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番外編&後日談
ロウソクの揺らぎ
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藤野谷の誕生日が間近に迫っていると気づいたのは、不覚にもつい最近のことだった。
ひとは他人の誕生日をどんなきっかけで知るのだろう。藤野谷はなぜか俺の誕生日を知っていたようだが、俺は長いあいだ藤野谷が何月何日生まれかなんて知らずに過ごしてきた。
というわけで俺はいま、はたからみればどうでもいいにちがいない悩みで頭をいっぱいにしている。
歯磨きをしながら考えこんでいると、鏡の中に藤野谷がぬっとあらわれた。不思議そうな顔で俺をみたので、時計をみると三十分くらい経っていた。あわてて口をゆすいだが、藤野谷はまだ怪訝な目つきでそこにいる。
「ずいぶん歯磨きが長いな」
俺はあいまいにうなずく。「考え事をしていたんだ」
「何を?」
「たいしたことじゃない」
その通り、嘘じゃない。これまでこんな問題で悩んだことはない、というだけで。しかし藤野谷は疑わしそうな目つきをする。忘れろ、と俺は思う。たしかにたいしたことじゃない――でも藤野谷には知られたくない。
「ふうん、そう」
「天、寝るぞ」
俺はベッドに入るとナイトスタンドを消し、壁の方を向いて横になった。藤野谷をみると気が散るから、考えがまとまらなくなる。そう思ったとき背中から藤野谷の腕がからんできた。
「どんな考え事?」
俺のうなじに唇をくっつけてささやく。あ――そんなささいな動作でも血流がたちまち速くなるから、気が散るっていうのに。
「何でもないって」
「そうか」藤野谷は俺の耳に息を吹きかける。
「それで?」
「天、明日は早いんだろ? 何時の飛行機だっけ?」
「サエの悩み事を聞いてから寝る。仕事関係?」
「いや。ほんと、たいしたことじゃないから……」
「そう? でもずっと洗面所にいるから、どうしたのかと思った」
「歯磨きしながら考えるのが癖なんだ。続きは明日考える」
「続き?」
藤野谷がクスッと笑う。俺はパティスリーの申込期限を思い出そうとする。人気店なので早めに予約しなければいけないのだ。たしか明日中なら大丈夫だ。
「明日でいいのなら……」
藤野谷の手が俺のパジャマの内側に入って、胸の突起をさぐった。
「天、そこいじられると……あっ……」
俺が息を飲むのと同時に「ほんとはよくない」と藤野谷はささやく。
「何が?」
「サエが三十分も歯磨きしながら何を悩んでいたのか知りたい」
「気にするなって――」
そういったとたん、藤野谷は俺のうなじに軽く歯を立てた。
「あっ――あんっ、もうっ……ずるいだろ……」
「教えて?」
やたらと甘ったるい声に、俺は観念してしまう。
「……ロウソクの本数だよ」
「ロウソク?」
「ケーキのロウソク」
驚いたように藤野谷の手がゆるみ、うなじを解放した。そのすきをついて俺は彼の腕をほどき、あおむけになった。
「大人の誕生日ケーキにロウソクを何本立てるかは、悩ましい問題なんだ」
ついに口に出してしまったが、そのとたん笑われたような気がした。暗くて藤野谷の表情はみえないのに、空気の揺らぎが伝わってくる。
「天、笑ってるだろ」
「いや。すごく真剣な顔だったし、何の話かと思ったら」
「だって……もうすぐおまえの誕生日だし……出張から帰ってきたら……」
本人にいうつもりはなかったのに、と思いながら、俺はぼそぼそといった。
「二十歳をすぎても誕生日はホールケーキで祝うべき主義を掲げる佐枝家では真剣な問題なんだ。十年を大きいロウソク一本で、端数を小さいロウソクであらわすか、年の数だけロウソクがある方がいいか、その場合のケーキのサイズはどうするか」
藤野谷は黙っている。俺はなんだか不安になった。
「天?」
「ケーキがあるのか」
藤野谷は俺の上に覆いかぶさって、ささやいた。
「誕生日にケーキ」もう一度繰り返す。
「もしかして嫌? ケーキは趣味じゃない?」
マットレスがすこし揺れた。顎のあたりに熱い息が落ちてくる。
「まさか。ケーキなんて子供の頃以来だ」
「子供っぽくて嫌か?」
「……驚いただけだ」
藤野谷の低い声が骨に響く。困ったことに俺の体はますます熱くなってしまう。明日は早いっていうのに、藤野谷の唇が重なると応えないではいられない。
「他にも何かある?」
やっと唇が離れた隙に藤野谷がたずねた。
「リクエスト受付中……かな」
「……すこし考えさせてくれ」
マットレスがまた揺れた。熱い体を重ね合わせて、快感の来る場所をさぐっていく。閉じたまぶたの裏でまぼろしのロウソクが揺れ、甘い感触と共に吹き消された。
ひとは他人の誕生日をどんなきっかけで知るのだろう。藤野谷はなぜか俺の誕生日を知っていたようだが、俺は長いあいだ藤野谷が何月何日生まれかなんて知らずに過ごしてきた。
というわけで俺はいま、はたからみればどうでもいいにちがいない悩みで頭をいっぱいにしている。
歯磨きをしながら考えこんでいると、鏡の中に藤野谷がぬっとあらわれた。不思議そうな顔で俺をみたので、時計をみると三十分くらい経っていた。あわてて口をゆすいだが、藤野谷はまだ怪訝な目つきでそこにいる。
「ずいぶん歯磨きが長いな」
俺はあいまいにうなずく。「考え事をしていたんだ」
「何を?」
「たいしたことじゃない」
その通り、嘘じゃない。これまでこんな問題で悩んだことはない、というだけで。しかし藤野谷は疑わしそうな目つきをする。忘れろ、と俺は思う。たしかにたいしたことじゃない――でも藤野谷には知られたくない。
「ふうん、そう」
「天、寝るぞ」
俺はベッドに入るとナイトスタンドを消し、壁の方を向いて横になった。藤野谷をみると気が散るから、考えがまとまらなくなる。そう思ったとき背中から藤野谷の腕がからんできた。
「どんな考え事?」
俺のうなじに唇をくっつけてささやく。あ――そんなささいな動作でも血流がたちまち速くなるから、気が散るっていうのに。
「何でもないって」
「そうか」藤野谷は俺の耳に息を吹きかける。
「それで?」
「天、明日は早いんだろ? 何時の飛行機だっけ?」
「サエの悩み事を聞いてから寝る。仕事関係?」
「いや。ほんと、たいしたことじゃないから……」
「そう? でもずっと洗面所にいるから、どうしたのかと思った」
「歯磨きしながら考えるのが癖なんだ。続きは明日考える」
「続き?」
藤野谷がクスッと笑う。俺はパティスリーの申込期限を思い出そうとする。人気店なので早めに予約しなければいけないのだ。たしか明日中なら大丈夫だ。
「明日でいいのなら……」
藤野谷の手が俺のパジャマの内側に入って、胸の突起をさぐった。
「天、そこいじられると……あっ……」
俺が息を飲むのと同時に「ほんとはよくない」と藤野谷はささやく。
「何が?」
「サエが三十分も歯磨きしながら何を悩んでいたのか知りたい」
「気にするなって――」
そういったとたん、藤野谷は俺のうなじに軽く歯を立てた。
「あっ――あんっ、もうっ……ずるいだろ……」
「教えて?」
やたらと甘ったるい声に、俺は観念してしまう。
「……ロウソクの本数だよ」
「ロウソク?」
「ケーキのロウソク」
驚いたように藤野谷の手がゆるみ、うなじを解放した。そのすきをついて俺は彼の腕をほどき、あおむけになった。
「大人の誕生日ケーキにロウソクを何本立てるかは、悩ましい問題なんだ」
ついに口に出してしまったが、そのとたん笑われたような気がした。暗くて藤野谷の表情はみえないのに、空気の揺らぎが伝わってくる。
「天、笑ってるだろ」
「いや。すごく真剣な顔だったし、何の話かと思ったら」
「だって……もうすぐおまえの誕生日だし……出張から帰ってきたら……」
本人にいうつもりはなかったのに、と思いながら、俺はぼそぼそといった。
「二十歳をすぎても誕生日はホールケーキで祝うべき主義を掲げる佐枝家では真剣な問題なんだ。十年を大きいロウソク一本で、端数を小さいロウソクであらわすか、年の数だけロウソクがある方がいいか、その場合のケーキのサイズはどうするか」
藤野谷は黙っている。俺はなんだか不安になった。
「天?」
「ケーキがあるのか」
藤野谷は俺の上に覆いかぶさって、ささやいた。
「誕生日にケーキ」もう一度繰り返す。
「もしかして嫌? ケーキは趣味じゃない?」
マットレスがすこし揺れた。顎のあたりに熱い息が落ちてくる。
「まさか。ケーキなんて子供の頃以来だ」
「子供っぽくて嫌か?」
「……驚いただけだ」
藤野谷の低い声が骨に響く。困ったことに俺の体はますます熱くなってしまう。明日は早いっていうのに、藤野谷の唇が重なると応えないではいられない。
「他にも何かある?」
やっと唇が離れた隙に藤野谷がたずねた。
「リクエスト受付中……かな」
「……すこし考えさせてくれ」
マットレスがまた揺れた。熱い体を重ね合わせて、快感の来る場所をさぐっていく。閉じたまぶたの裏でまぼろしのロウソクが揺れ、甘い感触と共に吹き消された。
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