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裸足の花嫁~日陰の王女は愛に惑う~㉒

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 それはさておき、チュソンを今の状態で捨て置くことはできない。王女を嫁に迎えるのは、確かに栄誉ではある。しかし、格上の家から嫁を取るのは、気詰まりなことこの上ないのも確かだ。
 子どもだと思っていた息子も気がつけばはや十八、自分が十七歳でヨンオクと結婚したのを思えば、遅すぎるくらいだ。科挙に合格し、吏曹正郎として任官も果たした。加えて、名門羅氏という箔があれば、息子の出世は約束されたようなものだ。 
 だが、王女が降嫁すれば、息子の将来は閉ざされる。名ばかりの名誉職を与えられ、一生、政治に拘わることなく過ごさねばならない。あれほどの才覚と能力を持つ息子なのに、あまりに勿体なく口惜しい。
 それでも、彼は息子の出世と生命を引き替えにする気はなかった。両天秤にかければ、どちらに傾くかは明らかだ。
 ここは無念ではあれども、息子の健康と生命を優先し、親の方が譲ろうと腹を決めた。もちろん、妻に話せば半狂乱になって止めるのは判り切っている。だから、ヨンオクには事が成就するまで話すつもりはなかった。
 中宮殿の壮麗な建物が見えてくると、ジョンハクは更に気を引き締めた。彼にとって、王妃は姉に当たる。ただし、父親は同じで、母は違う異母姉だ。
 ジョンハクは物心ついた時分から、この異母姉が苦手だった。十人を超える兄弟姉妹の中、王妃は一番上であり、ジョンハクは末子だから、歳は十三の開きがある。王妃が入内したのはジョンハクが生まれる前だから、共に過ごした時間というものはない。
 たまに王妃が里帰りしたり、ジョンハク自身が父に連れられて参内し訪ねた時、王妃の美しい面にはいかにも優しげな微笑が浮かんでいる。
 しかし、微笑みが見かけだけのものであるのを何より彼は知っていた。王妃が冷淡なのは、腹違いであるというだけが理由ではなかった。父ー領議政の最初の奥方は、上流両班の息女である。羅氏に引けを取らぬ名家の出なのだ。
 不幸にも最初の夫人は三十歳という若さで亡くなった。王妃が入内して家を出て、わずか二年後のことだ。夫人が体調を崩して寝込んだのは亡くなる一年ほど前だが、既にその時、後妻となったジョンハクの母は妊娠していた。
 つまり、父は妻が病に倒れた頃、母と関係を持っていたのだ。二人が知り合ったのは本当に偶然であったという。下町の露店で美しい絹の刺繍靴を見ていた母を父が見初めたのだ。
 相手が下女ならともかく、母は曲がりなりにも両班の娘であった。もちろん、羅氏にははるかに及ばない中流ではあったが。父は既婚者でありながら、まだ十七歳だった母を誘惑し、身籠もらせた。
 父は奥方が寝付いているのを良いことに、しばしば屋敷を抜け出し、母と逢瀬を重ねていた。やがて母は懐妊、お腹がかなり目立つようになった頃、奥方はついに亡くなった。
 父は身重の母を捨て置けず、前妻の喪も明けない前から母を継室に迎え入れた。ジョンハクが生まれたのは父と母が婚儀を挙げて三ヶ月後だった。
 他人には早産であると苦しい言い訳をしたものの、ひと月程度ならともかく、数ヶ月もごまかしきれるはずがない。世間では
ー前(さき)の奥方さまがまだ病で苦しんでおられる時、羅氏の旦那さまは若い娘と楽しんでいたのだ。
 と、相当悪く言われたらしい。けれども、その噂はすべて事実であった。
 ジョンハクが生まれた背景には、このような経緯があった。
 もし立場が変わっていたとしたらー。多分、ジョンハクだとて相手の女を恨んだだろう。糟糠の妻が病で苦しんでいる最中、若い女に目移りし、あまつさえ妊娠させた。ジョンハクが王妃だったとしても、父を許せないと思ったに相違ない。
 悪いのは父であり、王妃にも亡くなった前夫人にも罪はない。また、父が既婚者と知りつつ、関係を持ち続けた母の貞操観念も残念ながら疑わしいものだ。
 王妃が自分に向ける侮蔑の視線の中には、身持ちの悪い母を持つ息子という意味合いもあるはずだ。その母も数年前には亡くなった。
 領議政である父は今、七十五歳だ。ここ最近は新しい側妾を迎えたという話は流石に聞かないが、母が亡くなるくらいまでは艶めいた話には事欠かなかった。
 ジョンハクには側室はいない。妻のヨンオクを愛しく思っているのもあるし、両親のさんざんな醜聞を見聞きしたことで、女遊びの罪深さを間接的に知りすぎたというのもある。幸いにも、一人息子は幼いときから神童と呼ばれる出来の良い子だ。しかも、家門を継ぐべき男子に恵まれた。
 これ以上、子を持つ気がないなら、側室など無用だ。良くも悪くも、父が派手な女関係を披瀝することで、ジョンハクに与えた影響は大きすぎたといえよう。
 中宮殿に到着するや、ジョンハクは扉前にいる女官におとないを告げた。女官が中に入り、ほどなく尚宮が慌ててやってくる。
「これは兵判大監」
 尚宮は王妃の弟に対して、丁重に頭を下げた。ジョンハクは鷹揚に言った。
「中殿さまにお取り次ぎしてくれ」
「畏まりました」
 尚宮はふくよかな身体を揺するようにして、また殿舎にとって返す。
 またすぐに両開きの扉が開き、尚宮が言った。
「こちらへどうぞ」
 彼は尚宮に導かれ殿舎に入った。艶のある廊下を経て控えの間に至る。控えの間では扉越しに尚宮が伺いを立てた。
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