾んでいるようだった。ただ唯一、まるで周囲に誰かいるような妙な間が空くのが気になるだけだ。
義兄が良縁に結ばれ、手前には伊吹宗一郎という頼もしい指南役がついている。気落ちしていた義母八重も気の早いことに、孫の誕生を心待ちにし始めている。
まさか平一郎がまだ成仏していないなど努々知らない寿三郎は、義父があの世から見守っているお陰だと空に向かって手を合わせた。
再び正太郎が鳳凰堂に出向くと、お菊と仲の良かったという隣の店の女中と話ができた。確かにお菊は二年と七月程前に鳳凰堂から姿を消していたそうだ。
「でもね、お菊ちゃんに好い人なんかいなかったのよ。それなのに男と逃げたって鳳凰堂の旦那さんは決めつけたの」
奉公人たちが気づいた時には既にお菊の姿はなく、少ない荷物も消えていたそうだ。
「あれでいて勝手気ままな性分じゃないし、逃げ出すのは妙だとずっと思っていたの」
だからと言って、誰もお菊の行方を捜さなかったそうだ。
「お菊には両親、兄妹はおるのか?」
「下練馬の方に居るとは聞いたけれど、里の話は一切しなかったから」
女中と話し込んでいる様子を、物陰で一人の男がじっとうかがっている。何を隠そう鳳凰堂店主雪之丞、その人だった。
「どうして旦那はお菊を捜しているのですか?」
話が終わるや否や、雪之丞が姿を現した。
――不義理な女中の行く末なんぞ興味がないと言っていた割に、奴はやけに気にしていやがるな。
「そうですね。何か都合の悪いことでもあるのでしょうか」
雪之丞の態度が妙なので、ここは一つ賭けに出てみることにした。
「実はお菊が盗人の罪を着せられて困っていると訴えてきた。それが真かどうか調べているのだ」
お菊の弁によると、これは嘘ではない。
「はてさて、お菊は何を盗んだというのでしょうか?」
――奴め、喰いついてきたぞ。さぁ、さぁ、さぁ、正太郎、どうする?
実のところ何を盗んだのか、まだはっきりしていない。仕方がないので、正太郎は大見栄を切った。
「えぇっと、それは唐絵のついた飾り皿だ。色とりどりの花や鶯が描かれた皿らしい」
お菊の最後の覚えは唐絵の描かれた飾り皿だった。きっと、それが重要な役割を果たすに違いないと、正太郎は睨んでいる。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
夜に咲く花
増黒 豊
歴史・時代
2017年に書いたものの改稿版を掲載します。
幕末を駆け抜けた新撰組。
その十一番目の隊長、綾瀬久二郎の凄絶な人生を描く。
よく知られる新撰組の物語の中に、架空の設定を織り込み、彼らの生きた跡をより強く浮かび上がらせたい。
武蔵要塞1945 ~ 戦艦武蔵あらため第34特別根拠地隊、沖縄の地で斯く戦えり
もろこし
歴史・時代
史実ではレイテ湾に向かう途上で沈んだ戦艦武蔵ですが、本作ではからくも生き残り、最終的に沖縄の海岸に座礁します。
海軍からは見捨てられた武蔵でしたが、戦力不足に悩む現地陸軍と手を握り沖縄防衛の中核となります。
無敵の要塞と化した武蔵は沖縄に来襲する連合軍を次々と撃破。その活躍は連合国の戦争計画を徐々に狂わせていきます。
独裁者・武田信玄
いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます!
平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。
『事実は小説よりも奇なり』
この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに……
歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。
過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。
【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い
【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形
【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人
【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある
【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である
この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。
(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)
おばけ長屋へようこそっ!!
晴海りく
歴史・時代
「一ツ柳長屋ってさ、昔おばけ長屋って言われてたけど…全然おばけ出ないよね?」
「むしろ、あの長屋の住人になりたいくらいよ!」
長屋の住人は、みんなそれぞれ訳ありな人々。
知りたい?秘密?
─じゃあ、長屋へ遊びに来てよ?─
富嶽を駆けよ
有馬桓次郎
歴史・時代
★☆★ 第10回歴史・時代小説大賞〈あの時代の名脇役賞〉受賞作 ★☆★
https://www.alphapolis.co.jp/prize/result/853000200
天保三年。
尾張藩江戸屋敷の奥女中を勤めていた辰は、身長五尺七寸の大女。
嫁入りが決まって奉公も明けていたが、女人禁足の山・富士の山頂に立つという夢のため、養父と衝突しつつもなお深川で一人暮らしを続けている。
許婚の万次郎の口利きで富士講の大先達・小谷三志と面会した辰は、小谷翁の手引きで遂に富士山への登拝を決行する。
しかし人目を避けるために選ばれたその日程は、閉山から一ヶ月が経った長月二十六日。人跡の絶えた富士山は、五合目から上が完全に真冬となっていた。
逆巻く暴風、身を切る寒気、そして高山病……数多の試練を乗り越え、無事に富士山頂へ辿りつくことができた辰であったが──。
江戸後期、史上初の富士山女性登頂者「高山たつ」の挑戦を描く冒険記。
永き夜の遠の睡りの皆目醒め
七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。
新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。
しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。
近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。
首はどこにあるのか。
そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。
※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
不屈の葵
ヌマサン
歴史・時代
戦国乱世、不屈の魂が未来を掴む!
これは三河の弱小国主から天下人へ、不屈の精神で戦国を駆け抜けた男の壮大な物語。
幾多の戦乱を生き抜き、不屈の精神で三河の弱小国衆から天下統一を成し遂げた男、徳川家康。
本作は家康の幼少期から晩年までを壮大なスケールで描き、戦国時代の激動と一人の男の成長物語を鮮やかに描く。
家康の苦悩、決断、そして成功と失敗。様々な人間ドラマを通して、人生とは何かを問いかける。
今川義元、織田信長、羽柴秀吉、武田信玄――家康の波乱万丈な人生を彩る個性豊かな名将たちも続々と登場。
家康との関わりを通して、彼らの生き様も鮮やかに描かれる。
笑いあり、涙ありの壮大なスケールで描く、単なる英雄譚ではなく、一人の人間として苦悩し、成長していく家康の姿を描いた壮大な歴史小説。
戦国時代の風雲児たちの活躍、人間ドラマ、そして家康の不屈の精神が、読者を戦国時代に誘う。
愛、友情、そして裏切り…戦国時代に渦巻く人間ドラマにも要注目!
歴史ファン必読の感動と興奮が止まらない歴史小説『不屈の葵』
ぜひ、手に取って、戦国時代の熱き息吹を感じてください!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる