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裸足の花嫁~日陰の王女は愛に惑う~㉙
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女主人の棲まいらしい、瀟洒な雰囲気だ。室内の装飾はすべて緑で統一されていた。国王は王女に対して冷淡だというが、本当なのだろうか。チュソンは疑念を抱いた。
娘の好みを知るからこそ、王は新居の内装も緑を多く使ったに違いない。
チョンスは女性らしい華やかな内装の居室を横切り、改めて室内を見渡した。
「こちらが奥さまのご寝室になりますが、旦那さま、奥さま、どちらのご寝所にもお二人分の夜具をご用意致しますので、どちらでもお寝みになれます」
使用人頭は特に他意はなかったはずだ。しかし、〝寝所〟というひと言は、少なくともチュソンには生々しい響きを与えた。寝所は閨ともいい、男女が親密な営みを交わす場所でもある。何か秘められた空間という意味合いがあるように思える。
チョンスの不用意な言葉が王女に衝撃を与えてはいないかと心配になった。そっと王女を窺い見ても、整った横顔は静謐そのもので、特に変化はない。これでは自分一人が紅くなったり蒼くなったりしているようで、滑稽だ。
チュソンは意識しすぎた我が身を恥じた。
やはり、意中の女人との事実上の初対面とあっても柄にもなく浮かれているようだ。
それから後も来客をもてなす小座敷や各部屋を案内され、最後に厨房に行った。
厨房もかなりの広さがあり、立派な竈が幾つも並んでいる。厨房には数人の女たちが整列していた。先刻、表で見かけた顔もある。
一番先頭の年かさの女が言った。
「ようこそ、旦那さま、奥さま」
すると、後の女たちが一斉に頭を下げる。
先頭の女が説明した。
「私はご当家の女中を纏める侍女頭のハンナと申します」
チュソンは笑顔で頷いた。
「ハンナか、よろしく」
ここでも、王女は何も喋らなかった。高貴な生まれ育ちの女(ひと)だから、こういうときにどう振る舞えば良いのか、知らないのかもしれない。
厨房からよく磨き込まれた廊下を戻り、一同は屋敷の外に出た。チョンスが指を指す。
「あちらが庭になります。ここからは、お二人でごゆっくりとご覧下さい」
若い二人に気を利かしたものと見える。チュソンはにこやかに言った。
「ご苦労さま」
チョンスも笑顔で言った。
「では、私めはこちらに控えておりますので、ご用があれば何なりとお呼び下さい」
「ありがとう」
チュソンは礼を言い、王女を伴い庭へ向かう。お付きの女官は流石に付いてこようとはしない。
「庭もかなり広いですね」
チュソンは少し遅れて付いてくる王女を振り返った。そのときだった。
王女が初めて声らしい声を上げた。
「ー綺麗」
呟くなり、走るように進んでゆく。チュソンは慌てた。
「待って下さい」
一体、何なんだ? 幾ら王女とはいえ、使用人たちに対して笑顔一つ見せるわけでもなし、今度はいきなり走り出すのか?
どうやら見かけと異なり、風変わりな娘のようである。チュソンは少し認識を改めなければならないのかもしれなかった。
それで王女に対する気持ちが冷めるということはないけれど、これから両班家の夫人としてやってゆくからには、彼女も周囲に合わせるということを知る必要がある。
降嫁すれば、彼女はもう王族でもないし、臣下の妻となる。奥方として一家を切り盛りしなければならないし、そのためには使用人たちと上手くやってゆかなければならない。
いつまでもツンとお高くとまっていたのでは、使用人の心を掴むどころか、逆に反発されるだけだ。急に環境の変化を受け入れるのは難しいかもしれないが、少しずつでも馴染んで貰おう。
王女はチマの裾をからげて駆けてゆく。
ーお転婆なのか?
チュソンは少々面くらいながらも、それはそれで悪い気はしなかった。澄まし返っているよりは、元気がありすぎるくらいの方が良い。
「一体、何なんですか?」
王女の脚はかなり速かった。やっとのことで追いついたチュソンは呼吸(いき)が上がっている。正直、学問は得意だけれど、武芸はあまり得意とはいえない。これからは大切な妻を守るためには、多少武芸をたしなんだ方が良いだろうか。
漸く人心地ついた彼は、少しの距離を置いて立つ王女を見つめた。彼女は一心に何かを見上げている。その視線の先には、満開の白藤があった。
娘の好みを知るからこそ、王は新居の内装も緑を多く使ったに違いない。
チョンスは女性らしい華やかな内装の居室を横切り、改めて室内を見渡した。
「こちらが奥さまのご寝室になりますが、旦那さま、奥さま、どちらのご寝所にもお二人分の夜具をご用意致しますので、どちらでもお寝みになれます」
使用人頭は特に他意はなかったはずだ。しかし、〝寝所〟というひと言は、少なくともチュソンには生々しい響きを与えた。寝所は閨ともいい、男女が親密な営みを交わす場所でもある。何か秘められた空間という意味合いがあるように思える。
チョンスの不用意な言葉が王女に衝撃を与えてはいないかと心配になった。そっと王女を窺い見ても、整った横顔は静謐そのもので、特に変化はない。これでは自分一人が紅くなったり蒼くなったりしているようで、滑稽だ。
チュソンは意識しすぎた我が身を恥じた。
やはり、意中の女人との事実上の初対面とあっても柄にもなく浮かれているようだ。
それから後も来客をもてなす小座敷や各部屋を案内され、最後に厨房に行った。
厨房もかなりの広さがあり、立派な竈が幾つも並んでいる。厨房には数人の女たちが整列していた。先刻、表で見かけた顔もある。
一番先頭の年かさの女が言った。
「ようこそ、旦那さま、奥さま」
すると、後の女たちが一斉に頭を下げる。
先頭の女が説明した。
「私はご当家の女中を纏める侍女頭のハンナと申します」
チュソンは笑顔で頷いた。
「ハンナか、よろしく」
ここでも、王女は何も喋らなかった。高貴な生まれ育ちの女(ひと)だから、こういうときにどう振る舞えば良いのか、知らないのかもしれない。
厨房からよく磨き込まれた廊下を戻り、一同は屋敷の外に出た。チョンスが指を指す。
「あちらが庭になります。ここからは、お二人でごゆっくりとご覧下さい」
若い二人に気を利かしたものと見える。チュソンはにこやかに言った。
「ご苦労さま」
チョンスも笑顔で言った。
「では、私めはこちらに控えておりますので、ご用があれば何なりとお呼び下さい」
「ありがとう」
チュソンは礼を言い、王女を伴い庭へ向かう。お付きの女官は流石に付いてこようとはしない。
「庭もかなり広いですね」
チュソンは少し遅れて付いてくる王女を振り返った。そのときだった。
王女が初めて声らしい声を上げた。
「ー綺麗」
呟くなり、走るように進んでゆく。チュソンは慌てた。
「待って下さい」
一体、何なんだ? 幾ら王女とはいえ、使用人たちに対して笑顔一つ見せるわけでもなし、今度はいきなり走り出すのか?
どうやら見かけと異なり、風変わりな娘のようである。チュソンは少し認識を改めなければならないのかもしれなかった。
それで王女に対する気持ちが冷めるということはないけれど、これから両班家の夫人としてやってゆくからには、彼女も周囲に合わせるということを知る必要がある。
降嫁すれば、彼女はもう王族でもないし、臣下の妻となる。奥方として一家を切り盛りしなければならないし、そのためには使用人たちと上手くやってゆかなければならない。
いつまでもツンとお高くとまっていたのでは、使用人の心を掴むどころか、逆に反発されるだけだ。急に環境の変化を受け入れるのは難しいかもしれないが、少しずつでも馴染んで貰おう。
王女はチマの裾をからげて駆けてゆく。
ーお転婆なのか?
チュソンは少々面くらいながらも、それはそれで悪い気はしなかった。澄まし返っているよりは、元気がありすぎるくらいの方が良い。
「一体、何なんですか?」
王女の脚はかなり速かった。やっとのことで追いついたチュソンは呼吸(いき)が上がっている。正直、学問は得意だけれど、武芸はあまり得意とはいえない。これからは大切な妻を守るためには、多少武芸をたしなんだ方が良いだろうか。
漸く人心地ついた彼は、少しの距離を置いて立つ王女を見つめた。彼女は一心に何かを見上げている。その視線の先には、満開の白藤があった。
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