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裸足の花嫁~日陰の王女は愛に惑う~㉜

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 チュソンは王女の白い顔を見つめた。
「あなたがあのときの少女なら、私は諦めるつもりはありません」
 そう、央明翁主がパク・ジアンだと判った今、この縁談を辞退するという選択肢はチュソンにはない。
 王女の白皙は今や、血の色がなかった。チュソンは王女がこのまま倒れるのではないかと心配した。チュソンの母は何かというと、すぐに失神する。
 やはり少しきつく言い過ぎただろうか。彼女の言う通り、自分たちは初対面ではないにせよ、近いことは事実だ。なのに強引に迫り、一方的な想いを押しつけすぎたという自覚はむろんあった。
「申し訳ありません。つい、あなたに辛く当たってしまいました。ですが、この恋を諦めるつもりがないのは本心です」
 チュソンはひと息つき、また話し出した。
「ですから、どうか長い眼で見て頂けませんか? 私は良き良人になるように努力しますよ。一生全力であなたをお守りしますし、あなたが幸せになれるよう力を尽くします」
 王女がフッと笑った。
「十年前はそんな風には見えなかったのに、あなたはとんだ頑固者ですね」
「あなたこそ」
 チュソンも笑った。二人の周囲の空気が心なしかやわらかくなった。
「あの時、私がとれだけ肝を冷やしたことか。自分よりか弱い女の子が向こう見ずにも大男の前に飛び出していったんですから」
 王女が遠くを見るような瞳になった。
「でも、あの時、私が飛び出さなければ、可哀想なセナは八百屋のおじさんにしこたま殴られていたでしょう。下手をすれば、セナは最悪、死んでいました。どうしても見過ごしにはできなかった」
 あの後、セナが屋敷を訪ねてくることはなかった。彼女が今もこの広い都のどここかで逞しく生きているのを願うばかりだ。チュソンは頷いた。
「ええ、その通りです。実はあの時、私もセナが八百屋に殴られるところを最初から見ていたんです。盗みを働くのは確かに悪いことではありますが、あんな小さな子相手に屈強な大人が力加減もせずに殴るのは感心できません。あなたの言うように、もしかしたら、二発目にはセナは打ち所が悪くて死んでいたかもしれない。一発目より更に、あの男は頭に来ているようでしたから」
 ですから、と、チュソンは言う。
「ここは男子たる自分が出てゆかねばならない。そう思っても、情けないことに両脚がすくんで前に踏み出せないんですよ。こんなことでは駄目だと葛藤している中に、先にあなたが華麗に登場したというわけです」
 王女がクスリと笑った。
「華麗ーですか」
 チュソンも笑いながら頷いた。
「ええ、格好良かったですよ。子どもの私だけではない。あの場には大勢の野次馬がいましたけど、大の大人も誰一人としてセナを助けようとはしなかった。なのに、大男の鼻息だけで吹き飛びそうな小さなあなたが堂々とセナを身を挺して庇い、あの八百屋と渡り合ったんです」
 王女はクスクスと笑っている。
「幾ら何でも、鼻息で飛びはしないでしょうに」
 チュソンはほのかな熱を宿した瞳で王女を見つめた。
「まさに、女神降臨ってね」
 王女は声を立てて笑った。まるで白藤が初夏の風にそよぐような声だ。美しいひとは声までもが綺麗なのかと思ってしまう。
「女神降臨ですか。科挙に最年少で合格というから、本の虫のガリ勉かと思いましたけど、あなたは面白い人ですね」
 チュソンが白い歯を見せた。
「そんなに私は勉強しかしない、面白みのない男だと思われていた?」
 王女は大真面目に頷いた。
「はい。度の強い眼がねをかけた、冴えない堅物男かと想像していました」
 チュソンは声を上げて笑った。
「そいつは酷いな、あんまりだ。人を先入観だけで見てはいけないと、幼い頃に大人から教えられなかったんですね、あなたは」
 チュソンが王女を見つめる眼が切なげに細められる。
「私が惚れたのは、あなたの勇気です」
「勇気?」
 チュソンは頷いた。
「ええ。小さな身体で倍以上もの大男に向かっていった勇気、セナを自分の身体で庇おうとした正義感。私には持ち得ないものでした。そんじょそこらの女の腐ったような男より、よほど男気があった」
 王女が微笑んだ。
「そんな風にたいそうなものではありません。ただ夢中で、あのおじさんの前に出ていっただけです」
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