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2章 レイン・リスター

20 恋人になった夫婦

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 爽やかな青と白の世界から帰り、いつもの日常が戻ってきた。

 違うのは、職場から副所長が消えたことと所長が出社するようになったこと。副所長は事件さえなければ優秀な人だったから、引き継ぎなく突然消えてしまえば代わりをこなせるのは所長しかいない。

所長は「僕は王都が苦手なんだ」と文句を言いながら高速で大量の業務をこなしている。早く領地に帰りたいのだろう。
 私が職場に戻った初日は、皆に気遣うような目で見られているのを感じたけど、それどころではない程に仕事も溜まっているし、元々他人にあまり興味のない人たちだ。
 誰も触れて来ずいつも通りに仕事をして、いつも通りに接してくれることがありがたかった。

 誘拐事件の影響で、一つだけ私に良いニュースがあった。
 独自に改良してみたあの卵。GPS機能のようなものをつけて、それが実際に効果があったことは大きな成果だと認められた。
 あの卵の今後の研究を私がメインで行うことになったのだ。今まで私は魔力計算担当で、研究開発を主導したことはなかった。二年勤めての初めての大抜擢だ。

「本来の目的よりも、連絡手段としての機能が思いつくなあ……」
 つい独り言を洩らしてしまう。

 この卵、結構便利な品物で。
 開発中でいくつも試作品ができたから、私たちは緊急事態用だけでなく他の色を連絡手段として使っている。呼び鈴のように用があれば卵を握り、ピンクが光れば使用人が自室まで来てくれたり。
 自室で開発に集中している時に黄色が光れば「夕食ですよ」の合図だったり。我が家ではうまく活用している。

 前世の知識も総動員して考えてみる。光だけじゃなく、通話ができる簡易トランシーバーみたいなものにならないかと考えているけれど。
 どう考えても元々の防犯ブザー機能ではなく、自分が家で使いやすい便利機能を作ってしまっている!
 苦笑して今日はここまでにするかと時計を見上げると「リスターさん、旦那様が待っていらっしゃるわよ」と窓を眺めた女性職員が声をかけてくれた。


 そして、もう一つ変わったことは。レインが迎えに来るのが当たり前になった。
 「護衛もいるから大丈夫なのに」と言うけど「私がセレンと少しでもいたいんだ」とさらっと返されてしまった。


「セレン、お疲れ様」

 職場から出てすぐ、街路樹の前でいつも彼は待っている。サラサラした彼の白髪と小さく振ってくれる手が見えると自然と歩みが早くなる。

「そんなに急がなくても、今来たところだよ」
「うん」
 私が一秒でも早くレインの元に到着したかっただけだ。レインが小さくこぼす笑みを見ると胸に小さな甘さが込み上げる。

「行こうか」
 手を繋ぐのは当たり前になった。もう手袋越しでもない。

「今日はあっちの通りに行ってみましょう」
「そうだね、美味しい食堂もあるよ。夕食はそこでどう?」
「ええ、そうしましょう」

 私たちは週に一度、仕事帰りに寄り道をすることにした。
 城下町の雑貨屋を覗いてみたり、書店で大量に購入したり、素敵な花があれば連れて帰った。そうして最後には外で食事をした。




 ――先日、私が軽く言ったことを実践してくれているのだ。

「私はセレンを抱きしめることができないかわりに、セレンの望むことはなんでもしてあげたいんだ。何か希望はない?」

 恥ずかしいことを真面目な顔をしてレインは言った。

「ええと……そうね。いつもよくしてくれるから思いつかないわ」
「でも、私たち恋人になっただろう?恋人にしてほしいこととかない?」

とっくの昔に夫婦だというのに、恋人という響きが可愛くて愛しい。
そして想いが繋がっているのだと実感できて嬉しい。私はレインの恋人になったんだ、響きが私を甘くくすぐる。

「それなら……家から一緒に出掛けるんじゃなくて、待ち合わせして出かけたいわ」

 なんとかひねり出した答えだけど、レインは嬉しそうな笑顔をくれる。そしてまずは仕事帰りから始めようと時間を作ってくれるようになった。

 レインからの気持ちは十分伝わっていて、不安になったことも不満に思ったこともないのに。心に隙間はないから、レインへの気持ちがどんどん溢れていくことになった。



・・



私たちのスキンシップ治療第一章は最終段階に入っていた。

 本当に一番の目標は完治することだけれど、アナベル様主催のパーティーは目前に迫っている。
 その日までの目標は「ワルツを踊ること」だ。

「ワルツを踊る」ために必要な目標
 1.手を繋ぐ
 2.レインがセレンの背中に手を支える
 3.セレンがレインの腕に手を添える
 4.二人の右のお腹あたりをくっつける
 これらを一曲分に相当する五分程耐えること

 この目標は三つ目まではクリアしていた。
 中間目標だった「手を繋ぐ」に関しては、アナベル様の前で何時間でも繋いでいられるくらい日常の一部になっている。

 本日はパーティー前の最後の休日だから、一日かけて最後の目標を達成したいところだ。カーティスと私たちは庭で最終目標の確認をした。

「お二人ともダンス自体も上達してきましたし、四つ目の目標であるボディコンタクトがなくとも自然に見えますけどね」

 スキンシップ治療と並行してダンスを習ったおかげで、私たちのダンスは見れる状態にはなってきている。

「そもそもボディコンタクトは少し恥ずかしいわよね、誰と踊るにしても」
「次の休暇はもう決戦の日ですし、今日はゆっくりしていただいて。スキンシップ治療に挑戦せずともダンスの練習を続けるだけでいいかもしれませんね」

 ボディコンタクトがあった方が美しく踊れることは確かだが無理しなくていいのも事実だ。カーティスの言葉に賛成しようとするが、レインは小さく首を振った。


「いや、挑戦したい。少しでもセレンに触れられるようになりたいんだ」

 レインの声は固く緊張しているから心配してしまうが、カーティスは満面の笑みになる。

「いやあ、お二人の心の距離が近づいているようで嬉しいです。レイン様にこんな日が来るなんて思っていませんでしたから」

 カーティスの言葉を否定せず微笑んでいるレインに少しだけ嬉しくなる。レインが頑張ってくれるなら、私も応えたい。
 完璧なダンスにしたい、ではなく、少しでも触れられるようになりたい、と言ってくれたことを噛みしめる。

「では目標達成している部分から始めましょうか。ホールドを組んでください」

 カーティスの言葉に私たちは向かい合わせに立った。
 レインが左手を私に差しだして、その手を私が取るとゆっくりとレインが自分のもとに招いてくれる。私の肩甲骨のあたりにレインの右手がそっと乗せられて、私がレインの右腕に手を添わせた。
 これだけでもかなり距離は近いし、傍目から見ると抱き合っているようにも見える。接している場所はお互いの両手とそれを置いた場所だけなのだけど。

「では次にボディコンタクトを取ってみます。お二人の右のお腹のあたりをくっつけてください」

 今までは不自然にぽっかりと空いていたこの距離を埋める。一歩踏み出すだけだけど緊張する。
 私が戸惑ううちにレインが一歩前に出て、私のお腹に熱が広がった。
 こんなに広範囲をくっつけるのは初めてじゃないだろうか。誘拐事件の時に庇うために抱きしめる咄嗟の出来事はあったけど、自分の意志では初めてだ。


「三十秒数えますね」

 目が合うと心臓が飛び出てしまいそうなので私はじっと下を見た。レインはどんな表情をしているんだろう。見てみたい気もするけれど見てしまったら本当に私の心臓は壊れてしまう気がしたから、そのままじっと三十秒たつのを待った。
 お腹がじっとりと熱を持ち、それが全身を駆け巡る。レインの手を取った右手は汗ばんでいないか気になるし、レインの右腕に添わせた左手はぷるぷる震えてしまっている。

「はい、三十秒たちました」

「はあっ、」
 息を大きく吐いたのは私だ。気づかぬうちに息を止めてしまっていたらしい。

「あはは、セレン。私より緊張しているね。真っ赤だ」

 顔を上げるとレインはおかしそうに笑っていた。私は顔も全身も熱くて茹でダコだというのにレインは涼しい顔をしている。こんなに意識していたのは私だけだったらしい。

「そんなに照れられると、ダンスとしてのスキンシップなのに、恋人のスキンシップに思えてしまうよ」

 そう言いながらレインは嫌そうな顔は全くしていない。

「ご、ごめんなさい」
「ふふ、可愛い」

 私たちは恋人だと宣言してから、レインは好意を全く隠そうとしない。本当に心臓がもたない。

「じゃあセレン、私の部屋に行こうか。待機する時間、今日はずっと一緒にいてくれるよね?」

 そして当たり前のように手を繋いで歩み始める。

「では邪魔者は消えますので、何かあったら呼んでください。まあ呼ばれることはないと思いますけど」

 カーティスの見守るような視線に気恥ずかしくなり私は慌ててレインの後を続いた。
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