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第2部 ハウス・デュマー

6.熱のうつわ

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 ボタンがひとつひとつ外されていく。空気に触れた肌にうっすらと、寒くもないのに鳥肌がたつ。逆だ。むしろ熱い。ベルトをゆるめられ、ジーンズを抜かれて股間の痛みが消える。
 下着がひきおろされる。他人に裸をさらしているのに俺は羞恥すら覚えていない。触れられることにただ飢えている。つかむものを求めて腕をのばすと、温かい手に捕まえられる。

「大丈夫だ、ゼロ」

 衣擦れの音がして、覆いかぶさる甘い匂いに渇望がさらに強くなる。俺はのしかかる重みを受けとめて厚い背中に腕をまわし、意識せず腰を動かしてはりつめたペニスを上にいる男の肌に擦りつける。加賀美の体はスーツの外見からは思いもかけないほど筋肉質で、顔立ちとあいまって彫刻めいている。彼のペニスも堅くなり、上を向いて立ち上がっている。加賀美はなだめるように片手で俺の背中を撫でおろし、そうしながらもう片手を伸ばしてコンドームのパッケージをとった。
 あわせられた唇のあいだから舌が侵入して俺の口のなかを丹念にさぐる。内側を舐められると甘い感覚に足先や腰の奥がうずいた。

 もっと欲しかった。俺は目を閉じたまま加賀美の首にすがりつくようにしてキスをねだり、舌をさしだす。頭の片隅に、自分がこんなことをしているなんて信じられないという小さな声が響くが、鼻から流れこむ甘い匂いに薄らいで消える。加賀美は俺のペニスを握りこんでしごき、俺は嫌になるほどあっけなく射精する。解放のだるさはあっても体の内側の熱は消えないままだ。後ろの穴を指でなぞられる。電流のような快感が全身を走り抜けた。

「ああっ……」
「……ゼロ」

 肩口から胸へと舌がたどり、舐められ、吸われる。左右の乳首を弄られている。指が俺の奥に入りこんでいく。まさぐられるとひくひくふるえ、もうドロドロに濡れているのがわかる。
 かたく目をつぶったまま、俺はいつのまにか泣いているような声を漏らし続けていた。触られたい、体の熱をかき回して俺をぐちゃぐちゃにしてほしい、そんなやみくもな欲求がすこし満たされて、頭の中が朦朧としている。体内をさぐる指が快楽の中心をみつけて弄ると、射精したばかりのペニスがまた勝手に立ち上がり、また雫をたらしている。

 頭は男の肌の匂い、しびれるように甘い匂いでいっぱいで、逃れられない。自分がどこにいるのか、俺を抱く腕が誰のものなのかもよくわからなくなる。耳元で誰かの名前が呼ばれているが、俺に感じられるのは自分を内側からかき混ぜるように愛撫する指の動きだけだ。ぐちゅぐちゅと水音が立ち、全身はとろとろに溶けたようになる。俺は喘ぎながら口走る。
「もっと……」

 眼をあけていることも自分で体をささえていることもできなかった。するりと指が抜かれる。背中をシーツに押しつけられると膝を曲げられた。ぐいっと熱い棒が体をつらぬき、濡れて広がった俺の穴は難なくそれを飲みこんだ。
 のしかかった重みが動き、太いものが俺の奥を突くたびに内側がびくびくふるえる。快楽が脳をつらぬき、甘い匂いがたちのぼる。
「あっ……ああん――」

 力強い腕は体をつなげたまま俺の腰を抱きおこすと、膝に座らせるようにして、さらに深く俺の中に楔を埋めこんだ。下から突き上げられると頭のてっぺんまで甘美な火花が散るようで、息がとまりそうなほど苦しく、なのに気持ちいい。遠くから波のように何かが迫ってくる。何度も突き上げられ、快楽に翻弄されながらも、抱きしめられた腕の温度に圧倒的な安堵と幸福感がわきあがる。
(サエ)
 そう呼ぶ声を聞いたような気がした。

「あああああっ――て…ん――天! まって――ああんっあっ―――」

 一瞬、意識が白く飛んだ。甘美な、頭のてっぺんから空中に投げ出されるような感覚に捕まえられ、俺は墜ちた。墜ちていく――そして腕をつかまれる痛みで引き戻された。

 加賀美が俺の上半身を抱くようにして見下ろしていた。快感の余韻で全身がけだるく、俺は肩で息をつき――ふとたった今、自分が誰の名前を口走ったかを思い出した。
 霞のかかったような意識が一気にさめた。
「あ……」
 どさっと枕の上に投げ出された。

 加賀美が俺の顔の横に両手をついた。まっすぐにみつめてくる。彼に何もかもを知られてしまったような気がした。眼の奥に熱いものがこみあげてくる。止めようもなくじわりと涙があふれた。みじめだった。なのに腰の奥には甘いしびれたような感覚が残り、しかもまだ足りないといいたげにひくついている。
 加賀美の視線を避けようと俺は顔をそらしたが、顎をつかまれ、上を向かされた。どろどろのシーツに背中を押しつけられる。みつめかえした加賀美の表情にはどこか肉食獣じみたところがあった。ふっとその口元がゆるむ。
 嘲笑っているのではなかった。むしろ優しかっただろう。

「ゼロ……きみがもっとほしい」

 眸がはっきりと欲望に濡れて俺をみつめる。恐怖を感じて俺はすくんだが、激しいキスがふってきて何もかもかき消された。唾液が顎をつたって流れ、のしかかる男から放たれる匂いは圧倒的で、いったん冷めたように思えた体がまた熱をもつ。
 加賀美は新しいコンドームのパッケージを破ると猛るおのれに装着した。アルファの声で命令する。

「うつぶせになって、手をついて」

 俺はゆっくり反応したが、遅いとばかりにぐいっと体をひっくり返された。うしろに覆いかぶさった加賀美の熱が俺の中に押し入ってくる。どろどろに溶けた俺の体はするりと彼の猛りを飲み込む。
 突き上げられるたびに内部のひだが収縮して甘い感触を伝え、うつむいた俺の喉から嗚咽のような叫びのような声がもれる。

「ゼロ……すごくいいよ」
 うなじに唇をよせて加賀美がささやき、息を吹きかけた。
「きみは素敵だ。きみが満たされるまで抱くよ……」

 俺の首のうしろがひくひくとうずいた。もっと強い刺激がほしくてたまらなかった。加賀美の吐息があたるたびにうなじの皮膚が期待するようにうごめき、ぞわりとする。しかし加賀美はそれ以上触れずに、俺に埋めこんだ猛りでさらに奥を突き上げる。
「あっあああああっあ――――」
 真っ白い快感がのぼってきて、俺はふたたび意識を飛ばした。




「ゼロ」
 肩をゆすられて眼をあけると加賀美の顔がすぐ近くにあった。
「ここの医者を呼んだ。緩和剤を処方してもらおう」

 背中を抱えて起き上がらせてくれるが、全身がだるかった。特に腰から下に力が入らない。部屋は夜と同じ間接照明に照らされているが、サイドボードの時計をみるともう午後になる時間だ。ハウス・デュマーへ来たのは昨日の夕方だから、あと数時間もすれば丸一日たってしまうことになる。

「悪いが、話を簡単にするためにゼロと僕はパートナーだと話してあるから、気を悪くしないでくれ」
 俺はうなずいた。ヒートのときの頭に霞がかかったような感じはうすらいでいた。最終的にあのあと何回、加賀美に抱かれたのだったかと思いおこす。二度目に意識を飛ばしたあとは気がつくと真夜中で、清潔なシーツの上で寝ていたが、連れていかれたシャワーでまた抱かれて、ベッドに戻ってまた、今朝起きてまた……という調子だった。何度か泣いたような気がするが、はっきりしない。

 返事をしようとして、まだ喉がかすれていることに気づいた。午前中にルームサービスで食事をとったが、俺はそのあとまた眠ってしまったのだ。食器の残骸は片づけられ、今の加賀美はきちんとスーツを来て、涼し気な顔だった。俺より十五歳も上なのに疲れた様子も見えない。

 医者は年配の女性だった。峡が持ち歩いているような計器で俺を簡単に診察して、緩和剤のアンプルを出した。
「ヒートが強くて辛いなら検査を受けた方がいいでしょうね。昔はつがいができれば必ず安定するといわれましたけど、個人差も大きいので一概にはいえません。でもつがいになるのは悪くないですよ。パートナーが固定した安心感で、心理的に安定することが良い結果に結びつく場合も多いですから」
 鬱血が飛んだ俺の肌を一瞥して、加賀美の方にややきついまなざしを向ける。

「それから、ヒートで接触を求めるのはオメガの当然の欲求ですし、それにアルファが発情(ラット)するのも自然なことですけれど、たとえパートナーでも何をしてもいいわけではありませんよ。ほどほどにね。あなたの体はあなたのもので、ひとのものじゃないんだから」

 加賀美はもっともらしい顔をしてうなずいた。医者を見送って戻ってくるとベッドに浅く腰かけ、俺と目線を合わせる。
「起こさないで黙って行く手もあったんだが、それではだめだと思った」
 と静かにいった。
「きみとはもっとゆっくり進めるつもりだったんだ……ヒートのオメガなら誰でもいいなんて思われるのは嫌だから」

 俺はうつむき、ぼそぼそと口を挟んだ。
「加賀美さんのこと、誰もそんなふうには思いませんよ」
 加賀美は微笑んだ。俺の肩をゆるく抱く。
「今度のことは事故だと思って忘れてくれてもかまわないが……でも、よければこれを機会に付き合わないか。パートナーといったのは方便だが、本当になると僕は嬉しい」

 肩に置かれた手のひらが力強かった。
 俺はなんと答えればいいのかわからないまま年上の男を見返した。素直にうなずけよ、と心の一部がささやく。きっと楽になれるぞ。甘えてしまえ。ヒートのたびにひとりで藤野谷の幻想と戦わなくてもすむ。泣きながらあいつの名前を呼ぶこともなくなるだろう。

 ――
 

 黙りこくったまま時間がすぎる。空調の音しか聞こえない静かな部屋で、俺の心は空中に放り投げられた箱のようにくるくる回り、なのに何ひとつ言葉が出てこなかった。加賀美が優しい、小さな笑い声を立てて軽く息をついた。肩を抱いた腕をはずし、俺の頭を撫でる。

「悪かった、ゼロ」
「加賀美さん」
 何かいわなければならなかった。けれどその先が出てこない。
「……俺は……」

 どうしてOKといってしまわないんだ、とまた心の一部がいった。おまえは誰に何を期待しているんだ。藤野谷か? ありえないだろう。もちろん友達づきあいならできるさ。今回みたいに仕事だって。

 ――だいたいおまえは長いあいだ、おまえに迫ってくる藤野谷を拒否してきたんじゃないのか。
 おまけにあいつは三波とつきあってる。

 期待とかそういう話じゃない、と俺は返す。
 答えられないから答えられないんだ。

「いや、いまこれを持ち出した僕の方が愚かだった」
 髪を撫でる加賀美の指は心地よかった。細く繊細で、優美に動く。
「でも、申し出は断られていないと考えてかまわないかな」
 俺はうなずいた。それが精一杯だった。
「それならまた会おう。ここでも、どこでも……できれば次は仮面なしで。いつでも連絡してほしい。また音楽の話をしよう」
 加賀美は俺のひたいにキスを落とすと、サイドボードに名刺を置いて部屋を出て行った。



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