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第7話 ルークとリリの「ていねいな暮らし」
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さて、館長と副館長がおたがいをどう思っていたとしても、ふたりの態度は周囲からみると「仲悪そう」のひとことだった。ルークはラッセルを前にしたときはいつも表情がこわばっているし(ちなみに他の職員に対しては、いつもではないにせよ、もうすこし柔軟な顔つきをする)、ラッセルはラッセルで、他の職員に対するときは地位や身分にかかわらず親しみある態度をみせるくせに、ルークの前ではおかしくなる。
ルークがリリを飼い始めても、そこにたいした変化はいまのところみられなった。しかしこれ以外の点では、ルークの日常は劇的な変化をとげた。
官舎で一人暮らしをしていたこれまでのルークは、仕事を終えても、食堂で簡単な夕食をすませると書庫にこもって調べものや読書にふけるのが常だった。図書館からすぐの官舎に戻るのは夜も遅くなってから。朝の寝起きはよいとはいえず、ぼうっとしたまま身支度をすませ、朝食は官舎の出口で売っているドーナツとコーヒーを執務室に持ちこんですませる、といった具合である。
それがいまはどうだ。リリが散歩の前に朝食(新鮮な鶏卵の殻)をねだるので、ルークは毎朝早起きして、官舎の小さなキッチンで目玉焼きを作っている。
ほんとうのことをいえば、ルークは目玉焼きよりもオムレツが好きだった。ところが初日に挑戦したら、新鮮な鶏卵はルークがオムレツとして思い描いていたもの――ふんわりした黄色の半月で、割った中身は半熟とろとろ――とはかけ離れた物体に変わってしまった。そこで翌日からは目玉焼きに取り組んでいる。こちらはなんとか目玉焼きのイメージに近いものになる。
ちなみにリリはゆで卵の殻には見向きもしない。
目玉焼き、バターつきパン、ミルクと紅茶。卵とパンとミルクは〈竜のヤドリギ〉のサブスクオプション「ドラゴンと朝食を」を選択すると、官舎まで配達してくれる。少々割高になるものの、ルークのように食事のほとんどを勤務先の食堂などですませてきた人間には便利だった。
リリはとっくにテーブルに――ルークの席の向かいにいる。ルークが卵の殻をならべて「朝ごはんだ」というと、藍色の目の中で白い星がきらきら輝く。
〈竜のヤドリギ〉のマニュアルは、夜中にドラゴンを部屋に放すことを禁じているため、ルークと一緒に帰宅したあと、リリは覆いをかけた籠に入れられる。しばらくのあいだ籠からは羽根が擦れるサラサラ、パタパタという音や、鉤爪がひっかく音が響いているが、やがて静かになる。ルークが覆いをもちあげて中をのぞきこむと、リリは首をまるめてぴくりとも動かない。
眠っていてもリリはかわいらしかった。ドラゴンも夢をみるのだろうか。
そして夜明けがくると、リリはルークよりずっと早く目を覚まし、籠を鳴らして起こすのだった。晴れた日は朝食のあと、まだ人の少ない大学街をリリと一緒に散歩してから、図書館へ向かうのがルークの日課となった。
もっともルークとしても、自分がここまでドラゴンを気に入ったことを少々奇妙に思っていた。はじめて〈竜のヤドリギ〉に足を踏み入れ、籠の中のドラゴンたちをみたときに感じた奇妙な安らぎや、リリと目をあわせたときに感じた強烈な何かはいったい何だったのだろう。
しかしリリと生活をはじめると、ルークのささいな疑問はドラゴンとの充実した日常にすぐ埋もれてしまった。 精霊族のドラゴンは人間がつけた名前など覚えないし、反応もしない――〈竜のヤドリギ〉の店主はそういったが、ルークにはとても信じられなかった。
ドラゴンをサブスクしてから、ルークの血色はすこし良くなり、夜も以前より熟睡できるようになった。そんなルークの変化は、王立図書館を中心とした大学街の早朝にも影響をおよぼした。
「どうしたの、ずいぶん早起きじゃないの。試験前でもないのに」
「ええ、いいお天気ですからね」
これは学寮近くのコーヒースタンドの前で交わされた会話である。コーヒーを片手に返事をしたのは、これまでは試験前でもぎりぎりで講義室に駆けこんでいた学生だ。
「ははは、早起きっていいことがあるってやっとわかったんです」
「ルークさん見物ならそっちじゃない、あっちを通るよ」
視線のさだまらない学生にスタンドの亭主はあっさり教えた。同様の学生が何人もコーヒーを買っていったからだ。
「ちょ、ちょっとここにいていいですか?」
「いいけど、次の客が来るまでだ。客が来たらあっちへ行きなさい」
学生は指さされた方向をみた。街路樹の影に数人が固まって立っている。
「まさか彼らも?」
スタンドの亭主は満面の笑みでこたえた。
「ルークさんがドラゴンを飼ってからというもの、客が増えてな。ありがたいありがたい」
なんということだ。学生がそう思ったのも一瞬のことだった。誰かが「あっ」と小さく叫んだからだ。
「来た!」
「リリちゃんが見えた!」
「はいはい、次の客だ。あんたもあっちへ行って」
亭主は学生へ鷹揚に手を振りながら、やはり街路の先へ目を凝らした。パタパタと宙を飛ぶドラゴンの下でルークの黒髪がなびいている。あいかわらず誰がみても美しい男だが、ドラゴンを連れたいまはほとんど神秘的なオーラが加わっている。
亭主は内心ほくそえんだ。ドラゴンと散歩するルークをひと目見ようと、これまで遅刻ぎりぎりだった学生や職員は早起きするようになり、コーヒースタンドも繁盛している。
こうしてルークがドラゴンのサブスクをはじめてから、王立図書館や大学街の人々は――たいていの人は――幸せになった。
ルークがリリを飼い始めても、そこにたいした変化はいまのところみられなった。しかしこれ以外の点では、ルークの日常は劇的な変化をとげた。
官舎で一人暮らしをしていたこれまでのルークは、仕事を終えても、食堂で簡単な夕食をすませると書庫にこもって調べものや読書にふけるのが常だった。図書館からすぐの官舎に戻るのは夜も遅くなってから。朝の寝起きはよいとはいえず、ぼうっとしたまま身支度をすませ、朝食は官舎の出口で売っているドーナツとコーヒーを執務室に持ちこんですませる、といった具合である。
それがいまはどうだ。リリが散歩の前に朝食(新鮮な鶏卵の殻)をねだるので、ルークは毎朝早起きして、官舎の小さなキッチンで目玉焼きを作っている。
ほんとうのことをいえば、ルークは目玉焼きよりもオムレツが好きだった。ところが初日に挑戦したら、新鮮な鶏卵はルークがオムレツとして思い描いていたもの――ふんわりした黄色の半月で、割った中身は半熟とろとろ――とはかけ離れた物体に変わってしまった。そこで翌日からは目玉焼きに取り組んでいる。こちらはなんとか目玉焼きのイメージに近いものになる。
ちなみにリリはゆで卵の殻には見向きもしない。
目玉焼き、バターつきパン、ミルクと紅茶。卵とパンとミルクは〈竜のヤドリギ〉のサブスクオプション「ドラゴンと朝食を」を選択すると、官舎まで配達してくれる。少々割高になるものの、ルークのように食事のほとんどを勤務先の食堂などですませてきた人間には便利だった。
リリはとっくにテーブルに――ルークの席の向かいにいる。ルークが卵の殻をならべて「朝ごはんだ」というと、藍色の目の中で白い星がきらきら輝く。
〈竜のヤドリギ〉のマニュアルは、夜中にドラゴンを部屋に放すことを禁じているため、ルークと一緒に帰宅したあと、リリは覆いをかけた籠に入れられる。しばらくのあいだ籠からは羽根が擦れるサラサラ、パタパタという音や、鉤爪がひっかく音が響いているが、やがて静かになる。ルークが覆いをもちあげて中をのぞきこむと、リリは首をまるめてぴくりとも動かない。
眠っていてもリリはかわいらしかった。ドラゴンも夢をみるのだろうか。
そして夜明けがくると、リリはルークよりずっと早く目を覚まし、籠を鳴らして起こすのだった。晴れた日は朝食のあと、まだ人の少ない大学街をリリと一緒に散歩してから、図書館へ向かうのがルークの日課となった。
もっともルークとしても、自分がここまでドラゴンを気に入ったことを少々奇妙に思っていた。はじめて〈竜のヤドリギ〉に足を踏み入れ、籠の中のドラゴンたちをみたときに感じた奇妙な安らぎや、リリと目をあわせたときに感じた強烈な何かはいったい何だったのだろう。
しかしリリと生活をはじめると、ルークのささいな疑問はドラゴンとの充実した日常にすぐ埋もれてしまった。 精霊族のドラゴンは人間がつけた名前など覚えないし、反応もしない――〈竜のヤドリギ〉の店主はそういったが、ルークにはとても信じられなかった。
ドラゴンをサブスクしてから、ルークの血色はすこし良くなり、夜も以前より熟睡できるようになった。そんなルークの変化は、王立図書館を中心とした大学街の早朝にも影響をおよぼした。
「どうしたの、ずいぶん早起きじゃないの。試験前でもないのに」
「ええ、いいお天気ですからね」
これは学寮近くのコーヒースタンドの前で交わされた会話である。コーヒーを片手に返事をしたのは、これまでは試験前でもぎりぎりで講義室に駆けこんでいた学生だ。
「ははは、早起きっていいことがあるってやっとわかったんです」
「ルークさん見物ならそっちじゃない、あっちを通るよ」
視線のさだまらない学生にスタンドの亭主はあっさり教えた。同様の学生が何人もコーヒーを買っていったからだ。
「ちょ、ちょっとここにいていいですか?」
「いいけど、次の客が来るまでだ。客が来たらあっちへ行きなさい」
学生は指さされた方向をみた。街路樹の影に数人が固まって立っている。
「まさか彼らも?」
スタンドの亭主は満面の笑みでこたえた。
「ルークさんがドラゴンを飼ってからというもの、客が増えてな。ありがたいありがたい」
なんということだ。学生がそう思ったのも一瞬のことだった。誰かが「あっ」と小さく叫んだからだ。
「来た!」
「リリちゃんが見えた!」
「はいはい、次の客だ。あんたもあっちへ行って」
亭主は学生へ鷹揚に手を振りながら、やはり街路の先へ目を凝らした。パタパタと宙を飛ぶドラゴンの下でルークの黒髪がなびいている。あいかわらず誰がみても美しい男だが、ドラゴンを連れたいまはほとんど神秘的なオーラが加わっている。
亭主は内心ほくそえんだ。ドラゴンと散歩するルークをひと目見ようと、これまで遅刻ぎりぎりだった学生や職員は早起きするようになり、コーヒースタンドも繁盛している。
こうしてルークがドラゴンのサブスクをはじめてから、王立図書館や大学街の人々は――たいていの人は――幸せになった。
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