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1.序章
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しおりを挟む群青色が溶けて紫のグラデーションがかかる頃。
委員の仕事を終わらせて私たちは、公園に向かっていた。
どこか話せる場所はないかと考えた結果、駅に向かう途中にある小さな公園を選んだのだ。
「秋といえば紅葉って思ったけど意外にまだ色ついてないよな」
公演に向かう道中、街路樹を見上げて駆は言った。
「私も思った。調べたら、ちょうどいい時期はもう少し後みたい」
次は秋の花だけでなく紅葉を見に行くのもいいなと思っていた、小説の題材探しに。
だけど私たちの小説作りはたった二週間で、今日で、終わりを迎える。
それ以上お互い言葉はなかった。
何か世間話をひねり出しても、それは上滑りするだけだと気づいていた。
これから語られることが明らかになるまで、この空気は変わらない。
だから公園にある木製のベンチに座ると駆はすぐに本題に入った。
「keyは俺の兄なんだ」
温度の低い風が駆の髪の毛を撫でる。瞳にはまた諦めが浮かんでいた。
「お兄さんだったんだ」
「そう。だから雫が褒めてくれた描写は兄――啓祐のもので俺は文章の才能はゼロ」
駆はカバンの中から革の手帳を取り出してぱらぱらと捲ると、keyが投稿していた三作の文字が現れた。
少し大人っぽいその手帳がお兄さんのものだと知る。
「啓祐は小説家なんだ。鍵 音太郎 って知ってる?」
「ご、ごめん。私小説あんまり読むわけじゃないから」
「はは、ごめん。知らなくて当然だよ。鍵 音太郎は存在しない作家だから」
「えっ?」
駆の言う意味を咀嚼して見るが、わからない。
駆の顔からいつもの朗らかさは完全に消えていて、秋と夕方の色が差し込んでいる。
「啓祐は俺より四歳上で、二年前に事故で死んだ」
「…………」
「啓祐は死ぬ数ヶ月前に小説の新人賞に選ばれた。それなりに有名な賞だったみたいで、現役高校生作家!とかいって華々しくデビューするはずだった」
〝存在しない作家〟の意味がわかり、唇も喉も固まり声が出ない。
「賞を取ったってそのまま本が出せるわけじゃないらしい。特に啓祐の作品はアイデアが評価されてたけど、文章とか構成は粗だらけだったみたいで大幅に変更が必要だった。啓祐の担当って人が何度か家に来てくれて両親と話し合って――どういう経緯があったかはわからないけどとにかく啓祐の小説が世に出ることはなくなった」
駆は淡々と話した。なんの感情も浮かべずに淡々と。
「出版社の人がこれじゃダメって言ったの?」
「どうだろ? 俺は詳しくは知らない。両親と出版社で話し合って何かがうまくいかなくて結果的に本は出なかった。それしかわからない」
「そっか」
「親はあの日から魂が抜けてる。啓祐が死んでからはまだ気丈に振る舞ってたんだよ。だけど半年経って正式に小説が出ないと決まった日にぷつん、と」
「…………」
想像だけでは、すべて理解はできない。
それでも想像だけでも胸が締め付けられる。当事者ならどれほどの痛みだったのだろうか。
「あの日から俺の家は死んだまま」
今度は少し想像がついた。我が家は悟がいなくなったらその日に死ぬのだろう。
「Letterのコンテストの告知を見て、これなら俺もできるんじゃ?て正直思った。小説は読まないけどLetterはいつも見てたし。そしたら雫がclearさんって知って、これはもうやるしかないだろって。……啓祐になれるわけなんてないのに」
先ほどまで表情を変えなかった駆が少しだけ眉根を寄せた。
駆の応募理由。その気持ちだけは痛いくらいにわかり、胸が紐で縛られたように悲鳴をあげた。
きっとこういうときは「お兄さんにならなくても、駆は駆だよ。ご両親は駆のことも愛してくれてるよ」って言うのが正解なんだろう。
だけど何も言えなかった。だって私の家も同じだから。
悟が死んでも私は代わりになれない。一番の席が空いたからって私はそこに座れない。ずっと空席が続くだけだ。
それでも駆は空席に座ろうともがいた。
「でも本当に甘かった。やろうと思えばやる分だけ俺がダメだって思い知らされただけ。……俺の身勝手な事情に巻き込んで本当にごめん。もうわかったんだ、俺には無理だって」
駆は苦し気に吐き出した。駆の言葉が私の中に入り込んで、息をするのが難しい。
彼は私と似ているのに――決定的に違う。
「……すごいな」
同情でも共感でもなく、私から零れたのは感嘆だった。
「え? どこが?」
「……私が駆ならコンテストに出すなんてきっとできない」
「下手すぎて?」
駆が自分をバカにしたように薄く笑う。
「違う。私はコンテストに出すことが怖いから。自分はお兄さんみたいになれないって突きつけられちゃう気がして。だから挑戦しようとするだけで……本当にすごい」
駆が本音を晒してくれた分だけ、私も自分の気持ちを少し明け渡す。
「でも俺才能ないってこの二週間でよくわかった。すごくない、これは考えなしのばかげた行動だった」
駆が笑ってまた自分自身を否定する。
その姿は、私だった。
彼は私と決定的に違う、だけど似ている。
そんな駆を見ていられなくて――。
「一緒にコンテスト応募しようよ」
自分でも驚くほどはっきりとした声が出た。
「え?」
聞き返す駆の瞳が、意味を確かめるように私を見ている。
「こないだ応募要項見直してたんだけど共作でもいいんだって。今までは駆を応援する、協力するだけの立場だったけど。一緒に作ってみようよ」
「共作っていっても俺に文才ないのわかっただろ。ただ雫が書くだけになるよ。俺と一緒にやる意味なんてない」
「……違う。秋の花のお話は、私には絶対書けなかった。駆が連れ出してくれなかったら書けない話だった」
私の声は必死だった。子供みたいにムキになっている声だ。
これは駆の中の一番柔らかい、触れられたくない場所だ。そこにずかずか踏み入ってしまっている。こんなことしてはいけない。
『勇気を出せたことがすごいよ、挑戦しただけですごい。傷つくのは嫌だよね、わかる。疲れたね、お疲れ様』そんな綺麗事を並べて笑顔で終わればいいだけだ。私たちはたった二週間、仲間になっただけのこと。
そう思うのに、私は止められなかった。
「私、秋の花を書いたときに初めて偽りのない自分の感情を書けた。それに気づかせてくれたのは駆なの。だから一緒にやる意味はあるよ」
駆は茫然と私を見ている。私だって自分の言葉に驚いている。
「一緒にやってみようよ」
自分の言葉で誰かの行動を決めようとしている。こんなのありえない、横暴で私のエゴだ。
だけど……家の中で自分の頭の中だけで閉じこもっていた私に秋の花を教えてくれた。
ろくに話したこともないクラスメイトに、ばかげたことだとわかっているのに依頼をしてくれた。
彼が私と似ているなら、その行動は大きな意味を持つことだ。
だから、私のエゴでも。諦めてほしくない。
「……わかった」
駆はそう呟くと表情を和らげて……くつくつと笑う。まさか笑いだすと思っていなかったから面食らう。
「なんでそんなに必死になってくれるの、雫」
駆の指が私の手をつついた。
そこで初めて自分の固く握りしめた拳に気づき、肩の力を抜いて笑顔を作ってみる。顔がカチコチになってしまっていたからうまく笑えなかったけど。
「ご、ごめん。図々しかった……駆の気持ち全部はわかんないけど……私も優秀な弟がいるからちょっとだけわかる……から暴走しちゃった」
少しだけ吐露すると駆は思い当たったように「なるほどね」と呟く。
「さっきclearさんの下書きにあった作品に、これ俺の気持ちか?ってのがあったんだけど……あれ雫の弟への感情か」
「どれ読んだかわからないけど、そうかも」
「わかった。応募しようコンテスト」
駆は私に向き合ってはっきりと宣言した。私が頷くと白い歯を見せて笑う。
「それで相談がある」
駆はお兄さんのものである革の手帳を開いて私に見せてくれる。
作戦会議初日に見せてくれた「〇青春恋愛 テーマ→季節」というページだ。その次のページにkeyが投稿した三作がメモされている。
「多分これ次の作品のネタだったんだと思う」
「それで……」
「俺Letterのコンテスト告知を見た時は正直『親のために啓祐と同じ小説家になろう』っていう単純な気持ちだった。でもその後すぐに啓祐の話を出したいって思った、この世に。だからkeyとして投稿もした」
手帳に走り書きされた小さなお話を改めて読む。
角ばっていて細い字を指でなぞった。ここには確かに駆のお兄さんの文字が残ってる。
「だから……雫が協力してくれるなら、啓祐が残したこのテーマで書きたい」
「そうだったんだね」
なぜこのテーマにしたのか? それを駆が答えられなかった理由もわかった。元々はお兄さんが考えたテーマだからだ。
「それならこの三つの作品を、一万文字の中に、七十回投稿する中に、入れようよ。――これはLetterだからこそできることだと思うの。私たちは一万文字の短編小説を作るんじゃない。150文字の想いをたくさん重ねるの。その中にお兄さんの150文字も絶対入れようよ」
熱っぽい声が踊り出た。
どうしてこんなに突き動かされてしまうのかわからない。こんなに熱く語るのは初めてかもしれない。
溢れた言葉たちを駆はじっと聞き、熱のこもった瞳を返してくれる。
「……うん。俺もそうしたい」
それから私と同じようにお兄さんの文字を指でなぞる。優しく、宝物を撫でるように。
「小説の季節を秋に設定したのは、この三作を超えられる気がしなかったから。この作品に影響されてなぞってしまいそうだったから」
「うん、わかる……。でも私たちは、駆は、お兄さんの代わりの作品を作るわけじゃないもんね」
「そうだ! やっぱり四季の話にしたい。啓祐の三つの150文字をいれて四季の話にしたい」
「そうしよう。代わりじゃなくて、超える必要もない。三人の作品を作ろう」
先程まで肌寒かった秋の風がぬるく感じる。
私たちの物語はまたここから始まっていく。
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