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1章 セレン・フォーウッド

11 同じ歩幅で歩くということ

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「どうしたんだい、セレン。顔が真っ青だけど」

 帰宅すると出迎えてくれたレインは私の不安にすぐに気づいてくれた。

「これを渡されたの」
「……誰に?」

 渡した紙を読んだレインは鋭い目で私を見た。

「それがわからないの、私の職場の守衛さんが預かったみたいで。知らない若い男性だと言っていたわ」
「アナベル様でしょうか?」

 後ろから現れたカーティスも紙を覗き込んでいる。レインは頷いた。

「わからないけど、その可能性は考えるしかないな」
「どうしてお義母様が?」
「あの人はそういう人だよ」

 そう答えたレインの声は初めて聞く声だった。冷たくて低くて知らない人の声だ。

「カーティス、この家の使用人の中に母の手の者がいるかもしれない。よく調べてくれる?」
「はい。しかしこの家の者は昔からレイン様に仕えている者ばかりですけどね」
「彼女に接触があったということは、私たちの治療を知っている気がする」
「焦っているかもしれませんね」

 いつも穏やかで優しいレインの目は鋭いままだった。苦々しい顔を隠そうともしない。
 話している内容も母に対するものとは思えなかった。

「今後、警備も強化した方がいいね。彼女に護衛をつけようか」
「そうですね。手配しておきます」
「頼む」

 彼らはテキバキと話を進めている。仕事の早さに安心できるけれど、いつも三人でスキンシップ治療をしているときとはまるで違う空気だ。

「明日の朝は私が会社まで送るよ。母は私がいれば手出しできないから。帰りも迎えにいくし、仕事で難しそうであれば護衛を手配しておく」

 ようやくレインは表情をやわらげて私に言った。

「ありがとう」

 私はとても聞けなかった、彼の抱える何かを。


 ・・


 翌日、宣言通りレインは職場にやってきた。

 私たちの研究者は建物の二階と三階にあり、私たち開発チームは二階を使っている。私が終わる時間を伝えていたから、その時間の数分前には到着したらしい。

 らしい、というのは私はまだ見ていないからだ。

「ちょっとフォーウッ……じゃなくてリスターさん!ご主人がいらしてるわよ!」

 そろそろ約束の時間だと席をたとうとした時に、ふと外を見た職員がレインを発見したらしい。
 言われた通り、窓の外を覗くとレインが建物の前に立っていた。私たちの視線に気づいたのか、レインは顔を上げ私たちに気づくと手を振ってくれる。

「本当に素敵な旦那様ねえ。迎えに来てくれるだなんて、愛されているのね」
 女性職員がうっとりとして言うと、副所長が「あなたはまだ仕事が残っていますよ」と突っ込んでいる。
 そんな二人に挨拶をして私はレインの元に向かった。


「セレン、お疲れ様」

 私の姿に気づくと、レインはすぐに駆け寄り笑顔を向けてくれる。なるほど、これは素敵な旦那様だ。
 レインと過ごすのはいつも自宅だから、こうして外で待ち合わせのは不思議な気分だ。

「ありがとうレイン」
「セレンさえよければ今日は外で食事をしない?」
「外で?」
「うん、もう護衛も手配できたし、せっかく外にいるからどうかな?」

 彼の言葉に後ろを振り向くと、がっしりとした体格の男性二人と目が合った。普通の街人と同じような服装をしているが彼らが護衛なのだろう。

「ぜひ」

 仕事の日にいつも着ているワンピースだ。一緒に食事に行くならもう少しおしゃれをしてくるんだったわ。と少しだけ後悔した。

 レインに案内されて、私たちが入ったレストランはワンピースでも気後れしないカジュアルなレストランだった。いくつものランプがぶら下がっていて、アンティーク調の店内を照らしている。
 こういったレストランに来るのは実は初めてだ。前世では何度か行ったことのあるダイニングバーのような店だった。
 友人がいない私は誰かと食事をしたことがないし、家族との食事も基本的には自宅が招かれた屋敷だ。

「こんな素敵なところ初めてだわ」
「セレンはお酒は飲む?」
「少しだけ」
「じゃあワインでも開けようか」

 レインが何品か頼んでくれたものはどれもおいしくて、ワインとも合う。
 家で食べる料理とは雰囲気も異なり、夢中になって食べてしまった。

「おいしい?」
「とても」
「ならよかった。セレンは美味しそうに食べるよね」

 ニコニコと見つめられるから、私の喉を流れるワインが熱を帯びたように熱くなる。
 私の顔なんて見てても面白くないはずなのに。どうしてもいつも表面に出ない感情を読み取ってくれるんだろう。


 お酒が入りふわふわとした気分は食事中だけでなく帰りも続いた。
 熱い頬を風が冷ましていく。こんな風に誰かと帰り道を歩くのも不思議な感じだ。
 隣を見るとレインはやっぱり微笑んでくれるから私の足も軽くなる。

「あっ、」

 軽くなりすぎた足はもつれてバランスを崩す。
 転ぶほどではなかったが、レインがこちらを見ていて恥ずかしい。

「セレン、手を繋ごうか」

 レインは私に手を差しだした。

「だ、大丈夫よ。少しもつれただけ」

「違うんだ、私が繋ぎたいだけ。五分経てばその項目はクリアって言ったよね?もう「手を繋ぐ」はクリアできてるし、園芸用のグローブではないけど手袋もしているし」

「でも……」

「今日は帰りが遅くなったしスキンシップ治療も中止だから。復習として。ね?」

「……そうね」

 カーティスがいないなか少し不安もあるけれど、今までの感じからすれば大丈夫そうだ。そもそも「手を繋ぐ」はクリアしている。積極的に取り入れてもいいはずだ。

 それでも、躊躇ってしまうのは。治療ではなく、本当に純粋に「手を繋ぐ」行為だからだ。

 笑顔で差し出されている手にこわごわ手を乗せる。レインが歩き出して、私も続く。

「……セレンにはアレルギー症状が出る気がしないんだ、今は。
最初は一気に接触しすぎたから出てしまったけど……今みたいに少しずつ触れていけばセレンに触れられても症状は出ないと思う」

 レインは右手を顔の高さまであげた、つられて私の左手も上がる。レインは繋がれた手を見つめた。

「いつかセレンと本当の夫婦になりたい」
「もう夫婦よ」

 気恥ずかしくてそんな風に返してしまったけど、私も同じ願いが心のどこかにあることに気づいて、胸がぎゅっと縮こまるようだった。

「セレンはまだ人を愛することが怖い?」

 レインの瞳は結婚の提案をしてくれた日からずっと変わらない。ずっと真っ直ぐで誠実だ。私を握る手に力が込められる。

「うん、でも信じてみたいの」

 私も握り返してみる。レインの笑顔がへにゃりと崩れる。この顔は初めて見たかもしれない。
 私も下手くそな笑顔を返してみる、絶対うまく笑えていないけどレインは笑い返してくれる。

 歩幅を合わせて歩くことの嬉しさを一歩ずつ踏みしめて、私たちの家に帰った。


 ・・

「ええと、ここかしら……よいしょと……くしゅん」

 資料室は埃が多い、私は小さなくしゃみをした。
 魔法具の設計書、研究資料、様々な論文。たくさんの紙の束が本棚に積まれている。
 一度ここは掃除をしたほうが良さそうね、窓もないから換気も出来ないし。

 そろそろレインが迎えに来る頃だ。急いで終わらせなければ。私は腕の中の書類の保管場所を探し始める。

「フォーウッドさん、お疲れ様。帰宅時間前なのに悪かったね」

 薄暗い資料室に明かりが差し込み、ガラガラと音を立てて荷台を押した副所長が入ってきた

「いえ、大丈夫です。もう終わるところですから」
「最後にこの箱の中身を一緒に出してくれないかい?一人で持つには重いんだ」

 荷台にはかなり大きな木箱が積まれている。あの中に入っているものなら一人で持つのは難しいだろう。

「わかりました……あれ?」

 近寄って木箱の中身を出そうと中を見るが、木箱の中には何も入っていない。「副所長これ、空――」

 箱から副所長に目線を上げようとして、首元にビリッと痛みが走る。副所長の手から雷が見える。これは……。

「君が悪いんだよ、フォーウッドさん」

 副所長の微笑みが見えたのが最後、私は暗闇に包まれた。
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