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第三章

第二十三話(終) 月の声が聴きたくて

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「行ってくるね」

「はい。多駆郎君によろしく言っておいて。あ、持たせるもの忘れてたわ」

「ん? いいよ。そういうのなんとも思わない人だし」

「そうね。んふふ」

「何よ、その笑い」

「いえ、別にー」

 母親に半分冷やかされながら玄関を出る。
 この坂を下ってゆく目的地が駅前ではない。
 途中で道を渡って森と言えるような茂みに囲まれてゆく。

「この匂い、久しぶり過ぎるなあ」

 大きな門。
 その通り方も知っている。
 難なく入り、見慣れた離れへと向かう。

「わあ、こんなにしっかりした建物なのに気づかなかったんだね、アタシ」

 天文台が目に入る。
 久しぶりだからこそ目に入ったのかも知れない。
 玄関前でじっくりと見てしまう。
 周りは暗くなっているが、存在感はしっかりと伝わる。

「あそこでいっぱい空を眺めていたはずなんだよね」

 振り返り、呼び鈴を押す。
 以前と違い、連絡を取ってから来ている。
 そのため、多駆郎もすぐにドアを開けた。

「どうも、久しぶり」

「タク! ちゃんと髭剃ってあるね」

「え? ああ、最近は剃っているよ。って、最初の会話がそれかい?」

 クスッと笑いながら中に入る。
 体は流れを覚えているようで、靴を脱ぐと階段を登ろうとした。
 だが、違和感があったようだ。

「うわあ、前より凄いことになっているよ?」

「うん、今回の開発に必要だったから。こんな工事までしたのにね」

 早貴は多駆郎の肩をポンポンと叩くと二階へ上がっていった。
 何の躊躇も無くドアを開けて部屋に入る。
 そこには以前と何も変わらない光景が待っていた。

「何なのよこれ」

「何って……マズいことあったか?」

「何も変わっていないじゃない! 安心するでしょ!」

「それこそ何だよ。怒りながら安心しないでくれ」

 早貴はズカズカと奥へ歩いてベッドに鞄を放るように置きながら座る。
 そしてベッドに身体を埋めた。

「タク、例のやつ、聴かせてよ」

「月の声でいいの?」

「そういえばその言い方、アタシが呼んだのよね」

「そうだよ。それじゃあ準備するよ」

「アタシ飲み物用意する」

「あ……」

「分かってるって。ご自慢のお茶でしょ?」

「あはは」

 軽い身のこなしでベッドから降り、階段を下りてゆく。
 早貴が戻ってくるまでの間に準備を始める流れ。
 身体がしっくり来ているのを感じるのか、軽く笑みを浮かべている。

「こいつらを立ち上げるのも久しぶりだったな。さあ、しっかり聴かせてあげてくれよ」

 アナログな摘みが並ぶ機器を中心にあちこち弄る。
 モニターの光も部屋を照らすのは数か月ぶりだ。
 開発が進まなかったために一階の機器ばかり弄っていた。

「やっぱりこいつらを弄る方が楽しいな」

 早貴もお茶を持って上がってきた。

「久しぶりだからアタシのコップ洗おうと思ったら、洗ってあったね。助手さんかな」

 この家に来た最後の日。
 浜砂は食器類を全て洗って帰っている。

「……そう」

 軽く流した多駆郎の笑顔が少し暗く変わる。
 多少なりとも心を通わせた相手。
 何も思わないなんて無理だ。

「なんだかワクワクするなあ」

 明るい早貴の声が部屋に響く。
 多駆郎も合わせて声を張った。

「こいつらもちゃんと動いてくれたよ。電波も拾えているし、大丈夫そうだ」

「触っていなかったの? それだけ忙しかったんだね」

 座布団を多駆郎の横に置き、邪魔にならない位置に座る。
 この絶妙な距離は早貴にしか分からないだろう。
 しばらくすると聞こえる音も安定してきた。

「電気、消そうか」

「うん」

 月の声を聴く時はいつも暗くする。
 機材とモニター、それに月の光だけが部屋を照らす。

「今こうしてみると、やっぱりそうなんだって分かるなあ」

「何が?」

「アタシ、タクが好きだったのよ。ずっと前から」

「え?」

 多駆郎の肩に頭を乗せる早貴。

「馬鹿だなあアタシ。ごめんね、早く気づいていれば良かったのに」

「好きって、そういう好き?」

「そうだよ。タクにはずっと恋していたみたい。それなのに何だろうね、他の人と恋をしたがってさ。そして振られて。その話をタクにする始末。アタシ最低だ」

「最低な子だったら家に入れていないけど」

「タクってさあ、冷たそうで優しいのよね。その温かい所にたどり着けたアタシは偉いと思うの」

「自分を褒めるんだ」

「うん! だって偉いじゃん」

「そうかも。オレもさ、一人で考える時間がたくさんあって、その中で思ったんだ。早貴ちゃんがいないとこんなに寂しいんだなって。その寂しい理由を探っていたら、これが恋なのかなあって、分からないなりに思えたんだよ」

「……タク」

「何?」

「今雲が出てきていない?」

 多駆郎は窓の外へ目をやる。

「いや、快晴だね」

「おかしいな。タクがアタシに恋をしているって言ったのに」

「なんだよそれ! 好きって言った人に失礼だな」

「今初めて言ったんだよ。それにアタシの方が先に言ったんだし」

「好きとは聞いていないよ」

「あれ? じゃあ、タク好き」

「じゃあって……やっぱり失礼だ」

 肩を揺らして二人は笑い合う。
 多駆郎の部屋にしてみれば、こんな二人を見ることが初めだ。
 たぶん、部屋も機材も笑っているのではないだろうか。

「一つだけ許して欲しい事があるの」

「許すって、何か悪い事していたっけ?」

「あのね、千代って分かるでしょ?」

 電波を拾う微調整をしながら話をしている多駆郎。
 やはり仕事の時より手の動きが良い。

「散々話に出てきたからね。オレと同じ幼馴染で……」

「そう」

「その子の絡みでオレに謝ることなんてあるの?」

「実はね、付き合っているの」

「……どういうこと?」

「女同士のそういう関係」

 動きを止めて早貴を見る。

「そう、なんだ。よく分からないなあ」

「親友がもっと仲良くなったって感じなんだけど、千代は付き合っているってことにしたいらしくて。付き合っている関係だそうです」

「それって謝ることなの?」

「うーん、タクと付き合うなら言っておいた方がいいのかなあって」

「オレたちって付き合うの?」

「ええっ!? 違うの?」

「はっきりそうは言ってなかったから。付き合う?」

「……できればそうしてくれると、もれなくアタシはあなたのモノになりますけど」

「えっと。なら付き合おう」

「えへへ。なんだか照れますね」

「照れる感じってこういうのか。苦手だー!」

 再び二人の肩が揺れる。
 部屋も心なしか室温が上がっているような雰囲気。

「あとね……」

「まだあるの?」

「色んな人と付き合ってごめんなさい」

 頭をちらっとかいてから、あえて早貴を見ずに言う。

「それは……正直に言うと辛かった。悲しんでいる早貴ちゃんを見るのはしんどいよ。そんなに悲しいならもうするなって言いたかったのが本音」

「そんな風に思っていてくれたんだ。やっぱりごめんなさいだよ」

「幾つか別れた話を聞く度に、なんで自分が辛くなるんだろうって思ってた。それは好きだからだって分かれば、いや、分かっていたのに恥ずかしかったんだろうな」

「それは分かる気がする」

「恥ずかしいってのが邪魔しなければ素直に言えていたのかも」

「恥ずかしいのを誤魔化すために他の人を探していたのかな。やっぱりアタシ馬鹿だあ!」

「もうさ、馬鹿どうしで夜空を見ていればいいんだよ。そうだ! 星を見に行こう」

「ここでも見えるよ?」

「天文台だよ! 早貴ちゃんのために作ったんだから」

「アタシのため!? そういうことはこう、もっと、早く言うべきでしょ!」

「月の声はあっちでも聴けるようにしてあるんだ。せっかくだ。あっちに移動しよう」

 その夜。
 二人の新しい関係は、新調した空間から始まろうとしていた。
 ――――月の声が聴きたくて。


 完。
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