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第36話 木々を渡る風の誘いに
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古代帝国の遺跡は骨のように白い石でできている。
枯草のあいだに点々と残る敷石は岸辺まで続いていて、湖に面したテラスの残骸のようにみえなくもない。かろうじて門のような形を保つアーチや石柱、石の土台は途中から森の中に埋もれている。
「子供のころ来ていると思うのだが、ずいぶん記憶とちがうな」
ラッセルの言葉に管理人がうなずいて答えた。
「殿下がいらした当時はもうすこし開けていたのでしょう。このあたりは年間を通して非公開ですし、今は調査の学者も入りません。保護官と手分けしていますが、わたしも奥まで見回るのは数年に一度がやっとです」
「俺が子供のころも遺跡の奥まで行くなといわれた。迷うと助けられないぞと脅されたものだ。当時は湖のあっちがわの森でドラゴン探しをやっていた。ここへ来たのは一度だけだと思う」
「ええ、大人でも迷うのに子供はなおさらです。万が一殿下を見失ったら捜索隊を出さなければなりません。お連れの方もお気をつけください」
「ああ」
ラッセルは首をめぐらし、石のアーチの下に立つルークを見た。マントの肩に黒髪を垂らしたその姿は遺跡に降臨した古代神さながらである。まなざしは石柱のあいだを通って森の奥へむけられている。
宿屋の元主人ライリーから話を聞いてまだ数時間も経っていない。平静に見えてもショックを受けているにちがいなかった。
ルークを気づかう一方で、ラッセルはライリーの話に登場したトーマスのことが気にかかっていた。彼が女たちに渡していた「きれいな石」はドラゴンの卵だろう。森で拾ったと考えるのが妥当にしても、怪しい男たちと関わりがあったというのが気になる。
王家の宝物庫からドラゴンの卵が盗まれたのは、ルークやラッセルが生まれる前のことだ。トーマスがここで管理人をしていた時にはもう、宝物庫の箱は空になっていた。
森の管理人の仕事は王領を無断で荒らす者がいないか見回ったり、山火事や疫病の発生に気を配ることで、保護官はドラゴンや森の獣を密猟する者を取り締まっている。
ここはアルドレイク王国の始祖が精霊族の加護を受けたと伝えられる森だから、王家にとって重要ではあるが、広い森を彼らだけでくまなく見回ることなどできるはずもなく、ひそかに何かをたくらむことは不可能ではないだろう――もしもその価値があるならば……。
ラッセルはそう考えをめぐらせ、ふと管理人がものいいたげな目をしていることに気づいた。
「どうした? 何か気になることでも?」
「気のせいかもしれませんが、もっと頻繁にこのあたりを見まわる方がいいのかもしれません。前に来たときは獣のしわざだと思ったのですが……」
「異常があるのか?」
管理人は落ちつかない様子で遺跡を見回し、言葉に迷っているようだったが、ふと空に目を向けた。その視線をさらったのは宙を飛ぶドラゴンである。
ルークが空色の翼が旋回するのを見て、ハッと我に返った。
「リリ、待って」
石柱のあいだを風が渡っていく。森の匂いがする風だ。木の葉や枯草がゆれてさわさわと音が立つ。
ルークは父が同じようにここを歩く様子を想像しようとしていたのだ。あまりうまくいかなかった。ルークが記憶している父は書斎や図書館で書物に向きあっているばかりで、遺跡を調べている姿はおよそ似つかわしくない。
赤ん坊の自分がここにいたというのもやはり実感がわかないが、自分の出生についてはあきらめのような気持ちが芽生えていた。ライリーの話に登場した娘が雫型の石をお守りに握りしめていたと聞いたときから。
それにこの場所は不思議になつかしい。私は王都育ちで、森のことなど何も知らないのに。
「ルーク?」
石柱のどこかでラッセルが呼んだが、ルークの耳にもっとはっきり聞こえていたのはささやくような風の音で、目はリリの姿を追っていた。
いつのまにか、ドラゴンが向かおうとしている場所へ自分も行かなくてはいけないという気分に心を占拠されている。抗えない声に呼ばれているかのようだ。
リリも同じように感じている。
目でリリの姿を追いながら、ルークの足は小石や枯草を自然によけ、遺跡の奥へ奥へと進んでいく。石柱のあいだをジグザグに歩むその姿は、ラッセルの視界からたちまち外れてしまった。
枯草のあいだに点々と残る敷石は岸辺まで続いていて、湖に面したテラスの残骸のようにみえなくもない。かろうじて門のような形を保つアーチや石柱、石の土台は途中から森の中に埋もれている。
「子供のころ来ていると思うのだが、ずいぶん記憶とちがうな」
ラッセルの言葉に管理人がうなずいて答えた。
「殿下がいらした当時はもうすこし開けていたのでしょう。このあたりは年間を通して非公開ですし、今は調査の学者も入りません。保護官と手分けしていますが、わたしも奥まで見回るのは数年に一度がやっとです」
「俺が子供のころも遺跡の奥まで行くなといわれた。迷うと助けられないぞと脅されたものだ。当時は湖のあっちがわの森でドラゴン探しをやっていた。ここへ来たのは一度だけだと思う」
「ええ、大人でも迷うのに子供はなおさらです。万が一殿下を見失ったら捜索隊を出さなければなりません。お連れの方もお気をつけください」
「ああ」
ラッセルは首をめぐらし、石のアーチの下に立つルークを見た。マントの肩に黒髪を垂らしたその姿は遺跡に降臨した古代神さながらである。まなざしは石柱のあいだを通って森の奥へむけられている。
宿屋の元主人ライリーから話を聞いてまだ数時間も経っていない。平静に見えてもショックを受けているにちがいなかった。
ルークを気づかう一方で、ラッセルはライリーの話に登場したトーマスのことが気にかかっていた。彼が女たちに渡していた「きれいな石」はドラゴンの卵だろう。森で拾ったと考えるのが妥当にしても、怪しい男たちと関わりがあったというのが気になる。
王家の宝物庫からドラゴンの卵が盗まれたのは、ルークやラッセルが生まれる前のことだ。トーマスがここで管理人をしていた時にはもう、宝物庫の箱は空になっていた。
森の管理人の仕事は王領を無断で荒らす者がいないか見回ったり、山火事や疫病の発生に気を配ることで、保護官はドラゴンや森の獣を密猟する者を取り締まっている。
ここはアルドレイク王国の始祖が精霊族の加護を受けたと伝えられる森だから、王家にとって重要ではあるが、広い森を彼らだけでくまなく見回ることなどできるはずもなく、ひそかに何かをたくらむことは不可能ではないだろう――もしもその価値があるならば……。
ラッセルはそう考えをめぐらせ、ふと管理人がものいいたげな目をしていることに気づいた。
「どうした? 何か気になることでも?」
「気のせいかもしれませんが、もっと頻繁にこのあたりを見まわる方がいいのかもしれません。前に来たときは獣のしわざだと思ったのですが……」
「異常があるのか?」
管理人は落ちつかない様子で遺跡を見回し、言葉に迷っているようだったが、ふと空に目を向けた。その視線をさらったのは宙を飛ぶドラゴンである。
ルークが空色の翼が旋回するのを見て、ハッと我に返った。
「リリ、待って」
石柱のあいだを風が渡っていく。森の匂いがする風だ。木の葉や枯草がゆれてさわさわと音が立つ。
ルークは父が同じようにここを歩く様子を想像しようとしていたのだ。あまりうまくいかなかった。ルークが記憶している父は書斎や図書館で書物に向きあっているばかりで、遺跡を調べている姿はおよそ似つかわしくない。
赤ん坊の自分がここにいたというのもやはり実感がわかないが、自分の出生についてはあきらめのような気持ちが芽生えていた。ライリーの話に登場した娘が雫型の石をお守りに握りしめていたと聞いたときから。
それにこの場所は不思議になつかしい。私は王都育ちで、森のことなど何も知らないのに。
「ルーク?」
石柱のどこかでラッセルが呼んだが、ルークの耳にもっとはっきり聞こえていたのはささやくような風の音で、目はリリの姿を追っていた。
いつのまにか、ドラゴンが向かおうとしている場所へ自分も行かなくてはいけないという気分に心を占拠されている。抗えない声に呼ばれているかのようだ。
リリも同じように感じている。
目でリリの姿を追いながら、ルークの足は小石や枯草を自然によけ、遺跡の奥へ奥へと進んでいく。石柱のあいだをジグザグに歩むその姿は、ラッセルの視界からたちまち外れてしまった。
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