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4.黒の消滅
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しおりを挟む図書室に行くのは気が重かった。
二人とイルミネーションの約束をしてしまったことも、駆と山本さんの関係も気になる。
私たちは恋人でもないし、お互い誰かとデートしても何も問題はない。
なのにどうして、こんなに全身が重いのだろう。ずっとお腹のなかにいる何かがアメーバみたいに増殖して肩や足の甲に乗っかっている。足を引きずって歩かないといけないほどに重かった。
「よ」
「わ、わあ!」
図書室の扉を開こうとして、後ろから声をかけられる。驚いて振り向くと歯を見せて笑う駆がいた。
「もう、びっくりしたあ」
駆が笑わせてくれるから、少しだけいつもの調子を取り戻せる。
作戦会議はいつも通り始まり、いつも通り終わった。
春に投稿する作品が今日は十も採用されて〝オトとキイの物語〟は順調。
そろそろ物語は夏に差しかかる。先日の水族館のおかげで、夏の話のストックも溜まっていて、このまま進めば私たちは〆切までに無事に完結を迎えることができそうだ。
そしていつも通り、私たちは最寄り駅までの道を二人で歩く。
この時間になればもう生徒はほとんどいない。深まった冬の夕方はもう夜の空をしていた。
「そういやレナもLetter部門に出すらしいよ」
「……レナ?」
話の途中、聞き馴れない名前に聞き返す。
「ああ山本のこと。山本玲奈」
冬の風が一気に喉にすべりこむ。喉を通る冷たさに私は返事ができない。
「ん? 雫も玲奈がLetterやってること知ってるんじゃないの? 玲奈が雫とも話したって言ってたけど、美術の時間」
「あ、ああ! そうそう話した。駆も知ってたんだね」
うまく駆の顔が見れそうにない。私は俯きながら答えた。会話の内容よりも駆が山本さんのことを「玲奈」と呼んでいることが気にかかる。
「俺も昨日知ったんだよ。静かなイメージあったけど、Letterのことになると結構しゃべるのな」
「……それで今日学食一緒にいたんだ」
何も取り繕えない冷たい声が出た。慌てて口角を上げてみるが、寒さで固まった唇はあまり動いてくれない。代わりに慌てて目を細める。
「そうそう。昨日盛り上がってさあ、時間が足りないから今日学食で喋ってた。玲奈はあんまり周りのこととか気にしないタイプだから」
……それじゃあ私がすごく気にするタイプみたいじゃない。ささくれだった自分の心の声に驚く。
駆の一つずつの単語がすべて気にかかって、妙にとげとげしい感情が飛び出してくる。
「玲奈、また雫とも喋りたいって言ってたよ」
「美術の時間に話してみるよ」
どうせ美術の時間に余るのは私だし。出てくる考えが本当に全部尖っている。そんな自分に内心苦笑していると、駆が私をじっと見つめていることに気づく。
「てかイルミネーション。岡林たちとも行くの?」
「な、」
なんで知ってるのか聞こうとしてやめた。香菜の声は大きい。きっとお昼の私たちの会話は駆に筒抜けだったに違いない。
「う、うん。誘われたからね」
「じゃあ俺とは行かないってこと?」
駆の顔がうまく見れない。
どういう意図で訊ねているのだろう。
駆が行くなと言ったら……? 私はどうする? 心臓が早鐘を打ち始める。
「ううん、駆とも行くよ! 楽しみにしてるし素敵なところは何度も行っても楽しいしね!」
「……でも恋人できるかもしれないんだろ? トリプルデートって聞こえたけど? そしたら俺とは行かないほうがいい」
身体に入り込んだ風が冷たく凍って、うまく息ができない。
「うーん、恋人にはならないと思うよ。私恋人が欲しいわけじゃないし」
「じゃあなんで行くの?」
駆はついに足を止めてこちらに向き合った。
「えー? だって断われなくない? 私のために言ってくれてることだし」
駆は真剣な声音なのに私はへらりと笑ってしまった。
向き合うのが怖い。
彼が空気を読んでくれることを期待して時間が過ぎるのを待つ。だけど駆は更に突きつける。
「行きたくなければ断ればいい」
「絶対行きたくないわけじゃないし……それに断れないよ」
たっぷりと間があいてもう一度駆を見ると、呆れを浮かべた目で私を見ていた。私が行きたくないと思っていることなどお見通しなのだろう。
「そんなことも断れない友達って必要?」
鋭い言葉が私を貫く。貫かれた胸に冷たい風が通り抜けていく。
「……駆は断るの?」
「断るよ、嫌なことは」
強い目が私を見た。
駆は私と似ているけど決定的に違う。
駆は空気を読むのが得意でうまく立ち回るけれど……絶対に逃げない。今もこうして私にまっすぐ向き合ってくる。
「これはおせっかいだけど。――岡林たちといるより玲奈といる方が雫も楽しいんじゃないの?」
かあと顔が熱くなる。……本当に、本当におせっかいだ。
確かに美術の時間、山本さんといて楽だ、楽しいと思った。香菜と友梨といると苦しいこともある。駆の言うことは客観的に見れば正論なのかもしれない。
だけど今三人組から飛び出て山本さんのもとにいったら、好奇の目に晒されるに決まってる。それに山本さんと仲良く出来る保証なんてなければ、山本さんも私が来るのは迷惑かもしれない。
しばらく一緒にいて違った、と思っても遅い。私の戻る場所はなくなる。
私たちはいつだって薄い氷の上にいるみたいだ。
ひび割れて落ちないように慎重に過ごすこの気持ちを……駆はわかってくれないんだ。
「あはは、そうかなあ? 確かに山本さんとは美術の時間よく一緒になるしLetterの話でも盛り上がったけど。他の話も合うかはわからないよー」
とげとげしい言葉が飛び出そうになるのを堪えて、なんとか柔らかい声を出してみる。柔らかいというよりバカみたいにへらへら笑って。
だけどきっとごまかせない。駆にはきっと愛想笑いも全部ばれてしまうから。仮面を剥がされたらどう立ち振る舞えばいいかわからない。
「玲奈は自分持ってるし一緒にいて楽だと思うよ。Letterの話も合うし。雫もLetterの話だったらどれだけでも喋れるっていうじゃん。絶対話尽きないって」
さっき上がった体温が急激に冷めていく。頭が黒く染まっていく。
ほらね。やっぱり私は透明人間だ。
自分がなくて、作り上げた仮面の下は空っぽだ。表面だけ、人に合わせてる薄っぺらい人間。そんな私のことを駆も本当は呆れてるんだ。
「……それなら駆も私じゃなくて、山本さんと小説作ればいいんじゃない」
凍ってしまった心からポロリと雫が垂れた。
零れた言葉は〝不正解〟で決してぶつけてはいけない言葉だ。
「……なんだそれ」
駆から知らない声が聞こえた。私は顔を見ることが出来ずうつむいたまま。なのに言葉は止まってくれない。
「山本さんとでもきっと作れるよ。山本さんのハンドルネーム教えてもらってこないだ見たけど、どれも素敵な作品だったし。山本さんは自分持ってるんでしょ? 私よりうまくいくんじゃない」
めちゃくちゃだ。こんなこと言うつもりなかった。
感情がぐちゃぐちゃで、怒りと焦りと恥ずかしさと、それから嫉妬と。全部かきまぜられて精査できない感情が冷たい言葉に変わっていく。
「それ本気で言ってる?」
知らない駆の声は怒りだった。うつむいたまま頷く私に「もういいわ」と冷たい声が降ってきて私の方に向けてくれていたスニーカーが離れていく。
「あ……」
呟いた時にはもう遅く。駆の背中が先を進んでいくのが見えた。
追いかけて謝ろう。言っちゃダメなことを言った。駆とどうして小説を作ることになったのか。彼がなぜ小説家になりたいと思ったのか。それを打ち明けてくれたのに。
早く謝ろう、今ならまだ間に合う! 走って追いかけて!
頭の中で鳴り響くように、心の内では大きな声で叫べるのに。足の甲には重いものがへばりついていて一歩も動けない。
私はその場に突っ立ったまま一度も振り返らない駆の背中を見つめていた。
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