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秘花⑦
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
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ジュチは賢より十歳年上の宦官だ。王太子付きとなって側近く仕えてくれるようになって、もう十一年になる。いつでも、どんなときでも、側にいてくれる。その意味では、同じ歳の頼もしい従弟乾と同じくらい大切な存在だ。ジュチも乾も賢にとっては、なくてはならない人たちなのである。
二人の関係は主従ではあるが、この十一年間で単なる主従というよりは兄弟のようなものに変化していた。
と、執務室の両開きの扉越しに、遠慮がちに声がかけられた。
「世子さま、国王殿下がお目覚めになり、世子さまにお逢いしたいとのことにございます」
常に執務室前に控えている年配の尚宮の声だ。賢はジュチと顔を見合わせ、返事をした。
「判った。すぐにお伺いすると伝えてくれ」
とりあえず、陳情書を読むのは後回しだ。賢はまた溜息をつく。
ここのところ、父王の病状は更に悪化している。以前はたまにしか起こらなかった頭痛の回数が増え、寝たきりになった。侍医の診立てでは、〝卒中の前触れ〟であるとのことで、最近は殊に大事を取って、事実上の政務は王太子賢がほぼこなしているという有り様だ。
執務室を出た二人は廊下を国王の病室へと急いだ。
「このようなことを申し上げるのは差し出がましいのですが」
いつになく歯切れの悪い物言いをするジュチに、賢は笑った。
「直截に物を言うそなたにしては珍しいね。何のことだい?」
「実は」
更にジュチは口ごもり、少し躊躇ってから、覚悟を決めたように、ひと息に言った。
「殿下に夜毎、差し上げている薬湯のことをご存じでしょうか?」
賢はああ、と頷いた。
「それなら僕も知っている。乾が父上に差し上げている薬湯のことだろう?」
はい、と、ジュチは憂い顔で応えた。
「それが、どうかしたのか?」
そこで、ジュチがハッとした表情で押し黙った。廊下の向こうからやってくる人影に気付いたようである。賢はその美麗な顔にぎこちない笑みを貼りつけた。
向こうも気付いたらしく、無表情な面にさざ波ほどの変化が走る。しかし、それはすぐに何事もなかったかのように消えた。
賢と並んで歩いていたジュチがわずかに後方に下がり、頭を垂れた。
「やあ、陽寧君(ヤンニョングン)」
賢が親しげにかけた声に、相手の歩みが止まった。気付いていた癖に、まるで初めてこちらに気付いたかのような仕種だ。が、賢はそんなことは頓着せず、にこやかに話しかけた。
「父上を見舞ってくれたのかい?」
陽寧君―乾は賢の問いには応えず、背後のジュチを冷たい眼で一瞥した。
「世子邸下におかれては、その宦官がよほどお気に入りと見えるな。俺が見る限り、そやつが邸下の側から離れたことはない」
乾はわずかに眼を眇めるようにして賢とジュチを交互に見やる。
「その分では、邸下のご寝所にまで入り込んで、夜な夜な伽でも務めていそうな」
賢は皮肉めいた科白にも動ずることなく応えた。
「ジュチは僕が物心ついたときからずっと側にいてくれた宦官だ。時には僕が眠るまで寝所で話をすることもある」
その応えが何故か気に入らなかったらしく、乾は濃い眉を苛立たしげに動かした。いきなりつかつかと歩いてくると、賢の後ろのジュチの襟首を掴み上げた。
「貴様、本当なのか? 真に邸下の寝所にまで入り込んでいるのかッ」
賢は慌てて二人の間に割って入った。
「陽寧君、何をするんだ! ジュチはただ自分の職務を果たしているだけだ。何故、そなたがそのようなことでジュチを責める必要がある?」
乾は王族の中でも身分が高い。王位継承権も第二位である。一介の宦官にすぎないジュチは乾になされるがままになって、抵抗もできない。
乾がジュチから手を放した。
「世子邸下、あなたは本当にそのように思われるのか? 御身が男を寝所に入れても許される身だと」
「どういうことだ?」
乾の漆黒の瞳が射貫くように賢を見つめた。賢は堪りかねて、その烈しい視線から眼を逸らした。
「僕も父上に呼ばれているので、これで失礼するよ」
二人の関係は主従ではあるが、この十一年間で単なる主従というよりは兄弟のようなものに変化していた。
と、執務室の両開きの扉越しに、遠慮がちに声がかけられた。
「世子さま、国王殿下がお目覚めになり、世子さまにお逢いしたいとのことにございます」
常に執務室前に控えている年配の尚宮の声だ。賢はジュチと顔を見合わせ、返事をした。
「判った。すぐにお伺いすると伝えてくれ」
とりあえず、陳情書を読むのは後回しだ。賢はまた溜息をつく。
ここのところ、父王の病状は更に悪化している。以前はたまにしか起こらなかった頭痛の回数が増え、寝たきりになった。侍医の診立てでは、〝卒中の前触れ〟であるとのことで、最近は殊に大事を取って、事実上の政務は王太子賢がほぼこなしているという有り様だ。
執務室を出た二人は廊下を国王の病室へと急いだ。
「このようなことを申し上げるのは差し出がましいのですが」
いつになく歯切れの悪い物言いをするジュチに、賢は笑った。
「直截に物を言うそなたにしては珍しいね。何のことだい?」
「実は」
更にジュチは口ごもり、少し躊躇ってから、覚悟を決めたように、ひと息に言った。
「殿下に夜毎、差し上げている薬湯のことをご存じでしょうか?」
賢はああ、と頷いた。
「それなら僕も知っている。乾が父上に差し上げている薬湯のことだろう?」
はい、と、ジュチは憂い顔で応えた。
「それが、どうかしたのか?」
そこで、ジュチがハッとした表情で押し黙った。廊下の向こうからやってくる人影に気付いたようである。賢はその美麗な顔にぎこちない笑みを貼りつけた。
向こうも気付いたらしく、無表情な面にさざ波ほどの変化が走る。しかし、それはすぐに何事もなかったかのように消えた。
賢と並んで歩いていたジュチがわずかに後方に下がり、頭を垂れた。
「やあ、陽寧君(ヤンニョングン)」
賢が親しげにかけた声に、相手の歩みが止まった。気付いていた癖に、まるで初めてこちらに気付いたかのような仕種だ。が、賢はそんなことは頓着せず、にこやかに話しかけた。
「父上を見舞ってくれたのかい?」
陽寧君―乾は賢の問いには応えず、背後のジュチを冷たい眼で一瞥した。
「世子邸下におかれては、その宦官がよほどお気に入りと見えるな。俺が見る限り、そやつが邸下の側から離れたことはない」
乾はわずかに眼を眇めるようにして賢とジュチを交互に見やる。
「その分では、邸下のご寝所にまで入り込んで、夜な夜な伽でも務めていそうな」
賢は皮肉めいた科白にも動ずることなく応えた。
「ジュチは僕が物心ついたときからずっと側にいてくれた宦官だ。時には僕が眠るまで寝所で話をすることもある」
その応えが何故か気に入らなかったらしく、乾は濃い眉を苛立たしげに動かした。いきなりつかつかと歩いてくると、賢の後ろのジュチの襟首を掴み上げた。
「貴様、本当なのか? 真に邸下の寝所にまで入り込んでいるのかッ」
賢は慌てて二人の間に割って入った。
「陽寧君、何をするんだ! ジュチはただ自分の職務を果たしているだけだ。何故、そなたがそのようなことでジュチを責める必要がある?」
乾は王族の中でも身分が高い。王位継承権も第二位である。一介の宦官にすぎないジュチは乾になされるがままになって、抵抗もできない。
乾がジュチから手を放した。
「世子邸下、あなたは本当にそのように思われるのか? 御身が男を寝所に入れても許される身だと」
「どういうことだ?」
乾の漆黒の瞳が射貫くように賢を見つめた。賢は堪りかねて、その烈しい視線から眼を逸らした。
「僕も父上に呼ばれているので、これで失礼するよ」
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