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第45話 王宮の薬草園に妖精が出没した件について

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 王宮の厨房は巨大である。朝早くから夜遅くまで大勢の人々が働き、やんごとない方々の毎日の食事や午後のお茶会、大人数を招いた晩餐会の準備も行う。王宮のはずれには柵にかこまれた薬草園と鶏小屋があり、この朝も下働きの少女が鶏小屋で産みたての卵を拾っていた。

 少女は卵の籠を下げて薬草園を通り抜ける。冬の薬草園は黒い土の畝に灰緑色の地味なハーブが植わっているだけだが、朝霜に太陽が照りつけて光る様子は美しかった。厨房に近い出口まであと少しというとき、薬草園を囲む柵の向こうがわに人影が見えた。

 人影はフードのついた薄いマントを羽織っている。下働きの仲間や、少女も見知っている王宮の使用人ではないことはその立ち姿だけでわかった。すらりとした背中は少女が直接話したことのない、高貴な人々のそれに似ていたからだ。

 緊張して籠の把手をぐっと握りしめる。どうやら柵のむこうから薬草園をのぞいているようだ。しばし迷ったものの、少女は意を決してそちらへ数歩進み、声をかけた。

「あの、何か御用でしょうか」
 人影が少女の方をみたとき、朝日がその顔を照らした。
 少女は口をぽかんとあけた。口をきいてはいけないものに声をかけてしまったと思ったのだ。フードの下の顔は生身の人間とは思えない美しさだった。しかもその肩には空色の羽根の生き物がとまっている。アルドレイク王国の象徴で幸運のしるしでもある、ドラゴンだ。

 わたし、妖精を呼び止めてしまったんだわ。
 どうしよう。魔法をかけられてしまうかも。

 幼いころ寝物語にきいた、妖精の邪魔をして魔法にかけられた女の子の話を思い出し、少女は立ちすくんだが、妖精は唇の端をもちあげて、この世のものとは思えない微笑みを浮かべた。
「ここは薬草園ですか?」
 男の人の声だ。
「は、はい……」
「リリが霜を舐めたがっているんです。入っても?」

 リリ? 妖精の言葉をよく理解しないまま少女はこくこくとうなずいた。そしてかくかくとした不自然な動きではあったものの、柵の出入口を指さすことに成功した。
「ありがとう」
 妖精が軽い足取りで柵に沿って歩き出したとき、少女はまたも後悔した。わたしは馬鹿だ。妖精とすれちがって、異界につれこまれたらどうしよう?
 そのあいだにも妖精は出入口をくぐろうとしていた。肩からドラゴンが飛び立って、畝のはしに着地する。ドラゴンの空色の翼に少女はみとれたが、妖精がすぐそばまできたときはハッと身をすくませた。

「リリがね、ここは王宮でも一番いい匂いがするっていうんです」

 妖精はクスリと笑ったが、そういった妖精自身からもいい匂い――匂いというか、得もいわれぬ艶めかしい気配がして、少女の頬はぽっと赤くなった。ドラゴンはしばらく畝を歩き回り、またさっと舞い上がって妖精の肩にとまった。

「あ、あの、わたしはこれで」
「あ、それ!」
 何を思ったか、妖精は少女の手にある籠を指さした。
「その卵の殻、昨日の朝のテーブルに出ていたものですね。そうか、あっちに鶏小屋があるのか」
「は、はい……?」
「どうもありがとう。お邪魔しました」

 困惑した少女に妖精は微笑みかけ、ドラゴンを肩に乗せたまま薬草園を出て行った。少女は呆然とその背中を見送った。王宮で働いて数年になるが、こんなことは初めてだった。




 青の客間に用意される朝の食卓は豪華だが、人間の食卓には似つかわしくないものがひとつだけある。割ったばかりとおぼしき卵の殻が彩色された小鉢に入れられ、うやうやしく並べられるのである。
「リリ、よかったね」

 散歩から帰ってきたルークは卵の殻をつつくリリを満足げにみやった。向かいの席には止まり木がおかれている。ちなみに寝室には七枝の燭台も用意されていた。寝台は二人余裕で眠れる大きさだが、青の客間に滞在するのはルークひとりである。ラッセルは王立図書館に隣接する館長邸に帰ってしまった。

 図書館は休館中で、ルークも新年が明けるまで休暇なのだが、ラッセルは忙しそうである。王領の森で取り逃がした〈竜のヤドリギ〉一味の行方を探っているからだ。
 彼は翌日の昼にリリを貸してほしいといって王宮にやってきた。リリはラッセルの頭に座って王宮を出ていき、夕方空を飛んで帰ってきた。そのときは ピピピピとルークにさえずって、とてもごきげんな様子だった。

 安全のため王宮から出ないでほしいというラッセルの言い分をルークはしぶしぶ聞き入れた。幸い暇を持て余すことはなかった。広大な王宮には見るべきものがいろいろあって、テレンス公爵夫人クララやハーバート・ローレンスが案内役を買ってくれた。

 それにしても、安全のために王宮にいろというのに、部屋の外では顔を出さないようにしろというのは、どうもよくわからない。

 薬草園で妖精に出会ったという少女をはじめ、王宮のあちこちでルークを目撃した人々が興奮しているというのに、当人はやはり無自覚なのだった。これらのことをテレンス公爵夫人クララがラッセルにさりげなく知らせ、やきもきさせていることだって、知る由もなかった。


   *


 大きな窓の前で椅子に座っている男。しかし両手両足を縛られて身動きできない状態である。 
 ラッセルは〈竜のヤドリギ〉の店主、ロイの前で腕を組む。蜜色の髪に空色のドラゴンが座っている。

「さあ、おまえが好き勝手にしていたドラゴンだ。再会できて嬉しいか?」
 ピピ!
「……く、来るな……来るなぁー!!! そいつを遠くへやってくれ!」
「何を怖がってる。調教したといって自慢してたじゃないか」
「お、俺が間違ってた。間違ってたから来るな、寄るな、う、う、う、うわあああああ!」
「失礼なやつだなあ。リリ、ちょいと大きくなってこいつをパクッと一飲みするのはどうだ?」
 ピ!
「あ、あ……俺が悪かった。だからそいつを……そいつを……どこかへ……なんでもする、なんでもするから!」
「ふーん」

 ラッセルは部屋の隅から空の椅子をもってくると、男の前にどっかり座った。
「じゃ、これから話す通りにやってもらおうか」

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