上 下
5 / 46
1章 セレン・フォーウッド

04 結婚のための唯一の条件

しおりを挟む
 

 リスター侯爵からの衝撃的な申し出の翌日、早速彼がやってきた。
 お互い仕事もあったので、退勤後に職場から割と近い我が家で話すことになったのだ。
「お姉様一人だとお断りしちゃいそうだわ」ということでリリーも私の隣に座っている。

「話をする機会をありがとう」

 お茶を飲みながら彼は微笑んだ。壁の花仲間であっても、彼は高嶺の花で誰の誘いにも乗らない人だ。そんな方がなぜここにいるのだろうか、不思議な気分だ。

「どうしてお姉様を選んでくださったのですか?」

 子供のように輝いた表情のリリーに、リスター侯爵は苦笑いをした。

「期待してくれているのに申し訳ないのですが……正直なことを言いますとロマンチックな理由ではありません。私とセレン嬢は利害が一致すると思ったのです」

「利害……?」

 リリーは訝しげな表情になる。そんなリリーに「お姉さん思いの妹さんですね」と微笑んでからリスター侯爵は話し始めた。


「まず私は事情があり半年以内に結婚相手を探さなくてはなりません。事情は後ほど説明するとして……。貴女もご両親の勧めやご家庭のご事情で結婚相手を探されていると思っていますが、合っていますか?」

 そういえば先日そんな話をしたなと思いながら私は頷いた。

「先日お二人が話しているのを聞いてしまったのですが、セレン嬢はお仕事を続けられたいのですよね?」

「はい」

「私は妻となる方が仕事を続けていても問題はありません。むしろ私の事情的にはその方がありがたいのです。
それからリスター家と言えば貴女のご両親にも納得いただけるでしょう。セレン嬢にとって、私は都合がいい相手だとは思いませんか?」

「まあそうですね」
 私の代わりにリリーが答えた。「しかし、リスター侯爵には利がないと思うのですが?」

「そんなことはありません。まず家柄的に問題ないこと。それにしても貴女がフォーウッド家のご令嬢とは驚きました、研究所で働かれていましたからね」

「それでも貴方でしたら上位貴族令嬢からもたくさんお声がけがあったのでは?」

「ええ、しかし家柄を気にするのは私の親族です。
 私自身が希望する女性は『私のことを好きでない女性』なのです。ご令嬢は皆私に愛を求めます。私はそれを返せません」

「えっ……」

 さすがのリリーも面食らってそれしか言えなかった。もちろん私も驚いて彼のことを見る。

「あまり惚れっぽくなくて、私と事務的に話してくれる方が良いのです。何度かセレン嬢とお話もしましたが、貴女は私に愛を求めませんでしたから」

「ですが、お姉様だってこれから共に過ごすうちに貴方を好きになるかもしれませんよ?」

「はい。ですからこれは交渉なのです。失礼なことを言っているのはわかっています。ですが、こちらも切実でして。貴女たちならば冷静に話を聞いて頂けると思って打ち明けてみました。もちろんお断りいただいても構いません」

 柔らかな物腰だが、固い意志が彼の中にあるのを感じる。彼から新雪のような優しさを感じていたが、さらさらの表面に隠れているものはカチカチの氷のように冷たいのかもしれない。  

「愛するな、と言うことなのかしら?」

 リリーの語尾が強くなるのを感じる。

「まあ愛して頂いても構いませんが……私からの条件はひとつです。『私に触れないで欲しい、そして私も貴女に触れません』
 それ以外でしたらなんでも叶えますし、こちらからは何も求めません。もちろん仕事を続けて頂いてもかまいません。条件は悪くないと思うのですが、いかがでしょうか?」

 涼しい顔してそう言い放つ彼は、本当にスノープリンスなのかもしれない。

 隣のリリーは「お姉様、断ってもいいのよ!」と目で激しく訴えてくる。
 恋愛結婚よりも政略結婚の多いこの世では、愛のない結婚だって溢れている。しかし結婚前にそれを宣言されると、どんな結婚生活が待っているのだろうかと身構えるのが普通だろう。触れないということは子供も望めない。しかし……

「そのお話、受けます」

 私が言うと、リリーは「お姉様!」と小さく叫んで私の腕をぎゅっと掴んだ。

「よく考えて!この方はお姉様のことを愛さないと仰っているのよ」

 リリーの言葉を受けても、微笑みを崩さないリスター侯爵を見て私は聞いた。

「少し質問をしてもいいでしょうか?」

「もちろん、どうぞ」

「まず一つ目。リスター侯爵には恋人がいらっしゃるのでしょうか?」

 彼の発言から考えて一番想像がつく理由はこれだった。身分違いや結ばれることができない相手がいるのかと思ったのだ。リリーもそう思っていたらしく頷いている。

「いいえ、いません。誓ってもいいです。それから今後も恋人を作るつもりはありません。貴女以上に大切にする方も作りません」

 こちらをまっすぐ見る彼の目は嘘を言っていないようだ。

「二つ目。先程仰っていた結婚しなければならないご事情を伺ってもいいでしょうか?」

「もちろん。私は今、結婚をするか家に戻るか、どちらか貴族の責を果たせと言われています。ですが、私は領地に帰りたくないのです。貴女と同じく私も今の仕事を続けたいのです。

二年前、私が二十の時に父が亡くなり急遽爵位を引き継ぐことになりました。私は魔法に関わる仕事がしたいので、領地経営は父の代から信頼ができる者に任せています。
しかし以前から、私を領地に戻ることを母が強く求めていまして。領地に戻りたくないのであれば結婚をしろと」

 リスター侯爵は苦笑しながら、一気に事情を吐き出した。なるほど、こちらについてはすんなり飲み込める事情だ。

「ですので、妻となる方に領地経営の手伝いだとか社交界でのお付き合いを任せるだとか、一般的な貴族夫人の仕事はさせてあげられません。しかし貴女は元々仕事もされていますし舞踏会は苦手。ちょうどいいでしょう」

「わかりました。結婚しましょう」

 私が答えると、リリーがまた私の腕を掴んだ。

「お姉様、そんな簡単に決めてしまってもいいの?」

 心配そうに私を見つめるリリーの気持ちはありがたいが、私は頷いた。

「私は少しだけリスター侯爵の気持ちがわかる気がするの」

「仕事をしたいから?」

「それもあるけど……愛を返せない件についてよ。私も男性と関わるのがどうしてかすごく怖いの」

「お姉様……」

 昔から婚約者を決める場になると、私を恐怖が支配する。なぜだかわからないけど、胸が押しつぶされそうに痛くなるのだ。

「最初から愛さなければ、裏切りもないでしょう」

 自然とその言葉が口から出ていた。なぜだろう、愛と裏切りがセットで出てくる。恋したことがないのに、まるで恋の苦しみを知っているみたいだ。

「私は誰かを愛すのが怖いの」

 ぽとん、と言葉が零れ出た。そしてしっくりくる。そうか、今まで結婚相手かもしれないと思うと恐ろしかった正体はこれだ。友人が一人も欲しくないのも、これだ。なぜだかわからないけど、誰かを大切に思うのが恐ろしかった。

 ふと顔を上げると、リスター侯爵もリリーも私を心配そうに見ていた。私の声はそれほど悲痛に満ちていた。なぜだかわからないけど泣きたくなった。


「ですから……愛さないという契約は逆に安心できるのです。愛さなければ裏切られることもありませんから」

 よくわからない不安のようなもののせいで、心配させてしまっただろうか。先程まで饒舌だった彼も押し黙っている。

 彼の方を見ると、彼はまっすぐ私を見て言った。

「私は貴女に触れることはありませんが、大切にはします。裏切りません」

 彼の瞳は言葉以上に誠実さを感じる。きっとこれは信じてもいいのだろうと私は思った。

「私も裏切りません。よろしくお願いします」

 リリーはもう何も言わなかったが、リスター侯爵が帰宅した後に私に言った。

「お姉様は気づいていないと思うけど、私たち家族はお姉様を愛してるし幸せになってほしいと思っているのよ」

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

利用されるだけの人生に、さよならを。

ふまさ
恋愛
 公爵令嬢のアラーナは、婚約者である第一王子のエイベルと、実妹のアヴリルの不貞行為を目撃してしまう。けれど二人は悪びれるどころか、平然としている。どころか二人の仲は、アラーナの両親も承知していた。  アラーナの努力は、全てアヴリルのためだった。それを理解してしまったアラーナは、糸が切れたように、頑張れなくなってしまう。でも、頑張れないアラーナに、居場所はない。  アラーナは自害を決意し、実行する。だが、それを知った家族の反応は、残酷なものだった。  ──しかし。  運命の歯車は確実に、ゆっくりと、狂っていく。

皇太子の子を妊娠した悪役令嬢は逃げることにした

葉柚
恋愛
皇太子の子を妊娠した悪役令嬢のレイチェルは幸せいっぱいに暮らしていました。 でも、妊娠を切っ掛けに前世の記憶がよみがえり、悪役令嬢だということに気づいたレイチェルは皇太子の前から逃げ出すことにしました。 本編完結済みです。時々番外編を追加します。

欠陥姫の嫁入り~花嫁候補と言う名の人質だけど結構楽しく暮らしています~

バナナマヨネーズ
恋愛
メローズ王国の姫として生まれたミリアリアだったが、国王がメイドに手を出した末に誕生したこともあり、冷遇されて育った。そんなある時、テンペランス帝国から花嫁候補として王家の娘を差し出すように要求されたのだ。弱小国家であるメローズ王国が、大陸一の国力を持つテンペランス帝国に逆らえる訳もなく、国王は娘を差し出すことを決めた。 しかし、テンペランス帝国の皇帝は、銀狼と恐れられる存在だった。そんな恐ろしい男の元に可愛い娘を差し出すことに抵抗があったメローズ王国は、何かあったときの予備として手元に置いていたミリアリアを差し出すことにしたのだ。 ミリアリアは、テンペランス帝国で花嫁候補の一人として暮らすことに中、一人の騎士と出会うのだった。 これは、残酷な運命に翻弄されるミリアリアが幸せを掴むまでの物語。 本編74話 番外編15話 ※番外編は、『ジークフリートとシューニャ』以外ノリと思い付きで書いているところがあるので時系列がバラバラになっています。

家出した伯爵令嬢【完結済】

弓立歩
恋愛
薬学に長けた家に生まれた伯爵令嬢のカノン。病弱だった第2王子との7年の婚約の結果は何と婚約破棄だった!これまでの尽力に対して、実家も含めあまりにもつらい仕打ちにとうとうカノンは家を出る決意をする。 番外編において暴力的なシーン等もありますので一応R15が付いています 6/21完結。今後の更新は予定しておりません。また、本編は60000字と少しで柔らかい表現で出来ております

【完結】大好き、と告白するのはこれを最後にします!

高瀬船
恋愛
侯爵家の嫡男、レオン・アルファストと伯爵家のミュラー・ハドソンは建国から続く由緒ある家柄である。 7歳年上のレオンが大好きで、ミュラーは幼い頃から彼にべったり。ことある事に大好き!と伝え、少女へと成長してからも顔を合わせる度に結婚して!ともはや挨拶のように熱烈に求婚していた。 だけど、いつもいつもレオンはありがとう、と言うだけで承諾も拒絶もしない。 成人を控えたある日、ミュラーはこれを最後の告白にしよう、と決心しいつものようにはぐらかされたら大人しく彼を諦めよう、と決めていた。 そして、彼を諦め真剣に結婚相手を探そうと夜会に行った事をレオンに知られたミュラーは初めて彼の重いほどの愛情を知る 【お互い、モブとの絡み発生します、苦手な方はご遠慮下さい】

旦那様の様子がおかしいのでそろそろ離婚を切り出されるみたいです。

バナナマヨネーズ
恋愛
 とある王国の北部を治める公爵夫婦は、すべての領民に愛されていた。  しかし、公爵夫人である、ギネヴィアは、旦那様であるアルトラーディの様子がおかしいことに気が付く。  最近、旦那様の様子がおかしい気がする……。  わたしの顔を見て、何か言いたそうにするけれど、結局何も言わない旦那様。  旦那様と結婚して十年の月日が経過したわ。  当時、十歳になったばかりの幼い旦那様と、見た目十歳くらいのわたし。  とある事情で荒れ果てた北部を治めることとなった旦那様を支える為、結婚と同時に北部へ住処を移した。    それから十年。  なるほど、とうとうその時が来たのね。  大丈夫よ。旦那様。ちゃんと離婚してあげますから、安心してください。  一人の女性を心から愛する旦那様(超絶妻ラブ)と幼い旦那様を立派な紳士へと育て上げた一人の女性(合法ロリ)の二人が紡ぐ、勘違いから始まり、運命的な恋に気が付き、真実の愛に至るまでの物語。 全36話

元侯爵令嬢は冷遇を満喫する

cyaru
恋愛
第三王子の不貞による婚約解消で王様に拝み倒され、渋々嫁いだ侯爵令嬢のエレイン。 しかし教会で結婚式を挙げた後、夫の口から開口一番に出た言葉は 「王命だから君を娶っただけだ。愛してもらえるとは思わないでくれ」 夫となったパトリックの側には長年の恋人であるリリシア。 自分もだけど、向こうだってわたくしの事は見たくも無いはず!っと早々の別居宣言。 お互いで交わす契約書にほっとするパトリックとエレイン。ほくそ笑む愛人リリシア。 本宅からは屋根すら見えない別邸に引きこもりお1人様生活を満喫する予定が・・。 ※専門用語は出来るだけ注釈をつけますが、作者が専門用語だと思ってない専門用語がある場合があります ※作者都合のご都合主義です。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

処理中です...