28 / 53
第28話 館長と副館長は了解にいたる
しおりを挟む
当然のことながら、ルークはその事実をすぐには受け入れることができなかった。
まあ、常識の問題である。おまえはドラゴンだといわれても、はいそうですかとうなずけるものではない。しかしルークの目の前には、たったいま自分の体から出てきた証拠がある。
おまけにルークの頭を悩ませていることはもうひとつあった。問題のレベルでいえば、今この瞬間はこちらの方が深刻である。その悩みの根源、王立図書館館長のラッセルは、長椅子でルークを膝に抱いたままその髪を撫でている。
「……落ちついたか?」
口をあけても声が出てこなくて、ルークはこくりとうなずく。ラッセルはほっと息をついた。
「ルーク、ハーバートと俺の話が聞こえたんじゃないか」
ルークは肩をぴくっと震わせ、かすれた声をあげた。
「……わ、私は盗み聞きなんて……するつもりは……」
「いいんだ。わかってる」
ラッセルの声はルークの耳に優しく響いた。今いちばん困るのはまさにこれだ、とルークは思った。
これは夢ではない。本物のラッセルだ。彼の目の前で、自分は意味不明の衝動にかられて恥ずかしいことをしてしまったというのに、ラッセルは怒りもせず嫌がりもせず、こうしてルークを労わっている。
さらに困惑するのはルークも今のこの状態が心地よいということだ。これまでルークはラッセルを前にするたび、心臓がどきどきしたり体が火照ったりして困惑していたのに、ゼロの距離まで近づいた今はそんなことはなく、このままラッセルの体温を感じていたいと思ってしまう。さらにラッセルも同じように感じているのでは、とまで考えてしまう。さっきから腰にかたい感触がときどき当たるからだ。
しかしラッセルは、ルークが落ちついたとわかるともぞもぞと動いて、ルークを長椅子にもたれさせた。
「王家にはこれまで伴侶に迎えたドラゴンの記録がいくつか伝わっている。その中には、ショックを受けることがあるたびに卵を産んだという話もある。ひょっとしたら俺とハーバートの話がきっかけになったのかも……」
「でも館長、私には父がいて……たしかに母がどんな人かは知ら――」
ルークはハッと口をつぐんだ。父である教授はいつも、ルークは旅先で生まれたのだといった。母親については自分が生まれたときに亡くなったと思いこんでいたが、父がはっきりそういったことはあっただろうか?
ルークは思わず考えこんだが、ラッセルはそんな彼をみつめたまましばらくのあいだ黙っていた。やがて穏やかな声でいった。
「ルーク。このことは俺の胸におさめておくから、安心してほしい。これからも副館長として、その……俺を支えてほしい」
「も、もちろんです。私こそ……」
そういいながら顔をあげると、ラッセルの目がルークを見返している。ズキッと胸の奥に甘い痛みが刺した。私はまた変になった気がする、とルークは思ったが、どうにか言葉を続けた。
「今考えていたのですが、ひょっとしたらこの……体質のせいだったのかもしれません。私が館長に時々……失礼な態度をとっていたのは」
「え? いや、俺はそんなことはべつに……」
「このドラゴン……の体質は」――ルークは精霊族とか擬態とか、そういったことは考えたくなかったので、このさい〈体質〉で通すことにした――「さっき聞いた話を考えあわせると、王家の方々に反応する何かがあるのかもしれません。だからあなたの前に出ると、私は、いつもその、あの、変になって」
ラッセルはきょとんとした。
「……そうだったのか?」
「さっきの醜態もきっとそれで……」
ラッセルはあわててルークをさえぎった。
「いや、謝るようなことじゃない。つまり結局俺のせいってことだろう? とにかく副館長、俺は何も迷惑じゃなかった! 何ひとつ! これからも!」
「ありがとうございます。……館長」
ルークの目もとがほのかに赤く染まっている。ラッセルの心臓がどくんと跳ねた。数秒、いや数十秒だろうか、沈黙が落ちた。
何かいわなくては! ラッセルは焦った。
「そ、そうだ、副館長。その卵の扱いには気をつけてほしい。そういえば〈竜のヤドリギ〉の店主に卵を見せたといったな?」
ルークはあっと小さく口をあけた。桜色の唇の動くさまに、ラッセルの胸の奥がまたどくんと鳴った。
「ええ」
「色の違う卵がひとつずつ。つまりあの男は、〈竜のヤドリギ〉のサブスクではないドラゴンが副館長のところにいる――隠していると思っているかもしれない。あの店はどうも怪しい。できるだけ近寄らない方がいい」
「しかし館長、リリはあの店の……」
「そうか。定期飼育権か……」
なるほど、巧妙な仕組みだ。ラッセルは心の中で唸った。〈竜のヤドリギ〉のドラゴンの出所をつきとめるにはどうしたらいいだろう。
「そのことはまた今度……考えよう。と、とにかく今日は疲れただろう、ルーク。官舎まで送ろう」
「いえ、大丈夫です。すぐそこですし……」
「だめだ。例の店主は今日も図書館に来たんだろう? 帰り支度をして……」
ラッセルは副館長室に通じるドアのノブを回したが、ドアは向こう側から押さえつけられているかのように動かない。首をかしげながら振り向くと、ルークは長椅子に座ったまま耳まで赤くなっていた。
その夜、王立図書館を退勤した職員数人は、おどろくべき光景を目撃した。
彼らは館長と副館長が肩を並べて、それもほとんど触れそうな距離で、官舎の方へ歩いていくのを見たのだ。
副館長のドラゴンはふたりの頭上をパタパタと飛んでいた。二、三度、館長の頭のてっぺんをつついていた、という証言もある。
まあ、常識の問題である。おまえはドラゴンだといわれても、はいそうですかとうなずけるものではない。しかしルークの目の前には、たったいま自分の体から出てきた証拠がある。
おまけにルークの頭を悩ませていることはもうひとつあった。問題のレベルでいえば、今この瞬間はこちらの方が深刻である。その悩みの根源、王立図書館館長のラッセルは、長椅子でルークを膝に抱いたままその髪を撫でている。
「……落ちついたか?」
口をあけても声が出てこなくて、ルークはこくりとうなずく。ラッセルはほっと息をついた。
「ルーク、ハーバートと俺の話が聞こえたんじゃないか」
ルークは肩をぴくっと震わせ、かすれた声をあげた。
「……わ、私は盗み聞きなんて……するつもりは……」
「いいんだ。わかってる」
ラッセルの声はルークの耳に優しく響いた。今いちばん困るのはまさにこれだ、とルークは思った。
これは夢ではない。本物のラッセルだ。彼の目の前で、自分は意味不明の衝動にかられて恥ずかしいことをしてしまったというのに、ラッセルは怒りもせず嫌がりもせず、こうしてルークを労わっている。
さらに困惑するのはルークも今のこの状態が心地よいということだ。これまでルークはラッセルを前にするたび、心臓がどきどきしたり体が火照ったりして困惑していたのに、ゼロの距離まで近づいた今はそんなことはなく、このままラッセルの体温を感じていたいと思ってしまう。さらにラッセルも同じように感じているのでは、とまで考えてしまう。さっきから腰にかたい感触がときどき当たるからだ。
しかしラッセルは、ルークが落ちついたとわかるともぞもぞと動いて、ルークを長椅子にもたれさせた。
「王家にはこれまで伴侶に迎えたドラゴンの記録がいくつか伝わっている。その中には、ショックを受けることがあるたびに卵を産んだという話もある。ひょっとしたら俺とハーバートの話がきっかけになったのかも……」
「でも館長、私には父がいて……たしかに母がどんな人かは知ら――」
ルークはハッと口をつぐんだ。父である教授はいつも、ルークは旅先で生まれたのだといった。母親については自分が生まれたときに亡くなったと思いこんでいたが、父がはっきりそういったことはあっただろうか?
ルークは思わず考えこんだが、ラッセルはそんな彼をみつめたまましばらくのあいだ黙っていた。やがて穏やかな声でいった。
「ルーク。このことは俺の胸におさめておくから、安心してほしい。これからも副館長として、その……俺を支えてほしい」
「も、もちろんです。私こそ……」
そういいながら顔をあげると、ラッセルの目がルークを見返している。ズキッと胸の奥に甘い痛みが刺した。私はまた変になった気がする、とルークは思ったが、どうにか言葉を続けた。
「今考えていたのですが、ひょっとしたらこの……体質のせいだったのかもしれません。私が館長に時々……失礼な態度をとっていたのは」
「え? いや、俺はそんなことはべつに……」
「このドラゴン……の体質は」――ルークは精霊族とか擬態とか、そういったことは考えたくなかったので、このさい〈体質〉で通すことにした――「さっき聞いた話を考えあわせると、王家の方々に反応する何かがあるのかもしれません。だからあなたの前に出ると、私は、いつもその、あの、変になって」
ラッセルはきょとんとした。
「……そうだったのか?」
「さっきの醜態もきっとそれで……」
ラッセルはあわててルークをさえぎった。
「いや、謝るようなことじゃない。つまり結局俺のせいってことだろう? とにかく副館長、俺は何も迷惑じゃなかった! 何ひとつ! これからも!」
「ありがとうございます。……館長」
ルークの目もとがほのかに赤く染まっている。ラッセルの心臓がどくんと跳ねた。数秒、いや数十秒だろうか、沈黙が落ちた。
何かいわなくては! ラッセルは焦った。
「そ、そうだ、副館長。その卵の扱いには気をつけてほしい。そういえば〈竜のヤドリギ〉の店主に卵を見せたといったな?」
ルークはあっと小さく口をあけた。桜色の唇の動くさまに、ラッセルの胸の奥がまたどくんと鳴った。
「ええ」
「色の違う卵がひとつずつ。つまりあの男は、〈竜のヤドリギ〉のサブスクではないドラゴンが副館長のところにいる――隠していると思っているかもしれない。あの店はどうも怪しい。できるだけ近寄らない方がいい」
「しかし館長、リリはあの店の……」
「そうか。定期飼育権か……」
なるほど、巧妙な仕組みだ。ラッセルは心の中で唸った。〈竜のヤドリギ〉のドラゴンの出所をつきとめるにはどうしたらいいだろう。
「そのことはまた今度……考えよう。と、とにかく今日は疲れただろう、ルーク。官舎まで送ろう」
「いえ、大丈夫です。すぐそこですし……」
「だめだ。例の店主は今日も図書館に来たんだろう? 帰り支度をして……」
ラッセルは副館長室に通じるドアのノブを回したが、ドアは向こう側から押さえつけられているかのように動かない。首をかしげながら振り向くと、ルークは長椅子に座ったまま耳まで赤くなっていた。
その夜、王立図書館を退勤した職員数人は、おどろくべき光景を目撃した。
彼らは館長と副館長が肩を並べて、それもほとんど触れそうな距離で、官舎の方へ歩いていくのを見たのだ。
副館長のドラゴンはふたりの頭上をパタパタと飛んでいた。二、三度、館長の頭のてっぺんをつついていた、という証言もある。
777
お気に入りに追加
1,337
あなたにおすすめの小説
転移したらなぜかコワモテ騎士団長に俺だけ子供扱いされてる
塩チーズ
BL
平々凡々が似合うちょっと中性的で童顔なだけの成人男性。転移して拾ってもらった家の息子がコワモテ騎士団長だった!
特に何も無く平凡な日常を過ごすが、騎士団長の妙な噂を耳にしてある悩みが出来てしまう。
俺は北国の王子の失脚を狙う悪の側近に転生したらしいが、寒いのは苦手なのでトンズラします
椿谷あずる
BL
ここはとある北の国。綺麗な金髪碧眼のイケメン王子様の側近に転生した俺は、どうやら彼を失脚させようと陰謀を張り巡らせていたらしい……。いやいや一切興味がないし!寒いところ嫌いだし!よし、やめよう!
こうして俺は逃亡することに決めた。
性悪なお嬢様に命令されて泣く泣く恋敵を殺りにいったらヤられました
まりも13
BL
フワフワとした酩酊状態が薄れ、僕は気がつくとパンパンパン、ズチュッと卑猥な音をたてて激しく誰かと交わっていた。
性悪なお嬢様の命令で恋敵を泣く泣く殺りに行ったら逆にヤラれちゃった、ちょっとアホな子の話です。
(ムーンライトノベルにも掲載しています)
異世界で8歳児になった僕は半獣さん達と仲良くスローライフを目ざします
み馬
BL
志望校に合格した春、桜の樹の下で意識を失った主人公・斗馬 亮介(とうま りょうすけ)は、気がついたとき、異世界で8歳児の姿にもどっていた。
わけもわからず放心していると、いきなり巨大な黒蛇に襲われるが、水の精霊〈ミュオン・リヒテル・リノアース〉と、半獣属の大熊〈ハイロ〉があらわれて……!?
これは、異世界へ転移した8歳児が、しゃべる動物たちとスローライフ?を目ざす、ファンタジーBLです。
おとなサイド(半獣×精霊)のカプありにつき、R15にしておきました。
※ 独自設定、造語、出産描写あり。幕開け(前置き)長め。第21話に登場人物紹介を載せましたので、ご参考ください。
★お試し読みは、第1部(第22〜27話あたり)がオススメです。物語の傾向がわかりやすいかと思います★
★第11回BL小説大賞エントリー作品★最終結果2773作品中/414位★応援ありがとうございました★
転生貧乏貴族は王子様のお気に入り!実はフリだったってわかったのでもう放してください!
音無野ウサギ
BL
ある日僕は前世を思い出した。下級貴族とはいえ王子様のお気に入りとして毎日楽しく過ごしてたのに。前世の記憶が僕のことを駄目だしする。わがまま駄目貴族だなんて気づきたくなかった。王子様が優しくしてくれてたのも実は裏があったなんて気づきたくなかった。品行方正になるぞって思ったのに!
え?王子様なんでそんなに優しくしてくるんですか?ちょっとパーソナルスペース!!
調子に乗ってた貧乏貴族の主人公が慎ましくても確実な幸せを手に入れようとジタバタするお話です。
幽閉王子は最強皇子に包まれる
皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。
表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。
そばかす糸目はのんびりしたい
楢山幕府
BL
由緒ある名家の末っ子として生まれたユージン。
母親が後妻で、眉目秀麗な直系の遺伝を受け継がなかったことから、一族からは空気として扱われていた。
ただ一人、溺愛してくる老いた父親を除いて。
ユージンは、のんびりするのが好きだった。
いつでも、のんびりしたいと思っている。
でも何故か忙しい。
ひとたび出張へ出れば、冒険者に囲まれる始末。
いつになったら、のんびりできるのか。もう開き直って、のんびりしていいのか。
果たして、そばかす糸目はのんびりできるのか。
懐かれ体質が好きな方向けです。今のところ主人公は、のんびり重視の恋愛未満です。
全17話、約6万文字。
期待外れの後妻だったはずですが、なぜか溺愛されています
ぽんちゃん
BL
病弱な義弟がいじめられている現場を目撃したフラヴィオは、カッとなって手を出していた。
謹慎することになったが、なぜかそれから調子が悪くなり、ベッドの住人に……。
五年ほどで体調が回復したものの、その間にとんでもない噂を流されていた。
剣の腕を磨いていた異母弟ミゲルが、学園の剣術大会で優勝。
加えて筋肉隆々のマッチョになっていたことにより、フラヴィオはさらに屈強な大男だと勘違いされていたのだ。
そしてフラヴィオが殴った相手は、ミゲルが一度も勝てたことのない相手。
次期騎士団長として注目を浴びているため、そんな強者を倒したフラヴィオは、手に負えない野蛮な男だと思われていた。
一方、偽りの噂を耳にした強面公爵の母親。
妻に強さを求める息子にぴったりの相手だと、後妻にならないかと持ちかけていた。
我が子に爵位を継いで欲しいフラヴィオの義母は快諾し、冷遇確定の地へと前妻の子を送り出す。
こうして青春を謳歌することもできず、引きこもりになっていたフラヴィオは、国民から恐れられている戦場の鬼神の後妻として嫁ぐことになるのだが――。
同性婚が当たり前の世界。
女性も登場しますが、恋愛には発展しません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる