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裸足の花嫁~日陰の王女は愛に惑う~

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   そして僕は彼女に出逢った

「採り立てだ、堀り立ての大根だ、買っていかんか」
「よく肥えた鶏をたった今、捌いたばかりだよ」
 物売りたちの客を声高に呼ぶ声が今日も都の大通りに響き渡る。時刻もそろそろ太陽が真上に来る正午とあり、都大路にはそれこそ行き交う人がごった返している。
「もうちっと安くはならないのかえ」
 露天商に負けじとばかりに値切り交渉をしている中年女の背後から、周宣(チュソン)はつま先立ち、小柄な身体を精一杯伸び上がるようにして前方を覗き込む。
 彼の道袍(ドツポ)の裾を同年代の少年がしきりに引っ張った。
「若さま。そろそろお屋敷に戻りましょう。学問の途中で抜け出したことがバレたりしたら、今日こそ私は母と奥さまに殺されます」
 少年たちは共に八歳くらい。どちらも整った面立ちをしているものの、身なりはまったく違った。片や頭を頭巾で包み上絹で仕立てた蒼色の衣服を纏い、片や慎ましい木綿の衣服である。二人が主従であるのは一目瞭然であった。
 チュソンはパッと振り返った。
「煩いな、チョンドク。そなたのしゃべり方は最近、乳母そっくりになってきたぞ。まるで口煩い男乳母(おとこばあや)のようだ」
 そう、チョンドクはチュソンの乳母ヨニの息子なのだ。つまりは二人は乳兄弟の関係でもある。
「言うに事欠いて、私が男乳母ですって?」
 チョンドクは眼をつり上げそうになり、諦めたように首を振った。溜息をつき、再度チュソンの道袍の袖を引く。
「何がそんなに面白いんですか?」
 チュソンがへばりついているのは、八百屋の前だ。今、大根を値切っている女の他にも、数人が八百屋を取り囲んでいるため、子どものチュソンは思うように売り物が眺められない。それで、何とか覗き込もうと躍起になっているというわけだ。
 だが、お付きのチョンドクに至っては、若さまの考えが皆目理解できない。特に何の変わりもない野菜と果物が並んでいるだけだ。
 チュソンがまた振り向き、小声で言う。
「ほら見ろ、チョンドク。何とも美味しそうな林檎ではないか」
 チョンドクはハッと呆れ顔で鼻を鳴らす。
「お屋敷に帰れば、厨房にはあれしきの林檎、たくさんありますよ」
 チッチッと、チュソンは時々、母がやっているのを真似て軽く舌打ちを聞かせた。
「馬鹿だな。お前、屋敷で食べるのでは少しも美味しくない。あの艶やかに熟れた林檎を囓りながら大通りを歩くのが粋なのだ!」
 チョンドクが盛大な溜息をついた。
「ええええ、私は馬鹿ですよ。こんな風変わりな若君なんぞさっさと見限ってしまえば、私の人生も楽になるのにね」
 チョンドクは袖から小さな薄蒼のチュモニ(巾着)を取り出す。銭を一つ二つ掴むと、チュソンに囁いた。
「そんなにあの林檎がご所望なら、買えば良いでしょう。良いですか、あれを買ったら、四の五の言わずにお屋敷に戻って下さいね?」
 同じ歳ではあるが、背丈はチョンドクの方が頭一つ分高い。年の割に小柄なのは実のところ、チュソンの悩みの種なのだ。
 チョンドクは大柄ながら、身軽にひょいひょいと人垣を分け前に進んだ。
「おじさん(アデユツシ)、その林檎を一つ下さい」
「毎度!」
 中年の親父は林檎を一つオマケにつけてくれた。チョンドクが礼を言って振り返ったその時、既に主君の姿は見当たらなかった。
「若さま、林檎を買ってー」
 チョンドクの顔が凍り付く。
「畜生、また、やられた」
 林檎が欲しい云々は、チュソンがチョンドクの眼を盗んで姿を消すための方便にすぎなかった。毎度のことながら、またしてもチュソンに良いようにしてやられた。
 良くも、これだけ頭が回るものだ。それを言えば、チュソンはけして悪戯ばかりしている悪童というわけではなかった。
ー若さまは何故、真面目に学問をなさらないんですか?
 開国功臣を祖に持つ名家の跡取りとして生まれ、チュソンの両親はこの一人息子に期待を掛けている。実際、チュソンはすごぶる頭が良かった。一度見聞きすれば、ほぼすべてを記憶できるといわれるほどの神童である。
 現にチュソンはチョンドクの質問に対して、こう応えたのだ。
ー師匠がお話しになることはすべて、書物に書いてある。一度読めばすべて頭に入るんだから、わざわざ師匠の講義を聴く必要はないだろう。
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