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第46話 館長と副館長はそれぞれの支度を整える
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「ルーク、おはよう! いい天気だな、今夜も明日も晴天だろう。素晴らしい夜会日和だ!」
明日は一年の終わりという日。テレンス公爵夫人クララが青の客間へやってきたのはそろそろ正午になろうとする時間だった。おはようというには微妙であり、夜会日和とはいったいなんなのかとルークは思ったが、この数日のあいだにクララの独特な言動には慣れてきたので、黙ってうなずくにとどめた。
今日のクララのドレスは冬の森を思わせる常緑樹の緑で、高い襟や袖口、裾が金のレースで飾られている。パッと広げた扇もおなじ色づかいで、その動きに惹かれたようにリリが止まり木からパタパタと飛んできた。
「リリ~!」
クララの目尻がゆるみ、頬にとろけるような笑みが浮かぶ。すばやく扇をリリにさしだすと、リリは金色のレースの周囲をぐるりと飛び回って観察してから、飾り棚(クララの肩あたりの高さ)にちょこんと止まった。
「おお、今日もなんて可愛いんだ……」
ピッピ!
リリは首をキュッと伸ばしてクララの賛辞を受けている。クララは大まじめな顔でいった。
「リリ、私はルークに夜会の準備をしてもらうためにきたのだ」
ピプピ?
「夜会というのはルークを最高の状態でこの世にあらわす機会のことさ」
ピッピピ、パピ?
「ああ、おまえの主人が美しいのはよくわかっている。だが私はルークをさ・い・こ・う・に! 仕上げたいのだ!」
クララが扇と頭を同時に振って力説すると、リリは同意するようにピ―ッ!とさえずった。
いったい彼らは意思の疎通ができているのだろうか? ルークには判断がつきかねたが、クララは「よし」とうなずいてルークに向き直る。
「というわけだ、ルーク。ついに今日という日を迎えられて嬉しい。さあ、準備をしよう。皆の者を連れてきた」
クララは扇をパチンと鳴らし、するとドアがパッとひらいた。ルークはきょとんと目をみひらく。廊下には大きな箱や籠や布を抱えたお仕着せの召使が何人も並んでいる。
「準備……ですか? 今から?」
「もちろん。なになに、任せてもらえれば大丈夫だ」
召使いたちの先頭に王宮のベテラン衣装係(クララとは長年の友人でもある)があらわれた。ちなみにルークの今の服装はルークがトランクに詰めていた着替えだが、青の客間には彼女が急ぎとりそろえたワードローブが一式入っている。彼女はルークがここへ来た日、ラッセルとクララが見守る前でルークにワードローブの中身を説明し、ついでに採寸も行っていた。
「ラッセルの分は館長邸に届けておいたが、来るのはぎりぎりになるようだ。王立図書館館長と副館長が揃って出席となるわけだからな、衣装もあわせたほうがいいだろう」
クララは平然と説明した。これが王宮の習慣なのだろうか。ルークは美しい眉をちょっとあげたが、衣装係を筆頭にした召使いたちはすでに部屋に入り、壁際に並んでいる。飾り棚にとまったリリも召使いたちとおなじようにしゅっと首を伸ばしている。
まだとまどいはあったが、ラッセルが一緒ならなんとかなるにちがいない、とルークは思った。御前会議に館長と副館長がそろって出るようなものだ。〈竜のヤドリギ〉首領の探索で忙しくしていて、ちっとも姿をあらわさないラッセルだが、今晩には会えるわけだ。ルークの心臓はドクンと脈打った。
「わかりました。では……?」
「まずは湯あみを……ああ、髪を洗うのは侍女に任せてもらえないか?」
「は、はあ……」
ルークは首をひねりながら浴室に向かい、クララはパンと手を打ち合わせる。召使たちはすばやく各部屋に散ると、ベッドをマッサージ用に整えたり衣装を広げたりネイルの準備をしたりと働きはじめた。リリは飾り棚にとまったまま藍色の目をくるくる回している。
「うむ、腕が鳴る。そうそう、リリにも正装を持ってきたぞ!」
ピ?
クララが目配せすると召使いのひとりが盆を差し出した。クララの指先で、小さなドラゴンにも負担にならない、細い金の鎖が光る。鎖につけられた極薄のメダリオンにはアルドレイク王国の紋章が打ち出してある。
「思った通りだ。リリの空色に金色は相性がいい」
ピッピピー!
首に鎖をかけてもらったリリは誇らしげに胸を張った。
こうしてリリが見守る中「ルークをさ・い・こ・う・に仕上げる」作戦が青の客間で展開されているとき、ラッセルは近衛保安部隊と共にひとけのない王立図書館の別棟に足を踏み入れていた。そこは年明けに補修工事を始める予定の古い書庫で、今は空の書架が並んでいるだけだ。
「連中、罠にかかるでしょうか」
「あいつらならこの建物はドラゴンを閉じこめるのにぴったりだと思うだろう。あとはロイ次第だが、偵察員の報告は?」
「まだ首領は姿をみせていませんが、数人の仲間と接触しています。指示通り、ペラペラ嘘を吐いていますよ」
「従わないって選択肢はないのさ。今夜だな。俺は夜会を抜けてくる。首領を確保できなければ意味がないからな」
「はっ」
〈竜のヤドリギ〉一味の首領を捕まえるため、ラッセルは店主のロイに一芝居打つよう命令したのだった。彼は一度捕まったが、間抜けな保安部隊の隙をついて逃げ出し、その際にドラゴンがどこに保護されたかも盗み聞きした――という筋立てである。
ロイは首領と残りの仲間に夜闇に紛れてドラゴンを取り返すようもちかけ、その決行が今夜になる予定だ。
細々とした打ち合わせをすませると、ラッセルは館長邸に帰った。玄関で出迎えた執事が「クララ様からお届けものです」と告げた。
「姉上が何を?」
「今夜のお召し物のようです。必ず着てくるようにとご伝言が」
ラッセルは小さくため息をつきながら寝室へ向かった。テレンス公爵夫人クララの審美眼と着道楽は王侯貴族のあいだでは高く評価されているが、末っ子のラッセルに口出しすることはめったにない。
寝室に行くと届いた衣装が広げられていた。上着には豪華な刺繍がふんだんに施され、目立たないようにではあるがレースまであしらってある。さてはルークに見劣りするなということか。クララのやつ、きっとルークを飾り立てているな。ルークはそんなことをしなくても――
そんなことをしなくても、途方もなく綺麗なのに。
鏡に映る自分の隣にルークが立っているのを想像する。それだけで内側にこもった欲望が槍のようにつきあげてくる。
ラッセルはあわてて鏡から目を背けた。俺は冷静でいられるだろうか。
明日は一年の終わりという日。テレンス公爵夫人クララが青の客間へやってきたのはそろそろ正午になろうとする時間だった。おはようというには微妙であり、夜会日和とはいったいなんなのかとルークは思ったが、この数日のあいだにクララの独特な言動には慣れてきたので、黙ってうなずくにとどめた。
今日のクララのドレスは冬の森を思わせる常緑樹の緑で、高い襟や袖口、裾が金のレースで飾られている。パッと広げた扇もおなじ色づかいで、その動きに惹かれたようにリリが止まり木からパタパタと飛んできた。
「リリ~!」
クララの目尻がゆるみ、頬にとろけるような笑みが浮かぶ。すばやく扇をリリにさしだすと、リリは金色のレースの周囲をぐるりと飛び回って観察してから、飾り棚(クララの肩あたりの高さ)にちょこんと止まった。
「おお、今日もなんて可愛いんだ……」
ピッピ!
リリは首をキュッと伸ばしてクララの賛辞を受けている。クララは大まじめな顔でいった。
「リリ、私はルークに夜会の準備をしてもらうためにきたのだ」
ピプピ?
「夜会というのはルークを最高の状態でこの世にあらわす機会のことさ」
ピッピピ、パピ?
「ああ、おまえの主人が美しいのはよくわかっている。だが私はルークをさ・い・こ・う・に! 仕上げたいのだ!」
クララが扇と頭を同時に振って力説すると、リリは同意するようにピ―ッ!とさえずった。
いったい彼らは意思の疎通ができているのだろうか? ルークには判断がつきかねたが、クララは「よし」とうなずいてルークに向き直る。
「というわけだ、ルーク。ついに今日という日を迎えられて嬉しい。さあ、準備をしよう。皆の者を連れてきた」
クララは扇をパチンと鳴らし、するとドアがパッとひらいた。ルークはきょとんと目をみひらく。廊下には大きな箱や籠や布を抱えたお仕着せの召使が何人も並んでいる。
「準備……ですか? 今から?」
「もちろん。なになに、任せてもらえれば大丈夫だ」
召使いたちの先頭に王宮のベテラン衣装係(クララとは長年の友人でもある)があらわれた。ちなみにルークの今の服装はルークがトランクに詰めていた着替えだが、青の客間には彼女が急ぎとりそろえたワードローブが一式入っている。彼女はルークがここへ来た日、ラッセルとクララが見守る前でルークにワードローブの中身を説明し、ついでに採寸も行っていた。
「ラッセルの分は館長邸に届けておいたが、来るのはぎりぎりになるようだ。王立図書館館長と副館長が揃って出席となるわけだからな、衣装もあわせたほうがいいだろう」
クララは平然と説明した。これが王宮の習慣なのだろうか。ルークは美しい眉をちょっとあげたが、衣装係を筆頭にした召使いたちはすでに部屋に入り、壁際に並んでいる。飾り棚にとまったリリも召使いたちとおなじようにしゅっと首を伸ばしている。
まだとまどいはあったが、ラッセルが一緒ならなんとかなるにちがいない、とルークは思った。御前会議に館長と副館長がそろって出るようなものだ。〈竜のヤドリギ〉首領の探索で忙しくしていて、ちっとも姿をあらわさないラッセルだが、今晩には会えるわけだ。ルークの心臓はドクンと脈打った。
「わかりました。では……?」
「まずは湯あみを……ああ、髪を洗うのは侍女に任せてもらえないか?」
「は、はあ……」
ルークは首をひねりながら浴室に向かい、クララはパンと手を打ち合わせる。召使たちはすばやく各部屋に散ると、ベッドをマッサージ用に整えたり衣装を広げたりネイルの準備をしたりと働きはじめた。リリは飾り棚にとまったまま藍色の目をくるくる回している。
「うむ、腕が鳴る。そうそう、リリにも正装を持ってきたぞ!」
ピ?
クララが目配せすると召使いのひとりが盆を差し出した。クララの指先で、小さなドラゴンにも負担にならない、細い金の鎖が光る。鎖につけられた極薄のメダリオンにはアルドレイク王国の紋章が打ち出してある。
「思った通りだ。リリの空色に金色は相性がいい」
ピッピピー!
首に鎖をかけてもらったリリは誇らしげに胸を張った。
こうしてリリが見守る中「ルークをさ・い・こ・う・に仕上げる」作戦が青の客間で展開されているとき、ラッセルは近衛保安部隊と共にひとけのない王立図書館の別棟に足を踏み入れていた。そこは年明けに補修工事を始める予定の古い書庫で、今は空の書架が並んでいるだけだ。
「連中、罠にかかるでしょうか」
「あいつらならこの建物はドラゴンを閉じこめるのにぴったりだと思うだろう。あとはロイ次第だが、偵察員の報告は?」
「まだ首領は姿をみせていませんが、数人の仲間と接触しています。指示通り、ペラペラ嘘を吐いていますよ」
「従わないって選択肢はないのさ。今夜だな。俺は夜会を抜けてくる。首領を確保できなければ意味がないからな」
「はっ」
〈竜のヤドリギ〉一味の首領を捕まえるため、ラッセルは店主のロイに一芝居打つよう命令したのだった。彼は一度捕まったが、間抜けな保安部隊の隙をついて逃げ出し、その際にドラゴンがどこに保護されたかも盗み聞きした――という筋立てである。
ロイは首領と残りの仲間に夜闇に紛れてドラゴンを取り返すようもちかけ、その決行が今夜になる予定だ。
細々とした打ち合わせをすませると、ラッセルは館長邸に帰った。玄関で出迎えた執事が「クララ様からお届けものです」と告げた。
「姉上が何を?」
「今夜のお召し物のようです。必ず着てくるようにとご伝言が」
ラッセルは小さくため息をつきながら寝室へ向かった。テレンス公爵夫人クララの審美眼と着道楽は王侯貴族のあいだでは高く評価されているが、末っ子のラッセルに口出しすることはめったにない。
寝室に行くと届いた衣装が広げられていた。上着には豪華な刺繍がふんだんに施され、目立たないようにではあるがレースまであしらってある。さてはルークに見劣りするなということか。クララのやつ、きっとルークを飾り立てているな。ルークはそんなことをしなくても――
そんなことをしなくても、途方もなく綺麗なのに。
鏡に映る自分の隣にルークが立っているのを想像する。それだけで内側にこもった欲望が槍のようにつきあげてくる。
ラッセルはあわてて鏡から目を背けた。俺は冷静でいられるだろうか。
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